第85話 珍客と珍客

 次はどんな相談内容だろうなぁと穏やかな気持ちで待っていたリカルド。

 次もまた路地裏から繋がる感覚に居住まいを正し、いつもの微笑みを浮かべ、


「ようこ――」

「ここまだやってる!? やってるなら――………」


 駆け込んできた客はまだ年若い女性だった。そして乱れた髪と上着を羽織っただけと思われる軽装の上、夜中にも関わらず乳飲み子と思われる小さな赤子を抱いていた。

 微笑みのまま、赤ちゃん!?と驚くリカルドと、酒場か何かと勘違いして入った女性は互いに想定外の相手に束の間見つめ合う形となった。が、我に返ったリカルドはすかさず時を止めて虚空検索アカシックレコードで確認した。

 女性の慌てぶりから何者かに追われているのか、それともまさかこの女性が子供を攫ってきたところなのか、様々な想像が頭を駆け巡るが調べた結果、旦那と喧嘩して飛び出して来た事が判明して肩の力が抜けた。

 過去には樹のように追われていたり、王太子の近衛のように血まみれで転がり込んできた相手がいたので、まさかと身構えたのだがそういう手合いではなくて良かったとひとまず胸を撫でおろし、いやでも赤子連れて飛び出してくるって……と冷静になってどんな喧嘩だよと調べ直した。

 そうして事情を見て見れば、まぁなんというか見た目通り若い夫婦(女性が18歳、相手の男性が19歳)の出来ちゃった婚で、実家は両者ともに遠方、周りにあまり親しい者がおらず他にもいろいろ問題が起きそうな要素が転がっており、喧嘩の内容も日本の子育て中のパパさんママさんがネットに上げているような内容であった。


(ありがちっちゃありがちだけど、積もり積もって爆発した感じかな……)


「ようこそ占いの館へ。今宵はどのようなご相談でしょう」


 ひとまず時を戻して仕切り直したリカルドに、女性は目を瞬かせてから胡乱気な眼差しになった。


「占い?」

「はい。ご相談に合わせて助言をさせていただく事を生業としております」

「………」


 女性はちらっと後ろを見て、抱いた赤子に視線を落とし、行く当ても無い夜の街をこれ以上彷徨うよりは怪しいがマシかと計算した。


「いくら取るの?」

「一律300クルを頂いております」

「……今手持ちがないけど、これでいい?」


 そう言って女性が差し出してきたのは腕に嵌めていた腕輪だった。

 木彫りの腕輪を鑑定したリカルドは、それが契りの腕輪と言われる結婚指輪に相当するものだと気づいて内心引き攣った。


(受け取れるかそんなもん!)


 と思うものの、他に女性は何を身に付けているわけでもない。差し出せそうなものがそれしかないという状況のようで、一旦仮置きして早く旦那さんを誘導して引き取って貰おうと思うリカルド。

 受け取って机の端に置いて、女性を椅子に勧める。と、座った事で居心地が変わったのかふえふえと赤子が声を上げ始めた。


「あぁもうお腹空く時間ね」


 疲れた様子で女性は乱れた髪を後ろに払って胸元を開け――


「お客様、こちらを」


 咄嗟にリカルドはブランケットを取り出して端を結んで女性に渡した。が、片手で受け取った女性はそれをどうするのかわからない様子だったので、失礼しますと輪にした部分を女性の首に掛けて見えないように赤子ごと隠した。


「あぁ……そう……そうね、そうだったわ……ありがと」

「いえ」


 隠す事も忘れる程疲れている女性に、これは……と思ったリカルドは時を止めてもう一度確認し、それから少し席を外しますと言ってバックヤードから上に上がってシルキーにお茶とすぐに作れる軽食をお願いした。そしてシルキーが用意している間に旦那の居場所を確認して誘導のための魔力を飛ばし、出来上がったセットを持って降りた。

 降りてみれば丁度授乳を終え、赤子を縦抱きにしてげっぷをさせているところだったので、机にお茶とパンケーキにベリージャムをかけたものを置いて女性の横に魔力でベビーベッドを作った。


「宜しければそちらに寝かせてこちらをどうぞ」

「え……」


 いきなり小さなベッドが出現して驚く女性だったが、目の前で湯気の出ているお茶やパンケーキに思考が奪われて、逡巡した後にさわさわとベッドを触って確かめてから子供をそっとそこに置いた。途端、泣き始めた子に諦めたようにまた抱き上げる女性だったが、リカルドは女性の目の前でわかるように清浄の魔法(軽く光らせた)を使って手を出した。


「魔法で汚れを落としました。姪や甥をあやした事がありますので、もし不安でなければ」


 女性は逡巡したが微笑みを浮かべているリカルド(グリンモア版=グリンモアの民に向けてがっつり寄せたイケメン)に、赤子をそっと差し出した。悲しいかな、こんな時でも役に立つのは見た目である。

 受け取ったリカルドはまだ首の座っていない赤子を腕と体で支えて、少し身体が冷えているように感じたので腕の中を保温し、その場でよしよしと言いながら膝を使ってゆっくり上下運動を始めた。そうして少しすると、赤子は落ち着いたように寝始めた。


「……本当に慣れてるわね」

「姉の子で何度か手伝いましたから」

「そうなの………うちの旦那と大違いだわ……」


 呟く女性に、そう言いたくなるのもわかるけど、でもしょうがないよと思うリカルド。

 何しろ旦那の方は末っ子で家柄的にも乳飲み子の世話をした事など無いのだ。おまけに子育てについて聞ける相手も居ない。職場の人間は未婚の者が多く、また既婚者でも家の事は妻がやるものという思考の持ち主で手伝うという気風も無い。

 子供が生まれたからって最初から上手く出来るわけじゃないし、抱っこ一つ満足に出来ないと溜息を吐かれたら嫌な気持にもなる。手を出さない方がいいと思ってしまうのも仕方のない話に思えた。


(とはいえ……さすがに身体への負担が酷いんだよなこの人……)


 普通ならどちらかの実家に身を寄せてとか、母親が手伝いに来たりとか、近所の人に助けて貰ったりとかするのだが、それのいずれも出来ず産婆を呼んで産んだ後は女性の元職場の友人に数日交代で手伝ってもらって、それでお終い。それ以後はたった一人で赤子の世話をしながらこれまで通りの食事を作って、今まで以上に出る洗濯物を洗って干して掃除をして、休む暇も寝る暇も無く短い休息を断続的に取って奇跡的に倒れずにここまでやって来ていた。


「どうぞ、冷めないうちに召し上がってください」


 女性は促されるままフォークを取って焼きたてのパンケーキを切り取り口に入れて、その甘味と柔らかさと、何より誰かが作ってくれた料理を口にしているという事に、そして赤子をあやしてもらいながら気兼ねなく食べれるという状況に、ぼろりと涙が零れた。


「……ご、ごめんなさい。ちょっと…」

「大丈夫ですよ。気にしないでゆっくり召し上がってください」


 女性は頷いて噛みしめるようにゆっくりと食べ始め、お茶も一口一口飲んでほっとしたように一息ついた時には、最初ここに入ってきた時の顔の険が取れていた。


「よろしければこのままお話をお聞きいたしますが」


 日本にいた頃は姉の子供を10分抱っこして根を上げたもやしだったが、今は体力無尽蔵なので問題ない。

 女性は全く嫌な顔をしないリカルドに後押しされるように、じゃあと甘えて口を開いた。


「相談っていうか、愚痴になっちゃうけど……」

「ええ、何でも構いませんよ」

「………見てわかると思うけど、あたし子供が産まれたの。本当なら実家か旦那の実家で産むとこなんだけど、どっちも地方にあるから行けなくて、それで友達に頼んで協力してもらって王都ここで産んだの。結構身体は頑丈に出来てるって思ってたんだけど、悪阻もそんなにきつくなかったし……でも産んでみたら予想以上につらくって……身体起こすだけでだるいし動くと息切れするしすぐに休みたくなって……血は止まってきたけど……ってさすがにこれはわかんないわよね」

「産後の出血の事ですね」


 わかるの?と目を丸くする女性に、内心薄羽狼フロウビッドに懐かれる妄想で血の想像をかき消しながら答えるリカルド。


「産後の身体の変化についてはある程度わかります。話しづらい事だと思いますが、股の骨に違和感があるのでは?」

「……ある……そう、そうなの! 歩く時も痛くて、やっと最近それがマシになってきたの! でも母さんは弟が生まれた時にそんな事言った事なかったし私だけだと思ってたんだけど……」


 どうしてわかるの?と本気で驚く女性に、姉に八つ当たりのように教えられた知識がこんな形で役に立つとはなぁと微笑みの下で苦笑いを浮かべるリカルド。


「産道を広げるため骨と骨が離れて間の靭帯が引っ張られているからです。経産婦の方の場合既に一度産道が広がっているのでその痛みが出にくいらしいですよ。教会には行かれましたか?」

「……行ってない」

「産婆の方に身体がつらいようなら行くように言われていませんか?」

「言われたけど……でも村では教会なんて無かったから……それに行ったらお金が掛かるし……」


 行かなかったのはわかっていた事だが、今後も子供を産む可能性があるのなら知っておくべき事だとリカルドは敢えて話す。


「産後は馬車にぶつかったのと同じぐらい身体がダメージを受けています。事故にあった方が数日休まれてすぐに動けないのと同じように、お客様の身体も本来なら休息か教会で受けられる癒しを必要としていました。幸いここまで無事にやってこられましたが、下手をすれば命を落としていてもおかしくなかったんですよ」


 真面目に語るリカルドに、そこまでとは思っていなかった女性は口を開けて段々と顔色を悪くしていった。


「脅すようなことを言って申し訳ありません。ですが今回大丈夫だったからと、二人目、三人目で同じように無理をしては危険だと思いましたので。

 ただ、本当に今までよく頑張ってこられました。普通の方なら早々に根をあげていたと思います」

「………そうなの?」

「はい」


 リカルドが重ねて大変でしたねと言えば、女性は初めてこれまでの苦労を理解してもらえる相手と出会えて、また涙が溢れた。

 家の中ではずっと旦那が不機嫌そうな顔をしていて、かといって自分の方も思ったように動けない身体に余裕が無くて刺々しい態度しか取れなくて、悪循環で息が詰まるような状況だった。


「あ……消えた」


 不意に館と裏路地を仕切る垂れ幕が捲られ、男性の戸惑う声が聞こえた。

 その声に女性が後ろを振り向いて「あ!」と声を上げた。

 入ってきたのは女性の旦那だ。

 女性を探して夜の街を走り回っていたところ、目の前に青白く光る蝶が現れ、ずっと纏わりつくように飛ぶので何かあるのかとその後を追って来てここへと辿り着いていた。

 もちろんその蝶はリカルドが男性を誘導するために放った幻覚魔法の一種なのだが、男性からしてみれば自分の妻が泣いていて、見知らぬ男が自分の子を抱いているという理解不能な現場に出くわし硬直してしまっていた。が、はっと何かに気づいたような顔になって声を荒げた。


「おまっ! まさかそいつ――」

「うるさいわね! あんたが悪いんでしょ!」

「はあ!? 俺が悪いって——」

「少々宜しいでしょうか」


 精神操作を軽く使い、子の父親がリカルドだととんでもない勘違いをして修羅場に巻き込んでくれそうになっている二人の意識を自分へと向けさせるリカルド。

 操られたように一瞬感情を忘れてリカルドを見た二人に、リカルドは微笑み告げた。


「ここは占いの館。いろいろなご相談をお聞きしているところです。

 先ほどこちらのお客様が駆けこんで来られたので、このような時間に女性と赤子を外に出しては危険と思い、旦那様が来られるまではと保護させていただきました」

「…ぇ……あ、え? あ、じゃあもしかしてさっきの蝶って」


 思考が鈍った男性が、思いついたように(実際はリカルドの思考誘導が入っている)尋ね、リカルドは頷いた。


「はい。こちらへと案内させていただきました」

「勝手に呼んでたの……?」


 リカルドの肯定に今度は女性の方が裏切られたような顔をしたが、リカルドは苦笑した。


「さすがに赤子を連れてお一人で返す事は出来ません。

 ただ、このまますぐにお帰りいただくというのも気が咎めるので、お二人とも少しだけ私にお付き合いくださいませんか?」

「付き合う?」

「なぁ、もしかしてこいつ、噂の占い師じゃないか?」

「は? 噂?」

「知らないのか?」

「噂なんか知らないわよ、そんな噂を聞く暇なんてあたしにあると思う?」

「っんだよ、いちいちつっかかって」

「お二人とも」


 再び別の口論に発展しそうになった二人の意識を再度寄せるリカルド。


「ひとまず旦那様もこちらにお座りください」


 と言って女性の横にもう一脚椅子を作ったリカルド。突然椅子が出現して驚く男性だったが、ベッドで慣れた女性が早く座りなさいよと引っ張って座らせた。


「お互い言いたい事はいろいろとあると思いますが、一旦相手の状況を理解するところから始めた方が良いかと思います」


 と言ってリカルドは問答無用で二人を眠らせた。崩れ落ちそうになる二人の身体をバインドで支え、精神魔法を使って女性には男性側の体験を、男性には女性側の体験を追体験させる。簡単に言うと、夫婦の中身が入れ替わってこれまでの体験をするという事だ。

 出産前から出産後今に至るまでをポイントごとに加速させて見せているのだが、女性側は申し訳なさそうな、それでいて不快そうな様子を見せているのに対して、男性側は苦悶の表情を浮かべて脂汗を垂れ流しているのは、まぁ見ている内容が内容なので頑張れと赤子を抱きながら思うリカルド。


「ぁ……ぅにゃぁ」

「ん? 起きた? さっき飲んでたし、オムツ? あ。どうしよ。換えとか持ってないよなさすがに」


 子猫のような鳴き声を上げた赤子の股を確認しながら手持ちにオムツの代わりになる奴あるか?と探して、結局シルキーに聞いて手早く代わりになるものを用意してもらい事なきを得た。

 再び寝始めた赤子を抱きながら、相変わらず苦悶の表情を浮かべ続けている男性と、へにょりと眉を下げている女性の様子を見守り、やがてそれぞれの夢が終わったところで目を覚まさせた。


「お二人とも、お互いがどういう状況であったのかは今見た事である程度理解出来たと思いますが、如何ですか?」


 リカルドが尋ねると、二人は互いに顔を見合わせた。


「ちょっと、あなた凄い顔してるけど」

「……いや……お前、だって、あれ……まじでか」


 顔が恐怖で引き攣っている男性に、思わずといった様子で突っ込んだ女性だったのだが、男性の返答がおかしかったのか吹き出した。


「何よ、まじでかって」

「だって、あんなの……無理だろ」

「旦那様、一つ訂正させていただきますが、お見せしたものは痛みの感覚を半減させたものです。そのままではショック死しかねないと思いましたので」

「は!? 半分!? あれで!?」

「はい。出産の部分に関してのみですが、半分です。あれで」

「やだちょっと、あなた出産のとこも経験しちゃったの?」


 はんぶん……と、口から魂が出そうになっている男性に、女性は口に手を当てて心配そうに肩を叩いた。


「大丈夫? あなた痛みに弱いでしょ? ちっちゃい傷でも大騒ぎするのにあんなの無理でしょ」

「無理……無理って思っても進んでいくから怖かった……止まらないし……お前すごいな……」


 青い顔で女性を尊敬するように言う男性に、その素直な感想に女性は堪えきれないと言った様子で笑った。


「あたしだって怖かったわよ、痛いし、無理だって思ったし」

「だよな、そうだよな、ごめんな……俺、あんなんだって知らなくて……」

「いいわよ別に、無事だったし。

 ……あたしもすごく態度悪かったわ」

「あれだけ辛かったらそれも仕方ないだろ」

「だとしても言い方があるわ、あんな言い方腹が立つわよ」

「でも俺しかいないのに、俺……逃げてた」


 反省会を始めだした二人に、そろそろいいかな?と思うリカルド。


「言いたい事はお二人ともあるでしょうが、今日はもう遅いですのでひとまずお帰りください。そして明日の朝一番に教会に行って癒しを受けてください。回復してきているとはいえ、これまで無理をしています。今無理をすると後々にまで響きますから、旦那様よろしいですね?」

「あぁ……必ず行く」

 

 真面目な顔で頷く男性に、女性はちょっと涙ぐんでいた。

 リカルドは、では話し合いはご自宅で休まれてからゆっくりしてくださいと言って二人を立たせ、男性の方に赤子を抱かせ、女性には汚れたオムツと、それから腕輪を渡した。


「あ……」

「こちらは受け取れないのでお返しいたします」

「でも……あの」


 女性は咄嗟に腕輪を隠し、赤子に意識を向けていて気づいていない男性にほっとしながら、困ったような顔をした。


「代金は落ち着いた時に改めて回収させていただきます」


 ですからご心配なくと言って、男性と一緒に館の外へと背を押した。

 外へと足を踏み出した瞬間、二人の姿は消えて元の静寂が戻り息を吐くリカルド。


「……いやー………とりあえず、姉ちゃんとこみたいな修羅場にならなくて良かった」


 実はリカルドの上の姉は、産後クライシスの危機に直面した事がある。その時、偶々近くで一人暮らしをしていたリカルドは何かと巻き込まれたのだ。

 その中で出産の事だとか、産後の事だとか、これぐらいは男でも知っときなさいよ的な流れであれこれと無理矢理教えられて(血がダメなのを知っている癖にその辺の事も嬉々として教えてきたのは母親に似ていると思うリカルド)、出産=神秘のイメージから、出産=戦場のイメージに塗り替えられた。そしてその後は何故か姪っ子の世話を義兄と一緒にさせられた。

 あれは本当に謎な状況だったよなぁとしみじみ回想するリカルド。

 義兄からは一人にしないでという縋るような眼差しを送られて、姉からは覚えていて損はないわよと、彼女も出来た事がないのに凄まれて。そんな姉夫婦だがその後さらに二人の子宝に恵まれている。

 まぁ生まれる度に喧嘩が勃発して義兄が駆け込んで来たりもしたが、こちらに来るまで夫婦仲は良好であった。


「ま、旦那さんがまともな人で良かった良かった」


 世の中、日中働いて夜休もうとしたら赤子が泣いて煩いと奥さんを怒鳴る輩もいるので、親としてはまだ未熟だが成長していける相手と巡り会えた奥さんは幸せじゃないかなと誰目線なのかわからない上から目線で思うリカルド。結局は他所様の家の事なので今回を乗り切らせたら後は二人の問題と割り切っているあたりドライな死霊魔導士リッチの感性と精神耐性が仕事をしている。


 さてもうそろそろ夜明けも近いし終わりますかと背を伸ばした時、リカルドは空間に違和感を感じて身構えた。


(………なんだ? 今一瞬揺らいだ気が)


 今まで感じたことのない感覚に即座に時を止めて虚空検索アカシックレコードで確認をしようとした時、


サワサワサワ


 時を止めているにも関わらず、音にならない音、気配にならない微弱なナニカが居るという感覚を覚えたリカルド。

 お化け的な異常事態に鳥肌(妄想)を立てた瞬間、一瞬にして黄土色のナニカが床を埋め尽くし、咄嗟に机の上に退避したリカルドの目の前にミミズのように盛り上がったそれが——ぺこりとおじぎした。


(………お願い。いい?)


 思わず机の上で脱力して崩れ落ちるリカルド。

 念のため鑑定すれば案の定、蠢く大地のと出た。


「……何でしょうか」


 精霊の出方が毎回毎回心臓に悪いんだよ……と泣きそうになりながら机の上でどうにか体を起こして尋ねれば、ゲル状の独特な質感の身体を脈打たせ、左右に揺れ出す蠢く大地の精霊。


(小さいの、欲しい)

「小さいの?」


 小さいのって何だ?と調べてみれば、酒飲み女神が作った酒に少しだけ含まれている酵母だった。

 見た目的に菌っぽいからか?と思いつつ、酒の瓶を取り出して差し出せば、ぬるんと黄土色のゲルみたいなそれが包み込んだ。

 そして代わりにと言わんばかりにぬちゃっとした感じに棒状のものが伸びてきてリカルドの前で止まった。

 これは受け取らないとダメな奴ですよね。と思いつつ、質感的にちょっと抵抗があるリカルドは恐る恐る手を出した。

 精霊は気にせずポトリとそこに何かを落とし、潮が引くように姿を消していった。


(………ふにふにしてる)


 手のひらに残された丸くて黄色い何かは、触るとグミのように柔らかかった。これまで硬い石だったのに、なぜ土関係の精霊のそれが柔らかいのか。まだ水とか風の方が柔らかいイメージがリカルドはあったのだが、謎だった。


(いやそれはともかく)


 リカルドは空間の狭間にそれを入れて呟く。


「ここに来るって事は聖樹のとこの精霊は確かにこっちに来るように伝えてるって事だよな……」


 北の地でいきなり声を掛けられたのかだが、じゃあアレはなんだったんだ?という事になるわけで。

 どうせもう館を閉めるので、ついでに聞きに行こうと思い立って転移したリカルド。

 毎度お馴染みパステルカラーの森に到着して聖樹の中に宿る精霊に声を掛けて事情を説明すれば、それは近くに来たからだよとあっさり答えられた。

 要するに、リカルドのお宅訪問しないように館訪問するよう言ってはあるが、出先で出会うのは別に構わないでしょ?という事だ。

 ただ精霊は人間達の事情などお構いなしなので、ディアードの時のようにものすごいタイミングで接触してくる事もある。

 それはー……と思うリカルドだが、虚空検索アカシックレコードによるとそもそも精霊の行動に制限をかける事自体同じ精霊であっても難しいと出たので諦めた。下手に交渉してじゃあ家の方に行くねとか言われたらそっちの方が嫌なので。


 家の庭に戻って日本版になり、時を戻せばチラチラと空から何かが落ちてきた。


「雪か」


 本格的に寒くなるんだなぁと、粉のような雪が舞う空をしみじみ見上げていたらウリドールに容赦なくタックルされた。

 情緒に浸る隙もないリカルドであった。

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