第77話 見ない間に着実に

 確認を取った後、リカルドは呼ばれて二階の部屋に入った。


 ハインツの妹はベッドに腰掛ける形で、少し強張った表情でリカルドを迎えた。未だに線の細さはあるが、起き上がって目を開けているところを見ると随分としっかりしたなとリカルドは思う。

 ハインツは少し距離を置いて椅子を置き、そこで静かに見守っていた。

 微妙な距離感ではあるが、同じ空間に居て落ち着いていられるこの光景はかなりの進歩だ。そんな事を考えていたリカルドは入ったところで彼女の表情の変化に気づき足を止め、廊下に置いてあった椅子に手を伸ばして引き寄せドアを開けたままそこに座った。

 ハインツは入り口に座るリカルドに軽く眉を上げたが、悪い、というように目を伏せた。

 特に気にする必要は無いのでリカルドは変わらぬ微笑みを浮かべて頭を下げた。


「初めまして。リカルドと言います」

「………リズ、です」


 ハインツの妹、リズは固い声をなんとか絞り出した。それ以上は苦しそうに胸元を片手で握りしめ、その手も小さく震えている。

 それを見て、あーやっぱりまだ早かったかと思うリカルド。入った時に既に拒否感が顔に出ていたのだ。男性恐怖症になっていてもおかしくないし、人間不信になっていてもおかしくない環境だったので仕方がない。


「慌てなくても大丈夫ですよ。今日はここまでにしましょう」


 早々にハインツに目配せして退室しようとした時、


「ま……って」


 掠れた声がリカルドの動きを止めた。


「……ぁ……」


 呼び止めたもののなかなか声が出ない様子に、リカルドは椅子に座り直した。


「シルキー」


 リカルドが呼びかけると横にふわりとシルキーが現れた。


「お茶か何かあったかいもの用意してもらってもいいかな? 感じの」

〝少しお待ちください〟


 リカルドの意を汲んで消えるシルキー。

 

「とりあえずシルキーが持ってきてくれるまではのんびりしていてください。無理に話す必要はありませんし、質問ができそうならして貰っても構いません。可能な限り答えますから」


 慣れてもらうのが最初だろうとそう提案して、リカルドからはそれ以後目を合わせる事はしなかった。視線が合う瞬間に怯えが見えるので、それを避けたのだ。

 リズも配慮されているのは感じ取って、けれど落ち着くことが出来ずどうにか落ち着こうと意識的に息をゆっくり吸って吐いた。


 待っている間リカルドも暇なので、ディアードで会った精霊に貰った石をポケットからと見せかけて空間の狭間から取り出した。

 一番最初にもらった人型からの石は気持ち的に抵抗があって確認していないが、聖樹のとこの精霊に貰った石は水に干渉する力を持っていた。虚空検索アカシックレコードでなくとも鑑定で十分わかるので、何の精霊だったんだろうなと思いながら鑑定を使えば、大気に干渉する力がある事がわかり空気か風に関する精霊だったのだろうと予想がついた。寝床にしていた場所が吹雪が吹き荒ぶところなので、激しい感じの風の中で生まれた精霊なのかねと手のひらの中で石を転がすリカルド。


 やがてシルキーがお茶を淹れてきて、リズとハインツに渡し、最後にリカルドにもカップを差し出した。


「ありがと」


 シルキーは微笑み小さく首を振って部屋から出た。

 リカルドはどうぞとお茶を飲むように促して、自分も口をつける。林檎風味の甘いお茶だ。黒飴柑ベラッコウという木の実を乾燥させてお茶に混ぜるとこの林檎の風味が出て、砂糖を足すと果物を食べているような味わいになる。

 リカルドは知らないが、ハインツとリズが気に入っているお茶だ。

 リズはその香りに誘われてゆっくりと口をつけ、ほぅと息を吐いた。


 朝晩飲み物に混ぜて服用させている安らぎの雫が入っているので、多少はこれで落ち着くかな?と思うリカルド。


「……あ……の、……二人で、話したいのですが」


 お茶を二口三口と程飲んだところで、幾分落ち着いた様子のリズが小さな声で言った。


「私は構いませんが、ハインツ」

「リズがそう望むのなら俺も構わない。無理そうなら呼んでくれ」


 今の様子を見て断るかとリカルドは思ったが、ハインツは立ち上がって部屋を出た。


「あ、ドアは開けとい——」


 リカルドがわざと開けていたドアをハインツはパタンと閉めてしまい、あ。とリカルドはリズを見た。


「開けときます? 怖いですよね」


 リカルドが手を伸ばしてドアを開けようとして、


「待って、あ……あの、あの人には、聞かれたくない……ので」


 声を出して止めるリズに、リカルドは動きを止めて手を下ろした。

 ハインツはリカルドに会いたいと言ったリズが、自分抜きで何か聞き出したいだろうというのは予想していた。だからそう言い出せば最初からすぐに退室するつもりだったのだ。ドアを閉めたのも、聞かれたくないだろうと思っての事で。案の定ドアの向こうから聞こえたその小さな声にハインツは黙ってドアから離れた。


「えーと、はい。わかりました。じゃあこのままで」


 リカルドはリズに向き直り、なるべくじっと見ないように視線を外すようにした。

 リズは両手にカップを持ったまま、何度か気持ちを整えるように息を整えていたが、なかなか言葉は出てこなかった。


「……もう少し自己紹介しましょうか。適当に聞き流して貰っても構わないので。

 えーと、私もハインツと同じ冒険者をやっています。歳も同じですね。ハインツと知り合ったのはひと月程前ぐらいだったかな? 知り合いの子の先生になって貰ったのがきっかけで付き合うようになりました」

「知り合い……さっきの子?」


 自分達に関係のない話だったからか、リズはさっき見ていた窓からの光景を思い出して声が出ていた。


「あぁ、窓から見えましたか? その子です。私は魔導士なんですが、刃物の扱いや実戦に慣れていないもので、それで一人でもやっていけるようにとお願いしたんです」


 ……はぁ。と首を傾げつつ、慣れてない?とぎこちなく頷くリズに、えーとあと何を話そうかなと考えるリカルド。だが、リカルドが思いつく前にリズが口を開いた。


「………どうして、それで私を匿ったんです」

「え?」


 ぽろっと出た感じの言葉に一瞬リカルドは反応が遅れて、それから首を傾げた。


「匿う?」

「……あなたが私を見つけ、癒したのだとあの人から聞きました。なら私がどういう人間なのかおわかりでしょう? 肥溜めのようなところで生きてきた私を――あの人の足手まといにしかならない私を、どうして生かしてこんな風に匿うのです」


 さっきまでのつっかえ具合が何だったのかというぐらい滑らかに出た言葉には、純粋な疑問と微かな苛立ちが込められていて、ん?とリカルドは思った。


「ハインツがそれを望んだからですが」

「……何を積まれたのです。それとも何をさせる気かと聞いた方がいいのでしょうか」


 ハインツと同じ少し鋭い感じの目元が細められ、生来の気の強さらしきものが垣間見え始めていた。


「あんな薬漬けで死にかけの人間を癒すなんて、普通でない事ぐらい私にもわかります。どれだけの対価をあの人に求めたのですか」


 細い声なのに語気を強めるリズに、リカルドはあぁそういう事かと内心笑み崩れた。なんだよ、もう受け入れられているじゃないかハインツ、と。


「そうですね……まぁ、そう簡単には支払えないものでしょうか」

「…………」


 さっきまで怯えていた癖に怒りを表すように眉を寄せたリズに、リカルドはすみませんと両手を上げた。


「誤解させる物言いをしてすみません。

 私がハインツに望んでいるのは一つです。諦めないで欲しいという事だけです」

「……諦めない?」

「あなたの言う通り、あなたの状態は良いとは言えませんでした。

 だから日常生活を送れるようになるまで時間は掛かるだろうし、必ずしもそうなれるとは言い切れない状態でした。だけど、それでも諦めないで欲しかったんです」

「……どうして……あなたはあの人と会って間もないのでしょう? クランの人でもなくて、パーティーメンバーでも、長く付き合う友というわけでもない」


 疑問が積み重なるのか、眉間の皺がどんどん深くなっていくリズ。

 まぁ人から見ればそうだよなとリカルドも理解は出来る。肩入れするには付き合いが短いのだ。


「どう言ったらいいですかね………リズさんにはほっとけない人って今までいました?」

「………」


 尋ねると、リズの目が少し揺れた。

 誰かそれに該当する人がいたのだろうなと思うリカルド。


「そんな感じです」


 あっさりと理由はそれだけだと言うリカルドに、リズは理解に苦しむような顔をして俯き無言になってしまった。

 しばらくリカルドは待っていたが、それ以上何か言葉が出てくる事は無かったのでここまでかなと椅子を立とうとして、俯いたリズが声も動きもなく泣いているのに気づいた。

 ここ最近リズの感情の動きを確認していなかったリカルドは、どうして泣いているのかわからずどうしようか迷った。ハインツを呼んできた方がいいのか、それとも呼ばない方がいいのか。中途半端に空気椅子状態のまま固まった。


 リズはというと、頭ではわかっているが感情がついていかないだけだ。

 どうしてハインツあの人にはこんな奇跡みたいな人が居て、私には居なかったのか。あの時、こんな人が居ればこんな事にはなっていなかったかもしれないのに。ひょっとしたら家族が出来て、子供も出来て、穏やかにハインツあの人と再開する事だって出来ていたかもしれないのに。

 どうして、私の時には居てくれなかったのか。

 只々その気持ちがどろどろと溢れて来てそれが怒りになる前にその気持ちを手放すように涙が零れていた。

 もっと早くハインツあの人が見つけてくれていたら、もっと早くリカルドこの人と出会っていたら……

 だけどそんなのは自分の勝手な都合で、ハインツあの人の事もリカルドこの人の事も責める理由にはならない。

 そんな簡単な事はわかっているけれど、自分勝手な心がどうして全て失った今になって、今更じゃないかと騒いで苦しくて次から次へと溢れて涙に変わっていた。


「ごめんなさい……」


 ようやく声が出せた時には随分と時間が経っていて、突然泣き出したのに黙って静かに見守ってくれていたリカルド(空気椅子からそっと戻ってずっと悩んでいただけ)にリズは頭を下げた。


「いいえ。ハインツを呼んでも大丈夫ですか?」


 リカルドは何事も無かったように微笑みを浮かべ、了承を得るとほっとしてハインツを呼んだ。

 ハインツは入ってすぐにリズが泣いていた事には気づいたが、何も言わずリカルドにありがとなと言って入れ替わった。


 ハインツとバトンタッチして部屋を出たリカルドは、ふーと息を吐いた。緊張はしなかったが、泣かれるのはやっぱり慣れないなぁと頭を掻く。

 まぁとにかく思ったよりも二人の関係がいい方向に向かっているのは朗報だった。ただ、今後どんどん精神状態が落ち着いて活動範囲が増えればその時はまた注意が必要だなとも思うリカルド。

 一見良くなったように見えた時が怖いので、今後敷地の外に出る時のことも踏まえて気づかれないように何か仕込むかと考える。お守りのようなものは自分で手放してしまったらアウトなので、手放しそうにないもの、この場合服かな?と検討しながらシルキーに相談しようと階段を降りていった。




 リズのお守りに関してはシルキーから小さなものであれば服の中に縫い付けて止める事が出来ると言われたのでそうする事にして、リカルドは時間が出来たので(ギルドに依頼を受けに行くとかやる事はあるが見ない振りをした)鎧の完成に必要な道具の精製を開始した。 

 以前採取した地竜と風竜の血を今回は聖樹の雫を使用せず配合し、限界ギリギリまで込めた魔力で白く発光するインクを作成、次に鎧一式を出して並べ、設計図を取り出して今一度不備が無い事を確認。

 そこで夕飯の時間となったので一旦中断し、ピザっぽいパンの晩ご飯(むしゃくしゃした樹がこねこねしてた)に舌鼓を打って、気力を充填したところで、本格的に作業に入った。

 場所は地下の占いの館で、鎧一式出して一つ一つ並べて設計図と重ねて行く。

 リッテンマイグスと練りに練った為、普通のやり方では術式を刻めず、積層構造の複雑な設計となっているのでなかなか大変だ。しかも一つ一つの術式も圧縮前提で書かれているので、普通に術式を展開すると占いの館の壁、天井、床全てを埋め尽くすような量となっている。

 

 リカルドは発光するインクを取り出してテーブルの上に置き、息を吐いて集中する。

 一発勝負なのでミスは許されない。

 何度も頭の中でシミュレーションをして、虚空検索アカシックレコードで起きるミスを確認し、可能な限りその可能性を減らして取り掛かった。

 鎧を全て宙に浮かし、設計図を圧縮して積層構造となるように重ねて鎧の内部に転写。全ての転写が完了したのは半刻程で、集中力を切らさないまま、続けてそこにインクを微量ずつ転移で流し込んで定着させる。最後に全ての回路が正常に繋がって起動する事を確認して、リカルドはその場に座り込んだ。

 やっている事は単純作業なのだが、気分的には顕微鏡をずっと覗き続けて作業していたようなもので、無事に完了した瞬間気が抜けたのだ。


「……はー……。出来た。良かった」


 リッテンマイグスによる一点ものの鎧。何が何でも成功させるつもりだったが、細かい作業過ぎて二度はやりたくないなと思うリカルド。

 だが、その甲斐あって素晴らしいものが出来たと内心満面の笑みである。

 ひとまずリッテンマイグスさんのところに持っていって確認してもらわないとだなと鎧をしまって、その場にごろんと転がった。

 今何時だ?と虚空検索アカシックレコードで確認すれば、既に夜明け間近だった。


「転写はともかく定着がなぁ……量間違えると終わるし、慎重にしないとパーになっちゃうから」


 思いの外手間取ったなとしばらくぼーっとしてから上に戻り、いつものルーチンを終わらせて、はやる気持ちを抑えて朝食を食べ、ちょっと出掛けてくるといそいそと出かけて、まだ他の工房が開いてない時間にリッテンマイグスの工房のドアを叩いた。


「リッテンマイグスさん、リカルドです、出来ましたよ」


 声を掛けた後数秒して、ドアの向こうから何か金属の塊が落ちたような音がしてびっくりするリカルド。とりあえず足音が元気よく近づいてきたので怪我はしてないらしいとほっとした。そしてガチャっとドアが開いて、


「おは――」


 腕を引っ張られて工房の中に引きずり込まれた。


「鎧は?」

「あ、出します」


 余計な話は不要!とばかりに血走った目で問われて急ぎその場に鎧を出すリカルド。

 リッテンマイグスはその場に出された鎧に手を這わせて、静かに見分を始めた。


「………くふ………くふ……ふふ……」


 終わる頃には変な笑いを漏らしていた。


「どうです? 全て正常に働いていると思いますが」


 リッテンマイグスは手にしていた部位を静かに置いて、がしっとリカルドの手を握った。


「素晴らしい! これほどの腕前の術者は初めてだ!」


 満点という回答を貰って、リカルドも思わずその手を握り返す。


「リッテンマイグスさんの腕があってこそです。私はただそこに術式を刻んだだけなので」

「何を言う、このバランスでこれほどのものを刻める者などどこを探してもそう居まい」


 互いに互いの成果を讃え合い苦労を労い肩を叩き合う様は清々しいが、問題はその鎧の所持者になる予定のラドバウトである。


「ではすぐにラドバウトのところへ行くぞ」

「え? 今からですか?」

「そうだ。これほどのものを早く見せずにいられるか?」

「………確かに」


 リカルドとしても渾身の作品なのでラドバウトに早く見て貰いたいという気持ちはある。

 行くぞと声を掛けるリッテンマイグスに慌ててリカルドは鎧を収納状態にして付いていき、そうしてやってきたジュレのクランハウスに果たしてラドバウトは幸か不幸か居た。


 突然やってきた二人組に、何となく状況を察したラドバウト。

 お前いつ帰って来てたんだよという視線をリカルドに送るが、早く鎧を着せてみたくてわくわくしているリカルドには通じず、応接室に通せばすぐに黒い腕輪を渡されてそれを嵌めさせられた。

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