第75話 黒歴史の定義は人それぞれ

 愚痴のような感情を吐息に出して頭から消し、リカルドは久しぶりに朝市に出かけた。

 そうすれば十日ぶりのシャバに気分はちょっと上向いた。何せ今までずっと隠れて、又は周囲の目を気にして移動してきたのだ。お天道様っていいなぁと属性とは真反対の事を考えほのぼのしているリカルド。平和である。

 店を巡れば、おや久しぶり今日はイツキじゃないんだねと声をかけられる事が度々。所用で出掛けていたのでしばらく任せっきりだったんですと返せば、あの子はいい子だねと立ち話に捕まり、最近の噂話やら近所で評判の看板娘の結婚話やらと話は広がって少々家に戻るのが遅くなった。


 家に戻ってシルキーに買ってきたものを渡すと、シルキーも今日はイツキさんは来られないんですねと街で言われたような事を言った。聞けばリカルドが居ない間家に居る時はずっとごはんを一緒に作っていたらしい。料理の腕を上げるためというのもあるが、シルキーが見ていても樹が不安そうにそわそわしているので、何かしていた方がいいと誘ったのだと言う。

 ハインツだけじゃなくてシルキーも見ててくれたんだなと、リカルドはまた世話を掛けちゃったなぁと頭を掻いた。


「そっか……ありがとう」

〝イツキさんはそれで良かったですけど、ウリドールさんは少し大変でした〟

「ウリドール?」


 なんでここでウリドールが出てくるのかと首を傾げるリカルドに、シルキーは思い出すように苦笑を浮かべた。


〝リカルド様が戻って来られないと気づいた途端探そうとしていて……迷惑になるのではと思ったので、ここから動かないように話をしていたんです〟


 シルキーに言われて、あ。と思うリカルド。


(そうか、あいつ地上に生えてる植物に繋がれるから俺の居場所とか特定出来るのか……)


 今更気づいたリカルドは、もし捕まってる(?)時に来られたら、もっと状況が混沌としていた可能性があった事にぞっとした。


「ありがとシルキー、助かった。すごく。とても」


 手を合わせて感謝するリカルドに、シルキーはなんでもない事のように首を横に振って食材を仕舞い始めた。


 その姿をキッチンの椅子に座って眺めながら、シルキーへのお礼をまたどうしようかと考えるリカルド。望まれるのは糸や布地などだが、それ以外もやっぱり何か開拓してみたい。また今度街中ぶらぶらして探してみようかなと懲りないリカルドだ。

 それから今日はどうしようかなと考えた。鎧の件でリッテンマイグスのところに行かなければならないというのと、ギルドにもノルマの討伐(退去)依頼完了確認で顔を出さなければいけない。

 その前に樹の様子が確認出来ればいいんだけど……と思っていたのだが、案の定というか樹は朝ごはんの時間になっても部屋から出てこなかった。


 降りてきたハインツにどうしようと相談すればその内出てくるさと軽く言われ、けれど反抗期に戸惑う新米ママさんのように心配してウロウロしてしまうリカルド。目の前でウロウロされたハインツは面倒臭くなってだったら顔を見に行ってこいとリカルドをキッチンから追い出した。


 追い出されたリカルドは迷ったが、樹の部屋のドアを叩いた。が、応えはなかった。

 何度か控え目に叩くがやっぱり応えはなく、でも確実に居るのはわかっているので段々心配になってきて、体調悪くしてるんじゃないよね?と焦って中に転移したら、ベッドの上にこんもりした布団があった。

 布団を被って丸まっている樹の図なのだが、実は昨日リカルドにキレて泣いた事がさらなる時間経過と共に恥ずかしさを上昇させ、黒歴史を刻んでしまったと大反省中だった。ちなみに一睡もしていない。さすが勇者の体力である。


「樹くん!? 大丈夫!?」


 そうとは知らないリカルドは布団を引っぺがそうとしたのだが、内側から必死で樹が押さえて剥せない。


「大丈夫です! 大丈夫なのでほっといてください!」

「いやでも全然大丈夫に見えないんだけど!?」


 思春期の微妙な頃合いの子に対する対応がまるでわかっていないリカルド。布団を引っぺがすのは諦めたが、ベッドの前に屈んでどうしたらいいのかわからず手を出したり引っ込めたりおろおろしていた。

 その気配を察した樹は本当に大丈夫だから離れて欲しくて訴えた。


「本当に大丈夫なんです! ただ自分が情けないだけで!」

「ええ? なんで?」

「だって俺子供みたいで!」


 そりゃまだ子供だから。という言葉をギリギリで飲み込むリカルド。さすがにそれは言ったら反発を受けるという事ぐらいはリカルドにもわかった。


「ええと………あー……と」

「あぁ……もぅ! 黒歴史確定だってわかってます! すみませんでした!」


 動く気配の無いリカルドに、やけっぱちのように布団の中で叫ぶ樹。

 だけどリカルドは、ええ?黒歴史?と戸惑う。 

 リカルドにも黒歴史はあるが、中学生の時に好きだった子(二次元)に書いたポエムを母親に見られたり、ある日学校から帰ったら隠していた筈のエロ本が机の上にあって、もうちょっと上手く隠しなさいとメモがつけてあったり(これに関しては悪意しか感じなかった)、両想いだと思って告白した相手から引き気味の顔で断られたり(これは今なら勘違いだとわかる)と、樹に比べると傷も闇も深い。

 他にも知ったかぶりをして痛い目を見た事とか上げればいろいろあるのだが、とりあえず昨日のあれはリカルドにしてみると全く黒歴史に入るようなものではなかった。普通に人の事を心配している優しい子の反応だ。


「ええと……言うほど黒歴史では無いと思うけど」

「慰めは要りません!」


 いや、慰めじゃなくて……となるリカルド。

 どうしよう。俺の黒歴史をここで披露すべき?と考えるが、内容が内容なのでリカルドも口にすればダメージを受ける。

 それでも立ち直って貰えるならと、リカルドは男児ならば大体誰もが通りそうな例を上げた。


「まぁ、でも親にエロ本見られるよりは全然いいと思うよ?」


 丸まった布団の中で、ふぐっと変な音がした。

 樹からしてみればリカルドの口からいきなりエロ本という単語が出てくるとは思わず、衝撃で噴いた。


「俺もさすがにあれは死にたいと思ったし」


 しかも経験ありときて、思わず樹は状況を忘れて身体を起こしていた。


「……見られたんですか?」

「もうちょっと上手く隠しなさいってメモが添えてあった」


 真面目な顔で話すリカルドに、樹はひくりと頬を引き攣らせた。それは、酷い。と。

 しばし真面目な顔のリカルドと、引き攣った顔の樹は言葉なく見つめ合い——そっと樹は視線を外した。

 

「………あの、なんか……すみません。朝から」

「樹くんが復活してくれるなら安いものだよ」


 微笑むリカルドだが、内心では結構ダメージを受けている。当時の絶望感というか死ねるものなら死にたいと思った気持ちだとか、そういうぐわっとくる感情を思い出してかなり辛いのだが、鉄壁の微笑みの下に全部隠した。

 樹からは立派な大人として見られたいのに、どうしてこうも変な部分を見せていかなければならないのか。人生ままならないものだな……と、いい感じの言葉で自分を誤魔化しながらリカルドは切り替えた。精神耐性が無駄に活躍している。


「俺も配慮が足りなかったからさ、それでお相子にしよ?」

「……はい」


 なんだか重ね重ね申し訳ない気持ちになって、樹は大人しく頷いてベッドから降りた。

 ハインツはリカルドが樹と一緒にキッチンに戻って来たので予想より早かったなと笑った。アイルなら丸三日は臍を曲げてると言って。


「そういやもうイツキは訓練終わってるんだけど、まだ手合わせしてないんだよ」


 話を変えるように言ったハインツに、樹と一緒に椅子に座りながら「うん?」と首を傾げるリカルド。


「訓練終わったの?」

「あぁ、もう一通りの事は教えたってラドがな。

 中堅どころの実力あり。一人で放り出しても生きていけるってさ」

「そうだったんだ。頑張ったね樹くん」

「あ……いえ。教えて貰っただけなので」


 さっきまで布団にくるまっていたので、あとエロ本話が尾を引いていてまだ気恥しい樹。微妙な顔で俯き加減で首を振った。


「で、いつやる?」


 ハインツに手合わせはいつにすると聞かれ、樹はちらっとリカルドを見た。


「ええと……リカルドさんの予定は?」

「俺? とりあえず今日はギルドに寄ってからリッテンマイグスさん知り合いの家に行ってこようかなって思ってる」

「遅くなりますか?」

「ううん。ギルドは確認だけだし知り合いの方も物が出来てるなら受け取るだけだから遅くはならないと思う」

「じゃあリカルドさんが帰ってきてからでいいですか?」


 聞かれてリカルドは、何で俺の予定を?と思ったが、ハインツにお前に見せたいからだろうがと呆れ混じりに突っ込まれてやっと理解した。

 要するに成長した姿を見て貰いたいという事だ。

 なにそれなんか嬉しい。と口に手を当てるリカルド。

 樹を見れば思いっきり視線を外されているが、これは恥ずかしがっているのだともうわかる。


「うん。了解。じゃあ午後には戻ってくるよ。ハインツもそれで大丈夫?」

「俺はいつでもいいよ」


 じゃあそれで。という事で、本日の午後にハインツと樹の手合わせをする事が決定した。


「あ、そうだ忘れないうちにハインツ、これ」


 と言って空間の狭間から一見すると木札に見えるものを三つ取り出しハインツに差し出すリカルド。


「こっちが転移用の魔道具で、こっちの二つが目印。この転移用の奴を持って起動ルデマーデって言えばこの二つに交互に飛ぶようになってるんだ。片方をラドとかに持ってて貰ったら使えると思うんだけどどう?」

「魔力の補充は?」

「ええと、十回連続飛べるぐらいには蓄えられるかな? 効率は良くしてるからハインツの魔力でもいっぱいまで溜められると思うよ」


 木札のような魔道具を受け取ったハインツは、魔力消費の激しい筈の転移を省エネ化させているリカルドに言葉が一瞬出なかった。だけどすぐにこいつだもんなと自分に言い聞かせた。


「了解。十分これで賄えると思う」

「ん。一応不具合を検知したら起動しないようにしてるから、反応しなくなったら教えて。すぐに直すから」


 転移なんてものは誤作動を起こせばどこに飛ぶかわからない代物に成り下がるので、フェールセーフ(故障時・異常時は人命最優先)の思想で作成しているリカルド。この辺は占いの館の札にも使用している技術である。技術畑のリカルドからするとやっぱり安全対策は基本中の基本でいの一番に考える事だ。


「わかった。ありがとな」

「どういたしまして」


 それからとリカルドは樹にも固い布地をクルクル巻いたものを差し出した。


「遅くなっちゃったけど、これお祝い」

「え?」


 以前樹からおねだりされていたものを仕上げたものだった。

 樹が手のひら程の長さの巻物を開くと、そこには一本一本丁寧に布地に納められた棒手裏剣のようなナイフが並んでいた。全て黒く染められ艶消しが成されていて独特の質感を放っていたが、その材料は芯にミスリルを入れたヒヒイロカネだったりする。


「それ、投げても戻ってくる術式入れてるから取って来る必要ないんだ」


 ちょっといい?とリカルドは手を伸ばして一本抜き取ると窓を開けて地面に向けて投げた。


帰還リッカーって言ってみて」

帰還リッカー? ――あ」


 リカルドに言われてその通りに口にした樹は、手元の固い布地にナイフが戻っている事に気づいた。


「こういうのって回収が大変でしょ?」


 要るかなってつけといたんだと話すリカルドに、樹はちょっと笑った。実はこの機能、樹が考えている事が上手くいけばあまり必要ないのだが、リカルドの心遣いは純粋に嬉しかった。


「ありがとうございます」


 樹が笑った事にリカルドも笑って、Dランクおめでとうとお祝いを口にすれば、その後は樹も多少ぎこちなかったがいつも通りの空気になって、三人で朝ごはんをわいわいしながら食べた。


 朝ご飯を食べ終えた後は、リカルドはさっそく出掛け——る前に、昨夜の芸術作品を思い出しシルキーを呼んだ。

 そして魔導人形ハントハーベンを見せて入れるか聞いた。


 シルキーはいきなり自分によく似たそれを見せられてやや戸惑っていたが、姿を消した。そして死体のようにピクリともしなかった魔導人形ハントハーベンのまつ毛が震えその透き通るような瞳を見せた。

 生気を宿したような薄い青い瞳がリカルドに向けられ、桜色の唇が開いた。


「……なんだか、不思議な感じがします」


 魔導人形ハントハーベンの声はシルキーをベースとしてほんの少し低くし、大人の女性をイメージしたものだ。落ち着いた口調のシルキーとそれは良く馴染んでいた。


「居心地悪い?」

「いえ……ただ慣れない感覚と言いますか……」


 両手を目の前まで上げて、手のひらを返す返す見るシルキー。


「その中に入れば、家の中にいる感覚で敷地の外に出られると思うんだ」

「敷地の外……」


 呟くシルキーの手を取って立ち上がらせるリカルド。


「あんまり興味は無い……かな?」

「あ……いえ、考えた事が無かったので」


 戸惑ったまま答えるシルキーに、まぁ外に出て一緒に歩きたいっていうのはこっちの希望だもんなと思うリカルド。


「今回みたいに俺が動けない時に、こういう手段があるといいかと思ってさ。こういうのもあるよって覚えててくれるだけでいいから」

「はい……あの、嫌というわけではないんです、ただ本当に思ってもみなかった事なので……」


 家に縛られている存在なので、そこから外にという話は人間の感覚に置き換えると、宇宙空間に出るぐらい突拍子もないものなのだ。


「うん、シルキーの興味が向いたらでいいよ。緊急事態用で全然構わないから」


 シルキーが気にしないように軽く言うリカルドに、シルキーは少し考えるような間を開けてから、わかりましたと答えて魔導人形ハントハーベンから抜け出た。


 あまり好感触では無かったが、シルキーからお願いされた事でもないのでそこは気にしないリカルド。

 今度こそギルドに出かけ、ギルドに着いたら人混みの中で依頼票を受付に出し、無事に依頼達成の報酬をもらった。

 あと何件しないとダメなんだろうと思いながら、とりあえず今日は受けるつもりはないので早々にギルドを後にしてリッテンマイグスの居る工業地区へと足を向けた。


 何の気兼ねもなく何も考えず歩ける事が、やっぱり楽で幸せだと改めて思うリカルド。ディアード対応の反動がしばらく抜けそうに無かった。

 そうしてリッテンマイグスの家まで行けば、ラドバウトがやっていたようにドアを叩いた。


「すみません、リッテンマイグスさん、リカルドです」


 声を掛けた瞬間、中からドタドタという音がして勢いよくドアが開いた。


「遅い!」

「すみません!」


 怒鳴られて反射的に勢い良く謝るリカルド。


「早く来い」

「あ、はい」


 だが一瞬でボルテージが下がり中に引きずり込まれた。

 スタスタとリカルドの腕を掴んで歩くリッテンマイグスは、そのまま奥の部屋のさらに奥の部屋へと行き、そこに置かれていた光を吸収するかのような漆黒の鎧の前にリカルドを立たせた。


「うわ……」


 見せてもらっていた絵通りの、いやそれ以上の造形を前に、口に手を当てたまま固まるリカルド。


(やば……まじでやば………なにこれやばい……)


 語彙力が無くなるぐらいにリカルドの心臓(無い)を撃ち抜く格好良さだった。


「内にミスリルを配分通りに施してある。両面からヒヒイロカネで閉じているが、本当に出来るんだろうな?」


 脅すような口調のリッテンマイグスに、リカルドは内心鼻息荒く、表面上は真顔(興奮して忘れた)で大きく頷いた。


「もちろんです」


 その答えにリッテンマイグスは口元を悪人のように歪めて笑みを作った。

 リカルドはそれに臆する事なくリッテンマイグスと施す術式についての最終確認を行った。

 鎧を作成する途中でどこか変更されたところが無いか、想定と異なっているところが無いか入念に確認を行い、リッテンマイグスの方も作成途中に思いついた事をリカルドに話し、さらなるブラッシュアップを図る。

 そうして互いにこれで行こうという設計図が完成して、意気揚々とリカルドは帰った。かなり化け物じみた設計図になっていたのだが、リッテンマイグスもリカルドも最高傑作を作る事ばかりに頭がいっていて完全に箍が外れている。ストッパーが居ないままに突き進むラドバウトの鎧(予定)。完成は目前である。

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