第73話 疲労困憊
キーになっていたのは例の冒険者達だ。
順を追って説明すると、リカルドを助けようと追いかけてくれていたあの冒険者の二人は、ヌルイコアで微かにリカルドの声を聞いたものの行方を見失い、その後ヌルイコアにあるギルドに駆け込んでいた。
人攫い、それも組織的な匂いのする犯行について報告を受けたギルドは、しかし依頼でもない事件に積極的に動く事はなく、警邏へと情報提供するに留まった。ギルドは依頼ありきで動く営利目的の組織なので別にこれは特別薄情な対応というわけではない。ごく普通の対応だ。
冒険者二人もそこまでやれば十分義理は果たしているのだが、黒髪の方が尚もリカルドを探そうとしたので、ギルドの前でもう一人の毬栗頭と口論となった。なんとしても探し出さなければと言う黒髪の男と、もう十分やったと言う毬栗頭の主張は平行線で、次第に興奮して二人の声は大きくなり、そこに通りかかったエヒャルトが二人に声を掛けたのだ。
まずこの時点で、何であんたがそこに居るんだと思うリカルド。
エヒャルトは王都の教会の神官長だ。グリンモアの教会で最も上に位置する教会の神官長で、現在は聖女の祈りの件で王家と話し合いの最中であり、王都を離れられるような状況ではない筈なのだ。
筈なのだが、エヒャルトは王都の教会騎士の再編が終了したので次は抜き打ちで近隣の教会の視察にと単騎で出掛けていたのだ。王家との話し合いは明後日なのでそれまでに戻れば問題ないと不在時のもろもろを全部ダグラスに丸投げにしてだ。酷い神官長である。以前リカルドは
ともかく、思い立ったら吉日とばかりに近場の教会へと真夜中にも関わらず赴いていたエヒャルトは、口論している二人を見かけて夜中に大声で騒ぐものではないと注意をした。
普通ならすみませんでしたとそこで話は終わるのだが、黒髪の男の方がエヒャルトを数日前に教会で見ていたので私服姿でも神官だと気づき、ひょっとしたら教会が動いてくれるかもしれないと事の次第を話し出した。
ちなみにこの黒髪の男、普段から教会に通っているわけではなく、教会の依頼を受けていたわけでもなく、ただ髪を生やして欲しくて教会を訪れていた。
そんな理由で……と思われるかもしれないが、髪を生やして欲しいと教会にお願いする者はそれなりに多く、ある程度のお金を積めば誰でも髪の毛を生やしてもらえたりする。
この男も最近までスキンヘッドだったのだが、とある出来事がきっかけで長髪に憧れてそのような事をしたのだ。その時生えた髪が黒髪だったので、対応していた神官から、もしやフルール王国の出身では?と問われ、話をする内に母親がフルール出身だという事が判明した。フルール王国と言えば今はもう滅んでしまったが、勇者の子孫が建てた国。俺に勇者の血が流れていたのかと驚く男に(別に勇者の血が流れているとは誰も言っていない)、教会の神官はフルール王国の民が苦労しているようなら助けたいので見かけたら教えてほしいと頼んだ。
これはリカルドもダグラスから聞いた話で、聖魔法の素養を持つ者を集める教会の活動の一つだ。だが男は純粋に人道的活動だと受け取り快く承諾。ちょうど最近心境の変化があり、自分の目指す人物像にも近づける行為だと頭に刻みつけて教会を後にした。
そして今回の依頼を受けて今に至るのだが、攫われた
エヒャルトのところにも黒髪の人物が襲撃されているという話は届いていたので、男の証言で黒髪の人間を標的にしている組織が確実に存在すると判断。フルール王国の生き残りを狙った犯行の可能性が高いと動くに至った。
これを聞くとエヒャルトがフルール王国の生き残りを助けるために動いたようにも聞こえるが、実は何度かフルール出身の父母を持つ見習い神官が町に出かけた際襲われたという事があり、身内を守るためという理由で動いたのが本当のところである。
つまりフルールの民を狙ったのかどうかまでは確証が得られないが、教会の者に物理的被害を与えるような事をしでかす組織は物理的に潰してやるという思考だ。まさに目には目を、歯には歯を。人を教え導き救う教会のイメージからはかけ離れた脳筋である。
もし男が髪なんて生やそうと思わなければ、そしてエヒャルトが抜き打ち視察に行こうと思い立たなければ、このタイミングで教会が動く事は無かっただろう。
まぁその前にリカルドが悲鳴を上げなかったら良かった話であり、そしてまだリカルドは気付いてないが、男が髪を生やそうと思わなければ……の方も、実はリカルドが関わっているので今回の流れは偶然と言えば偶然だが、リカルド自身が引き寄せている部分も多分にあったりする。
とまあ教会が動いた理由はともかく、現状はすこぶる悪い。
この付近の教会騎士がかなりの数捜索に動員されているのだ。今なら現行犯で捕らえる事が出来ると、逃してなるものがというエヒャルトの意気込みがすごい。動員された教会騎士の方も、王都の同胞が問題を起こして再編の憂き目に遭い、大半が本部で再教育(地獄)されると聞いていたので、下手なことをして同じ目に遭いたくないと必死だ。
そしてさらに面倒な事に、教会の動きに引っ張られる形でグリンモアの治安部隊も動き出していた。
こちらは王都のギルドからの連絡(黒髪の冒険者の仲間が駆け戻って知らせていた)と、ヌルイコアのギルドからの連絡によって事件が発生している事を知った。だが当初は日の出と共に一応の捜索が開始される予定であった。それが前倒しになったのは、王太子の指示があったからである。
王太子は教会の唐突な動きを察知して何事かと確認を取り、騒動を知った。王太子の耳にも黒髪襲撃事件は届いていたので対処は必要だと考えていたのだが、ここで教会に犯人を捕まえられると、国内の犯罪の取り締まりを教会にしてもらったという形になってしまうので外聞が悪い。教会にそういう意図が無かったとしても、グリンモアの取り締まりが教会に助けて貰わなければならないほど脆弱だという印象を持たれかねないので、先に犯人を確保するように指示を出したのだ。
斯くして教会に遅れること半刻程。こちらもかなりの人数が捜索に乗り出す事となり、しかも固定式の通信魔道具によって国境にまで連絡がいき、朝の開門と同時に急遽厳しい検問が開始される事となってしまった。
(……普通にグリンモアを出るのが難しいんだけど)
何この状況……。とリカルドは内心青褪めた。
もし仮に教会や国に保護されたらリカルド(樹)は身動きが取れなくなってしまう。逃げて姿を戻せばリカルド(樹)が見つかる事はないのだが、そうすると今度は色は違えど同じ顔の樹が目をつけられてしまう可能性が出る。
かと言って今、ディアードの手から逃れても、工作員達はトカゲの尻尾切りをされてディアード本国まで捜査の手が及ばない上に、こっちでも行方不明者として教会と国に探される流れになる。そうなったら前者と同じ流れになりかねない。
普通身元のわからない人間が一人消えた程度でここまで大事になる事はまず無いのだが、いろいろ重なったとしか言いようがなかった。
王都で仕事してろよ脳筋神官長!と己の失態は棚に上げて思うリカルド。
何にしても自分が介入しなければならない事は決定したので人の事をディスっている場合ではない。
(……こうなったらこの状況を逆に利用するか?)
元々リカルドはディアード限定で騒動を起こす予定だったが、もうこうなったら教会もグリンモアも利用して国内に収まらない騒動にしてしまえばいいんじゃないかと思えてきた。
(その方がディアードのダメージは間違いなくでかいよな……他国を巻き込むのは影響が読めないからどうかと思ってたけど、俺が引っ張り込んだわけじゃないし)
などと言い訳を自分の中で完了させ、さっそく下準備だとばかりに時を戻し、工作員達に精神操作を施した。中途半端な掛け具合だと支障が出るのでガッツリとだ。後で多少後遺症が出るかもしれないが知った事ではない。そちらも従属の首輪だとか隷属魔法だとか非人道的な事をしているのだ。仕える相手を間違えた己を恨めとばかりに続いて身体強化を施し自分を担がせ、まだ暗い外へと運び出させた。
不自然で無い程度に彼らに自分達を目撃させて町を脱出し、そうして追跡を受けながら翌日には他の工作員との連絡場所に勇者を見つけた事を記し、それを見付けさせた。
その情報を目にした教会とグリンモアは同じことを考えた。
ここ最近の黒髪を狙った襲撃は勇者を探してのものだったのだろうか。
しかし勇者なんて存在は今はもうこの世界にはいない。
つまりそれは勇者という単語が何かの隠語か、そうでなければどこかの組織または国が勇者召喚を行ったという事になるが……黒髪を狙っているという状況からして、まさかではあるが後者の可能性が高いのか?
という具合だ。
もし本当に勇者召喚を行っているとすると大問題。教会より先に見つけなければなどと言っている場合ではないとばかりに王太子は教会と手を組んで、本格的にグリンモアから出さないように動き出した。
リカルドは正直舐めていた。
だが王太子によって、逃走経路を悉く塞がれ、逃れる手段がどんどんと無くなってきた時には腹黒王太子の手腕を恐ろしく感じた。
転移を使えばもちろん逃げるのは簡単なのだが、ディアードにはわざと捕まった事を悟らせたくはなかったので不自然な事はしたくないという制約の中、リカルドは面倒だったが付近の別の工作員と接触して彼ら全てに精神操作を施し支配下に置いた。
そうして使える手駒を増やして
まぁ本当はそんな事をしなくとも、教会が動いたと分かった時点で転移でディアードに移動し、移動日数分をどこかに隠れてやり過ごして何食わぬ顔で待ち構えている魔導士達に引き渡してもらうという方法が一番楽で面倒が少ない方法であった。
他国を巻き込むと考えた時点で自分から厄介な方に足を突っ込んでいる事に気づいていないリカルドである。
なんとかグリンモアを脱出したリカルドだが、グリンモアの北側に接しているアドーシャ王国へと入っても気を抜く事は出来なかった。
王太子がすぐさまアドーシャへと協力を要請したのだ。取り逃がしてしまった事を正直に明かして協力を求めたグリンモアに対して、アドーシャも事態を重く見て教会と共に捕縛に協力する事を約束した。
普通は逃げた先がアドーシャなら、そのアドーシャが黒幕なのでは?と思いそうなところなのだが、王太子は協力要請を出す事に躊躇いは無かった。
何故なら、勇者召喚なんてものを実現可能な力を持ちそうな組織は、はっきり言って北のディアードか南のヒルデリアのどちらかしか無いからだ。北に向かっている時点でほぼほぼディアードだと王太子は睨んでいたのだ。
王太子相手に逃げるよりはマシではあったが、アドーシャでも気を抜く暇がなく、まるで工作員達の親玉のような立ち位置で指示を出し逃げ続けるリカルド。いつ何時見られるのかもわからなかったのでずっと縛られての移動であったが、頭の中は休みなしでフル回転。
アドーシャを抜けた先フロリアでも同様で、その先のブロマンテもバモスもとにかく包囲を完成される前に駆け抜けろと時々勘付かれない程度に転移を使いながら逃れ続け、どうにかディアードへと足を踏み入れた。
ここに来るまでに九日。今日でちょうど十日目。シルキーのご飯を食べれなくなって早十日だ。限界であった。
(早く終わらす……早く……)
強行軍を強いられげっそりした工作員達の近くで、律儀に縛られたまま目を据わらせているリカルドは内心呟く。
禁断症状で若干人間性が変わってきているリカルドだが、一応当初の目的は忘れていない。
ディアード側の指示では、明日城の地下に繋がる隠し通路を通って行き、そこで準備されている隷属魔法を受ける事になっている。やっとここまで来たのだ。
なんで城の地下だとかバレた時に言い逃れが出来ない場所でやるのかとか、隠し通路とか本来いざという時の逃走用で複数名に知られちゃいけない場所じゃないのかとか、いろいろ突っ込み所はあるのだが、そんな事はもうリカルドにはどうでも良かった。とにかく疲れた。頭が。
ちなみにディアードも各国が勇者召喚に気づいて手を回している事には気づいている。だがリカルド(樹)を殺して無かった事にするのではなく、その勇者の力を手中に入れて、魔族との小競り合いに投入し有用性を見せる事によって、人間領を守るためにやった事だと主張しようとしていた。
訓練も受けていない人間をいきなり戦闘に放り込んでも大した事は出来ないのだが、その辺は勇者に対する先入観とか固定概念が邪魔をしてしまっている。
まぁリカルド(樹)を本当に操れて魔族を殲滅してこいと命令出来れば出来てしまったりもするが、それはたらればの有り得ない話である。
雪深いディアードの隠れ家で、小さな囲炉裏から少し離れたところに転がっているリカルドは、工作員達の様子を見た。
火にあたらせてはいるが、工作員達は全員疲労と寒さで顔色が悪い。明日までここで休めればいいけどと思いながら、数分おきにしている追手の状況確認をして、ちっと内心舌打ちをした。
(またあいつらか)
すぐに別の拠点に転移して事なきを得るが、実はずっとディアードに入ってからとある冒険者に何度となく見つかりかけていた。
それは黒髪と毬栗頭の冒険者二人なのだが、彼らはグリンモアからはるばるこのディアードまでずっと追いかけて来てディアードに入ってからはもう両手の数に収まらない程何度もニアミスしている。
ディアードに入るまでは各国の兵から逃れるのが大変だったのだが、入ってからは主にこの二人に見つけられており、リカルドは何か特殊な能力持ちか?と疑ったが、
(もう本当なんなんだよ。暇なの? 何でこんなとこまで追いかけるの?)
答えは
ディアードも彼らの存在には気づいていてでっち上げの罪で拘束しようとしているのだが、発見率の高い彼らを教会がカバーするように動くのでそれもできない。
とにかく、明日の隷属魔法乗っ取り計画が終われば全て終わる。それまでは絶対に
そう思って頑張ったリカルド。
なんとか翌日城の地下にたどり着いた時には達成感に包まれていた。
細い隠し通路から抜けると、バスケットコートぐらいの広さの空間があり、そこに暖かそうなローブを着た若干着膨れしている魔導士達と、離れた所に近衛と思われる兵に守られた細身の初老の男達が待ち構えていた。
この細身の初老の男達の中心に居るのがディアードの王であり、樹を利用する事に決めた人物である。その横に居るのは軍務大臣だとか、将軍だとか、樹を隷属化する際に王と合わせて主人と設定するためにこの場に集まっていた。
リカルドは工作員達に自分を引き渡すよう操作し、後は万が一外から邪魔が入らないよう隠し通路の先で待機させておく。ここに入るところは
後ろ手に縛られたまま、工作員に引き摺られるように魔導士に渡されると、魔導士は若干面倒そうな様子を見せながらも黙ってリカルドの顔を後ろの王達に見せた。
「……間違いない」
張りの無い少しかさついた声が認めると、魔導士達は視線を交わし、ほんの少しだけ厭わしそうな表情を見せてリカルドを取り囲んだ。
そしてそのうちの一人が工作員から受け取った首輪の主を示す鍵を握りリカルドに聞いた。
「お前の名前は?」
「……山田太郎」
リカルドは見かけは疲れたぼんやりした顔を心がけているが、内心は長かった……と感じ入っていた。
従属の首輪が機能していると思っている相手は何も疑わず、隷属魔法を掛けるべく魔導士達はリカルドを囲んでそのまま詠唱を開始した。
終わる。終われる。帰ってシルキーのご飯食べれる。と考えていたリカルドは、泣けてたら泣いていただろう。
円になるように囲んだ魔導士の真ん中で、終われる喜びに包まれたリカルドはちょっとはっちゃけた。
具体的に言うと、嬉しさのあまり演技が振り切れたのだ。
隷属魔法に合わせて抵抗し苦しむ演技なのだが、やっと終われるー!と解放感いっぱいのリカルドは普段感じる羞恥だとか常識を全部投げ捨てて、大根役者の大根引っこ抜いた演技で、本当に魔法に抵抗して苦しんでいるかのように声を上げ身体を震えさせた。
「あ゛あああああああああああ!」
魔導士達は隷属魔法が不安定になり(リカルドが掌握済みで揺さぶっている)、抵抗が激しいと顔を歪めながらもどうにか成功させようと耐えた。
だが、青黒い光がバチバチし始め(リカルドの演出、見た目だけなので触っても平気)、喉が破れるんじゃないかという声で叫び続けるリカルドに何かがおかしいと思い始める魔導士達。その時、
「少年!」
「あ゛ああ!?」
突如響いた声にびっくりする魔導士達。と、リカルド。
叫び続けていた声は裏返り、慌てて横目で見れば、こんなとこにまであの冒険者が。しかも後ろに教会騎士の姿も。
何で!?配置してた工作員達は!?と思うリカルド。
しっかり強化してた筈なのにと思うリカルドだが、うっかり演技に熱中しすぎてそちらへの集中が切れていた。強化されてなければ体調不良だらけの工作員達などものの数ではない。あっという間に制圧されていた。
「私はロルード教会所属の騎士ナリッド! 禁忌魔法と見受けたため、女神の意向により其方らを捕縛する!」
黒髪の男の横に出た教会騎士の一人がまるで舞台俳優のような張りのある声で宣言し、抜き身だった剣を真っ直ぐに魔導士達に向けた。途端、駆け出す教会騎士プラス冒険者二人。
いや待って!
その間に後ろの方で王達を近衛兵が守るように逃がしているのが見えて、このままだとここまで来たのに全部おじゃんにされるとさらに焦ったリカルド。計画を巻きで遂行した。
奪っていた隷属魔法のコントロールを滅茶苦茶にして呪術と闇魔法を展開。
自分の体をお経のような文字で黒く染め上げ、その身体の黒い染みを墨汁を垂らすように床へと広げて、地面に触れている足から胴へと魔道士の身体を、さらに逃げようとしていた近衛兵やら王やら軍務大臣やらなんやらの身体を這い昇らせた。
それと同時にいかにも魔力暴走してますという感じで風を巻き起こし雷撃を突破してきた教会騎士と冒険者を牽制。さらに黒い染みも地下から地上に向けて伸ばし、この場には居ないが、勇者を利用しようと考えた人物全てを大急ぎで巻き取る。
王達は得たいの知れない黒い染みが身体を這い上って悲鳴を上げ、すぐさま魔導士に向けてどうにかしろと口々に怒号を飛ばした。だが魔導士の方も隷属魔法でこんな事が起きる筈がないと理解出来ない現象に混乱と恐怖の声が上がって対処が出来るような状況ではなかった。
冷静に見ればそれはただの闇魔法によるこけ脅しでしかないのだが、お経のような形の染みが身体中を這いまわっている光景は普通にぞっとするもので、状況と相まってまさに呪いのようにしか見えなかった。
「落ち着けっ!」
あとは呪術で染みに合わせて呪いを付加すれば完成、というところでリカルドはいきなり後ろから誰かに抱え込まれた。
未だ風で牽制していたので、近づかれることはないと思っていたリカルドはびっくりして固まった。
「大丈夫だ! 落ち着け!」
全然大丈夫じゃない状況なので落ち着けない。
予定では呪術を発動させた後、燃えて死体を残さないように消えようと思っていたのだが、それをやると今抱きつかれているこの男も燃やしてしまう事になる。
「離せ!(離れてくれ!)」
「俺は敵じゃない!」
「離せ!!(知ってる!)」
「大丈夫だ! 大丈夫だから!」
耳元で唸る風圧の中リカルドは後ろを振り向き、至近距離で見た男の顔に既視感を覚えた。
反射的に時を止め、なんか見覚えが……と黒髪の男の目元の傷を見て——ハッとした。
髪が長くなっている事で全然気が付かなったのだが、占いの館にモテないと相談に来たスキンヘッドだった。
「………何やってんのこいつ」
いやマジで。と思うリカルド。
モテたいとか言ってた奴が何でこんなところに居るのか謎でしかなかった。
それでよくよくこの男について確認してみれば、その行動理念が一度だけ見せたあの映像作品の主人公(侍)に準拠している事がわかり、ここまでしつこく追いかけてきた理由が判明した。
身体を黒く染めたまま脱力するリカルド。
でもリカルドを抱える手や顔に雷撃による火傷を負っているところを見ると、ただのミーハー、真似事だと馬鹿にする事は出来なかった。
黒い文字で覆われた気味の悪いリカルドを抱え込み、必死に助けようとしている
「……なんか、すごい悪い事をした気が」
一番最初、工作員が彼らを襲撃したあの時、余計な叫びなんて上げなければこんな茶番に巻き込まなくて済んだのにと罪悪感が湧いた。
でも途中で演技を止める事も計画を止める事もさすがに出来ないので突っ走るしかない。
結末を焼死体から別のものへと変更しなければならないが、最低限の事はしないとここまで来た意味がないと、リカルドは時を戻した。
「少年! 大丈夫だから!」
リカルドは男の言葉聞きながら身体の力を抜いて、最後の呪術を発動させた。途端、蠢いていた黒い染みが止まり、魔導士や王達関係者の身体を這いずっていた染みがそのまま定着した。そして続いたのはそれを身に宿した者達の絶叫だった。
リカルドが施した呪術は、勇者という事を想起しただけで激痛が走るようにするものだ。絶対に解呪されないように念入りに魂に喰い込ませた呪いなので、リカルド自身か酒飲み女神ぐらいにしか解けない強固なものだ。
本当は上の城も半壊させ、周辺の地形も変える予定だったのだが、それはもう断念した。
「少年?! 少年!」
反応を失ったリカルドを仰向けにし、必死に揺さぶる黒髪の男。
「……死んだら帰れるのかな」
その呟きは男に見せるための演技だったのか、それともリカルド自身の自覚の無い願望だったのか。気が付いたらリカルドは口にしていた。
「死なずとも帰れる! 死ぬな!」
必死な様子の男に、スキンヘッドであれだったけど、いい奴なんだろうなと内心笑うリカルド。
「……そうだな(樹くんは俺が還すし)」
そう言って、燃えるわけにはいかないので、
「待て、待て!」
塵を集めようとする男に、そんな事しなくてもいいよと早々に時を止めてデコイと交代して消えようとした時だった。
天井付近に何やら青みがかった緑色の不定形のわらび餅のようなものが張り付いているのが見えた。
即座に時を止めるリカルド。
〝………いい?〟
何となく視線が合ったような気がした瞬間頭に響いた声に、確信するリカルド。
「ものすごい取り込み中なんですけど、なんでしょうか」
何でこんな状況で出てくるんだよ精霊は!と突っ込みたいが、突っ込んでも精霊には通用しないと思われるので耐えるリカルド。
まだマシなのは人型でなく聖樹のとこと同じわらび餅タイプだった事だ。
〝寝床がね、なくなっちゃったの〟
「………」
どこの、どんな寝床が、何でなくなったのか。全くわからないが
「わかりました。とりあえず今は立て込んでいるので、少し後でいいですか?」
〝……絶対? 本当?〟
「本当ですから。とりあえずあと数分でいいので待ってください」
〝すうふん?〟
時間の概念が伝わらず、あぁもうと思うリカルド。
「とにかく、そこから動かないでください」
〝?〟
リカルドは転移を使ってデコイと交代し、自分は天井付近のその精霊の傍に浮かんで姿が見えないように隠し、時を戻した。
次の瞬間、塵を集めようとしていた男の前でリカルド(樹)のデコイがザッと全て塵に変わって男の腕からこぼれて消えていった。
声にならない声を出す男の姿を最後に、リカルドは急いで精霊を連れて猛吹雪の山頂付近に飛んだ。ここまでやって精霊に変な事をされてはたまったものではなかった。
轟轟と音が煩く真っ白な視界の中、リカルドは
「これでどうですかー!?」
吹雪の音に逆らって叫べば、横に浮かんでいた青みがかった緑色の精霊は、ふにょふにょと縦に横に伸びていた。
いいのか悪いのかわからない。
どっちだ?とリカルドが思っていると、近寄ってきてにょーんと伸びて来たので、あっと思い手を出すリカルド。するとそこにぽとんと楕円形の緑の石が落とされた。
そして視線を戻せばもうわらび餅の姿はそこには無かった。
「……っていうか、占いの館に来る筈じゃ?」
リカルドの疑問は吹雪に呑まれていった。
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