第72話 想定通りいかない事はよくあるけれど

 日が早いこの季節、王都では街並みを赤く染めていた夕暮れも森の中では微かにしかその光を通さず、既に森に不慣れな人間なら明かりを必要とする程暗くなっていた。

 そんな中、三人組の冒険者は互いに背を合わせて各々の得物を手に構えていた。


 彼らは昨日、依頼を受けて王都から馬車で半日かかるこの森に来ていた冒険者だ。

 森の奥深くに住みつく木の形態をとる魔物の素材は強くて軽く木目も美しいと評判で、楽器を作れば豊かな音色を、家具を作れば百年以上の美しさを保つと言われている。そのためいつでも需要があるのだが特にこの森は王都に近いながらその魔物が住みつく森として有名で、手っ取り早く金を稼ぎたい輩が手を出す場所として筆頭に上がるような場所だった。しかし全て狩り取ってしまえばいかな魔物と言えど繁殖は不可能なので、商業ギルドが国に掛け合い、討伐可能個体数を取り決め許可の無い者には立ち入る事を禁止している。

 彼らはその取り決めを破って勝手に討伐する者——密猟者達を摘発する、巡回の依頼を受けてこの森に来ていた。

 そして前任者と交代し今日の朝から複数あるルートを巡回していたのだが、夕方の休憩を挟んだ後、先刻からどうにも違和感を感じていた。

 何かが付いて来ている気配がするのだ。密猟者達は人の気配を感じるとすぐに逃げ出すので、その手合いではないとわかるのだが徐々に距離を詰め、しかも複数の気配が囲むように移動しているのは明らかに連携の取れた動きだった。

 群れを作る魔物はこの森には生息していない。だからおそらく人間だろうが……と三人組は同じ認識をして、互いに視線を合わせて意を決して武器を手に取ったのだ。

 手練れである可能性が高いが、今は巡回中の森の中だ。他に人はおらず何かあっても自分達でどうにかしなければならない。

 ある程度密猟者との荒事や魔物と遭遇した場合の戦闘は想定していた三人だが、まさかこんな襲撃に合うとは思わず、緊張しながらリーダー格の黒髪の男が声を発した。


「居るのは分っている。何が目的だ」


 光の当たらぬ影の先に問いかけるが応えは無く、ふっと意識が遠のくような感覚がした。

 すぐに三人とも眠りの魔法の影響だと気が付いて手持ちの丸薬を片手で口に入れ奥歯で噛んだ。一瞬にして顔を顰める程の苦みが広がり、頭の芯が浮つくような感覚が消し飛ぶ。


「魔導士がいるな」

「やばくないか?」

「どうするよ……」


 小声で囁き合う三人だが、その時暗がりから何かが飛んできて咄嗟にリーダーの男——黒髪を高いところで結んでいる男が剣で弾いた。が、飛んで来た何かは剣に巻き付いて逆に引かれ、体勢を崩したところに顔を隠した人間が迫った。


「バート横だ!」


ガキッ


 すかさずカバーに入った毬栗のような短い髪の仲間。だが、そちらにも別の手合いが現れもう一人がカバーに入ろうと動くが、


「っ!」


 毬栗頭が警告した通りこちらにも光を鈍く弾く刃が迫って動けなかった。

 寸前で最初に体勢を崩していた黒髪の男が得物を手放し、そのまま地面に手をついて仲間の意識を刈り取ろうとしていた相手の足を払った。残念ながらそれは避けられたが、襲撃者は一度の攻防で容易く倒せる相手ではないと悟ったのか、すぐさま距離を取った。


「すまんニケルス」

「今は目の前の事だ」


 謝る黒髪の男に腰につけていた予備の短槍を放る毬栗頭の男。黒髪の男もそうだなと、受け取った短槍を構えて襲撃者に集中した。

 姿を現した人影は三つで全員布で顔を隠しており、如何にも怪しかった。体格からして男であるのはわかるのだが、内どれかが魔法を使うという以外他に情報は得られそうになかった。

 三人ともこんな裏社会の匂いがする輩に狙われる心当たりなど微塵もないのだが、今まで受けて来た依頼のどれかがもしかすると繋がっているのかもしれない。そういう危険を冒険者は常に背負っているのだが、しかしだとしてもこんな輩に襲われる程の依頼は受けていないと、どうにも釈然としなかった。


 ――とまぁ、そういう状況の場面にリカルドは転移した。


 すぐそばの茂みに現れたところで明かりを掌に生み出し、入念に顔にあたる光の角度をチェックしてから時を戻して大きく茂みを揺らして近づいた。


「え?」


 明かりを手にしたリカルドは緊迫した男達を見て、今気づきました!とばかりに戸惑いの声を上げ、目を丸くした。


「……あっ」


 そして見ちゃいけないものを見ちゃった?!的な感じで狼狽えて後ずさる。

 わざとらしいその反応は(狼狽える演技というのは案外難しい)男達の視線を大きく集め、


「逃げろ少年!」


 幸いに緊張状態であったため演技だと見抜かれる事はなく、黒髪の男が叫ぶように危険を知らせ、そして彼らを取り囲んでいた三人の襲撃者達も微かに動揺してからすぐにリカルドの方へと走り出した。


(よし釣れた)


 リカルドは予定通り背を向けて走った。


「うわー!」


 下手な叫び付きで。


 もうそこまでしなくても襲撃者達——ディアードの工作員達は明かりによってリカルドの顔(樹)を視認出来ていたので問題なく後を追っていたのだが、無関係の人間を巻き込むわけにはいかないとリカルドは適当に何度か叫び声を上げて注意を引きつけ襲われていた三人組から引き離すように走った。

 尚、明かりを持ったリカルドがあそこに居た誰にも気づかれずにあの距離まで近づいていたのは不自然極まりないのだが、緊張状態だった三人組はもとより、襲撃していたディアード組の方も、樹の顔を見てその顔があまりにも送られてきた似顔絵とそっくりな事に動揺し一瞬浮かんだ疑問もふっ飛んでいた。

 何しろ彼らも長い事、上から何としても探し出せと強く言われ続けていたのだ。それこそいつまで続くのか、達成できるかもわからない任務に従事していたので精神的にも疲弊状態で、居たー!!と思わず追いかけてしまうのも無理はなかった。


 リカルドはそろそろ十分に距離を稼げたかな?と、適当なところで木の根に足を引っかけて転ぼうとした——ら、反射的に前転を決めてしまった。樹とさんざん追いかけっこしてパルクールみたいな事をしていたのでついつい身体が動いてしまった。

 ごく自然に捕まりたかったリカルド。しくった。と思いながら良さげな地形が無いかと走りながら探していると、後ろで魔法を使う気配がして足元の感触が変わった事に気づいた。

 しめた!と思い、リカルドはぬかるんだ地面に足を滑らせるようにして倒れた。

 今のは不自然さゼロの満点では!?と自画自賛していると、追いついた工作員の一人に背に乗られて腕を捻り上げられた。


「っ……離せっ」


 抑え込まれた下で抵抗している風に、もぞもぞしてみるリカルド。本当に抵抗したら吹っ飛ばしてしまうので結構おそるおそるやっている。


「死にたくなければ大人しくしろ」


 首に刃物を当てられて脅された瞬間、むしろリカルドはホッとして力を抜いた。


「お前、異世界人だな」

「なっ!? ……なんで……まさか! お前ら――」


 余裕たっぷりな骸骨の演技は出来ても、思春期の素直な少年が驚く演技は出来ないリカルド(驚く演技というのは案外――以下略)。物凄く大根役者臭がしていたのだが、工作員はそれが肯定する反応だったので、それだけ確認出来れば十分だとばかりに殴り強制終了気絶させた。

 気絶した振りをして目を閉じたリカルドは、下手な演技を続けなくていいので助かったとこれまた内心ほっとしていた。

 工作員達はすぐにリカルドに従属の首輪を嵌めると、ぐったりした(振りの)リカルドを担いでその場から急ぎ離れた。


 さて。何故わざわざリカルドが自分から捕まったかというと、そうやって北まで運んでもらって、ディアードに入ったところで行われるであろう隷属の魔法(従属は本人の意志が残るが、隷属の場合残らない完全な奴隷人形となる)を乗っ取り、暴走に見せかけて大暴れした挙句死んだように見せかけるつもりだからだ。

 死んだ事にすればもう追い掛ける事はさすがにないだろうというわけなのだが、ただ死亡を確認させるためだけではなく、大暴れをするのは今後また異世界人を召喚しようという気を起こさせないようにするための布石である。

 

 すっかり日が暮れ夜の帷が降りた頃、走り続けていた襲撃者たちは、王都から北に位置するヌルイコアという町の外れにある小屋に入った。

 どさりと板張りの床の上に落とされたリカルドは雑な扱いだなぁと思いながら、一旦時を止めて虚空検索アカシックレコードで途中経過を確認した。

 問題なければ彼らに催眠をかけて樹のデコイを置いた後、一旦家に戻ってシルキーに事情説明してハインツにはしばらく夜しか家に居られない事を伝えようと思っていたのだ。

 が、問題が勃発していた。


「は? あの人達追い掛けて来てるの?」


 なんと先ほどの三人組の内の二人、黒髪の男と毬栗頭の男がずっと追いかけて来ていたのだ。仲間のもう一人は王都に急ぎ戻っているが、その二人は諦める事なくここまでやって来ていた。


 事前の確認ではここまで追いかけてくる人物は見受けられなかったのだが、何故?と確認したリカルドは、あー……と目を閉じた。

 リカルドは逃げている時、三人組から工作員達の意識を引き離そうと何度か声を上げていたのだが、それを聞いた彼らはリカルドが冒険者ではなく、何らかの理由で森に迷い込んだただの子供だと判断。すぐに助けなければという気持ちで死に物狂いで追いかけてくれていたのだ。

 ちなみに叫ばなかった場合は、冒険者の可能性があると無意識に思い(冒険者は基本的に何があっても自己責任)、途中の見失った段階で諦めていた。


(余計なことしたー……)


 虚空検索アカシックレコードは、リカルドが催眠を掛けて樹のデコイを本物と思わせ家に戻った後、その二人が密かに侵入してデコイを担いで脱出する可能性を示唆していた。

 それは大変困るリカルド。その行動自体は人道的で立派なものであると思うが、今はほんとに止めて頂きたかった。ここで救出されてはまた自然に捕まらないといけないので面倒なのだ。


 リカルドは時を戻して、目を覚ました振りをして大声で悲鳴を上げて逃げようとした。

 すぐに男の一人が従属の首輪の効果を発動させたのでそれに合わせて首が締まって苦しむ振りをした(手を縛られていたので芋虫のようにしか動けず、かつ、顔はぎゅっと目を瞑っただけの大根。苦しむ演技というのは――以下略)が、工作員達はリカルドの演技に気づく余裕はなく眠りの魔法を掛けて静かにさせ、騒ぎに気づいて人が起きてこないかと外の様子を窺い、そこで二人の姿に気づいて身を潜めた。


「さっきの奴だ」

「一人居ない。ギルドに知らされたか?」

「わからないが可能性はある」

「ギルドが動くとは思えないが……グリンモアの治安部隊が動くかもしないな……」

「異世界人なら身元なんてないだろ。動くか?」

「グリンモアなら動くかもしれない。ここはとにかく仕事がやり難い国なんだ」


 言葉を密やかに交わした男達は、すぐに場所を移すぞとリカルドを担いで行動を開始した。

 よし!よく気づいてくれた!と内心褒めるリカルド。

 そして日付が変わって少しした頃、次に移動した拠点らしきところでひとまず短時間であれば問題が起きない事が確認出来て、やっと催眠をかけて家に帰る事が出来た。


「ただいまー」


 日本版の姿に戻り深夜帰宅したリカルドを、すぐにシルキーが現れて出迎えた。


〝おかえりなさ……リカルド様、それは〟


 現れるなりシルキーは珍しく表情を強張らせてリカルドに近づいた。


「それ?」


 シルキーが手を伸ばしてきたので何事かと思ったリカルドだが、その手が自分の首に伸びている事に気づいて、あっと首輪に手を当てた。


「大丈夫、俺にはこれ意味が無いから。驚かせてごめん」

〝いえ……大丈夫ならいいのですが……〟


 従属の首輪に気づいたシルキーにごめんごめんと謝り、リカルドは首輪に触れてそのまま空間の狭間にしまった。首から外れた事でホッとした表情を見せるシルキーに、変なものを見せてしまったと反省するリカルド。


「遅くなるって連絡もしなくてごめんね」

〝いいえ、ご無事であればそれで〟

「あーうん。その点については本当に大丈夫だよ」


 純粋に心配してくれるシルキーに申し訳ないと思いつつも、やっぱりちょっと心配して貰えて嬉しいリカルド。ご飯もだが、シルキーそのものもリカルドにとっては癒しだ。


「もっと早く帰れる予定だったんだけどいろいろあって。えーと……それでね、しばらく日中は戻れなくなりそうなんだ。夜もひょっとしたら無理な時があるかも? 申し訳ないんだけど、なにかあれば魔道具で知らせてくれないかな?」

〝………わかりました。無理はなさらないでください〟

「うん、了解。樹くんとハインツにも急でごめんって伝えてもらえる?」

〝はい、わかりました。夕飯はどうされますか?〟


 真夜中ではあるが、リカルドの食への欲求の高さを知っているシルキーが尋ねると、リカルドは思い切り心を動かされ額に手を当てて目を閉じ天を仰いだ。


「あー…………………」


 そのまま固まること数秒。


「ごめん。ちょっと今はあんまり余裕無いかな。不確定要素が多くて」


 だいぶ葛藤があったが、理性が勝った。


「食料の方は大丈夫かな?」

〝大丈夫です。保存食もありますし、卵などもイツキさんが戻られたらまた市に行ってくださるでしょうし〟


 淡く微笑むシルキーに、何より先にシルキーが外に出れるようにしとくべきだったなと思うリカルド。ディアードの件が終わったらすぐにとりかかろうと心に決めて、心配そうなシルキーに本当に大丈夫だからともう一度言って家を後にした。


 そうして再び樹の姿になったリカルドは従属の首輪を嵌め猿轡を戻し、デコイと入れ替わるように隙間風の激しい板張りの上に横になった。縛られていた紐はバインドを使って器用に元に戻し、これで完成だ。

 この場所はヌルイコアからさらに北にあるロセルターナという町で、ヌルイコアと同じく使われていない小屋に隠れているところだ。

 これ生身なら絶対風邪引くなと思いつつ、時を戻し工作員達にかけた催眠を解いて一息つくリカルド。北にたどり着くまでそこそこ掛かるなぁと道のりに思いを馳せていると、ボソボソと声が聞こえた。


「しかしこれが本当に勇者なのか?」

「知らん。だが異世界人だと認めただろ」

「でもな………足は多少早いようだが、抵抗する力なんてその辺のガキみたいなもんだったぞ」


 どうやら捕まる時に手加減し過ぎたらしいと悟るリカルド。難しいんだよと内心ごちる。


「それに目撃情報がグリンモアから南下したっていうのが集中した時があっただろ?」

「……あぁ、あったな」

「変だと思わないか? それだけ情報が集中していて、何でその時点で捕まえられなかったのか」

「幻覚でも見せられてたんじゃないかってことか?」

「あぁ。それに今回もこんなガキが一人であんな場所にいきなり現れるとか不自然じゃないか?」

「……そんなに心配なら起こして尋問でもするか? 従属の首輪をしている今なら嘘はつけないぞ」

「………やってみるか」


 男の一人がこちらにやってくる気配を感じて、最悪違和感を抱かれたら記憶操作しようと構えるリカルド。


「おい、起きろ」


 足先で蹴られたのでリカルドは目をゆっくりと開けた。と、いきなり髪を掴まれて無理矢理引っ張り起こされ、至近距離で睨みつけられた。


「いいか、大きな声を出すな。出した瞬間指を一本ずつ折る」


 低く脅す声に、だけど正直ハインツとの手合わせの方がよっぽど怖かったなと呑気に思うリカルド。

 ハインツの場合、滲み出る威圧感というのだろうか、顔は笑っているのにやべぇ奴を前にしているという感覚が酷くて、冷や汗(想像)が止まらない感じがするのだ。普通に急所狙ってくるし。

 それに対してこの男は、確かに顔を隠していて威圧的な事をやってきているのだが、そういう感じを受けない。やってる事はただの脅しだし。

 ラドバウトあたりがその話を聞けば覇気の違いだろうと答えただろうが、リカルドにはその辺の違いは良く分からず、あんまり怖く無いものなんだなぁと思いながら男が猿轡を外すのを大人しく待っていた。


「お前、異世界から来たな?」


 男の質問に普通に、そうです。と答えるのも不自然なので、震える声って出せるかなと頑張ってみるリカルド。


「……たっぶん」

「たぶん?」


 頑張り過ぎて裏返ったが、それはそれで怯えているように聞こえたっぽいのでよしとした。


「……お、お前達が俺をこんなとこに連れて来たんだろ? もう元の世界には戻れないって言ったんじゃないか」

「………」


 男はリカルドの首元、従属の首輪が反応していないのを確認して再びリカルドに猿轡をして戻っていった。


「本当みたいだな……」

「気が済んだか」


 先ほどよりさらに小さな声で囁き合う男達だが、リカルドはしっかり聞いていた。

 というか、それだけしか聞かないのかよ。と思わず突っ込みたくなったが、変にボロが出るのも嫌なので大人しくしている。

 騒がず暴れず横になったままじっとしていると、誰かが慌てたように小屋に入ってきた。


「おい、さっきの奴らが来てる」


 あぁと察するリカルド。ここにも彼らが辿り着く可能性は虚空検索アカシックレコードで出ていたので驚きはない。

 だが男達の方は当然知らないわけで、腰を浮かせて聞き返していた。


「さっきって、あの冒険者か?」

「撒いたんじゃないのか?」

「撒いた筈だがすぐ近くまで来てる。しかもどうも様子がおかしい。教会騎士の姿があちこちにある」

「教会騎士?」


 教会騎士?と、工作員と全く同じ疑問を抱くリカルド。


「こんな時間帯に何でそんな奴らが?」

「知らん。だが何かを探している様子だ」


 何か。と、男達の視線がリカルドに向いた。


「……何がどうなっているのかわからんが、すぐに動いた方がいいな」


 と慌ただしくまた出立する事になったのだが、リカルドは状況を確認するため時を止めて虚空検索アカシックレコードに接続した。

 その結果、偶然に偶然が重なりリカルドにとっては嬉しくない方向へと転がっていっている事が判明してしまった。

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