第57話 確認はしっかりするべきだった

 そんな揶揄うような事をしていたからバチが当たったのか何なのか、リカルドは翌日の午後、急な呼び出しを受ける事になった。

 呼び出し先は覚悟していたラドバウト達——ではなく、教会。

 昼過ぎに一人戻ってきたジョルジュに、問題が起きたからすぐに来て欲しいと言われたのだ。

 ただならぬ様子にリカルドは虚空検索アカシックレコードで調べて――内心眉間に皺を刻み、深い溜息をついた。

 結論から言うと、いろいろ要因はあるのだが、ウリドールの尻拭いが拭いきれていなかったという事に帰結する。


 起きた事を順を追って言うと、まずクシュナとナクルは城に上がる事を昨日知らされ驚いたものの、頑張ってその役目を果たした。衆目がある中で緊張しただろうにちゃんと出来た二人に拍手を送りたいリカルドだったが、問題はここからだ。

 ナクルとクシュナが順番に破邪結界を使って証明した後、クシュナが聖女の祈りを元の台座に戻そうとした時にイヤリングの中に宿っていた人工精霊が飛び出てクシュナとナクルに迫ったのだ。〝妾を元の石座へと戻せ〟と。

 当然ながらクシュナもナクルも意味がわからず困惑したのだが、人工精霊はクシュナとナクルが持っていたあのお守りを奪って、ウリドールが施していた隠蔽(ウリドール本人は染色のつもり)を剥ぎ取り黄金に輝くお守り袋をどうだと翳した。そしてこれほどの精霊に印を持たされているならばこの程度頼む事も容易かろうとさらに迫った。

 リカルドがお守りを鑑定した時には聖樹の葉としか出なかったのだが、それはリカルドの高すぎるコントロールで中身のみを鑑定していたからだ。外側も鑑定していれば隠蔽されていたとしても世界樹の樹皮と出たのだが、精度が高いのも良し悪しな例である。


 クシュナとナクルはそのお守りでウリドールの事を思い浮かべる事は出来たのだが、二人とも誓約によってそれを口にする事は出来ない。

 二人の護衛として控えていたジョルジュも精霊という単語が出た事からウリドールが関係していると推察したのだが、こちらも誓約で口に出来ない。とにかく、元のセキザへと戻す方法とやらはわからないと横から庇ったのだが、人工精霊はへそを曲げてナクルの首にペンダントを掛け、クシュナの耳にイヤリングをつけ、元に戻すまで意地でも離れないと宣言してしまった。

 クシュナもナクルもこれにはぎょっとして、居合わせた王族と視線が合って慌てて外そうとしたのだが外れず、見えない外野は聖女が勝手に聖女の祈りを我が物としたと騒ぎ出し、見えている者はその人工精霊が平和と安寧の女神にどこか似ている事から、女神が二人になんらかの啓示を与えているのでは?とか、その出自の低さから神の怒りに触れたのでは?とか、好き勝手な事を囁き出してまずい状況になった。

 そこを同席していた王太子が一喝して静かにさせ、これは聖女の祈りが新たな主を選んだのだと結構無理がある論を押し通して二人を教会へと逃した。逃したというか、時間稼ぎをしている間にどうにかして外すか事態の収拾を図れという事だ。


 ちなみに王太子が教会の擁護に回ったのはリカルドの存在が大きく、日本版リカルドの教え子で問題が起きたら暴れられるのではないかという懸念からだった。その点については俺は猛獣かとリカルドは突っ込んだが、あながち間違ってもない事を本人は自覚していない。一緒に暮らしているうちに完全に家族枠に入ってしまっているので、二人が理不尽な目に遭えば普通に仕返しをするぐらいのモンペもどきになる要素はある。今回も王太子が糾弾する側に回っていたら、グリンモア版リカルドで事情説明する振りして忠告しに行っていただろうし、頓珍漢な事を言ってる貴族達は軒並み身体中の毛が抜ける悪夢又は歯が全部抜ける悪夢を見続けしばらく不眠に悩まされただろう。


 現在ナクルとクシュナは教会の神官長の部屋で他の聖女やダグラスによって外せないかと試みているのだが全く出来ず、とんでもない事態に巻き込まれてしまって恐怖に固まっていた。

 リカルドを呼ぶよう進言したのはジョルジュで、同席していなかったダグラスにことの経緯を説明すればこちらもすぐに同意した。ダグラスもウリドールの姿を目撃していたので繋がったのだ。

 リカルドは精霊の言い分や石座に戻せという意味合いも全て調べ、口を開いた。


「すぐに行くからソレを落とすのは待ってくれ。どうにかするから」


 何も無い虚空へと向かって頼み、時を戻したリカルドはすぐに玄関を出た。


「ジョルジュさん、問題なんですよね?」

「は、はい」

「じゃあ急ぎましょう」


 何も説明せずとも動いてくれたリカルドに一瞬ジョルジュは驚いたが、すぐに感謝して走り出した。

 走り出してすぐ、魔導士のリカルドの速度を気にしたジョルジュだったが逆にリカルドにもう少し急ぎましょうと言われて腰を後ろから押された。軽く押されているだけなのに速度が増して慌てて足が絡まないように早く動かすジョルジュ。いつもよりも身体が軽くあっという間に教会まで駆け抜けて、簡単にリカルドに状況を説明しながらでも息を乱していない己に違和感を覚えた。だがそれを追求している場合ではないと、教会に着くとすぐに人目につかないよう神官長の部屋にリカルドを案内した。

 

「ダグラス様、お連れしました」

「入ってもらってください」


 リカルドはジョルジュが開けたドアをくぐり、部屋の中へと入ると絨毯の上に蹲り青い顔をして互いの手を握り合っているクシュナとナクルの姿が目に入った。

 ナクルとクシュナの傍で膝をついて、人工精霊を説得しようとしていたダグラスが立ち上がるのを手で制してそのままでと頼むリカルド。ダグラスの反対側で励ましていた三十代頃の少しふくよかな女性、聖女ローリアにも同じように手で制して頷き、視線を精霊に向けた。


「あなたは聖女の祈りに宿っていた精霊ですね?」

〝なんじゃお主は〟


 リカルドの声に俯いていたナクルとクシュナがはっとして顔を上げた。リカルドはそれに大丈夫だからと微笑んで、精霊にもう一度視線を向けた。


「端的に言います。今すぐこの二人から離れてください。でなくばあなたの創造主がいい加減キレてあなたを消し飛ばしますよ」


 そう。

 ナクル大好き酒好き女神が、精霊ごときが勝手に人(神だが)のものに手を出すんじゃねぇ!とばかりに神撃をぶち落とそうとしているのだ。対象が人ではなく自分が関与した人工精霊だったのでギリで干渉可能なのが災いした。やられたらナクルとクシュナは守りがあるのでいいが、それ以外に被害が出る。今落とされていないのはリカルドならば対処可能だろうと僅かな猶予が与えられているに過ぎない。だったらこの状況を教えろよと思うリカルドだが、それはそれで干渉とみなされてNGだったのだ。本当に難儀な立場の女神である。


〝……なに?〟


 人工精霊は酒飲み女神にそっくりな顔で怪訝そうな顔をした。


「わかりませんか? 人に関与する事は無理でも、精霊のあなたにならば、特に自ら手を掛けたあなたならば、彼女はギリギリ手を出せるのですよ?」

〝……お主、何を言っている〟

「ここまで言ってもわかりませんか」


 リカルドがナクルにちらりと視線をやったのを見て、人工精霊は眉間に皺を寄せてナクルへと視線をやり、その目を細めて――カッと見開いた。


〝あ……な……あ、あ、あ!〟


 ぷるぷるしながらナクルを指さすので、その手を魔力を纏わせた手で叩き落とすリカルド。


「指ささない。いいから早く」

〝わ、わかった〟


 アワアワとしながら精霊はナクルの首からペンダントを外し、そしてちらっとクシュナを見て、ほっとした。


〝こっちの娘は問題ないの〟


 と言ってそのままペンダントを掛けようとするので待て待て待てと、その手を掴んで止めるリカルド。


「あのですね、石座に戻りたいんでしょうけど無理ですよ。彼女たちは精霊と契約をしている者でもなんでもないんですから。あなたを元の石座に戻す事なんて出来ません」

ヌシこそ何を言うておる、あれほどの力を持つ精霊に贈り物をされている時点で契約は間近であろう〟

「生憎と契約は行われません。あいつは他のところに行く気が全く無いのでね」


 言いながら片手で人工精霊の手を掴んで動きを封じたまま、もう片手で泣きそうにリカルドを見上げているクシュナに、その耳に下がるイヤリングに触れた。精神体である精霊と人の霊体との繋がりを切ればそれは難なく外れ、ころんとリカルドの手の中へと転がり込んできた。死霊術様々である。


「は、外れた……」


 クシュナの呟きはその部屋にいる一同の心の声だった(人工精霊含む)。

 クシュナはだばーと涙を流し、鼻水をすすりながらナクルと抱き合って喜んだ。これで盗人呼ばわりされずに済む。罪人にならずに済むと。

 リカルドはその憐れな姿にもっと注意して見ていれば良かったと反省した。


〝なっ、何故外せる!?〟

「ダグラス神官、とりあえずクシュナさんとナクルくんを落ち着けるところへお願いします。私はこちらの神官長にこれが何なのか説明しますので」


 後ろでジョルジュと共に見守っていた神官長を示して言えば、口を挟んだのは人工精霊だった。


〝待て! 貴様無視するとはいい度胸だな!〟

「そちらこそ己の居心地が悪いという理由だけで人を困らせるのは如何なものかと思いますよ。そもそもあなたが生まれた意味合いをお忘れですか」


 事の発端は己の確認不足であったが、それにしたってこの人工精霊がもう少し人への影響というものを考えていればここまで大事にはならなかった。そう思うと、自然とリカルドの声は冷えたものになっていた。


〝人間ごときに妾の生まれた意味を説かれる道理なぞないわ〟


 ふんぞり返るように見下す人工精霊に、リカルドはため息を堪えて手のひらにあったイヤリングに魔力封印を施した。その瞬間、姿を保てなくなった人工精霊は水に溶けるように消え、ぽとりとその場にペンダントが落ちた。

 人工精霊の姿が無くなった事で、誰にともなく息を吐く音が重なって張りつめていた糸が緩んだのが知れた。


「ダグラス神官、もう大丈夫ですから」


 朝から城に上がるために準備をしていたナクルとクシュナは、ここに至るまでまともに食事もとっていない。心も身体も疲れているからとリカルドが促せば、ダグラスはリカルドに頭を下げて、それから神官長に失礼な事はしないでくださいと訴えるように目を向けて、横のジョルジュに頼みますよとアイコンタクトをしてから聖女と一緒に安堵で泣いている二人を部屋の外へと連れ出した。


「さて……いろいろと確認と説明が必要かと思いますが、その前に」


 リカルドはペンダントを拾って神官長の前に立つと、一度頭を下げた。


「初めまして。クシュナさんとナクルくんの聖魔法の指導の依頼を受けました冒険者のリカルドと申します」


 日本版リカルドとして神官長と顔を合わせるのはこれが初めてだったので改めて挨拶をすれば、神官長は少し面食らった顔をして念のため柄に置いたままだった手を外した。


「ここで神官長をしているエヒャルトだ。貴殿の事は報告を受けて知っている」

「では早速状況の確認――の前に、これは神官長に預かっていただきましょうか」


 リカルドは自分が持っているよりもその方が安心するだろうと、ペンダントとイヤリングをエヒャルトに差し出した。

 エヒャルトは大抵の事には動じないのだが、さすがに今の今まで問題を起こしていたソレを受け取って大丈夫なのかと一瞬逡巡してしまった。


「持っても大丈夫ですよ。今は出て来れませんから、ただの宝飾品です」

「……何をしたのだ」


 言いながら受け取り、それに目を落とすエヒャルトにおまじないですと誤魔化してリカルドは話を戻した。


「状況の確認をさせてください。

 二人はその聖女の祈りを使用して破邪結界が使用可能か確認されていたんですよね?」

「……あぁそうだ。グリンモアの王家から打診があり場を整えて今日それを貴族どもの前で行っていた」


 エヒャルトの貴族どもという口調に、部外者の自分にまでその調子なのは神官長としてどうなんだ?と思ったが、多分にトゲが含まれているのは今日の事があったからだろうと納得させてリカルドは話を進めた。細かい事を気にしている場合では無いのだ。


「そこであれが現れたという事ですね?」

「そうだ。二人とも無事に終えて後は辞するだけとなったタイミングで突如現れてわけのわからない事を言い、クシュナとナクルから離れなくなった。貴殿はあれを精霊だと言っていたな?」

「はい。聖女の祈りに宿っていた精霊ですが、久しく使われていなかった事で休眠状態だったようです。使われて目覚めて、ちょうど目の前に他の精霊に認められたように見える人間がいたので自分の願いを叶えさせようと交渉を持ちかけたのでしょう」

「セキザがどうとかいう話か?」


 話を始めたリカルドとエヒャルトの横でジョルジュが椅子を整えて二人をそちらに誘導し座らせた。茶までは出せないが、立ったままでいるよりはマシだろうと思ってだ。


「石座というのは精霊が宿れる石の事です。精霊にとっては家みたいなものですね」

「家」

「はい。元々住んでいた家から別の家に移されて居心地が悪いと不満だったから、他の精霊に元の家に誘導してもらおうと精霊の気配がした二人に迫っていたんでしょう」


 正確には精霊の気配ではなく、世界樹力ある存在の気配をそれと誤認していたのだが、そこまで説明するとややこしいので省くリカルド。


「状況から考えてこのペンダントの石の方が元の家で、こっちのイヤリングの石が移された家でしょうね」


 リカルドが指さして説明するのを、眉間に皺を寄せて聞くエヒャルトだが、精霊を目にした事など一度も無いのでどうすれば良いのか判断がつかなかった。


「……この聖女の祈りは、もう魔道具として使えないということか?」

「いえ、精霊が仕事をすればちゃんと使えます」

「仕事……」


 精霊に仕事をさせるという微妙な表現に引っかかりを覚えるエヒャルト。精霊とは自然に近い存在で人と関わる事は極めて稀。人を遥かに超える力を有し、その価値観も独特で契約をする事も滅多にない。そういう存在だ。それに仕事をさせるという発想がまず普通は出てこないのだが、リカルドはその辺の機微に疎くエヒャルトの言葉のニュアンスには気づかなかった。


「難しいのはそこですね。このままだと元の魔道具のように働く事はないでしょうから、手っ取り早いのは望み通り元の石座に戻す事です」

「それは可能なのか? 話からして他の精霊の力が必要なように感じるが」

「まぁ、他の精霊の力が必要ですね」


 そもそもペンダントの石座ありきで創られたこの人工精霊に、他の住処に移る能力は無かった。だからイヤリングの石に移されたのは本当に予想外の事だっただろうし不本意な事だったんだろうとリカルドも思う。だからと言って無理矢理取り憑くような真似をするのは頂けないが。


「精霊の……」


 精霊に伝手もなければ当てもないエヒャルトは、ペンダントとイヤリングを持て余す様に手の中で移動させた。

 魔道具としてその力を失ったという事になればまたグリンモアに対して賠償なりなんなりしなければならない。さらに不祥事として扱われるだろうこの話は、どうにかしてでも伏せなければクシュナとナクルの立場も危うくなってしまう。せっかく優秀な聖女が誕生したというのに、ここで失われてはならない人材をどうやって守るかとエヒャルトも頭を悩ませた。


「そういう事なので神官長、一つ提案があります。

 これから私が行う事を黙っていただけるのであれば、精霊を元の石座へと戻し魔道具として使えるようにしましょう」

「……何をするのかわからない事を約束する事は出来ない」


 教会としても切羽詰まっているだろうに、杓子定規なエヒャルトの返しにリカルドは笑った。


「そう言われる事も予想していました。ちょっと失礼しますね」


 リカルドは懐から取り出すと見せかけて空間の狭間から乾燥した聖樹の葉を取り出した。クシュナとナクルから回収したお守りの中身だ。


「ウリドール、ちょっと顔を貸してくれ」

〝………神様はなかなか趣のあるところから呼びますね〟


 ミニチュアサイズのウリドールの顔が乾燥した葉からひょっこり現れた。


〝普通はこんなところから出れませんからね? 私だから出れたんですよ? ご褒美くださいね?〟

「わかったから。ちょっと黙っててくれ」


 余計な事は言うなとリカルドは圧をかけ、目の前で目を丸くどころか口まで開けているエヒャルトに視線を戻した。


「これが黙っていていただきたい理由です。いたずらに騒がれたくないという私の気持ちを汲んでいただけないでしょうか」

「……それは、まさか精霊か?」


 リカルドは口を開きかけたウリドールの顔を手のひらで覆って、微笑んだ。


「その精霊が今、神様と言ったのは……?」


 聞こえてたかと舌打ちしそうになりながらリカルドは微笑みを固定する。


「これにとっての私の愛称です。精霊は人とは感性が異なりますから不思議な事をよく口にするのですよ」

「………」


 戸惑いと疑念の混ざった視線に、リカルドは笑みのまま畳みかける。


「このままの状態で王家に返却すれば関係悪化は必至ですよ。私も晒したくない情報をここまで出しているのはクシュナさんとナクルくんが困るだろうからという気持ちからです。

 どうされますか?」


 エヒャルトは再び眉間に皺を刻みリカルドを見据えた。選択肢が無い事はエヒャルトもわかっていたが、どうにもリカルドの笑みが引っかかって仕方が無かったのだ。

 報告から上がるリカルドの人柄やその指導能力に疑う余地はないのだが、それでも実際に会ってみるとどうも違和感というのか、何となく胡散臭いような何かを感じてしまっていた。それは人が備えている第六感のようなものであったのだが、ここで明確な答えを出すには至らなかった。


「………わかった。いえ、わかりました。貴殿に頼みます」


 頭を下げてペンダントとイヤリングを差し出したエヒャルトにリカルドは頷いて受け取り、そして時を止めた。


「さて。ウリドール、もう戻っていいよ。ありがと」

〝あれ? 私に何か用があったんじゃないんですか?〟

「あったよ。それはもう終わったから」

〝はぁ。そうなんです?〟


 なんだかわからないけど?と首を傾げつつ姿を消したウリドール。リカルドは聖樹の葉を空間の狭間に放り込んで、聖樹のある耳長族の国へと飛んだ。

 あくまでもウリドールは世界樹であって精霊ではない。ポンコツな人工精霊は勘違いしていたが、ウリドールでは元の石座に戻す芸当は出来ないのだ。もちろんリカルドにも出来ず(リカルドが手を出した場合魔改造になってしまい、人工精霊の主がリカルドになる)、本家の精霊の力を借りるしかない。

 そして、その本家の精霊の中でリカルドのお願いを聞いてくれそうなのは聖樹に宿っている精霊なのだ。


 赤や黄色、青やオレンジなど淡いパステル色に明滅する森にやってきたリカルドは、以前枝やら雫やらいろいろ貰った聖樹に近づいて声を掛けた。


「どうも、お久しぶりです」


 縄文杉のような立派な樹木に声を掛ければ返答は早かった。


〝はいはーい。それほど久しぶりでも無いけど久しぶりー?〟


 長い時を存在する精霊にとって数か月は瞬きの間と同じだ。その事に気づいたリカルドは、それでも人の感覚というものを知って返してくれる精霊に苦笑を浮かべた。この辺が年若いウリドールと年を経た精霊との違いだなと。


「またお願いがあって来たんですけど」


〝なになに~?〟


 今日も暇を持て余しているのか、子供のようなノリで尋ねてくる精霊。


「この精霊を元の石座に戻してやって欲しいんです。私がするとどうにも支配下に置いてしまうので」


〝あー、珍しい子を持ってるね~。それってあれでしょう? ミスティルの眷属〟


「はい。わけあって本来の石座から移されてしまっているんです」


〝戻すのはいいけど、また何か面白い話をしてほしいな~〟


 ね?と可愛らしく小首を傾げる子供の姿が思い浮かぶような声に、そうだなぁとリカルドは事前に調べた候補を頭に浮かべ、これでいっかと口を開いた。


「ミスティルとたまにお酒を飲んでいるんですけど、あの人……いや、あの女神か。あの女神ってツボると鼻の穴膨らませて笑うんですよね。女神なのにいいのかなって。指摘はしませんでしたけど。人の肉体じゃないのにそういう人間臭いところが残ってるのも不思議ですよね」


〝ブハッ……〟


 吹き出すような声と、周りからさざめく様な微かな笑い声が幾つも重なって広がった。


〝ミ、ミスティル……ふ、不憫だね……珍しく近い位相の相手と会えてはしゃいでるんだろうに……でもいいの? そんな事ばらしたら怒られちゃうよ?〟


「まぁ神撃には慣れました。はい」


〝あはは! 慣れるって!〟


 慣れる程やられてるんだと笑う精霊に、やられましたよと遠い目をするリカルド。

 

〝ふ、ふふふ……やっぱりいいなぁ~。君は楽しいや。

 いいよ、その子に掛けてる封印を解いてくれる? 戻してあげる〟


 あ、はい。とリカルドが魔力封印を解いた瞬間、そこに人工精霊が現れた。


〝そ、そ……そなた……〟


 出て来た人工精霊はリカルドを指さして何故かぷるぷるしていた。


〝はいはーい。ねんねはこっちだよー、ちゃんとおうちに入ろうね~〟


 ピンクと水色のパステルな光が精霊を取り囲み、そのままペンダントの石の中へと吸い込まれて行った。

 そなた……の先が分からず、何だったんだ?と首を傾げるリカルド。

 実は人工精霊は魔力封印を施されて表に出る事は出来なかったのだが、石の中でこれまでの会話は全て聞いていたのだ。なのでリカルドが自分を創った女神と酒を飲み交わす仲だったと知ってびびっていた。既にナクルという愛し子に対してちょっかいを掛けた事でお手付き一回。酒を飲み交わす相手に喧嘩を吹っ掛けた事がお手付き二回となれば、自分はもう消されるんじゃないんだろうかと、人間風に言うなら蒼褪めていた。

 聖樹に宿る精霊によって無事に元の石座へと戻れたにも関わらず、表に出てこない人工精霊に首を傾げるリカルド。


「もしもし、大丈夫ですか?」

〝は、はい!〟


 リカルドに呼びかけられて即座に飛び出る人工精霊に、逆にびっくりするリカルド。ちょっと動悸がする(妄想)胸に手を当てて、なんだかおどおどしている様子に本当に大丈夫か?と疑問が湧いた。


「ちゃんと戻してもらったと思うんですけど、何か不都合がありましたか?」

〝い、いえ、無いです。とても、居心地よく〟

「明らかに態度が違って怖いんですけど……本当に大丈夫なんですか? ちゃんと結界を吸収する働きは備えてます?」

〝だ、大丈夫です。何も問題なく、全て大丈夫です〟


 ちょっと調子に乗って女神の口調を真似ていたのも全部消し飛んで真面目に答える人工精霊に、いまいち大丈夫じゃないような気がして虚空検索アカシックレコードで調べるリカルド。おかしい理由を知って脱力した。


「今更怖がられても……消し飛ばされるタイミングがあったとすれば、それはナクルくんにペンダントを掛けてとりついた時でしょう? 俺相手に阿らなくても平気ですよ」


 マジで怯えているのが分かってそう言えば、ぶんぶん首を振られた。


〝高位の存在だと気づかず申し訳ありませんでした〟


 高位は高位だが、死霊魔導士だ。まだその辺の事がわからないのかと、なんとも微妙な気持になるリカルドを聖樹の精霊が笑った。


〝いいんじゃない~? それはそれで楽しそうだよ〟


 完全に他人事の聖樹に、実際他人事だしなと額を押さえるリカルド。


「ええと、まぁ……いいです。とりあえずこれまで通り魔道具に宿って仕事をしてください。あと、出来れば今回迷惑をかけたあの二人の言う事を聞いてくれると助かります」

〝わかりました〟


 きっちり頷いた人工精霊はふっと姿を消した。

 女神と同じ顔をして言われると違和感が酷いなと思いながら、リカルドは聖樹に礼を言って元の神官長の部屋へと戻り、同じ姿勢を取って時を戻した。


「はい、元の石座に移してもらいました」

「……は?」


 今しがた手渡した筈のペンダントとイヤリングを返されたエヒャルトは、言われた意味を頭が理解出来ず変な声が出た。


「もう大丈夫ですよ。ちゃんと魔道具として機能します」


 ほら、石の色が変わっているでしょう?と指さすリカルドに、エヒャルトはイヤリングの石が灰色に、そしてペンダントの石が青く変わっている事に気がついた。


「……精霊はもう出てこないのでしょうか?」

「出てくるかもしれませんが、今回のような無茶な事を要求してこないと思いますよ」


 エヒャルトはしばらく手のひらにあるそれらを見つめていたが、やおら顔を上げてジョルジュに言った。


「………ジョルジュ、クシュナかナクル、連れて来られる方を連れて来てくれ」

「神官長、しかしまだ動揺しているかと思われますが」

「今ここで破邪結界を封じられるか試したい」


 なるほど。そりゃ確認はしたいよなとリカルドは納得したので、ジョルジュを止めた。


「ジョルジュさん、呼んでくる必要は無いです。神官長、この事も内緒でお願いしますよ」


 青い輝きを取り戻したペンダントに触れて一度中に納められた結界を発動させるリカルド。手っ取り早く終わるよう広範囲を覆うように展開させた後、青みの薄れた石を確認してエヒャルトに視線を合わせた。


「じゃ、掛けます」


 一声宣言して、一瞬で破邪結界を張ったリカルドは、それがぐんとペンダントの内側に引っ張られるのを感じて、内心おもしろっと目を丸くしていた。

 リカルドの破邪結界を吸収したペンダントは若干最初よりも青い輝きを増してそこに鎮座していた。


「問題なく吸収するようですね」


 これで確認取れましたよね?と視線を上げるリカルドに、エヒャルトは一度目を閉じて目元をもみほぐした。

 リカルドが聖魔法に長けている事から、ある程度予想していた事ではあったが、いざ目の前にすると何故お前は教会に所属していないのだと言いたくなってしまうエヒャルトだった。

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