第56話 尻ぬぐいと日常のあれこれ

「行ってきます」

「行ってきます」

「行ってらっしゃい。二人とも気を付けて」

「気をつけてな」


 朝、クシュナとナクルは予定通り教会にジョルジュと一緒に出掛けていった。リカルドはその存在を周りに知られない方がいいのでお留守番、というか待機だ。

 二人とも成果を見せて来ますと楽し気に出かけたのだが、教会で城に上がる事を聞かされたらびびるだろうなぁと少々気の毒に思いながら見送ったリカルド。

 樹が中へと戻っても一人玄関で背が見えなくなるまで見送っていると、横にウリドールが現れた。リカルドがなんだ?と視線を向ければそこにあったのは満面の笑み。


〝心配しなくても大丈夫ですよ!〟

「……なにが?」


 何となく嫌な予感がしたリカルド。警戒しながら問いかければ、一体誰に教わったのか拳を握った状態でグッと親指を立てて見せた。


〝あの二人には私のお守りを渡してますからね!〟


 実は昨日、ジョルジュとリカルドの会話を聞いていたウリドール。なんだか二人が大変そう?と、こっそりクシュナとナクルに樹に渡したものと同じ物を渡していたのだ。


「………をい」


 リカルドはウリドールの頭を魔力を纏わせた手で引っ掴むとギリギリと締めた。


〝あだだ! 痛い! 痛いけど美味しい!〟

「だから吸収するな! じゃなくて、聖樹の葉は高価だからほいほいやるなって言っただろ!? なんでそんなもん持ってるんだって聞かれたらどうするんだよ!」


 樹のお守りを知った時点でリカルドはちゃんとウリドールに注意をしていた。聖樹の葉だとバレたら持ってる者が危なくなると。高価で希少なものだから誰かれ構わず渡すなと。


〝だ、大丈夫ですって! 言ってないですもん! 聖樹ってバレなきゃいいんでしょう!? ただの草だって言ってますから! 知らなきゃ誰にもわからないですよ!〟

「鑑定持ってる奴が見れば一発なんだよ! 街中ならまだしもあの子らが行くのは城だぞ?! 居るだろ!」

〝でもでも! 人間なら服の中に仕舞ってたら見えないじゃないですか! ——え?! もしかして人間はいきなり剥いで見る事があるんですか?! うわあそんな生皮剝ぐみたいなハレンチな!〟

「剥ぐわけないだろ?! 持ち物検査とかがあるって言ってんの!」

〝なんですかもちものけんさって!〟


 リカルドには服剥ぐのが生皮を剥ぐのと同義なのかどうなのかさっぱりわからないが、真向からわかりませんと言ってくるウリドールに、そりゃお前常に何も持ってない状態だもんなと疲労感を覚えて手を離した。


(こいつを相手にしてる場合じゃないわ……とりあえず回収するとして……まるごと回収したらお守りが無くなったって悲しむだろうから中身だけすり替えるか……あー精神安定系の植物ってなんだ? プルームとムルクラとルティル、このあたりが無難なのか。どこにあるんだよ……あっちと、こっちで取って来て……)


 時を止めつつ調べているリカルドの横で、無視しないで神様~とか言っているウリドール。リカルドは一切無視してポプリに使われる植物をチョイスし野山に取りに行って戻って来て、時を戻して乾燥させてちょっとしたおまじないを掛けて一時的に聖樹の葉に近い効用を付加し転移で中身をすり替えた。この間5分。早業である。

 尻拭いが終わって息を吐いたリカルドは、朝からどっと疲れた気分でウリドールに頼んだ。


「ウリドール……まじでこのお守り勘弁してくれ。っていうか、なんでそうほいほい聖樹の葉が出せるんだよ」

〝地下茎経由で送ってもらえるんです! すごいでしょ?〟


 えっへん。と胸を張るウリドールに頭が痛くなってくる(妄想)リカルド。

 お前の地下茎って転送装置でもついてんの?っていうか地下茎って樹木には無いんじゃ?と疑問に思うも、疲れて調べる気にもなれず居間に戻ってソファに沈んだ。


〝言ってくれれば欲しい植物は私が出せますよ? ほらほら私便利ですよ? ご褒美にごはん大目にしてくれてもいいんですよ?〟


 ご褒美ってお前状況理解してるのか?とガン飛ばしたくなるリカルドだが、自信満々の姿を見ていると説教するだけ無駄な気がしてきて項垂れた。


「……すでにお前腹いっぱい食ってるだろ。その上増やしたら実が出来るって」

〝えー駄目ですか? 実をつけるの、ちょっと楽しくって〟

「不良在庫前提のものを作ってくれるな、頼むから」

〝ちっちゃい子にはあげてたじゃないですか~〟

「ちょっとずつな。それでも半分だし。さすがに全部あげたらえらい事になるわ」


 えーと不満げな声を漏らすウリドールに、いいからもう聖樹の葉を出さないでくれと頼むリカルド。了承してもらえなければ毎朝の水やりが二日に一回になるかもなぁと零したところで即座にウリドールは了解して消えた。わかりやすい奴である。


 久しぶりに居間のソファでぐてーとしていたリカルドだが、庭で一人自主練をしている樹に気づいて庭に出た。

 樹がやっていたのは基礎的な身体の動かし方で、受け身から攻撃の基本動作の繰り返しだった。実直にそれを続ける姿はなんだか部活動に精を出す若者を見ているような清々しさがあって、ウリドールで疲れた心が洗われるような心地になるリカルド。


 一通り終わったところで樹がリカルドに気付いたので、そこからは樹の希望で魔法の訓練を始めた。

 樹の習得するスピードは重力魔法の時と同様で早く、これもしかして昨日作った魔法も樹くんなら出来るんじゃ?と思うリカルド。

 試しに作りたてほやほやの魔波探知ディアソナーを教えると、拙いながらもちゃんと発動させる事が出来た。

 これは前提知識があるからだなと一人納得するリカルドの横で、魔物の捜索に便利そうですねとゲーム脳な感想を抱く樹。実はこの世界で使用者二人目の希少魔法を使っているとは夢にも思っていなかった。ちなみに樹の解釈でその魔法は正解だ。リカルドもそれをイメージして作っている。

 元々樹に教える予定だった魔法を全て習得してしまったのもあって、これはどうだろう、あれは?と有用と思われるものをいろいろ教えるリカルド。その結果、樹は勇者は勇者でも超能力勇者みたいな異色な感じになってきたのだが、今のところそれに気づく者は居ないのでそこは割愛する。


 昼時になってキッチンに樹と二人でシルキーの手伝いをしていたリカルドは、そうか今日は二人なのかと気がついて上を見た。

 ハインツが良ければ一緒に食べてもいいけど……と考えていると、上を見上げていたリカルドに樹が気が付きどうしたのかと声を掛けた。


「何か用事があるんですか?」


 ここのところふらっと姿が消える事が多かったのでそう尋ねる樹に、リカルドは笑って首を振った。


「樹くんの故郷のごはんってどんなのだろうなってちょっと思ってたんだ」


 まだ一進一退の状態だから誘うのは止めて置こうと、差し障りの無い話題を上げて誤魔化すリカルド。


「俺の故郷ですか?」

「うん。シルキーのごはんは美味しいけど、やっぱり馴染みの味ってあるでしょ? 食べたいなって思ったりしない?」

「あー……それはまぁ、確かに系統は違いますけど……」


 食べたいもの……カップラーメンとか?と呟いた樹に、吹き出しそうになるリカルド。まさかの故郷の味がカップラーメン。そこは味噌とか醤油とかじゃないの?と思うが、若者にはそれより親しみのあるものはカップラーメンなのかもしれないなと内心笑いながら耐えた。


「うーん、シルキーのごはん美味しいからあんまり思わないです。うちの親ってやばかったんで」

「やばかった?」


 樹の口から飛び出た不穏な言葉にどういう事かとリカルドは内側の笑いを引っ込めた。

 こんなにいい子なのにまさか世に言う毒親なのか?と警戒するリカルドに、樹は軽い口調で笑いながら答えた。


「すっごい料理が下手なんですよ。肉とか魚とか常に生焼けだし冷凍ものは中冷たくって。指摘したら焦げるまで焼いてるのに不思議ねって言われるし、汁物の味も塩辛いだけでうまくないし……いつ腹を壊しても不思議じゃないっていうか…壊しても運が悪かったねで済まされるし……安全なのがふりかけと缶詰だけで……ほんともう……これは安全なのか? って思いながら食べてて……」


 笑っていたはずなのにだんだん恐怖の色を顔に浮かべだした樹に、あ……これマジなやつだと悟るリカルド。カップラーメンは樹にとって故郷の味なのだと。


「そ、そうなんだ」

「でも、今となったら忙しいのに頑張ってご飯作ってくれてたんだろうなって思いますけど」


 恐怖の色はまだ残したまま、それでも遠くを見るように樹は呟いた。


「うちは共働き……母も父も働いてて、忙しかったんです。食事を作る時間もあんまり無かったのかなって……俺、部活で帰ってきて疲れてて、なのにご飯が無くてなんでだよとか、生焼けが出てきてまたかよって思ったりしてましたけど………文句があるなら自分で作れば良かったんですよね……」


 親に作ってもらえるのが当たり前だって思ってて……と視線を落とす樹は、今ここで欲してもその親の料理を食べる事は出来ない。

 その様子に、樹の状況とは比べる事は出来ないが実家から離れて一人暮らしを始めた頃を思い出したリカルド。


「そうだねぇ……ずっとなんでもやって貰ってたから、やって貰えるのが当たり前だと思っちゃうんだよね。洗濯も掃除もご飯も。一人になってやっとわかるんだよねぇ……そういう感覚って」


 しみじみと同意するリカルドに樹は顔を上げた。


「リカルドさんも?」

「うん。家を出た時に気づいたけど、それって19ぐらいの時だから樹くんよりずっと後だね」

「そうなんですか……」


 でも生焼けは無かったけどね……と、内心思うリカルド。親の料理能力は運なので樹にはどんまいとしか言いようが無かった。


「今から料理作れるように練習する?」


 帰って再び生焼けコースに戻るのもアレだなと思ってリカルドが提案すれば、樹は笑った。


「確かに。それもいいかもしれないですね。調味料が違ってそうだけど……なんとかなるかな」

「どんな調味料があるの?」

「えっと……塩、胡椒、醤油、タバスコ、マヨネーズ、ポン酢、ゴマ麻油、ラー油、焼肉のタレ——」


 答える樹に、リカルドはふんふんと聞きながら日本食でテッパンの出汁と味噌と味醂が出てこないなぁと思った。あと砂糖と酢。

 出汁は調味料と言うには微妙なのでまだしも、味噌や酢が出てこないのは意外だった。出てくるのは食卓に出ていてもおかしくない調味料たちなので、本当に料理をした事が無い事がわかる。砂糖はおそらくど忘れだろう。リカルドも料理は全然しないが、それでも一人暮らしを始めた頃はやる気になって無駄に色々揃えたので一通りの知識だけはあるのだ。


「樹くんのところは独自の調味料とかってあるの?」


 どうせならちゃんとしたご飯を作れるようにしてあげたくなって、基本となる調味料を引き出そうとするリカルド。この世界にあるかどうかは知らないが、調べてみて無ければ類似品を作ればいいのだ気楽に考えていた。


「独自ですか? 独自……は、醤油がそうなのかな?」


 そうだけど、それじゃないんだよ……と誘導尋問を考えるリカルド。


「伝統的な料理とかってある? 郷土料理っていうか、毎日食べるようなやつ」

「毎日……目玉焼きは違うだろうし……あ、卵焼き?」


 なるほどぉ……となるリカルド。


「卵焼きは卵を焼いたものかな?

 じゃあさっき塩辛いだけって言ってた汁物ってどんなもの?」

「お湯に醤油入れたやつです」


 すまし汁そっちか……。と、唸りそうになるリカルド。だがまぁこの際味噌は諦めて醤油に絞ってもいいかと切り替えた。


「醤油ってどんなもの?」

「醤油は……黒くて塩辛くて……何で作られてるんだっけ?」


 原材料が何かわからず首を傾げる樹に、そうだよな興味無かったらそんなもんだよなぁ……と前途多難でリカルドは内心乾いた笑いを浮かべた。

 その後もどんな料理があるか質問を繰り返したところ、チャーハン、野菜炒め、餃子、生姜焼き、カレー、親子丼などで和食は少なく、味付けや素材に対する質問は軒並み曖昧な答えが返ってきた。

 よっぽど食事の話をしないんだろうなぁと察したリカルド。さすがに餃子の皮をご飯をこねて伸ばしたものと答えられたら、そこから小麦を練ってという答えに不自然なく誘導する自信が無かった。なのでこれはもうなんであれ作れれば良いかと大きく方針転換した。日本ならば多種多様の調味料が揃うはずなので、向こうに合わせるんじゃなくてこっちに合わせてもらおうと。基本的な調理技術が身についてくればやっているうちに味の想像がつくようになるだろうし、ネットで調べればその通りに作ることも可能になるだろうなと希望を託した。諦めたとも言うが。

 という事で、シルキーに頼んで三日に一回ほどお料理教室を開催してもらう運びとなった。シルキーへの対価は本人の希望でレース用の糸と刺繍糸だったのでリカルドは二つ返事で了承した。



 昼食を樹と二人で食べた後は、リカルドは二階に上がっていつものようにハインツとその妹の様子を窺った。

 こちらは変わらず起きている時は暴言の嵐で、でも暴力と自傷行為が出てないところは前進してるなとリカルドは思った。

 ずっと安らぎの雫を与えているので、通常よりは安定するまでが早くなっているが、だとしてもここまで来れているのはハインツもハインツの妹自身も頑張っているからだとリカルドは虚空検索アカシックレコードで知っている。

 頼むからこのまま頑張ってくれとドアの前で拝むリカルドだが、ハインツがシルキーを呼ぶ声がしたのでドアの前から下がった。


「っと、居たのか」


 出てきたハインツの影からハインツの妹が泣き崩れている姿が見えたが、すぐにドアが閉められ視界から消えた。


「うん、そろそろごはん」

「いつも悪いな」

「ううん。ハインツの部屋に運ぶから待ってて」


 キッチンから食事を運んできて、隣のハインツの部屋で本日二度めの昼食をハインツと一緒に食べるリカルド。

 今日は肉団子パスタとツツクルネというセロリと大根の中間みたいな野菜のスープと、いろんな野菜を漬け込んだマリネだ。こってりのパスタにマリネのさっぱりしたシャキシャキ野菜が相性抜群で、最後にスープで締めればほわんとした気持ちになるリカルド。

 ついつい二度めの食事も堪能して忘れそうになるが、ハインツの様子もちゃんと確認している。

 精神的に参っているなら食事の量に変化が現れやすいので、その変化が見られない事によしよしと思っていると、そういえばと思い出したようにハインツが切り出した。


「お前、あの子らと一緒に食べなくていいの?」


 当たり前のように目の前で一緒に食べているリカルドに、今更だが自分とご飯を食べるということは、下では食べていないということに気づいたハインツ。

 心配しなくてもどっちでも食べているのだが、普通はどっちも食べてるなんて思うわけがないので仕方のない心配だ。むしろリカルドはその心配をする程ハインツに余裕が生まれている事に嬉しくなった。


「大丈夫。半分ずつ食べてるから」

「半分……」


 ハインツの目がリカルドが食べていた皿に向けられた。しっかり一食分盛られていた皿に。


「俺って結構大食いなんだよねぇ」


 視線に気づいて笑うリカルドに、その細い身体のどこに入ってるんだよという視線をハインツは向けた。答えは別腹ならぬ亜空間、これもまた辿り着かない答えである。


「それよりハインツ。もう少ししたら妹さんの行動範囲を少しずつ広げようと思うんだ。安全を考えてこの家の中から始めるつもりなんだけど」


 現実的な話に戻したリカルドに、ハインツも真面目な顔になってフォークを置いた。


「まぁそりゃずっとあの部屋でってのは無理だもんな……」

「うん。だからまだ先だけど樹くんにはある程度、妹さんの事を話しておきたいんだ。詳しい事はもちろん伏せるけど」


 いい?と尋ねるリカルドにハインツは首を縦に振った。


「あぁ構わない。その辺は任せる。……つーか任せて悪いな。いろいろ全部」

「そこは悪いじゃなくてありがとうがいいなぁ」

「……お前はまた言いづらい方を」


 誤魔化すようにスープを啜ったハインツに、リカルドは笑顔で耳に手を当てて首を傾げた。


「え? なんて?」

「……」

「前の方が素直だったなぁ〜」

「……」

「感謝の気持ちって大事だと思うんだよなぁ〜」

「………ぁりがとな!」


 煽るリカルドに、ヤケクソのように言って顔を赤くし肉団子にフォークを突き立て食べるハインツ。

 お行儀が悪い事でとにやにやするリカルドに、質が悪い奴めと睨むハインツだが全くもって怖くはなかった。

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