第52話 もうあいつらには関わり合いたくない。心の底から。
泣いて感謝するダグラスにどうにか落ち着いてもらって、そこから今後のことについてリカルドは話を聞いた。
クシュナとナクルは最初の依頼通り残り二週間ほどはこのままリカルドの家で面倒を見てほしい事と、教会に戻った時点で正式に聖女と認定することになると思うと予想を伝えられた。また、場合によっては二週間の期間中に呼び出す事があるかもしれないとも言われ、おそらくグリンモア側から破邪結界を張った聖女が本当にいるのか呼び出される可能性があるからだろうなとリカルドも了承した。本人達、特にクシュナは祭り上げられる可能性が高く、この件について事前に伝えておくべきか確認をとったところダグラスからは今はまだ何も教えないで欲しいとお願いされた。伝えても心構えなんてまだ出来ない年齢だろうから、当日伝えた方が無駄に疲れさせないだろうという思いやりからだったが、果たしてそれがいいのかどうかリカルドにも判断はつかなかった。伝えても伝えなくてもどちらも一長一短あり、どちらが良いのか本人にしかわからない事だからだ。とりあえずクシュナに不利になるような事ではないと思ったのでそれにも了承した。
リカルドの方からは特に最初の報告以上のものはなく、忙しくて面倒が見れないかもしれないという話は出さなかった。ヴァンパイアの件がそこまで緊急性を伴う状況ではなくなった事が大きい。
一つだけ報告ではなくお願いとして言ったのは、ナクルにあげた服をそのまま持たせてやってほしいという事。孤児院のマザーが刺繍したものを取りあげられた経緯も伝えると、ダグラスは「あの者は更生の余地があるのでしょうか」と呟いて頭を振り、ナクルの私物に手を出させない事を約束した。
話すことも話したと教会を出た時には日はしっかり登っていて、リカルドは横を歩くジョルジュに目を向けた。
ジョルジュが教会から戻れなかったのは偏にリカルドを捕縛しようとする動きを抑えるためだったので、それが無くなった今、元の護衛任務に戻れたのだ。
「ジョルジュさん、朝ごはんは食べました?」
「食べる暇があったと思いますか?」
据わった目で平坦に答えるジョルジュに、リカルドは「ですよねー」と笑った。
誰のせいだと……とそれをジロリと見て嘆息するジョルジュ。
「帰ったらごはん食べて、それから一度ゆっくり休んでください」
「ぜひそうさせていただきます」
遠慮なく言うジョルジュがおかしくて、最初の頃の警戒していた姿と比べると変わったよなぁとリカルドは内心にやにやだ。
「クシュナ様とナクル様はどうですか? 変わりありませんか?」
「二人とも元気いっぱいですよ。昨日は新しく物理結界と魔法障壁を覚えて、あ、いやクシュナさんは魔法障壁はまだ難しかったみたいですけど、まぁあと少しで覚えられそうで」
「またあなたはそんな事を……お二人を何にする気ですか。というか、そういう事はダグラス神官にきちんと報告してください、さっき話してなかったですよね?」
「依頼されたのは聖魔法に関してですし、事件に関係しているのは破邪結界の方なので。そっちはおまけというかついでみたいなもんじゃないですか」
「誰がおまけやついでで別系統の魔法をさらっと覚えさせるんですか」
「別系統って程じゃないですよ。魔法障壁はまぁそうかもですけど、物理結界の方は聖魔法使いの方でもそこまで難易度は高くないと思いますから」
「ああ言えばこう言う……どっちも別系統ですから。間違いなく」
頭が痛いと不機嫌そうに目を細めるジョルジュと、そうかなぁ?と首を傾げるリカルド。
「もういいです。お二人が元気であれば言う事は無いです」
「投げやりですねぇ」
「誰がそうさせてると思ってるんですか」
「えー? ——すみません。黙っときます」
「……あなたが魔導士ではなく剣士であれば手合わせ申し込みたいところですよ」
「それは幸いでした」
「黙っているのではなかったのですか」
「ええ? 相槌もダメですか?」
なんてやり取りを家に帰るまで続けている二人。傍目にはかなりの仲良しさんだ。
家に戻った時には樹達はごはんを食べ終えて後片付けをしているところだったのだが、その横で丁々発止の言葉を交わしながら仲良くご飯を食べ始めた二人に、クシュナもナクルも、そして樹もいつの間にこんなに仲良くなったんだろう?と首を傾げていた。
樹とクシュナ、ナクルが外で自主練習を始め、ジョルジュも部屋に戻ったところでリカルドは二階に上がった。
「ただいまシルキー」
〝おかえりなさい〟
部屋の前に佇むシルキーの横に立ち、静かな部屋を見るリカルド。
〝ハインツさんは先ほど起きられましたが食事はとれないようでした〟
「了解。じゃあ交代するから、お茶淹れて貰っていい?」
シルキーは頷いて消え、リカルドはハインツの妹が眠っている部屋の戸を叩き中に入った。
「おはよ」
ベッドの傍らに椅子を移動させて、そこに座ってじっと寝顔を見ていたハインツは顔を上げた。
「まだ魔法掛けてるから起きないよ」
「そうか……」
リカルドの言葉にどこかほっとするような、複雑そうな表情を浮かべるハインツ。
リカルドは小さなテーブルを移動させて、ハインツの向かいに座れるようにもう一つ椅子を作って腰を下ろした。
「……時間が掛かるんだよな」
独り言のような質問のような言葉を呟くハインツに、リカルドはそうだねと頷いた。
「………もっと早く――いや、なんでもない」
飲み込んだハインツの言葉は調べなくてもリカルドにはわかった。
もっと早く助けられたら。もっと早くリカルドのような人物に出会えていたら。
後悔してもどうしようもない気持ちが出て来て仕方がないのだろう。
沈黙が流れるその場にシルキーがやってきて、お茶とココット皿で焼いたケーキのようなものをリカルドとハインツの分それぞれ置いて消えた。
リカルドはいただきますと手を伸ばしてスプーンでココット皿から一掬いして口に運ぶと、カステラに近いなと思った。バターを使わない、ふわふわで卵の味を感じる食べやすいケーキだ。
(これ、ハインツ用に作ったんだろうな)
一緒に置かれた蜂蜜や赤いベリーソースを見て、甘党のハインツが口に運びやすくて、胃にももたれなくて、それでいてカロリーが取れるものを選んだんだろうと思った。
ハインツはテーブルに身体を横に向けたまま、妹の顔を見ている。
「ハインツはずっとこのままだと思ってる?」
妹に向けられていた視線が動きリカルドを捉えた。その目はわからないと言っているようで、頭が働いてないんだろうなとリカルドは思う。
「妹さんは持ち直すよ」
リカルドがそう言うと、ははっと笑おうとして笑い切れずハインツは表情を歪めた。
「そんな預言者みたいな……」
言葉は尻すぼみになり、やがてはーっと長い溜息をついた。
「悪い。駄目だわ。結構参ってるみたいだ。たった一日なのにな」
「ハインツ」
リカルドの呼びかけに伏せた顔を上げたハインツは、いきなり口の中にスプーンを突っ込まれて固まった。
とりあえず口の中に入ってきたふわふわの焼き菓子を飲み込むハインツ。
「自分で食べないなら俺が食べさせるけどどうする?」
「……食べる」
仏頂面になってスプーンをリカルドから受け取り、ハインツはのろのろと食べ始めた。その様子に、だいぶ周りに向ける気力を失ってるなと観察するリカルド。いつものハインツならなんでそんな無理矢理な事をするのか察する事ぐらい出来るだろうし、それ対して軽快に笑いで返してくる。
「これさ、たぶんバター使ってないから軽いんだよ。蜂蜜かけたりこっちのソース掛けるとまた味が変わって美味しいよ」
リカルドは億劫そうなハインツを気にせずほらほらと勧めて食べさせ、ついでに自分も味わって幸せの補給をした。このあたりはさすがの精神耐性である。
最後にお茶をいただいてほのぼのしているリカルドに、なんだか気が抜けるハインツ。
このまま妹とずっと会話が出来ない状態が続いたら、妹の精神が戻らなかったらと考えると目の前が真っ暗になるような気がして足が竦んでいたのに、リカルドがそこに何でもない様子でいるだけで道がちゃんと続いているような気がしてきて、なんでか涙が出そうだった。こんなに自分は弱かっただろうかと情けなくなって、ただ無言で菓子を口に運んだ。
リカルドは黙々と菓子を食べるハインツにそれ以上何か言う事はせず、おやつを食べ終わるのを確認して部屋を出た。そこで眠りの魔法を解いたのだが、その日もまた昨日の焼き直しのような状況が続くばかりであった。
小休止のように二人ともを眠らせて、その間に樹やクシュナ達の指導をして、余裕があれば占いの館を開いてという日常が数日続き、その間に教会が
世間は教会が封印廟というものを抱えている事を知らなかったため、そんな事をしでかした神官に怒りを向けるよりも、再びそのような事件が起きるのではないかという不安に襲われる者が多かった。だが、復調した
ギルドも教会の発表があってからは警戒態勢を解き、そのおかげでラドバウト達を始めとする冒険者の移動制限が解除された。ハインツを気にしたラドバウトがリカルドの家に来ることがあったので、外で待ち合わせしてハインツの気分転換に付き合ってもらったりもした。ただ、それでも日が経つにつれてハインツの余裕は無くなっていったが。
段々と内に押さえていた感情の抑制が効かなくなって、リカルドに対しても弱音を吐くようになった。次の段階に入ると周りに八つ当たりするようになる事が予想され、そうなったらラドバウトに会わせるのは難しくなるかもなぁとリカルドは考えていた。そんな事をラドバウトにやってたら後々復帰したときにめちゃくちゃ恥ずかしいだろうし、こじれたらしんどいだろうなと。
そんな日々の中、占いの館を終えていつものようにハインツとその妹の様子を確認しに二階へと上がろうとしていたリカルドは、通信の魔道具が震えている事に気づいた。
自分の部屋移動してそれに応答すればもちろんラドバウトだったのだが、その声は切羽詰まっていた。
『リカルド、あの占い師と連絡取れるか? 取れるならすぐに取ってほしい』
「なに、急にどうしたの?」
『ルゼが天使族に連れていかれた』
「………は?」
一瞬、言葉の意味が頭に入って来なくて間の抜けた声が出た。
『さっき男の天使族が現れて――わかってるちょっと待て! 一番助けになりそうな奴に声かけてる! とにかく止血して回復薬掛けろ!』
魔道具の向こうから怒鳴り声が聞こえて、思わず時を止めるリカルド。
何が起きてるんだと
人間領へとそう被害を出す事はないだろうと踏んでいた天使族とヴァンパイアの抗争だが、実際人間領への被害はほぼ出ていない状況なのだが、一点誤算があった。
天使族が、ヴァンパイアたちが自分達に狙いを定めた理由を知ったのだ。
始祖の支配を解く事が出来る血が天使族にあるかもしれない。
そんな事を知った天使族が、何それ面白そう!とそれに興味を持って、ヴァンパイアを捕まえては自分達の血を飲ませたり、もいだ四肢を天使族のものと交換してみたり、臓腑を交換したりと思いつく限りの実験を繰り返していたのだ。血がダメなら肉か?と安直な発想で。
だが支配から外れるというような結果には至らず、もしかすると特殊な個体では?という思いつきから、過去他種族と交わった者達に焦点が移り、その最初の個体として思い出されたのがルゼだった。
ルゼは元族長の天使族と
叩き潰されたメンバーの中にはハインツの穴を埋めるために戻ってきていたザックや、
ハインツとその妹の対応をしていた時は全く痛まなかった胃が痛み(妄想)、内心冷や汗が止まらないリカルド。
「ラド、すぐに行かせる」
返答を待たず魔道具を切ってグリンモア版リカルドになり、いつもの狐のお面をつけて
血の匂いに口を押さえそうになるリカルドだが、ぐっと我慢して駆け寄ってきたラドバウトに手を上げ、何も言わず肩から消し飛ばされたザックの右腕と、膝から下をもがれたレオンの足を戻した。
「すまん、助かった」
「いえ。気になさらず」
言葉少なに(罪悪感いっぱいで何も言えない)返すリカルドは、そのまま壊れた建物も修復した。
「あの少年を取り戻してきます」
「あ――」
何か言おうとしたラドバウトだったが、リカルドはもうすんませんという気持ちだけで転移しており、一旦適当に移動したところで天使族へと姿を変えた。
ここで人の姿のままルゼを奪い返したら今度は天使族が人間に目を向けてしまう。もう本当に泥沼化必死の事態になってしまうのでそれは避けねばならなかった。
攫われたルゼだが、もちろん無抵抗で攫われたわけではなく、抵抗をしていた。
その結果こっちも手足を折られた状態で天使族の拠点である浮島へと運び込まれていた。グリンモアと浮島とは距離があるのだが、天使族の飛行速度が馬鹿みたいに早いので僅か四半刻の間でそこまで戻っていたのだ。手足を折られたまま運ばれたルゼはもうそれだけで瀕死である。天使族に獲物の状態を気にするという繊細な心遣いは求められないのだが、それでもリカルドは思った。ちょっとは気にしてくれ!と。
浮島に転移したリカルドは、殺風景な広場の真ん中で、手足の無いヴァンパイアの頭を掴んでルゼに噛みつかせようとしている天使族の腕を反射的に蹴り飛ばした。
勢いあまって天使族の腕がヴァンパイアごと爆散したが、蹴られた方の天使族はすぐに腕を生やした。ちなみにヴァンパイアの方は下級だったのでそのまま消滅している。
リカルドはそのまま地面に転がされていたルゼを抱えて転移しようとして、そこら中に臓物やら手やら足やらが散乱している(人体実験現場)事に気づき、凍りついた。
周りの天使族は見覚えのない天使族の姿に俄かにざわつき、と同時に戦った事のない相手だと認識した。その瞬間ルゼの存在を綺麗さっぱり忘れて
反射的にリカルドは魔法障壁を張ったが、結界の外は落雷に似た轟音と共に白く染まって何も見えなくなる。だがそれよりも心臓(無い)にクる光景とむせかえる生々しい匂いに精神がやられていて、片手でルゼを抱えたままもう片手で口を押さえ、情けなくえづいていた。
(……むり、これむり)
ルゼが連れて行かれた現場がまさか人体実験現場だとは思っていなかったリカルド。少し考えればわかりそうなものなのだが、焦っていて考えていなかったため、心構えなしに遭遇してクリーンヒットしていた。
だがいつまでもえづいているわけにもいかない。というか、そもそも嘔吐を引き起こす胃の痙攣なんて胃が無いので起こる筈もない。完全に妄想の産物に振り回されているリカルドであるが、どうにか魔法障壁に合わせて物理結界を張って場の安全を確保しルゼを癒した。目を覚まされるとまた面倒な事になるのでそのまま眠っていてもらって、問題はこの後である。
一瞬のうちにルゼを奪取して転移して逃げればはっきりと姿を見られる事なく逃走可能だったのだが、それが出来なくなってしまった。
どうすりゃいいんですかと時を止めて
全ての天使族を叩き潰す。
唯一の解決策が力で叩き伏せ、族長(他種族のくせに)になるというものだった。
魂が抜けかける(本体が霊体なので抜けるものがないが)リカルド。
クロを生体操作したところから始まって、なんだか随分遠くへ来てしまったとえづく合間に遠い目をして旅人感を醸し出しているが、全て自業自得である。
もうやだ、全部破壊してしまっていいかしら?と
はぁとため息を一つついて、ついでにえづいて、リカルドは一番面倒が少なそうなルートを確認して時を戻した。
そして今まで抑えて使っていた魔力を全開にしてその場一帯に重力魔法を解き放つ。
唯一ルゼを抱えたリカルドだけが白い羽を広げてその光景を睥睨している姿は異様であり、その場を支配する女王のようでもあった(中身は必死で吐き気を堪えている
羽が折れ、内臓にダメージを受けながら這いつくばるようにして見上げる天使族達はその瞬間、事実上族長の変更が起きた事を悟った。
「雑魚どもが……私に挑戦したくば、せめてそこの蝙蝠どもを根絶やしにしてきなさい。その程度の事、出来るわよね?」
綺麗な女性の顔を侮蔑に染め冷たい声で吐き捨てたリカルドに、天使族達はゾクゾクとした喜悦を覚えた。身体中に受ける圧迫も痛みも血が流れ出る感覚すら全てが快感に塗り替えられ、目指すべき強者の言葉に全身が震える。
要は圧倒的な強さの相手に出会って男も女も老いも若きも戦闘意欲を掻き立てられて大興奮という事だ。
リカルドはその陶酔したような、あるいは乙女のようなうっとりした数多の視線に晒されて何なのこいつらと鳥肌(妄想)ものである。
(Mなの?天使族は戦闘狂でかつMなの?)
誰が得するんだよそんな属性!と、やる事やったリカルドは重力魔法を解くと共にその場から転移で消えた。逃げたとも言う。
途中、グリンモア版リカルドに姿を変えてから、
血ぐらいならリカルドだってどうにか耐える自信はあった。だが人体の破片がそこらじゅうにあったのが完全にアウトだったのだ。まだあれが魔物だとか動物だとかであれば耐えられたかもしれないが、人型だったのが決定的だった。魂に刻まれた生理的反応(死んでるが)で、根性ではどうにもならないレベルだった。
ひとしきりエアー嘔吐を繰り返したリカルドはその場に座り込み、そのままパタンと倒れた。異世界に来てから一番の重症だった。
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