第51話 あっちもこっちも忙しい

 眠らせている間にやれる事をやっておこうと、リカルドは二階の空き部屋をハインツが使えるように準備し、二階で生活が完結できるように足りないものを追加した。さすがに樹やクシュナ、ナクルと顔を合わせる余裕はないだろうとの配慮だ。


 作業を終えて階段を降りたところで、廊下の窓から庭で何故かウリドールと戯れているクシュナとナクルの姿が目に入り、思わず何やってんだあいつと窓枠に手をかけて足を止めるリカルド。

 庭に咲いている雑草の花を摘んでウリドールに見せるナクルと、それを見て何やら偉そうに蘊蓄を語っているウリドール。それをクシュナも一緒になって聞いているのだが、なんとも平和な光景だった。


(……指導できないかもしれないってのは、まだ不確定だから言わなくてもいいか)


 教会の方もまだ落ち着かないどころか、これからさらに騒がしくなる。ここの暮らしのように物理的にも精神的にものんびりする事は出来ないかもしれないと考えると、なるべくならこのまま期間一杯まで面倒を見たいなとそんな風に思うリカルド。


「あ、リカルドさん」


 ぼんやり物思いに耽っていると、樹の声がしてリカルドは我に返った。

 駆け寄ってくる樹に、消えていた微笑みを戻してどうしたの?と尋ねた。


「ハインツさんが忙しい間、魔法の練習してようと思うんですけど、また見てもらっていいですか?」

「もちろん。そろそろ身体強化も教えようと思ってたからちょうどいいよ。今日はたぶんクシュナさんとナクルくんに付きっきりになるだろうから、明日からでいいかな?」

「はい。あの、身体強化って力が強くなるやつですか?」

「力が強くなるだけっていうのも出来るけど、付随してスピードも速くなったり肉体の強度も高くなるよ」


 ゲーム的な身体強化を思い浮かべたらしい樹に、STRだけ高くするものじゃない事を伝えると、なるほどと樹は納得した。


「俺、結構力あると思ってたからなんでだろうと思いましたけど、防御力も高めるんですね」


 やはりゲーム的な解釈の仕方にリカルドは笑って頷いた。


「そこが強いと安全が高まるでしょ?」

「ですね」


 樹はリカルドが見ていた窓の外に目を向けて、二人がウリドールと遊んでいるのに気づいた。


「ウリドールさんってすごく人懐っこいですよね」

「だねぇ……」

「この間もセイジュ?とかいう木の新芽を使ったお守りくれましたよ」

「ふー……ん? なにそれ聞いてないんだけど?!」


 呑気に聞いていたリカルドはぎょっとして樹を見た。微笑みが剥がれて真顔になってしまっているが、ちょいちょいそういうところを見かけている樹はもう慣れたものだ。「そうだったんですか?」と言いながら首元から何やら麻っぽい布で作られた小さな袋を取り出した。


「これですけど」


 手渡されたそれを鑑定したリカルドは、お守りというより安眠効果のある匂い袋だという事がわかって肩の力を抜いた。

 ただ効果自体はその程度だが、中身の乾燥した聖樹の葉でも薬に使う事ができるので、お値段にすると推して知るべしな代物ではある。


「よく眠れる効果があるみたい。持ってるとリラックス出来ると思うよ。ただ、聖樹の事は外で言わないようにね。聖樹って入手困難な貴重な木の事だから」


 樹にそれを返しながら話すリカルド。あいつ勝手に何やってるんだよと思ったが、その効果からして樹を心配してのものだというのがわかるので、怒るに怒れない。だが注意はしようと思った。知らない人間になんてものを持たせるのだと。超希少素材で作っている腕輪の事が頭から抜けているリカルド。完全にお前が言うなである。


 樹の方はそこまで貴重なものだとは思ってなかったので、返されてちょっとどうしようかと思った。だけど外でクシュナに葉っぱの冠を作っているウリドールを見て、ウリドール的には特別なものじゃないんだろうなと思い、これまで通り普通に持ってようと首から下げて服の下にしまった。


「あ、そうだ。これから俺、ちょくちょく姿が見えない事があるかもしれないけど気にしないで。ちょっと用事が立て込んでてそれを済ませてるだけだから」

「忙しいんですか?」

「ちょっとだけね」

「わかりました。俺の魔法は忙しくない時で大丈夫なので」

「駄目。必要な事だからちゃんとやるよ」

「あ、はい」


 すぐに遠慮するからなぁとリカルドは笑い、いいのかな?という生真面目な顔の樹の肩をポンポンと叩いた。



 リカルドは昼食を取った後は朝に言っていた通り二人の結界の確認を行った。

 クシュナは現時点で普通に現役の聖女と同等の範囲を聖結界で覆える事がわかり、ナクルの方もそれには及ばないがある程度の範囲をカバー出来る事が確認出来た。そして破邪結界については、クシュナはコツを掴んだのかリカルドの補助なしに自力で維持する事が可能となっていた。ナクルも小規模の破邪結界を展開するところまで出来たので、この時点で二人ともグリンモアに所属している聖女の中で最も高位の魔法を使える聖女となった。もはや見習いというレベルではない。

 とても優秀ですよと褒めたリカルドに二人は顔を見合わせてえへへと笑い合った。


「これから先はさらに範囲を広げる事と、破邪結界については耐久性を上げる事、あとはもしもの時に他の魔法を覚える事ですかね」

「他の魔法?」


 今後の方針を告げるリカルドにクシュナが首を傾げると、リカルドは頷いた。


「破邪結界を初めて使った時、破られそうな感覚がありませんでしたか?」


 リカルドの問いに、あ。と口に手を当てるクシュナ。


「ありました。ドンってすごいのがきて途切れそうになって、リカルドさんが助けてくれたんですよね、あれ」

「私がやったのはサポートだけですけどね。

 あの時、物理結界を併用して使えたらかなり楽だったんですよ。あの手の魔物は衝撃をそちらで殺せば破邪結界の方の消耗を押さえられますから」


 へーと揃って同じ声を出すクシュナとナクルに、リカルドは笑った。


「物理結界は聖魔法の使い手でもそこまで抵抗なく使えると思いますから、二人もすぐに使えるようになります。なんなら今やってみます?」

「えっ? あ、はい! やってみたいです!」


 はい!と手を上げてアピールするクシュナに、僕も!とナクルも手を上げた。


「じゃあナクルくんから」


 ナクルの視線に合わせてその場にしゃがみ、片手をナクルの小さな手のひらと合わせる。


「基本的には聖結界と同じです。ちょっと質が違うんですけど……ナクルくん、この感覚わかる?」


 言いながら手のひらを中心として自分とナクルの周りに物理結界をゆっくりと張って見せるリカルド。じっと集中してそれを感じていたナクルは頷いた。


「うん、わかるよ。えっと」


 真似が上手かったナクルはすぐにリカルドのやっている事を感知して同じように魔力の質を少しだけ変えた。リカルドはすかさず誘導して物理結界を張った。


「これが物理結界。ね? 似てるでしょ?」

「うん。これ触れるんだね」


 自分が張った結界を触って不思議そうに言うナクルにリカルドは微笑んだ。

 物理結界は触れれて、魔法障壁は触れない。破邪結界は魔物は触れるけど人は触れない(正しくは発動した人物が定めるものを阻んでいる)。同じようなものでもその性質は違うから、今まで聖結界だけを練習してきたナクルには余計に不思議に映ったのだろう。


「物理結界の特徴だからね。物質として存在しているものを阻むのがその効果だから、逆に魔法だとかエネルギー体みたいなものは素通りしちゃうよ」

「そっちはどうするの?」

「魔法障壁っていうのがあるんだ。やってみたい?」

「うん!」

「まってナクル君、置いてかないで! 次私だから!」


 あっさり成功させたナクルに焦って割って入ろうとして物理結界にぶつかりへばりつくクシュナ。その様子が必死過ぎてナクルは笑ってしまい、リカルドも微笑みの下で笑ってしまった。


「ナクル君酷い! 待ってたのに!」

「だってお姉ちゃん……それはちょっと」

「……ねぇ?」


 物理結界を消して息もぴったりに笑う二人にクシュナは頬を膨らませたが、余計におかしいだけだった。

 ご機嫌斜めの顔をしてむくれるクシュナにリカルドは謝り、それではどうぞと遠い過去、高校の文化祭でやった執事喫茶の真似事で恭しく手を差し出すと、クシュナはポンと顔を赤くしておずおずとそこに手を乗せた。こっちも相変わらずチョロいヒロインである。


 練習はおやつ時まで続いたが、ナクルは物理結界と魔法障壁を習得して、クシュナはなんとか物理結界は習得したが、相性の悪い魔法障壁はあともう少しというところまでで止まった。

 悔しがるクシュナだったが、日々やっている練習を続ければ必ず出来るとリカルドに言われると、実際これまでの自分だったら絶対に出来なかっただろうと思ってやる気一杯に頷いた。


 それからリカルドはシルキーとバトンタッチして、シルキーがおやつや夕食の準備をしている間、二階の客室で眠り続ける女性の横に座り様子を見守っていた。眠らせている状態なので目覚める事はないのだが、体調に変化が出ないか見守るというのと、天使族の攻撃がどの時点で始まるのかを人目を気にせず確認するためだ。時を止めればいつでもどこでも確認は出来るのだが、そう何度もやっていると時を止めるのを忘れそうになりそうで、うっかりパーンとかしたらしゃれにならないと思っての保険だ。


〝リカルド様、来られました〟


 魔力で作りだした椅子に座っていたリカルドはシルキーの声に窓の外を見た。まだ日が落ち切っておらず、この季節の時刻としても夕刻と言うには早い。

 ラドバウトが頑張ってくれたんだろうと立ち上がり、リカルド玄関の外へと転移した。


「リカルドっ」


 焦った顔のハインツは、その場に現れたリカルドに掴みかかるようにその腕を取った。

 リカルドはその手を逆に取って、ぺしんとハインツのおでこを叩いた。


「焦り過ぎ。まずはその見た目をなんとかするぞ。お前の部屋に飛ぶけどいいよな?」


 ほとんど確定事項として聞くリカルドに、ハインツは「う、あ、おう」とどもって頷いた。

 言われてハインツは気づいたが、髭を剃っていないし服も変えていない。一週間戦場に缶詰になっていた時よりはマシだが、普通に不衛生だった。それに、そんな破落戸のような見た目で会ったら悪い記憶を刺激しかねない。

 一瞬で部屋へと飛んだリカルドはハインツに清潔の魔法を掛けて髭を剃れと言い、言われる通り剃ろうとして手元が狂って顔を切っているハインツの背を見つめた。


「下手な事を言って上げて落としたくないから正直に言うぞ」

「………おう」


 少し曇った鏡の前で、リカルドと視線を合わさずハインツは血を拭いて手を動かし続けた。


「妹さんは目を覚ましたら自殺しようとする可能性が高い。それとお前を見て兄だと気づけば……気づいてもらわなきゃならないが、そうなったら敵意を向けられる事が考えられる」

「……………あぁ」

「落ち着くまで長期戦になる」

「……あぁ」


 わかってる。と、その背で語るハインツに、リカルドは口を開き――いろいろ出かけていた言葉を飲み込み、前もって用意していた一言だけを掛けた。


「どこまでも付き合うからな」


 ハインツは手を止めて振り向いた。


「……お前、変な奴だよな」

「……お前な……俺結構いいこと言ったと思うんだけど?」


 ふっとハインツは笑って再び鏡に顔を向けて手早く髭を剃っていった。


「心配しなくても、俺だって考えてるさ。罵倒されても手を上げられてもしょうがないって思って――」

「それは違う」


 笑って言ったハインツは、予想以上に強い言葉で遮ったリカルドを鏡越しに見た。


「俺はハインツがそうされてしょうがない存在だとは思わない。ただ、今はそうしないと妹さんが耐えられないから見逃すだけだ」


 ふざけた様子が一切ない真面目なリカルドの様子に、ハインツは顔を伏せてその視線から逃げた。いつもならしれっと笑いで返せるのに、今は自分を思ってくれる言葉が弱いところに響いて、やばかった。


「お前どこまで見透かしてるんだよ……ちょっと怖いぞ?」


 軽く言おうとするハインツに、リカルドは合わせるように笑みを浮かべた。


「実は俺、何でも見通せる力を持ってるんだ」

「なんだよそれ」


 真実冗談を言うリカルドに、ふはっと笑い、ハインツは髭を剃り終えて向き直った。


「これでいいか?」


 リカルドは男前のハインツの顔に手を伸ばして、小さな傷を治すと頷いた。


「行くぞ」


 無言でハインツも頷いて、リカルドが差し出した手を取った。

 一瞬でリカルドの家の二階へと移り、ハインツは二週間前に見た部屋のドアを見つめた。


「今は俺が眠らせてる。魔法を解けば目は覚めるがまず間違いなく暴れると思う。無理だと思ったら声を上げてくれ。眠らせるから」

「わかった」


 ハインツはドアノブに手をかけると、そっと部屋の中へと入っていった。

 リカルドはその場に立ったまま上を見上げた。神に祈るなんて事、受験の時ぐらいしかやったことがないが、今はその時以上に祈りたい気分だった。


 魔法を解いて数分すると女性の悲鳴が聞こえて、ハインツが怯えさせないようにゆっくりと話しかける優しい声が聞こえた。

 それでも暴れるような音が聞こえ、宥める声が続いて、それが収まる事は無かった。ハインツの事を時々兄だと認識しているような瞬間もあれば、見知らぬ男に怯え逃げるような叫び声も聞こえ、錯乱の度合いの酷さを物語っていた。 

 そんな中、途中からハインツはずっと唄を唄っていた。単調でゆったりとした、リカルドは聞いた事がない曲だが、おそらく子守唄と思われる唄を。

 二人の記憶にある思い出の唄だろうなと思いながら、それでも静まる気配のないドアの向こうに、そんな物語みたいにうまくいかないか……と目を閉じた。


 ハインツは音を上げる事は無かったが、途中でリカルドがストップをかけた。ハインツの精神的負担もだが、ハインツの妹の疲労の方が酷いので実質ドクターストップだ。

 音を上げなかったハインツの方も夕食が喉を通らない様子だったので、精神安定剤安らぎの雫を入れたお茶を無理矢理飲ませてそのままこちらも眠らせた。今は考えても神経を使うだけで碌な事にはならないという判断からだ。


「……やっぱ堪えるよな。だけど頑張ってくれよ」


 眠らせたハインツに布団をかけて、リカルドは下に降りた。もう夜が遅く樹もクシュナもナクルも寝ている。


〝リカルド様、何か食べられますか?〟

「ううん。ちょっと出掛けてくるから。シルキーはハインツと妹さんを見ててくれる? 二人とも起きないとは思うけど」

〝わかりました〟

「樹くん達は何か言ってた?」

〝所用があるとイツキさんがお話されていたのでお二人とも特に心配されている様子はありませんでしたよ〟

「そっか」


 それなら良かったとほっとして、じゃあ行ってくるねとリカルドは南へと転移した。


 場所は魔族と人間の戦場跡と思われる煤けた森の中。

 焦げた地面と焼け残ったと思われる炭化した木とそれにまぎれるように生え始めたまだ若い木々の中で、リカルドは声を掛けた。


「クロ」

「ここに」


 リカルドは闇に紛れて現れたクロの頭に手を置き、そのまま魔力を送った。視線は手元ではなく空に向けられており、その空は月夜であったとしても異様に明るく、そして騒がしかった。

 天使族が仕掛けたのだ。ヴァンパイアの支配地域である北西部の魔族領へと入り込み、気づいたヴァンパイアが反撃にここまで来て、その輝く白い翼を毟るため空中戦を開始している。ただし、戦闘状況から見てもまだまだ前哨戦でこれからさらに激化していく。

 幸いにも場所は人間領と魔族領の間。人が住んでいるポイントもあるが、浮島は南西に向かってゆっくりと移動しているので、このままいけば被害無く終わる。いくつも見た未来の中ではいい方の結果だった。


「今のところ人間領に大きな被害が出る予測は無いが、その兆候があれば教えてくれ」

「お心のままに。一つ申し上げるならば先ほどのような魔力の供給は趣がないと言いますか」

「無駄口叩いてないで行け」


 クロは不機嫌に言ったリカルドに小さく笑って姿を消した。

 相変わらずクロを御せてない感がしてならないリカルド。釈然としない気分で白と赤黒い魔力の光が踊る空に背を向けて早々に家へと戻った。


 翌日、寝る事なくちょっと機織りじみた事(ナクルのための生地作成)をしながらついでにハインツの妹の様子を見ていたリカルド。朝になってシルキーとバトンタッチしていつものように朝市に出かけて顔なじみのおばちゃんやおっちゃんに挨拶をして、イツキはいい子だねとお褒めいただいたりして帰ってくると、玄関で待ち構えているジョルジュを見つけた。

 ジョルジュが家の戸を叩く前にシルキーが気づいて招き入れようとしたのだが、リカルドが不在な事を知ってそのままそこで待っていたのだ。


「おはようございます」

「神官長の時間が取れたので迎えに来ました」

「……え。今から?」

「時間がとにかく取れないんです。こっちは寝てないんですよ」


 若干イラついたような声音で促すジョルジュに、お疲れだなぁと頭を掻いてリカルドは買い物かごを持ち上げた。


「せめてこれ置いてきていいですか? あと樹くんに事情を言っておかないとクシュナさんもナクルくんも心配すると思うので」

「……早くしてください」


 はいはい、とリカルドは玄関を開けて台所にそのまま買い物かごを置いて樹の部屋を叩いた。


「樹くん、起きてる?」


 ドアはすぐに開いて、寝巻姿の樹が姿を現した。


「おはようございます、どうしたんです?」


 いつもは起こすなんて事をしないリカルドに首を傾げる樹に、リカルドは教会に行ってくる事を伝えた。心配させてもあれなので、クシュナとナクルの指導状況の定期報告のようなものだと誤魔化してだ。


「わかりました。二人にもそう伝えておきます」

「ありがと。お願いね」

「はい」


 じゃあ行ってくるとリカルドは玄関に戻り、寝不足で荒みかけているジョルジュと共に教会へと足を運んだ。

 正面ではなく裏門から中へと入ると、早朝にも関わらずジョルジュと同じように目つきがやや悪い教会騎士や、顔色の悪い神官達がばたばたと行きかっていた。

 そんな中、いつだったか来た時に通された応接室のようなところにやってきた。


「ここで待っていてください」


 ジョルジュに置いて行かれて、リカルドは椅子に腰掛けふーと力を抜いた。

 肉体疲労は無いが、単純にシルキーのおやつ成分不足であった。昨日帰った時に貰えばよかったなと後悔するリカルド。忙しくなってナクルとクシュナの相手が出来なくなったら教会に戻そうと思っていたので、その前に布地を作ってシルキーに服を用意してもらいたくて急いでいたのだ。急いだ甲斐があって十分な布地は作れたが、リカルドの気力の残機はかなり減っていた。

 

 ぼーっとしていると程なくして外が騒がしくなって、バンとドアが勢いよく開いた。気を抜いていたリカルドがびくっとして見れば、肩で息をしているダグラスだった。


「失礼っ……っはぁ、はぁ」

「だ、大丈夫ですか?」


 腰を浮かして思わず崩れ落ちそうなダグラスを支えるリカルドにダグラスは息が整わないまま大丈夫ですと手で制した。が、全然大丈夫じゃない。足ががくがくしている。


「ニー、ヂェズの件、ですが……」

「あの、落ち着いてからでいいですよ」


 心配になって椅子に座らせるリカルドに、すみませんと頭を下げるダグラス。何度もはーはーと息をして、なんとか整えた。


「申し訳ない。七首鎌竜ニーヂェズの件ですが、ジョルジュに警告を送ってくださったのは、あの方から聞いていたからですか?」

「あの方?」

「クレイモンド伯爵から聞きました。占い師の方と貴方が知り合いだと」


 あぁ、グリンモア版リカルドの事ねと理解するリカルド。

 元々神官長に封印廟の話はそこから聞いたと言うつもりだったので、軽く肯定した。


「ええ、はい。対策を教会でもとった方がいいだろうと思って言伝たのですが、警戒させてしまって申し訳ない事をしました」

「とんでもない、助かりました。占い師の方にもその後、多大なる助力をいただきました。途中で私は眠ってしまってお礼すら言えていないのですが」

「気にしてないと思いますよ。あ、ただ料金はいずれいただきに行くかもしれませんが」

「料金……」

「占いは一度で300クルです。伯爵から聞いていませんか?」

「300………」


 神柱ラプタスを治してもらって、神官長を止めてもらったのが300?となるダグラスと、これ話聞いてなかったんだなと笑うリカルド。


「一律料金は300の筈ですよ」

「それは……それでいいのですか?」

「問題があれば言っていると思いますよ」

「………そう、ですか」


 依頼内容とその対価が釣り合っていなくてダグラスは困惑した。


「ええと……料金の件はまた後日先方に改めてお話しさせていただくとして、今回はうちの騎士達が手荒な事をして申し訳ありませんでした」

「いいえ。私も配慮が足りませんでした」


 そもそもジョルジュが邪魔だったから遠ざけるためにその場の勢いで言ったのが原因だ。教会の者でも限られた者しか知らない情報をいきなり出せば驚かせるし、警戒されるのは当然だと言えば当然の事で、リカルドの自業自得という部分もある。

 互いに頭を下げていえいえこちらこそ申し訳ありませんでしたと謝りあって、なんだかそこが日本のような錯覚を覚えて内心リカルドはおかしくなった。


「この件は神柱ラプタスにも事情を話して収めますので、今後はご迷惑をお掛けする事はないかと思います」

「そうですか。あの、一応彼はひっそり占いをやっていますので、私と知り合いという事はなるべく伏せていていただけませんか?」

「はい、もちろん不必要に口外するつもりはありません。神柱ラプタスと神官長には話さなければなりませんが、それ以外には黙っています」

「助かります」

「いいえ、助けていただいたのはこちらです。何にも代えられない事をして頂きましたから」


 本当に。と吐息と一緒に呟くダグラス。

 ダグラスが目を覚ましたのは実はついさっきで、それを知ったジョルジュが急いで知らせたからこそ、とるものもとりあえずエヒャルト神官長を止めて来る事が出来たのだ。

 恩人に繋がる人物を武力を持って脅したと聞いた時には気が遠くなったが、すぐに切り替えて走れたのはエヒャルト神官長の暴走に付き合わされてきた経験があったからだ。いやな経験だが、人間土壇場で動けるかどうかは潜った修羅場の数がものをいったりする。


「そういえば預けている二人は元気にやっていますか?」


 謝罪が出来てほっとしたところで切り出したダグラスに、リカルドは微笑んだ。聖魔法の習得具合ではなく一番に身体のことを尋ねる辺りに人柄を感じた。


「二人とも元気にやっていますよ。クシュナさんは聖女と遜色ないレベルですしナクルくんもそれに近いです」


 口にはしないが気になっているであろう進捗具合を報告すれば、ダグラスは一瞬驚いたような顔をしてから、どこか安堵したように肩の力を抜いた。


「今回の事で教会には逆風が吹くでしょうから、支えになってくれそうな存在は正直に言ってありがたいです」


 聖女は人の心を集めるパンダ的な役割もあるもんなと、現実的な事を考えるリカルド。


「そういう意味ではクシュナさんは救世主かもしれないですね。破邪結界で七首鎌竜ニーヂェズが王都に侵入しようとするのを防ぎましたから」

「………は?」


 目を点にしたダグラスに、あれ?と首を傾げるリカルド。


「聞いてませんか? てっきりギルドから連絡がいっているのかと思っていたんですが」

「いえ、聖結界が正常だったのかの問い合わせはあったと思いますが……」


 え?いや、どうだった?と、記憶をさぐるダグラス。エヒャルト神官長が全部公表するとブチギレているのをなんとか宥めようと必死になっていたので、どうにも記憶が曖昧だった。聞いたかもしれないが、破邪結界を使える聖女はグリンモアに所属していないので見間違えか何かかと判断して聞き流した可能性もあると考えたところで、それよりも本当に破邪結界をクシュナが使えたのかの確認が先だと思考を戻した。


「クシュナが本当に破邪結界を?」

「はい。昨日ナクルくんもやってみたら習得出来ましたよ。クシュナさんと比べるとまだ強度は弱いですし範囲もそう大きくないですが」


 まるでりんごの皮むきさせたら出来ました。みたいに軽く言うリカルドに、大いに違和感を覚えるダグラスだったが、確認すべき事を優先した。


「ナクルも破邪結界が使えるのですか?」

「発動しましたから。これからもう少し精度を上げれば実用に耐え得ると思いますよ」

「………リカルド殿」

「はい」


 ダグラスは身を乗り出すとリカルドの手を握った。


「ありがとうございます、心から感謝いたしますっ……」


 ちょっと涙ぐみながら感謝されたリカルドだが、脳裏に何故か『秘められし薔薇の想い』のワンシーンが蘇って微妙な気持ちになっていた。ダグラスにそんなつもりが無いのは百も承知なのだが、至近距離で男同士で手を握っていて、しかも片方が涙目というのが情景的に重なったのだ。

 

「いえ、全然、依頼をこなしただけですから」


 するりと手を引っこ抜いて微笑み固定で愛想を保ち、ダグラス神官に申し訳ないと内心己の記憶に殺意を覚えるリカルドだった。

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