第48話 朝っぱらからの訪問者

「あー……つかれた………」


 階段を登って居間のソファにぼすっと腰を下ろし、そのままごろんと横になるリカルド。

 まだ日は出てないものの、完全に外は明るくなっている。あの後王太子には何故か相談という名の惚気話を聞かされてライフ(心の)をがっつり削られた。王太子曰く気兼ねなく話せる相手がいないという事なのだが、それを占いの館でぶちまけていくのは本当にやめて欲しいと切に願うリカルドだった。


〝お疲れ様です。今日は随分と長くされていたのですね〟

「最初のお客さんで時間が掛かってね……次のお客もなんていうか、暇人じゃないだろうにしゃべり倒していってさ……」


 テーブルに桃に似た果物グローサのコンポートを添えたヨーグルト、それからクラッカーに近い塩味のクッキーが別で置かれ、最後に果物の香りのする紅茶を出されると死に体と化していた(化すも何も本物の死に体のようなものだが)リカルドは即座に復活した。


「これ、この辺では見かけないって買ってきたあの果物?」

〝はい。火を通すと甘味が強くなるのと、煮ても形崩れしないのでこうやって食べる事が多いんです〟

「そうなんだ。いただきます」


 早速手を合わせていただくと、味は桃、食感は梨のようなしゃりしゃり感があった。


「おお……これはまた不思議な」


 頭の中が梨を食べてるのか桃を食べてるのか混乱するが、どんどん手が出る美味しさには違いなかった。


〝今日のおやつにこれでタルトを焼く予定なのですけど、そうするとまた少し食感が変わるので楽しみにしていてください〟

「変わるの? へー面白そう、楽しみにしてる」


 合間に塩味のクッキーを挟むとまた果物の甘みが強調されてうまいなと思いながら頷くリカルド。

 問題を片付けた後のおやつは格別で、食べ終える頃には満足して再びソファにごろーんとなっていた。これぞ至福の時……とご満悦のリカルドだ。すっかり惚気話による消耗から復活している。


 そろそろ朝市に出かける頃合だが、後もう5分とだらける姿は、人であった頃ならば確実にそのまま熟睡コースだ。

 生憎と眠るという事がないので、また何か面白そうな果物があれば買おっかなーとぼんやりしていると、小鳥型の魔道具が窓の外で鳴いた。

 ひょいとキッチンから顔を覗かせたシルキーに「お客だね」と頷いて、こんな朝っぱらから誰かねぇと身体を伸ばしながら玄関に行くと、ちょうどノッカーが鳴らされた。


「はいはい、どなたですか」


 朝が早過ぎでしょうよとドアを開けたら、良かった!と言う顔のラドバウトとハインツが並んでいて、きょとんとするリカルド。


「あれ? 二人ともギルドに詰めてなくていいの?」


 もう七首鎌竜ニーヂェズは出ないが、それを知るのは限られた人間だけだ。討伐可能な戦力をギルドがふらふらさせるとは思えず尋ねるリカルドに、安堵の表情を浮かべていた二人は一転、お前なあ!という顔になった。


「詰めてても補助切れてるんだからあんな上手く倒せんわ!」

「っていうかアレが実力だと思われる俺らの微妙な気持ちと追求を躱す苦労をわかれよ!」

「お、おう?」


 いいからとにかく話をさせてくれと詰め寄る二人に、そういや補助掛けてたなと思い出すリカルド。いろいろあって完全に忘れていた。


 居間へと上がり込んだ二人はシルキーにお茶と茶請けに紅茶を練り込んだクッキーを出してもらうと、ラドバウトがあらぬところへ向かって礼を言い、いやシルキーはこっちだからとハインツが突っ込んで代わりに礼を言っていた。

 リカルドは見えていないラドバウトに苦笑しながら同じものをシルキーに貰って(別腹ならぬ異次元腹なのでいくらでも入るが、いつもは自制している)ソファの向かいの椅子に腰掛けると、二人はクッキーをぼりぼり食べながら前のめりになった。


「本当に困るんだよ、あれが実力だと思われたら」

「ラドはまだしも俺なんかSランクの打診が来たんだよ? 昨日のあれを基準に考えられるとかまじでやばいの。だからせめてクランにはリカルドの事説明したいんだよ」

 

 食べるかしゃべるかどっちかにしたら?と思ったリカルドだが、たぶんあんまり寝てないんだろうなぁとちょっぴり髭の生えた二人の顔を見て飲み込んだ。疲れてる時は甘いものがうまい。シルキーのお手製なら尚更だと内心うんうんと頷くリカルド。

 とりあえず二人がやってきた理由はわかったので、リカルドは苦笑いでごめんと謝った。以前、王太子の近衛騎士にやったものよりもだいぶん抑えていたので、まさかそこまで言われるとは……というのが正直なところではあったが。


「俺だとわからない形で説明してくれるならいいんだけど」

「お前なぁ、あれだけの事をやっといてそれでクランの奴らが納得すると思うか?」


 ラドバウトの半眼に、しないのねと理解するリカルド。

 一般論として、どこのクランも戦力アップに繋がる人員確保には目を光らせている。リカルドがこれまでラドバウトやハインツに勧誘されなかったのは、リカルドがクランに入る気が全く無いとわかっているからで、かつ、二人がそれを尊重するタイプの人間だからだ。クランを優先する人間ならもっとガツガツ勧誘されていただろう。

 ちなみにザックの場合は研究最優先なので、勧誘云々が頭にない。ルゼもクランにそこまで執着しておらず、誰が入っても抜けても面倒がなければどうでもいいタイプで、アイルに至ってはリカルドを敵視しているので勧誘するわけもない。


「うーん……でもさ、頑張れば二人とも手が届く範囲じゃない?」


 二人の能力を踏まえれば、おそらくあともう一、二歩で手が届くって程度じゃないかなぁ?と思うリカルド。

 そこにはよいしょする気持ちも誇張する気持ちも無くて、ごく自然に出たと思われる言葉にラドバウトとハインツは戸惑った。


「いや……頑張ればって言われてもな……さすがにあれだけの事をいきなり出来るようになるのは無理があるぞ」


 ラドバウトは剣だこだらけの自分の手を見下ろした。そこには確かな手応えと共に一抱えはある首を切断した感触が未だに残っている。その感覚を頼りに鍛えても、あのスピードと力を再現するのは少なくとも数ヶ月、普通に見積もって年単位は要るだろうなと冷静に分析していた。そしてそれはハインツも同じだった。


「俺も無理。首を斬り飛ばすには力が圧倒的に足りないし、魔法に至っては牽制とか補助にしか使ってなかったから本職の魔導士並みの威力が出てビビったんだぞ」

 

 ハインツの方は身体強化に加えて魔法も底上げされていたせいで、驚きはラドバウトよりも大きかった。それでもすぐに対応して戦術に組み込み戦えたのは、これまで積み重ねてきた経験があったおかげだ。だからこそ逆にその域まで達するのは容易ではないとわかっていた。


「接近戦しかしない俺だから良かったものの、ルゼにやってたら大惨事になってたかもしれないんだぞ?」


 気をつけろよと言うハインツに、そこは気をつけたけど……と言いながら、リカルドは首を傾げた。


「あのさ、それって先入観じゃないか? ラドもハインツも身体強化の度合いを伸ばせば十分出来ると思うし、なんだったらハインツなんか風の魔法を鍛えればそれだけでも出来ると思うんだけど」

「簡単に言ってくれるが、身体強化をどこまで伸ばせばいいんだよそれは」


 呆れ顔のラドバウトにハインツもそうだよと乗っかる。


「それに風魔法で七首鎌竜ニーヂェズ倒すとかってもうそれ魔法剣士じゃなくて伝説級の風の魔導士だからな? てかアレどうやったの? あんな魔法の威力上がるとか初めてなんだけど」

「えーと、そこまで強化した訳じゃないんだけど……確かラドバウトは身体強化で3倍にして、ハインツにはそれと魔力譲渡で魔法の威力底上げして——」

「3倍?!」

「まって。魔力譲渡って何? 譲渡って、譲渡って事? 俺お前の魔力を渡されてたの? え、全然気づかなかったんだけど。俺の身体に何したの? どうなってんの? 大丈夫なの俺の身体」


 予想外の事実に己の身体をあちこち摩り出すハインツと、3倍って……と頭に手を当て考えられないと天を仰ぐラドバウト。


「あのな、身体強化ってのは」

「ラド待って? 魔力譲渡の方が怖いから。他人の魔力が渡されたとかあり得ないから。そっち先に聞きたい」


 ねえねえと何故かオネェのように怯えてラドバウトの腕を掴むハインツに、若干気勢を削がれるラドバウト。ここにザック、またはルゼが居ればハインツの怯えも理解してもらえただろうが、残念ながら居たのはそこまで魔法に詳しくないラドバウトなのでちょっと引かれるのもしょうがない。

 見ていたリカルドもそんなに怖がる事じゃないんだけどなとクッキーを齧った。


「ちゃんとハインツの魔力に合わせたから何も問題無い筈だって」

「筈ってなに? まさか初めてやったとか言わないよね?」

「仕込んだのは初めてだったけど危険じゃ無いのはわかってたから」

「お前は魔導士らしくない魔導士だと思ってたのにやっぱお前も魔導士なのね!? 初めてって実験台じゃねぇか!」


 泣きの入りそうな悲鳴を上げるハインツに、うーんと頭を掻くしかないリカルド。

 リカルドとしては虚空検索アカシックレコードで確認したので安全性に問題無いとわかっているが、それを知らない相手に伝えるのは難しい。


「えーと、説明するのは難しいんだけど、譲渡した魔力はハインツの魔力に馴染むように調整して、発動した魔術を補強するように自動発動する魔術式を組んでたんだよ。

 イメージしづらいかな……ええと魔道具とかで軽く魔力流すと効果が出るタイプあるだろ? あれを道具無しのバージョンにしたっていうか、譲渡した魔力に仕込んでおいたんだ。だからハインツの方が何かやって誤作動を起こすとか身体に悪影響があるとかそういった事は全くなくて」

「なにその無茶苦茶な方法。聞けば聞くほど怖い。それって方向性変えたら俺が魔法使った途端ドカンと自爆させる事も可能なんじゃないの?」


 理解の早いハインツに、リカルドは「あーまぁそういう事も出来るか」と呟いてハインツを慄かせた。


「あ、いやでも、そこまでの威力を出すほど魔力は注げないと思う。人それぞれ魔力の許容量って決まってるだろ? それを大きく超えるのは無理だから、やったとしても大した事にはならないと思う」

「………本当に?」

「本当に。魔力量は成長するものだけど、成長したとしても本人の魔力でほとんど満たされているのが普通だから、そこに注げる量ってそう変わらないと思うよ」


 ハインツはどこまでも真面目に話すリカルドに、やがて息を吐いてソファに沈み込んだ。魔法についてそれなりに詳しいからこそマジでビビっていたハインツである。


「じゃ今度は俺の方いいか?」

「ラドも?」


 ラドバウトにやったのは身体強化だけだ。そちらはメジャーな魔法で倍率が少々高いとはいえ、そこまで突っ込まれる事があるだろうか?と首を傾げるリカルドに、わかってないなこいつとラドバウトは呆れた。


「身体強化ってのはよくて1.5倍、最高でも2倍。3倍なんてさらっと出せないんだよ。ちなみに俺はどう頑張っても1.4倍が限界。ハインツは1.8倍な。強化の度合いが3倍と聞けば普通は何事だと思うもんなんだよ。それに強化の度合いが高ければそれだけ身体に負担がかかるのに、俺もハインツもピンピンしてるだろ? そこが変なんだよ」

「んん? んー……じゃあそれはたぶん、強化の対象が雑だから筋肉が負荷に耐えられなくてダメージを受けてるんじゃないか? 細胞単位で強化すれば理論上どこまでも強化できるから」


 ちなみにリカルドは王太子の近衛にあの時5倍の強化を掛けている。それはもう人が紙切れのように吹っ飛びまくったのは言うまでもないし、耐久も上がっていたからほとんど人間兵器と言って差し支えなかった。戦場であれば冗談抜きでゲームのように千人斬り可能な状態だったのだ。おかげで炎剣フレアソードの名はとある界隈ではさらに高まった。


「さいぼう?」

「人間の身体を細かく見ていくと、小さな細胞、ちっちゃい粒、っていうか組織の集合体なんだよ。えーと、葡萄があるだろ?」


 手元で魔力を可視化させて葡萄を描くリカルド。


「ラドの言ってる強化はたぶん、葡萄の房の一番外側を強化してるんだと思う。外側は強化されてるから、力を加えられても平気だけど、内側は潰れちゃうだろ?」


 描いた葡萄を両手で引き伸ばすように変形させ、内側の粒が潰れるように見せた。


「俺はこの中に詰まってるもの一つ一つを強化したから、こうやって動かされても中が無事なんだよ」

「………わかるような?」


 首を傾げるラドバウトに指を空に止めたまま、通じてないわこれと思うリカルド。逆になんで身体強化が2倍までしか出来ないのかよくわかった。この理解度ならばそれ以上やったら死ぬから自己防衛が働いているのだ。

 となれば、だ。つまりそこの強化のやり方さえ修正すればおそらくラドバウトもハインツも脳のセーフティが解除されて今以上の強化が容易に出来る可能性がある。

 だが、二人とも出来ないという固定概念が邪魔をして素直に修正を受け入れてくれるようには見えなかった。時間をかければ可能だろうが、今ここでというのはかなり無理な気がしてリカルドは一計を案じた。

 ざっと頭の中で計算して確認すると、困惑しているラドバウトとハインツの前に空間の狭間から小さなパイを取り出してそれぞれの空になっている皿に置き、カップにもお茶を注ぎ足した。

 そうしてさも自然な流れを装って、思考の小休憩に追加のお茶請けどうぞど差し出すリカルド。

 ラドバウトもハインツもシルキーの作ったものが美味しいのは知っているのでなんの疑いもなく口にして、予想していたよりもあっという間に口の中で蕩けて消えたそれに「うまっ」と言った。それを見て内心ほくそ笑むリカルド。


「よし。ラド、ハインツ、身体強化を練習しよう。そしたら強くなれるし、クランにも俺を説明するが必要ない」

「そんな急に上達するかよ」

「お前知られたくないからってな……」


 無茶言うなよと言う二人に、リカルドは微笑みを浮かべた。


「でも練習しないと魔力量が増えたから戦闘に支障が出るよ?」

「は?」

「……………おい。ちょっとまて」


 何の話だと疑問符を浮かべるラドバウトと、何かに気づいたハインツ。

 ハインツは窓の外、世界樹がある方を見て、それから空っぽになった皿を見て、違うよな?とリカルドに視線を戻した。


「大丈夫大丈夫。ほんのちょっとだし、半刻練習すれば済む程度だから」

「お前過禍果実かかかじつ食わせたな!?」

「………かか、かじつ? ………過禍果実かかかじつ!?」


 遅れて事態に気付いたラドバウトも驚くが後の祭り。食べたものは出せない。飲み込んだ瞬間から魔力は増えるのだ。


「そんな貴重なもん食わすな! というか、言ってくれ! 心臓に悪い! 何なら今も心臓に悪い! どこまで魔力増えるんだよ!?」


 焦って立ち上がるハインツをどうどうと手を出して宥めるリカルド。


「数値的な話で言えばラドは食べる前の1.5倍、ハインツは1.2倍ぐらいになるかな? 騙し討ちにしたのは悪かったけど、こうでもしないと無理だからって決めつけてクランに言っちゃうだろ? ラドやハインツは信用してるけど、ジュレってクランを信用してはいないんだよ。ザックさんみたいなのもいるし、本当に面倒なのは嫌なんだ」


 勝手してごめん、としおらしく頭を下げるリカルドに、文句を言いたいがザックに詰め寄られていたリカルドを思い出して言えなくなるハインツ。あれは確かに嫌だろうなと共感してしまった。

 ラドバウトもザックの件に関してはやや悪かったと思っていたので、しょうがないなと腹を括った。なんだかんだ、二人ともお人好しである。


「……わかったよ。俺とハインツが身体強化を鍛えて、出来たって事にするわ。

 考えてみれば強くなれるんだから、俺たちとしても願ったりな事だよ。だろ? ハインツ」

「………はぁ……いいよ、わかった。いろいろ世話になってるし、今回の事も助けられたものだしな……出来たって事にする。なんとかそこまで伸ばせないかやってみる」


 かくして二人の臨時魔法レッスンが早朝の庭で始まったのだが、リカルドが二人に魔力を流して身体強化のやり方を直接覚えさせたらきっちり半刻で習得完了し、ラドバウトは3倍、ハインツはあっさり4倍まで強化できるようになってしまった。


「俺……パワータイプじゃないんだけど……」


 瞬間的にはラドバウトよりも怪力になれてしまったハインツ。その呟きにラドバウトは苦笑した。


「だけど俺たちがいきなりこんな風になったら絶対何かあったって疑われるな」


 特にザックはリカルドの存在を知っているので容易に結びつけそうな予感があった。そして抜け駆けずるいと詰られる予感も。

 どーやって誤魔化すかなぁと苦笑しながら腕を組むラドバウトに、そうかそこも突っ込まれるのかと気づくリカルド。詰めの甘さは相変わらずである。


「まぁそこはどうにか頼むよ。あ、二人ともご飯食べてく?」


 冬に近く日が遅いとはいえもう登り始めたそれを見て、リカルドが問えば、ハインツがすぐに頷き(たまにここで昼ごはんを食べていたのでもう遠慮がない)、ラドバウトも時間を考えながら、まだギルドに戻らなくてもいいかと頷いた。


「シルキー」

〝ご用意していますよ〟

「さすが、いつもありがと。買い出しはご飯食べてから行くよ。たぶん卵とかは明日になっちゃうけど」

〝イツキさんが行ってきてくださいましたよ〟

「え、そうなの?」

〝はい。みなさんが庭で何かされているのを見て忙しそうだと〟

「なんていいこ……」


 知ってたけど。と、それでも感動するリカルドに、後ろで見ていたハインツはこの親バカめと呆れた。


「……なぁハインツ。もしかしてあれがシルキー?」

「ん? え? 見えるのか?」


 来た時にはあらぬ方角へ礼を言っていたラドバウトが、きちんとシルキーの方を指差していた事に目を丸くするハインツ。


「はっきりとは見えんが、ぼんやりなんかいるなってのはわかる」

「……なんで見えるように——って、魔力上がったからか」

「そうなのか?」

「知らないけどそれぐらいしか思いつかないからなぁ」


 正解は魔力増加ではなく過禍果実かかかじつによる霊体との親和性増加という副次効果だ。真相を知らなくとも別になんの問題もないのでどうでもいい話ではあるが。


 ふぅん、じゃあ精霊とかも見えるようになったのかねぇと頭を掻くラドバウトに、そうかもなと世界樹ウリドールの事を思い浮かべながら返すハインツ。誓約のため直接教える事は出来ないが、どうにかして胃痛仲間に引き摺り込みたい気持ちと、いやいやそれは悪いという良心とで揺れていた。


「ラド、ハインツ」


 こっちこっちとリカルドが勝手口から招く姿に、二人は足を動かし中へと入りどうぞと言われて大人しくテーブルに座った。

 ラドバウトの視点では、ぼんやり霞のような白い影が調理器具を動かしているように見えるのだが、ふとキッチンの隅に置かれている赤銅色の箱物に目が止まり、固まった。


「…………」

「なに、ラドどうしたの」


 ラドバウトの異変に気づいたハインツが尋ねると、ラドバウトは口を開き——閉じた。

 あれ、たぶんヒヒイロカネだ。と言うのは簡単だが、そのヒヒイロカネを報酬に樹に指導を続けている(しかも自分のために)ハインツに明かしてしまうのは何となく申し訳ない気がした。お前の報酬、食糧保管庫だぞと言ってるような気がして。


「どうかした?」


 シルキーを手伝っていたリカルドも気づいて問うが、何とも言い難い表情でラドバウトに見返され戸惑う。


「なになに、なんなの? どした?」


 妙なやりとりに気になるハインツだったが、ラドバウトは大きく頭を振った。


「何でもない。ハインツ、世の中な、知らなくてもいい事があるんだよ……」

「…………」


 もともと老けた顔をさらに老けさせ肩を落とすラドバウトに、なんとなく察するハインツ。というか、世界樹ウリドールの他にもなんかあるのかここにはと警戒した。


 と、その時ポンとリカルドが手を打った。


「ラドが気にしてるの、もしかしてこ——」

「そういえばリカルド例の職人だけどな、なにか珍しい酒があれば簡単に話が出来ると思うんだよ」


 冷凍庫を指差そうとしたリカルドを遮って無理矢理話題を変えていくラドバウト。その話は止めろという視線に、指差し掛けたまま止まったリカルドは、よくわからないまま、そうなの?と首を傾げた。


「酒で職人って……あいつか?」


 何の話かと思うハインツだったが、酒と職人と来ればピンとくるものはあった。


「あぁリッテンマイグスだ。リカルドが会いたいって言うからな。

 ちょっと珍しいくらいじゃ奴は満足しないから、幻のクラスがいいんだよ。クランに何本かあったと思ったんだけど飲まれて」

「まぁ誰が飲んでもいいってのを置いてるからしょうがないな。俺も今ストックはないし……レナードあたりに連絡すればなんかくれるんじゃない?」

「少し時間は掛かるがやっぱりその辺だろうな」


 別のクランハウスを拠点にしているクランメンバーの名を挙げる二人に、リカルドは手を上げた。


「あのー、お二人さん。幻になるかはわからないけど、これはどう?」


 と言ってトンと白い陶器の瓶をテーブルに置いた。それからコップを出してきて二人に少しずつ入れる。

 そそがれた酒は黄金色で、ほんの少しなのにとんでもなく芳醇な香りが漂い、あからさまに普通の酒では無かった。

 二人は思った。絶対これ、知らない方がいいやつだ、と。


「……一応聞くが、過禍果実かかかじつじゃないよな?」

「違う違う」


 警戒するハインツにリカルドは苦笑して手を振った。


過禍果実かかかじつじゃないし、魔力増えたりとかそんな効果もないよ。ちょっと調子良くなるとかはあるけど、変化するようなものは無いから」


 神酒を人が飲めば魔力回復や身体機能回復に効果があるが、余剰分の魔力はビタミンCの如く身体からどんどん抜けていくのでとんでもない事にはならないと確認済みだ。

 大丈夫と言うリカルドに、なら大丈夫かとハインツとラドバウトは顔を見合わせた。警戒はしているものの、鼻をくすぐる香りにかなり心を動かされている。

 どちらともなくそっと手を伸ばして酒を口に含むと、二人とも目を見開いた。

 ほんの少量口に入れたのにどこまでも広がる香りと、身体に溶けて欠けた何かを補うような不思議な甘さを持つ文句なしの美酒だった。


「なんだ、これ」

「うまいってもんじゃないだろ……こんな酒どこで手に入れ……いや、いい、言わなくていい。そこは何も聞かない」


 思わず聞きかけたハインツは慌てて自制して首を振った。

 リカルドは苦笑した。さすがにそれ女神のお手製だよとは言えない。その程度の分別はある。


「どうかな? 持っていけそう?」

「……良すぎて後が怖いぐらいだ」


 まだ少し放心したまま頷くラドバウト。


「じゃこれで」

「いいのか?」


 貴重なものなんじゃと思うラドバウトに、リカルドは笑って肩を竦めた。


「うん。俺一人じゃ飲まないしね」


(ウリドールに飲ませても実が出来ちゃうし)


「酒が嫌いってわけじゃ無かったよな?」

「まぁね。だけど一人で飲んでても楽しくないだろ?」


 これだけ美味い酒があるなら一声かけるだけですぐに誰かしら来るだろうに、と同じ事を考えたラドバウトとハインツ。二人はそのまま同じ結論に同時に達した。

 こいつ友達いないのか、と。


「…………」

「…………」


 妙に憐みの籠った視線をもらったリカルドは、なんで?と思ったが、こっちもすぐに気がついた。


「いや、いるからね? 酒を飲む相手ぐらい。友達少ないとかそういう事じゃないから」


 いるにはいるがそれはウリドールだけだ。ジョルジュには振られている。むろん日本に居た頃には友人はいたし、学生の頃は飲み仲間だってそれなりに居たが、こちらに来てからはラドバウトがその第一号である事は紛れもない事実である。リカルドだってわかってはいるが、そこは男の沽券というか、とにかく露呈するのは恥ずかしくて誤魔化そうとした。が、


「わかってるわかってる」

「まぁなんだ。また飲みに行こうや」


 みなまで言うなと手で制するハインツと慰めにかかるラドバウトに、全く信じてくれてないと内心頬が引き攣るリカルドだった。

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