第47話 神柱と武闘派神官長。あと滑り込みの王太子。
「どうかっ…どうかお願いしますっ」
戻した瞬間、顔を歪め必死な様子のダグラスに懇願されるリカルド。
腕を縋るように掴まれたリカルドは、こんな状況前にもあったな……と思いつつ、強い口調で「落ち着いてください」と制した。
常ならばもう少し穏やかさを心がけて対応しているのだが、今はあんまり悠長にもしていられない。なにしろ直近のタイムリミットが明朝。
「お客様、神官長を止めるため神聖国におられる
「はい、はいっ」
お客の口から事情を聞くようにしているリカルドだが、今回は省略して確認を取る。
ダグラスの方も頭が回ってないのか、碌な説明もしてないのに事情を把握しきっているリカルドに突っ込みも戸惑いもなしに何度も頷いた。
「承知致しました。教会は人にとって拠り所となる組織、その助けとなるならば喜んで力をお貸し致します。お手を」
もっともらしい事を言って差し出したリカルドの手に、ほとんど何も考えずダグラスは手を置いた。
間を置かず二人が転移した先は白と灰色で整えられた部屋だった。
そこは
だがまぁリカルドは知ってたので気にしなかったが。
種族的にこれ以上ない程場違いなリカルドであるが、来たところでなんら問題ない事は確認済み。そもそも最たる者の女神と酒を飲んでいるので気にするのも今更だ。
リカルドは転移と同時にその部屋と続きの部屋に待機している人間を全員眠らせ、彼らがやっていた生命維持のための回復魔法を代わりに継続して続けた。そこから先はさすがに触れてやらないと怖いので、床に倒れた彼らを失礼ながら跨いでベッドに近づいた。
横たわっているのは小柄な老女で、見た目は普通のお婆ちゃんだ。笑い皺をいくつも刻んだ顔は穏やかで、回復魔法をかけ続けているためかとても病床で生死を彷徨っているようには見えない。むしろ今はダグラスの方が死にそうな顔だ。
リカルドは、長距離を一度の転移で済ました事に戸惑っているダグラスを放置して、老女の手に触れる。
問題の箇所は心臓に栄養を送る冠状動脈のうち左冠動脈前下行枝で、やや狭窄が起きていたところに血栓が飛んで閉塞を起こした状態だ。所謂急性心筋梗塞。回復魔法で心筋を壊死させないよう維持しなければ、強い胸痛に加えて心室細動(血液を心臓が送り出せない)を起こす確率が高く、そのまま命を落としていただろう。
日本の医学であれば一時間以内に処置出来れば救命率はそれなりに高い病だが、この世界では原因が特定すらされていないので発症即ち致死となってしまっている。
リカルドは問題の箇所を治したところで、ついでになるべく長生きしていただけるようにと他のところも手早く治療を行った。
ダグラスはそこで漸く我に返って慌てて駆け寄るが、その時もうリカルドは手を下ろしていた。
「ダメ……ですか……」
あまりにも早く手を離すリカルドに、ダグラスは落胆を隠しきれず、カサついた唇から言葉をこぼした。
「いえ治療は終わりました」
(問題はここからだけどな)
え?と聞き返すダグラスに、リカルドは眠りの魔法を
ダグラスが半信半疑で前を見ると、
本当に……?と、振り返ったダグラスに頷くリカルド。
「猊下……猊下?」
震える声でダグラスが呼びかけると、ベッドに横たわっていた老女がゆっくりと目を開け榛色の瞳を覗かせた。そしてダグラスに気づいて視線を動かすと驚いたように目を丸くした。
「最近の導きは随分とお疲れの方なのですねぇ。死者が多かったりするのでしょうか? だとすれば残念なことです」
しみじみとした言葉に、ダグラスは思わず「はい?」と聞き返していた。
導きというのは死神のようなもので、肉体と魂を切り離す女神の使者だと教会では言われている。
開口一番
「ち、違います! 猊下、ダグラスです、グリンモアの神殿所属のダグラスです!」
ぶんぶん首を振って訴えるダグラスに、老女は横になったまま首を傾げた。
「グリンモアのダグラスさん? ……あぁ! エーちゃん——エヒャルト君のところのダグラスさんね! 言われてみればそうだわ。いやぁね、歳をとると忘れっぽくなっちゃって。お久しぶりね、急にどうしたの? あ、もしかして死に目に会いに来てくれたのかしら? 遠いところからわざわざごめんなさいね。お仕事は大丈夫? こんなところにまで来るなんて大変だったんじゃないかしら?」
「あ、いえ、そんな事は」
「エヒャルト君は元気? あの子没頭するとご飯食べるの忘れちゃうでしょう? 神官長になれば責任感で没頭することも少なくなると思っていたのだけれどどうかしら? やっぱり嫌がってるのかしら? でも適任だと思うのよね。ダグラスさんもそう思わない?」
「え? それはそうだとは思いますが、あの」
「そうよね? あの子責任感が強いものね。あと正義感も。そのせいで空回りしてしまう事もあるけれど、感情的にならなければそうそうそんな事にはならないでしょうから——」
いきなり回線が繋がったごとくペラペラ話し始めた神柱に口を挟めないダグラス。
後ろで見ていたリカルドはやっぱ出たかと目を細めた。
いくつか不確定要素はあるのだがリカルドが一番面倒そうだと思っていたのがこれだ。この
決して悪い人ではなく、むしろ人情家で厳しくも優しい人なのだが、話好きで話し出したら止まらない。どこまでも話題展開して終わらない。聞いてたら宇宙の果てまで続きそうな錯覚を覚えそうなぐらいによく喋る。
さすがに重要な話をする時はそこまでではないが、ファーストコンタクトで手間取るルートはいくつもあった。
「それよりダグラスさん顔色が悪いけれど大丈夫? 私より先に導かれてしまいそうよ? お仕事は終わったのかしら。それなら休んだ方がいいわ。あぁだけどグリンモアにすぐ戻らないといけないかしら? エヒャルト君はあまり書類が得意じゃないものね。でも具合が悪そうだから一日は休んだ方がいいと思うのだけれど。食事は取れている? 胃は大丈夫なの?」
「お話中申し訳ありません」
話の主導権を取れずおろおろする手を彷徨わせているダグラスに代わり、リカルドはもういいだろうと早々に口をはさんだ。
初手からリカルドが対峙すれば警戒されて話を通すのが難しくなるのだが、ダグラスの存在を十二分に確認出来ただろう今、その心配は低いと判断したのだ。
第三者の声に若い頃は可愛らしかっただろう、丸いくりりとした目をリカルドに向ける
「あら? 貴方は……ごめんなさい。お客様がおられるとは思っておりませんでした」
よいしょと体を横向きにして手をつき身体を起こす
「このような姿で申し訳ありません」
年のわりに豊かな白い髪を手櫛で撫で付け、薄い寝衣の上に上掛けを羽織って背をしゃんとして頭を下げる
「いえ。無断で入室したのは私ですので。それよりも猊下に見ていただきたいものがございます」
リカルドも軽く頭を下げて、自己紹介もせず、返事も待たずに取り出した水晶に
ゴリ押ししないと話が進まないので、ガンガン進める気のリカルドだ。
「これは……どこの映像——まさかグリンモアですか?」
映像を見た瞬間、それまで浮かべていた優しげなお婆ちゃんの顔を消して尋ねる
「はい。グリンモアの王都です。封印廟から
口を挟ませないよう一気に必要最低限の情報を出して要望を伝えたリカルド。
「すぐに連絡用の魔道具を用意してもらいましょう。私はここを動けないので申し訳ないのですが——」
「動けない理由が即死病であれば、もう治療済みです。それと魔道具の用意は不要です。直接行きます」
「即死病を治療?」
思っても見なかった言葉を聞いた
「どなたがそんな奇跡を? もしかしてダグラスさん?」
「いえ私ではなく——」
「猊下、それよりもエヒャルト神官長を止めるのが先です」
話がずれないようダグラスの前に割って入るリカルドに
「……そうですね。ごめんなさい、多くの方が救われると思ったら気になってしまって。今はそれよりエヒャルト神官長を止めないと教会が教会として立ち行かなくなりますね。例え治療法がわかったとしてもそれでは治療を広める事も出来ないでしょう」
「今から転移します。よろしいですか?」
かなり強引に持っていこうとするリカルドを
「貴方が何者なのかを確認すべきなのでしょうが、ダグラスさんを信じて参りましょう」
ではお手を、と左手を
二人の手がそれぞれ重ねられ、リカルドはグリンモアの教会の神官長、エヒャルトの私室に飛んだ。
飛んだ瞬間、今度はリカルドは物理結界を発動させ、振り下ろされた剣を防いだ。
音もなく静止した剣を握っていたのは筋骨隆々の男だ。40に届きそうな年齢で、すすきの穂のように薄い麦色の髪を後ろで縛っている。質実剛健を地でいくような風貌だ。
「っな……ラフラ様!?」
男は突然現れた三人のうち一人に目を止めて、ぎょっとして慌てて剣を引いた。
「エヒャルト君。元気そうで良かったわ」
「し、失礼いたしました!」
その場に片膝をついて頭を下げる男はグリンモア全土の教会を束ねる神官長、エヒャルトだ。そうしていると神官長というより騎士のようであったが、もともと
「相変わらず剣は持ち歩いているのねぇ」
「あ……はぁ、さすがに表に出る時は外しておりますが……」
「昔から騎士になるんだって頑張ってたものね。本当に立派になって——」
「猊下、本題に」
またしても話がずれる前兆を読み取り遮るリカルド。
途端、エヒャルトの眉が顰められ三白眼気味の目に剣呑な色が宿った。
「貴様何者だ? 教会の者ではないな? ダグラスこれはどういう——」
「私の事よりも貴方の事です。グリンモアに此度の騒動の真相を明かす事をやめていただきたい」
殺気すら感じられる目をリカルドは受け止め、かつ、遮った。
頭から古龍に齧られたリカルドにしてみれば、所詮まだ会話が出来る相手。全然理性的で、なんて事のない目だ。古龍は逆鱗を剥ぎ取られたせいでそりゃあもう怒り狂って理性なんて欠片もない逝っちゃってる目をしていたのだ。比べるまでもなくそっちの方がよっぽどやばくて怖かった。
エヒャルトにしてみれば、まさか古龍と比べられているとはさすがに思っておらず、全く動じない胆力の持ち主に只者ではないと警戒を強めていた。
「ダグラス、話したな?」
低い声で怒気を発するエヒャルトに、ダグラスは元々悪い顔色をさらに悪くしてふらつき、
「エヒャルト君。ダグラスさんを責めるものではないわ。顔を見れば貴方の補佐にどれだけ苦心しているかがわかるというものよ? 理想と志を持つ事は良い事だけれど、それで周りを苦しめては本末転倒よ。落ち着きなさい」
「お言葉ですが、部外者に内情を話すような者を黙って見過ごす訳にはまいりません」
「何故そうなったのかを考えなさい。ダグラスさんはあなたにとって本当に信用のない方? あなたを裏切るような方なの?」
「それは……」
眉間の皺をいっそう深めるエヒャルト。しかし何かに気づいたようにハッとして
「ラフラ様お身体は?!」
即死病で倒れてからというもの、常に回復魔法をかけ続けていなければ命が無い状態の筈だという事を思い出し、咄嗟に回復魔法(と言っても初級)を掛けようとするエヒャルト。
「治していただいたので問題ありません」
「治し? て?」
は?と、素できょとんとするエヒャルトだったが、
「そんな事よりあなたの事です。
確かに封印廟から
独断専行をするなと厳しい顔でピシャリと言い放つ
「本当にお身体に障りはないのですね……」
元気に自分を叱る姿に、本当に大丈夫なのだと理解してエヒャルトの中で張っていた糸が切れたのだ。
目元を抑えて安堵に緩む涙腺を締めるが、うまくいく様子はなかった。
「ごめんなさいね。私はあなた達がいるから死ぬ事は怖くないけれど、見送る側の事を忘れていたわ」
「いえ……不甲斐なく申し訳ありません」
頭を振るエヒャルトの姿に、よしこれでオッケー、と説得まで完了した事に内心拳を握るリカルド。最低ラインには到達した。
ところで
「あの、こちらの方には早く休んでいただいた方が良いかと思うのですが」
リカルドの言葉にエヒャルトは再び目を鋭くさせたが、
「ダグラスさん、あなたはもう休むべきですね。後の事は任せてちょうだい」
にっこりと自信に満ちた顔で微笑む
「いえそんな、まだ大丈夫です」
「そんな顔色で言われても説得力ないわ。エヒャルト君」
「私が闇魔法を使っても驚かないのですね」
リカルドは、言われてからやっと聖魔法の使い手が闇魔法を使っている事に気がついた。眠りの魔法は簡単な魔法ではあるが、聖魔法の使い手ではかなり扱いづらい魔法だ。
どうも反応を観察している気配に、リカルドは微笑みを浮かべて固定した。
柔和そうに見えて、やっぱり大きな組織の長だ。リカルドがどのような人間なのかを探っているのだろうと思い、差し障りのない反応を返した。
「いえ、驚きました。教会は闇魔法の事をあまりよく思っていないようでしたから」
「そうですね。そのように考える者が多いですし、実際犯罪を抑止するためにそう仕向けているところもあるのですが……私は魔法は善くも悪くも使う者次第だと考えております」
「そうですね。私も同意見です」
意外と柔軟な意見に、へーと思うリカルド。
表向きと実情は違うという事はよくあるケースだが、これに関してもそうなのかと今度ザックさんが来たら朗報が話せるなと内心喜んだ。
対して
「魔導士さん、貴方のその
「空が明るくなり始めるまでであれば、どこへなりともお送りいたします」
胸に手を当て軽くお辞儀をして見せるリカルドに
「まるで御伽噺の魔法使いのようね。神聖国からここまで転移できる魔導士なんてそうそう居ないでしょうに、ダグラスさんは一体どうやって貴方を捕まえたのかしら」
好奇心が見え隠れする榛色の瞳に、リカルドは笑みを浮かべたまま秘密ですと答え、空間の狭間から取り出すように魔力で白い外套を作るとそれを
エヒャルトは思い切り警戒して横から白い外套を奪うように取って確認をとっていたが、
「どこの地方の
「とても遠方ですよ。お客様以外に顔を見られるのは遠慮しておりますのでこれで失礼しますね」
「お客様?」
「お二人は例外ですよ」
この後は二人と行動すればそこまで警戒されないとわかっているので付けた。
「気になるようでしたら後ほどダグラスさんにお聞きください。さあ時間は有限です。どこから参りましょうか」
「そうね、まずはやるべき事に集中しましょう」
若干名残惜しそうにしていたものの、
リカルドはその依頼に正確に応えて運び続け、ちょいちょい逸れる話を軌道修正し、宣言通り空が明るくなり始めた頃に
最後まで警戒を解かなかったエヒャルトには、
一度館に戻ったリカルドは椅子に腰掛けるとお面を外し、ふーと一息ついた。
疲れたというより、なんとかなったなという安堵感の方が強かった。
暫し放心していたか、さて店仕舞いだと接続を切ろうとしたところで札からの転移を感じ、慌てて背筋を伸ばすリカルド。この時間帯にお客がくる事は殆ど無かったので、完全に閉店モードに入り油断していた。
一体誰がと思っていると、仕切り用の垂れ幕の向こうから現れたのは王太子だった。
「ようこそ占いの館へ——」
「まだやってて良かったよ」
安定のぶった斬りで椅子に勝手に座り長い足を組む王太子。そしてさっさと話を始めた。
「何でもかんでも主に聞くのは良くないとは思うんだけどね、早急に安全かどうかだけでも確認が取れないと費用が馬鹿にならないんだ。そこのところわかるかな?」
主語を言ってくれ主語をと思うリカルド。
「
「という事は一体だけが侵入してきたのか」
「はい。他に入り込んだものは無いので、あれで打ち止めです」
「なら規模を早々に縮小して暫く哨戒を続ける形に持っていけばいいか……」
口元に手を当て、何やら算段をつけているのか視線を机に落として呟く王太子。
「ちなみに主はどうしてアレが結界をすり抜けて来たのかわかる?」
「わかりますが、その件については今暫くお待ちいただけますか?」
ん?と首を傾げる王太子。
「お待ちいただければグリンモアにとって良い形で話が進むと思いますので」
「なんだか意味深だね。というかそれはもう裏で何者かの関与があったと言っているようなものだよ?」
だからさらっと読み解かないでと微笑み固定の下で泣きたくなるリカルド。所詮庶民のリカルドには、
「おおよそ予想がついておられると思いますが、その上で静観していただければと思います」
もう開き直って読まれる事前提でお願いするリカルドに、王太子は小さく笑うと、主がそう言うならしょうがないねと肩を竦めたのだった。
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