第42話 悩む王太子
「ひとまずお座りください」
リカルドが立ち上がり誘導すれば、王太子は大人しく椅子に腰を下ろした。
「彼女が嘘を言っているとは考えていないんだよ……だけどそう考えると、この世界は何なんだろうかって……ね」
視線を落としたまま呟くようにそう言い、そのまま無言になる。
どこまでどういう風に聞いたのかを確認すれば、ゲームを物語として置き換えて説明されている事がわかり、たぶん物語の世界だと言われて戸惑い、複雑な気持ちなんだろうなとリカルドは思った。
(お前の世界は別の世界の娯楽だと言われてるようなものだから、弄ばれていると感じたのかもなぁ……)
正直なところ、現実主義者で理論派の王太子なら非現実的な話は可能性の一つとして頭に入れたとしても、それに振り回される事はないだろうとリカルドは思っていた。
それが実際は意外とメンタルをやられているわけで、暴露を後押ししたリカルドとしてはちょっと申し訳なさもあった。
「少々お待ちいただけますか?」
リカルドの問いに返事は無く、視線を落としたまま考え込んで動かない王太子。
とりあえず一人にしても大丈夫だろうと思ってリカルドは一度上へと上がる。シルキーにお茶を入れてもらい、お茶請けにどら焼きに似た白餡を挟んだような焼き菓子を皿に乗せて戻った。
疲れてる時はとりあえず甘いもの、と言うのがリカルドの持論だ。樹の時にもそうしたが、まずは身体の疲れを多少なりとも取らないと思考がプラス方向には向きづらい。
「毒は入っていないので、よければどうぞ」
手のひらサイズの焼き菓子を半分こにして片方を皿に乗せ前に出し、もう片方に一口齧り付いて自分の皿に置くリカルド。それから紅茶を一口含んで、口をつけたそれを拭いてから王太子の前に置いた。
「はは……主に毒が効くのか疑問なところではあるけど……いただくよ」
いつもと比べキレがない言葉に、そういえばこの王太子ってまだ18だったっけと、焼き菓子を頬張りながら思い出すリカルド。あちらだと思春期真っ盛りだが、この王太子にはそんな時間も与えられないのかもなぁと思考が逸れた。
「…………主、君ってお菓子食べるんだね」
王太子の方は毒味としてではなく、普通にお菓子を食べているリカルドを見て呟いた。
いつも微笑みを浮かべて動じることのない空気を纏っているせいで、どこか人間離れした存在のようにも感じていたが、焼き菓子を頬張る姿はごく普通の人間にしか見えなかった。
「よく食べますよ。糖分は頭の栄養ですから」
糖分を必要とする頭がないくせにそんな事を嘯くリカルドに、王太子は小さく笑って焼き菓子に手を伸ばし、行儀悪く手づかみで齧り付いた。
ふわっとした生地はさほど甘くなく、中の餡も豆の風味を残すやわらかな甘みで、どっしりとした見た目よりもあっさりと口の中でほどけて消えていった。
「………こういうのもいいね。食べやすい」
しばらく二人で黙々と焼き菓子を食べて、お茶を飲んで――それが空になった頃ようやく王太子は胸の内を話した。
「ここに来るのも結構躊躇ったんだよ……主はひょっとしてそっち側なのかもしれないと思って」
そっち側。つまり物語を見る側かな?と思うリカルド。
「彼女はきっとこちら側に落ちた人間なんだろうと思うけど、主は……初めて会った時から普通の人間じゃない気がしていたんだ」
大正解の王太子に、リカルドは内心どきっと(気分だけ)しながら微笑みを固定させた。
「まぁそんな事考えるだけ無駄だって事はわかってるんだけどね………時間が経てば経つほどどうしても頭にちらついてしまって………私たちは創造主の操り人形なのかと……もしそうだとしたら、まぁ滑稽なんだけど……主ならその答えがわかる?」
「操り人形か否かという事ですか?」
「……そう」
聞きたいような、聞きたくないような。そんな顔で頷く王太子。
「そうですね……」
侯爵令嬢が記憶を植え付けられているという事は余計な心配をさせるだけなのでハナから言う気はないが、
「そうであるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
誰がどういう意図でこの世界を作ったのかは私にもわかりませんが、その相手は到底理解の及ばない次元にいる存在でしょう。お客様が最初に言われた通り、気にするだけ無駄だと思います」
厳密にいうとアレはこの世界の創造主というわけではない。あくまでも管理者のようなものだ。だが、それが侯爵令嬢に記憶を植え付けた犯人であるし、ほとんど創造主と変わらない次元の存在だったので、それと仮定して話すリカルド。
「それに私もその相手からすれば操り人形、遊びの駒の一つなのでしょう」
異世界強制移住権獲得おめでとうございます!という横断幕や、そこから始まる魔族領でのもろもろが蘇り、無意識に微笑みに険が混じった。
「……なんだか、相手を知ってる口ぶりだね」
「残念ながら朧げにしかわかっていません。もし
リカルドの口から殴るという単語が出てくるとは思ってなかった王太子。動きを止めてまじまじとリカルドを見た。
「………主もそんな事言うんだね」
王太子の意外そうな反応にリカルドは苦笑した。どうやら自分は随分と品行方正に思われていたらしいと。
「お客様は気になさる必要はありませんよ。
これは個人的な感想ですが、あれは私たち一人一人を細かく見ているとは思えませんから」
「そうなの?」
「ええ。おそらく」
でなければ、侯爵令嬢に記憶を植え付けたのにヒロインの周りの配役が適当だったり、どう考えてもストーリーが破綻するようにしか環境が整えられていない状況にはならないだろうとリカルドは考えている。思いついてやって、やったのを忘れて放置して。買ったゲームを積み上げて忘れるゲーマーのような輩だと。
「見ている視点が違うでしょうから実際のところはわかりませんが、それでもあれを気にするのは本当に労力の無駄だと思います」
手が届かない相手だとわかっているからこその、実感のこもったリカルドの断言に押される王太子。
「そう……か」
労力の無駄なのか……と、呟いた王太子は、なんだかおかしくなってきて、くすくすと笑った。
「そうだね、考えたところで無駄だ。神の考えを人間が思い計るなんて出来るわけがない」
「神かどうかはわかりかねますが」
「ふふっ、主ってほんと面白いね」
はー、もっと早く来ればよかったと机に肘をついて姿勢を崩す王太子。悩ませてすみませんと内心謝るリカルド。
「あ、ねえ。さっきのお菓子だけど、あれどこで売ってるの?」
不意に空っぽの皿を指差す王太子。
城で出てくる菓子は繊細な造形で目を楽しませるが、富を象徴する砂糖がふんだんに使われているため胸焼けしそうなほど甘い。ほのかな甘みの焼き菓子は王太子は初めてだった。
「売り物ではありませんよ」
「もしかして主が?」
何でもそつなくこなしそうなイメージがある。せっせと作っているのかも?と、そんな絵面を想像する王太子にリカルドは笑って首を横に振る。
実際のところ、リカルドは自炊能力はあるが、お菓子作りはクッキーとホットケーキが限界だ。それも市販の用意された粉を使用してという限定付き。とてもシルキーのようなものは作れない。
「いえ。知り合いに作ってもらっています」
「なんだそうなんだ。紹介してもらうのは?」
「申し訳ありませんが」
「やっぱりだめ? まぁ言うだけ言ってみただけだけど」
と、口では言っておきながら、目の方は空っぽになった皿に注がれている。
その様子にリカルドは笑いを隠しながら提案してみた。
「タイミングが合えばまたお出ししましょうか?」
「ほんと?」
リカルドの提案にそうしてくれると嬉しいな、と十代の子供のように嬉しげな笑顔を見せる王太子。その後、ふわっと出た欠伸を噛み殺し目を擦った。
「お疲れのようですね」
「ここのところよく眠れなかったからね。気が抜けたら……ちょっと眠たくなったみたいだ。我ながらわかりやすいね」
「ではもう今日はお帰りになられては?」
「そうだね………今は特に問題も……あ、そうだ。リンジンという植物を主は知ってるかな?」
ふと思い出した王太子にリカルドは頷いた。最近別の客の相談で調べて頭に入っていた名前なので、記憶を探すような迷いもない。
「この辺りであれば比較的どこにでも咲いている野花ですね」
「そうそれ。それなんだけど、ここのところいたるところでそれが抜き取られているみたいでね。一応あれって墓地の周りに植える代表格だから墓地を荒らされているって嘆願が増えているんだよ。魔導士達は死霊使いの仕業ではなさそうだと言ってはいるんだけどね。
事件としては然程大きくはないけど、人心を鑑みれば放置も出来ない。人を大々的に動かせる程じゃないから解決まで時間が掛かりそうでね。その辺の事が何かわかればと思うんだけど」
「……そうですか」
内心汗を垂らすリカルド。
とても嫌な予感のする話だった。
つい先ほど王都に出て来た料理人の青年にも伝えた事だが、とある病に対する薬の原料の一つがそのリンジンという植物なのだ。
青年以外にも少し前、通り魔に襲われて館に逃げて来た女性に同じ情報を伝えていたのだが、まさかそんな筈はないよなと焦りながら時を止めて事実確認をするリカルド。
その結果概ね予想通りというか予想していなかったというか、通り魔に襲われて逃げきた女性が西のエブフンバラという国の薬師だった事が判明。さらにはその女性が末席ながら王族に連なる人物で、自国で流行っている熱波病を抑え込むために、特効薬の原料を求めてグリンモアに足を伸ばしていた事がわかった。
本来の特効薬の原料は残念ながら季節外れだったため、その代わりとなるリンジンともう一つの植物を伝えたのだが、それがまさかこうなるとは思わなかったリカルド。相変わらずの先読みの能力の無さである。
リンジンともう一つのある植物(こちらはグリンモアに限らずどこにでもある)が特効薬になるという情報はその女性と青年にしか伝えておらず、他の薬師は誰も知らない。下手すれば新たに作成される特効薬はエブフンバラの独占になる可能性もあり、そしてそれに必要な植物が無断でグリンモアから採られたとしたら、国際問題待った無しだった。
(胃が痛い)
胃は無いが胃を押さえて呻くリカルド。
ふーと息を吐いて時を戻した。
「少しお待ちください」
紙に薬の製法を書いて、王太子にどうぞと渡すリカルド。
「そちらは熱波病の薬になります。今はプルウクスで作られているのが主流ですが、その代用になる薬です」
王太子は紙を受け取って目を通し、眉間に皺を刻んだ。
「熱波病? それって西の方で流行る風土病だよね? ………なるほどね。そういう………これは早急に対策を取らないと不味いね。ありがとう、助かるよ」
意識が為政に切り替わったのか、言葉も短く王太子は立ち上がり、「またよろしくね」と言ってお金を置いて去っていった。
(相手を詮索するのはマナー違反だとか気にする前にちゃんと調べよう。新しいものを出す時は特に)
何度目かの自戒をするリカルドだった。
凹んだまま予定通り王太子が去った後で館を閉め、上にとぼとぼと上がるとシルキーがキッチンのテーブルで繕い物をしていた。
その家庭的な風景を見ると、家に戻ってきたという感覚に包まれるようでリカルドはほっと力が抜けた。
「ただいま、何してるの?」
〝お疲れ様です。ナクルさんの上着を作ろうと思って。ちょうどいい布があったので、綿を少し詰めて冬用の防寒具にしているんです"
「これも刺繍入りなんだ。凝ってるね」
縁取りにチョッキと同じ刺繍が施されているのを見てすごいなと声を漏らすリカルドに、シルキーは少し憂いのある笑みを浮かべて施した刺繍の部分を指でなぞった。
〝このローズマリーは魔除けです。子供が健やかに育つよう10歳になるまで親がどの服にも刺繍を施すのですが……〟
ナクルの服にそんなものがあっただろうかと内心首を傾げるリカルドに、シルキーは憂い顔のまま首を振った。
〝教会の決まり事なのかもしれませんから、そちらに戻れば廃棄されてしまうかもしれません〟
それでも、ここにいる間は着られるでしょうからとシルキー。
シルキーは、ナクルがチョッキに施されていたローズマリーの刺繍を食い入るように見て、泣きそうな顔で喜んでいたのを見ていた。
ナクルはこの家にわずかな間滞在する客分ではあったが、泣くほど喜ばれるとどうしても身の回りのものを揃えてあげたくなってしまい、教会に戻れば破棄されるかもしれないとわかっても手が動いてしまうのだった。
「…………」
占いの館を終えて軽い疲労(気分)にぼけっとしていたリカルドは、一瞬間が空いてから
ナクルは孤児院から教会に移る時、数少ない私物は全て教会に取り上げられている。そしてその中に、孤児院のマザーが作ってくれた刺繍入りの服があった。だが、薄い粗末な布で作られていたから相応しくないと破棄されていた。
「……ジョルジュさんと相談してみるよ。クシュナさんは少なくとも私物全てを取り上げられてはいなかった筈だから大丈夫だと思う」
そりゃ教会の第一印象最悪だわと頭が痛くなるリカルド。例え粗末な布で作られていたとしてもだ、健やかに育つよう祈りが込められたそれを捨てるとか正気の沙汰じゃない。一度教会内部の状態を確認しようかとさえ思った。
「シルキー、余裕があったらもう少しナクルくんの服を作ってくれない? 生地を準備するから」
〝それは、はい、もちろん〟
「ありがとう。こっちの風習に詳しくないし、シルキーがいてくれてほんと助かるよ」
シルキーは首を振って嬉しそうに微笑んだ。
「彼女の方はどう?」
〝目を覚ます頻度は増えましたが、夢現の様子でぼんやりされています〟
「会話は?」
〝特には。『常世も現世と変わらないのね』と窓の外を見て呟かれるぐらいです〟
窓から見えるのは、方向から言って樹達が訓練をしているところだ。
ハインツの姿も目に入っているだろうが、それに対する反応はないのかと思うリカルド。
まだまだ時間は掛かるかなとリカルドが考えていると、シルキーが視線を動かした。
〝イツキさんが戻られました〟
「お。やっと解放されたか」
今の今まで帰れず面倒をかけられていたのなら疲れているだろうと椅子から立ちあがるリカルド。
気づけば外はもう明るくなってきていた。
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