第39話 侵入者

 あれから五日ほどナクルはリカルドの側を離れなかったが、徐々に樹にも慣れ、リカルドが夜に仕事があると言えば樹と寝ると言うようになった。

 樹も子供との接し方がうまく、弟妹がいたのだろうかとリカルドが疑問に思っていると、親戚の子の面倒を一時期見ていたからだと言われて納得した。

 依然と距離を取られたままなのはクシュナとジョルジュだけで、何ならアイルやルゼ、ハインツ達の方が普通に挨拶をして二、三言葉を交わす仲だ。さすがにこうなってくるとジョルジュも焦り始めた。自分が何もしなければ、危害を加えるような人間ではないとわかってもらえると思っていたジョルジュ。全く進展しない関係に、このままいくと教会に帰りたくないと言い出すのではないかと不安が芽吹き、何とか関係改善を図ろうと頭を捻るが、小さな頃から騎士になるために訓練に明け暮れていたため子どもとの接し方がわからない。子供に慣れているクシュナでも苦戦しているのでさもありなんな状況に、リカルドとしても教会に戻ってもらわないと困るので、今度街に行こうと提案して仲をどうにか取り持つ事にした。


 うまくいけばいいけど。と思いながら、リカルドが久々に占いの館を開けた瞬間、目の前に白い人影が現れ固まった。

 人影はすぐに完全な人の姿を取り、白髪の人物だというのがわかった。

 白髪といっても色が抜けたと言う感じではなく、透き通ったような輝きがあり、肌の白さと銀色のように見える瞳が、人外じみた冴えた美貌を彩っている。細身ではあるが、男か女か、それすらわからないような恐ろしい程整った容姿だ。

 別次元の存在に動く事が出来ないリカルドに、凍てつくような圧倒的な美貌を持つ相手は開口一番怒鳴った。


「遅い! 全くお主は何日も店を開けぬとは商売をする気があるのか!?」

「そ…れは……申し訳ありません」


 第一声で怒られて、思わず目の前で腕を組み、ふんぞりかえる美貌の客人に謝るリカルド。

 声からしておそらく女性か。と、そこまで無意識に考えたところでリカルドはやっと異常を自覚した。

 この占いの館はどこから来たとしても、まずは入口に現れる仕組みになっている。いきなり目の前に現れる、というような事にはしていなかった。

 不穏だという事に気づき時を止めたリカルド。が、


「時を止めたとて妾には無意味だ」


 聞こえるはずのない声に息が止まりそうに(そもそも止まっているが)なるリカルド。

 止まった時の中で会話をするのは初めてではないが、今までは明らかに人間ではないとわかる精霊などの精神体が相手だった。こんな正体不明の相手は初めてで、嫌な動悸(気分だけ)がした。


「そのように警戒などせずともよい。妾は礼を言いに来たのだ」

「………礼?」


 初対面ですよね?と思うリカルドに、美貌の客人は鷹揚に頷いて見せた。


「妾の愛し子を保護したからの。

 まったくあやつらかように幼き我が愛し子に無体をはたらきおって! 天罰でも喰らわしてやりたいところであるが、妾は制約多き身。口惜しい思いをしておった」


 ぐぬぬぬと歯を食いしばり結構な形相をする美貌?の客人に、ちょっと身を引くリカルド。美人はどんな顔をしても美人とどこかで聞いた事があったが、それは語弊だと今わかった。やばい顔は普通にやばい顔だった。むしろ美人な分余計にやばかった。


「そこを! お主が掬い上げたのだ!」


 びしっ!と指を目の前に突きつけられ、微妙に顔を横にずらして避けるリカルド。なんだかわからないが、やばい客(?)が来たと頭の中はフル回転だ。


「少々変わった者ではあるが、ぬしならば愛し子を預けて問題ないと判断した故、愛子にも主から離れぬよう言い含めておいた」

「あの、申し訳ありませんが、いとしごというのは?」

「愛し子は愛し子、妾の時に生まれ、妾に祝福されるべき人間のことよ」

「………」


 何言ってるかさっぱりわからん。となるリカルド。基本的に虚空検索アカシックレコードが無ければリカルドは一般人だ。観察眼がそこまで鋭いわけでもないし、特別頭が良いわけでも無い。


「申し訳ありません。私には心当たりが……」


 と言いかけて、ふとナクルの事が頭に浮かんだ。ナクルの持っていたある能力が。


「あるであろう?」


 にんまりと笑った客人に、口を開けたまま言葉を失うリカルド。

 ナクルには神託というスキルがあった。教会に所属していたのでそういうのもあるのだろうなと素通りした能力だったが、リカルドから離れないよう神託によって言葉を授けられていたとするなら、ナクルがリカルドに懐いた理由に説明がつく。


(だけどそうなると目の前のこの人は——)


 リカルドはまさかという気持ちが強かったが、鑑定を使えば解読不能と返され、虚空検索アカシックレコードで目の前の客人が何者であるかを確かめた瞬間、頭が弾けた。


「む……主のその力は面妖よの。自虐の趣味でもあるのかえ?」

「いえ……そうではないのですが……」


 リカルドは復活したての頭を振って、改めて客人を見た。


「あなたは、平和と安寧の女神ですか?」


 虚空検索アカシックレコードが偽りを返した試しなどないのだが、信じられない気持ちが強かった。

 客人は唇で弧を描くと地面につきそうな長い髪を肩に払い、いかにもと頷いた。


「妾は平和と安寧の女神ミスティルである」


 何で女神がこんなとこにと思うリカルド。一応、最初に礼だとか言っていた事は理解しているが、神と魔族という有り得ない組み合わせに混乱していた。


「愛し子はいずれ妾の大事な半神となる。心して守れ?」

「はんしん? 守れって、いや……いやいやいや。私、死霊魔導士リッチですよ? 魔族ですよ?」

「そのような事、とうの昔にわかっておる」


 何の問題も無いと言わんばかりの女神様にリカルドは唖然とした。


「魔族、というか不死者が近づいてもいいんですか?」


 根本的な話として人間と敵対している種族だと主張するリカルドに、女神は至極真面目に答えた。


「別に妾は魔族を滅するための存在ではない。それに主は妾が直接会って精神が壊れる事もなく肉体が崩れる事もなく話が出来るのだ」


 え。なにそれ怖いと距離を取りたくなるリカルド。その場に留まったのはここが占いの館だったからだ。逃げれば屋敷に憑いているシルキーに被害が及ぶ、そう直感した。


「主は魔族というよりは魔神と呼ぶが相応しかろう? 何をし、そうなったかまでは見えぬが、まぁ主は無闇に凶暴化する事はあるまい。自らが傷つくとわかっていてそのように結界を常に身に纏っておるのだ。余程の変態でなければなし得ぬ所業だとは思うが、そこに他者を傷つけまいという気持ちがある事ぐらいはわかる」


 女神に正面きって変態と言われ、微妙に傷つくリカルド。リカルドだって好きで聖結界を己に張り付かせているわけではないし、好きで死霊魔導士リッチになったわけでもない。


「それに主を調べれば調べるほど、なんとまぁ間抜けな奴がいたものよのぉと笑っておったわ」

「間抜け……」

「主の力であれば魔族どもの王になる事も容易かろうに、随分と周りに振り回されておるではないか」

「そんな事は……」

「無いと申すか? わざわざ腐敗した大地を浄化して回って、他世界からの異邦人も保護しているではないか。他にもこの国の王太子の色恋に巻き込まれ、魔族の王の一角を世界樹なんぞにして懐かれて、此度は教会愚か者どもの尻拭いに借り出されておる。どこの世にここまであくせく働く魔族がおるのだ」

「あくせく……」

「まぁ主の事はよい。愛し子の事をよろしく頼むぞ? 強く、優しく、それでいて厳しく、妾にひたむきな愛を抱くようにするのだ」

「いやいやいや……」


 相手が女神だという事に驚き、戸惑い、ひびり、貶されてちょっと凹んだりしたリカルドだが、最後の言葉にはそんな無茶なと待ったをかけた。


「愛するようにって、それは本人の気持ちですから周りがどうのこうのするものじゃないですよ」

「妾に楯突く気かえ?」


 冷えた笑みを浮かべる女神に、いやいやと手と首を横に振るリカルド。


「楯突くとかつかないとかそうじゃなくて、感情を誘導するなんて技術は私にはありませんよ」

「あるではないか、記憶操作が」

「あ……いや…まぁ、それはありますけど、それをしたらもう洗脳というか……大体そう仕向けて愛されて、それで満足なんですか?」

「満足であるな」

「貴女自身を見て愛されたわけでもないのに? 作られた感情など何かのきっかけですぐに崩れ去りますよ?」

「そも愛など不変ではあるまい? 作られたものであろうと無かろうとそこは変わらぬ。なればこそ、手っ取り早くそのひと時を楽しむのも一興であろう」


 一片の揺らぎもなく満足と言い切る女神に、リカルドは反論するが、即座に反論されてしまった。

 傲然と言い放つ平和と安寧の女神に、こいつまじで女神なのか?と、いらっとしてきた。


「不変ではないからこそ、愛っていうのは互いに信頼を得るために努力して育むものじゃないですか。

 あなた今、ひと時を楽しむと言いましたが、それは楽しめなくなったら捨てるという事ですか?」

「ほぅ……主はそのナリで随分とロマンチストであるのぅ?」


 面白がるように、下から掬い上げるようにリカルドの顎に手をかける女神。リカルドはそれを右手の甲でどかし、話を逸らすなと睨んだ。


「私の事はどうでもいいです。あの子をどうする気です」

「主にはどうでもよかろう」

「よくありません。本人が理解して選ぶというなら何も言いませんが、あなたはそれをさせる気がないでしょ」

「人間臭い奴よの……主もあと百年もすればどうでも良くなるだろうて」


 女神の冷めた目が、僅かに憂いを帯びたものに変わった。


「延々と続く責務のせめてもの慰めよ。妾を崇めるならば人柱くらい構うまい? それぐらいしか楽しみもないのだ」

「………人柱って」


 女神の憂いに隠された感情を見て浮かんだ予想に、リカルドは虚空検索アカシックレコードで調べた。調べた途端、またしても頭は弾けたが知りたい事はぎりぎり知れた。


「またそれか。何度見ても悪趣味よの。で、今度は何を知ったのだ?」


 机に肘をつき、気鬱の浮かんだ淀んだ目でリカルドを流し見る女神。


「あなた、元人間ですか」

「それが?」

「あの管理者にこの世界を動かす歯車にされたんですね」


 それまで泰然としていた女神の頬がピクリと動いた。


「お主……まさか、アレに会った事が」

「いえ。残念ながら直接会った事はありません。ですが私をこう・・したのはアレです」


 女神は目を見張り、僅かに腰を浮かした。


「…………同胞……だったか。

 なるほど、どうりで主を調べても痕跡が無いわけだ。神に匹敵する位相に育ったにしては変だと思うておったが……」


 浮かした腰を下ろしてしげしげとリカルドを観察する女神に、リカルドはこめかみを抑えてため息をついた。


「元人間ならわかるでしょう。神を愛するだとか人には無理難題ですよ。しかもあなた相手を半神にして、やろうとしてるのが酒飲み相手を作る事って……」


 愛とか関係ないじゃんと脱力するリカルドに、女神は冴えた美貌で、けれど最初のような冷えた笑みではなく愉快そうな笑い声をあげた。


「新参者はわかっておらんのぅ、愛ぐらいのものが無くては精神が長持ちせんのだ」

「あなたは随分長持ちしてるみたいじゃないですか。二千年前でしょう? 神にさせられたのは」

「そこまでわかるのか? なかなかやるではないか新参者。妾の場合はアレが関与したからであろう。妾は世界の一部であるからな、壊れたら面倒だとでも思ったのでは無いか?」


 忌々しそうに語る女神に、あぁその忌々しいという気持ちはわかると内心同意するリカルド。


「妾が半神に出来る者は妾の時に生まれた者と決まっておる。数百年に一人生まれるかどうかという確率だ。だからこそ長持ちさせたいと思うのは自然であろう?」

「いやまぁ、楽しみが無いのは辛いとは思いますけど……でもですね、子供の時から洗脳してっていうのはどうかと……最終的に行き着くのが人間やめた上でただの酒飲み相手だし……夢も希望もないっていうか……」

「なら主が相手をしてくれるか?」

「は?」

「すでに魔神相当であるからの。多少妾がどついても平気であろう」

「え……どつく?」

「昔からどうにも酔うと前後不覚になっての」

「ぇ……」


 前後不覚になる女神とか見たくないんだけどと声が漏れるリカルド。


「主ならいい具合に長持ちしそうであるし……うむ、なかなか良い考えではないかの?」

「い、いやぁ……ちょっと遠慮したいというか……一応私不死者なので神様の相手をするのは不敬なような……」


 嫌な予感しかしないリカルド。両手を胸の前に出してお断りのポーズを取るが、女神はうっとりするような笑みを浮かべて小首を傾げた。


「では愛し子が妾を愛するようにしてくれるかえ?」

「………いやぁそれもちょっと」


 わかりましたとは言えないあたり、お人好しな死霊魔導士リッチである。


「決まりであるな。酒も肴も妾が用意してやろう。これでも世界の美酒を飲み尽くしてきたのだ。楽しみにしておれ」


 楽し気な笑みを残してふっと消えた女神。

 言いたい事を言って消えた女神に、リカルドはしばし無言で空っぽになった目の前の椅子を見つめていたが、猛然と虚空検索アカシックレコードで調べ始めた。

 無論、調べる内容は回避方法。

 様々な角度から調べて何度もパーンし続ける事体感時間にして一時間。

 机に頭を乗せるリカルドが出来上がった。


「………はぁ」


 ため息をついてみても現実は変わらない。それでも面倒な現実にため息は量産された。


(なんだかんだ言ったけど、でも向こうの言い分もわからないでも無いんだよなぁ……)


 机に顎をついて水晶に写る反転した世界を眺めながら、二千年前に突如として女神にされた彼女の事をリカルドは考えた。

 二千年前、神の座につかされる前の彼女は巫女だった。

 そのためそれまで巫女として生きてきた感覚から、唐突に神の座につかされても神の御意志だと思い受け入れた。人として生きてきた軌跡を全て消され、人間だった頃の自分を忘れられ女神と崇められる。人恋しさに語りかけたくとも、神託の力を持つ人間にしか語りかける事は出来ず、会う事も出来ない。遠くからその営みを守り続ける事しか出来ず、次第に巫女としての矜持も擦り切れていき、何故神などにされたのかと疑問ばかりが頭を占めるようになった。そんな時に現れたのが、女神の愛し子だ。彼女が女神になったその瞬間と全く同じタイミングに生まれた子に、彼女に近いところまで上がる素質が与えられていた。

 早速神託によって、神の子とされたその赤子はけれど権力闘争の道具に使われ命を落とした。彼女の怒りは深かったが、人に対して何かをするのは禁じられていて、何も出来なかった。せいぜい神託を授けない事ぐらいで、それにしてみても神の役割から逸脱するような事は制御され、必要な神託は意志とは無関係に授けなければならなかった。

 彼女は悟った。愛し子に対して執着しては何かあった時、苦しい思いをするのは自分。だから次は無視しようとしたが、どうしても出来ず見守り続け、愛し子もそれに応えてやがて半神へと至った。神となってから初めて面と会って会話をし、どんどん気に入ってのめり込んで。けれども、彼女以外存在しない位相に愛し子の方が緩やかに壊れていった。

 幕引きは彼女自身の手で、愛し子に請われて行われた。

 それから新たに生まれた愛し子には、何も求めなかった。また壊れて消さなければならないなら、最初からいない方がいいとそう思って。

 けれど、一度楽しみを知ってしまった心はそれを求めてしまう。もう一度顔を合わせて話せる相手が欲しい。

 今度の愛し子は、魔法を研究している魔導士だった。研究に没頭するその愛し子ならば、永き時にも耐えられるのでは? そんな思いから半神にして、半神となっても研究を続ける愛し子の背を見つめた。けれど、終わりは最初の愛し子よりも早かった。

 半神となって、わからない事が次々と解明されて、次第に研究対象がなくなって、燃え尽きてしまった。

 この頃から彼女は諦め、だったらもう最初から終わりありきで楽しもうと考えるようになった。ひと時の癒し、ちょっとした息抜き。その程度であれば落胆することも、寂しさを覚えることも無い。

 愛し子を娯楽の一つと捉えることは、彼女なりの防衛だった。

 まぁその後の愛し子の扱いは微妙で、事情を知っても賛同はしかねるリカルドではあったが。


「……世界の歯車にするくらいなら、最初から自我も消してやればいいだろうに」


 むしろ人間をそこに当てはめる意味がリカルドにはわからなかった。


(……まぁ、酒に付き合うぐらいいいか)


 わかっていてナクルを半神へと至らせるのも気が引ける。


 と、思っていたリカルド。

 女神との初飲みで死ぬかと思うような(既に不死者だが)目に遭い、三夜連続で来られた日には勘弁してくれと早々に根を上げる羽目になった。

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