第37話 教会の内部事情
正午の鐘が鳴り、リカルドはお昼ご飯を食べてから家を出ると、教会へと歩いていった。
日中に見る教会は白くて繊細な装飾がなされていて、ああ宗教施設っぽいなと俗っぽい事を考えるリカルド。
一般信者向けに解放されている正面の門は高く、両サイドに女神の使いとされる羽の生えた馬の像が掲げられている。
そこから真っ直ぐ石畳を進むと礼拝堂へと繋がっていて、リカルドはそのまま礼拝堂に入って人の流れの邪魔にならないように脇によけた。
(女神像か……)
礼拝堂の中央奥には白い女神の石像が祀られていた。
天井が高く少し暗い礼拝堂で、そこだけ天窓から光が降り注ぎ、まるで光の中に浮かび上がるように見える石像は、目を閉じ微かな微笑みを浮かべ、両手は何かを祈るように胸の前で組んでいる。
リカルドは静かに石像を見上げ、女神のイメージって世界を超えて同じようなものになるんだなと情緒の欠片もない感想を抱いていた。
「リカルド様」
ぼんやり眺めていたリカルドは傍らから声をかけられてそちらを見た。
そこにいたのは今朝封書を届けた少年で、今は裾の短い灰色のローブを身に纏っていた。こちらが少年のいつもの服装なのだろうなと思いつつ、リカルドは軽く会釈をした。
「こちらにどうぞ」
人目を避けるように少年に案内された先には、ダグラスが待ち構えていた。
「こちらから伺う前にご足労いただく事になり申し訳ありません」
そう言って頭を下げるダグラスに、そういえばもう一度うちに来るって話だったなと思い出すリカルド。
「いえ、問題ありません。樹くんは元気にしてますから、日が合えばいつ来ていただいてもいいですよ」
椅子を薦められてリカルドはそこに座り、対面にダグラスが座ると、先程の少年がお茶を運んできた。
「依頼についてなのですが、リカルド殿には本部からの応援という形で指導に携わっていただこうと思っていたのですが……」
早速仕事の話だと、姿勢を正して聞いていたリカルドは、歯切れの悪いダグラスに首を傾げた。
「何か問題が?」
「………一部に、本部からの指導者ではないという情報が漏れてしまい、聖女見習い数名が拒否をしているのです」
微笑み固定の下で、ぇえ……と思うリカルド。
「全員がというわけではなく、もともと身分のあった者達が反発しているだけなので、それ以外は問題無いのですが」
いやいや問題大有りでしょと内心突っ込むリカルド。
情報規制が出来ていない事もだし、上の決定に異を唱える見習いとかどうなんだ。異を唱えるならまずは一回指導を受けてからだろ。などと思いつつも、冷静に時を止めて情報収集を開始した。
せっかくの機会なので、リカルドとしても穏便に良い結果を出したい気持ちがある。
しばらく調べた結果、反発しているのは貴族出身のお嬢様三人で、ダグラスに対抗心を持つミヒャエルという神官に、ある事ない事吹き込まれての反発だった。
あぁ、教会内の権力争いの影響なのねと理解したリカルドは、そちらのお嬢様方の指導をすっぱりとあきらめた。下手に関わればこちらにまで飛び火しかねないと判断したからだ。
なので残る二人の聖女見習いに絞った。一人は言わずもがなのクシュナで、もう一人はつい最近聖女見習いとして見出された9歳の男の子。
彼らにも冒険者を指導者にするなど愚かな事だと囁かれていないか確認したところ、それ以前の問題が見つかった。
聖女見習いというのは、その力を認められて教会に入った後は、それぞれ個別に世話役がついていろいろな教育を受ける。入るタイミングや出自が様々なので他の聖女見習いと同時に教えを受けると言う事はない。
なので、クシュナも慣れない環境で一人詰め込み教育にアップアップしてしまったのだが、もう一人の男の子はクシュナとはまた違う要因で潰れそうになっていた。
「ダグラス神官。一つ提案があるのですが」
「提案ですか?」
「私に抵抗がない方だけ、私の家に泊まって指導をするという形を取れませんか?」
「それは……」
「監視として今日案内してくれた方をつけていただいて構いません。彼、騎士ですよね?」
リカルドをここまで案内した少年、彼は実は年齢は20歳で、神官見習いの格好をしているが教会本部から派遣されたバリバリの現役騎士だ。教会内の騎士再編までの繋ぎとして重要人物の警護に密かにつけられた内の一人である。
「そうですが……」
「警備不足と言われるなら、樹くんに渡している守護の腕輪と同等のものをお貸しします」
「守護の腕輪というと……もしや騎士達の攻撃を弾いた?」
騎士達が暴走した惨状の中、傷ひとつ負わず立ち尽くしていた少年の姿を思い出し、確かにそれがあれば安全ではあるだろうがと思うダグラス。
「はい。ただ、私の家には以前見られた通り精霊がいますので黙秘していただくために誓約をお願いする事になります。それから、ご存知の通り樹くんも暮らしていますから、私が指導している事は彼には知られてしまいます。もちろん秘密にと言えば他言しない子ですけど」
「………」
ダグラスは視線を落とし、じっと考え込んだ。
「拒否されるという事であれば、それはそれで構いませんが、進捗に差が出る事はあらかじめ言っておきます」
「……差が出るとは?」
「来ていただければ破邪結界まで習得出来る可能性があります」
ダグラスは目を丸くした。
破邪結界は聖魔法の中でも高位の魔法となる。使い手は現在の聖女の中でも二名しかおらず、一名は教会本部に、一名は魔族領に程近いヒルデリアに配属されていた。グリンモアにもその使い手が現れればかなりの益となる。
日中の聖女の代わりに癒しを施すお役目を休ませたり、王城へ事情を説明する手間や交渉を差し引いてもその益は計り知れない。
「その可能性はどの程度ですか?」
「七割程です。教会内で指導する場合は一割いくかいかないかですね」
気負いもなく答えるリカルドに、ダグラスは腹を括った。
「……確認する時間をいただけますか」
「なるべく早めの回答をいただければと思います」
と、そうリカルドが提案した内容はその日のうちに神官長と王族にまで話が通り、当事者であるクシュナともう一人の男の子の了承を持って採択される事となった。
ちなみに、リカルドはすぐに確認を取るのでと言ったダグラスに部屋で待たされ、夕方近くまで待ちぼうけをくらう事になった。
提案が通る事は確認していたのだが、当日に回答を貰う事までは見てなかったリカルド。聖女見習いのクシュナとナクル、神官見習いの少年改め教会騎士のジョルジュの三名をそのまま家へと連れ帰る事になって、頭の中で宿泊用に離れの建築の算段を急いで計画する羽目になり地味に焦る事になった。
「あの」
「……うん?」
部屋は三部屋でトイレと風呂場を作ってと考えていたリカルドは、クシュナの言葉に反応が遅れた。
「あの、私達だけ……ですか?」
夕方の人通りがある道をフードを被ったクシュナと私服のジョルジュ、リカルドが並んで歩く中(ナクルは途中で疲れ、抱っこしようとしたジョルジュとクシュナを怖がったためリカルドが抱っこしている)、クシュナは窺うように隣のリカルドを見上げた。
他の方は、と尋ねるクシュナにリカルドは微笑み固定のまま、口元に人差し指を当てた。
「事情は家に着いてからお話しします」
「は、はい……」
大の男が口元に指を立てるのはなかなかアレだが、それなりに整った顔立ちのリカルド(日本版)がやると様になっていて、クシュナは思わず視線を逸らした。
一目惚れに近い感情を抱いていたクシュナは(リカルドさんって奥さん居ないのよね?家にお邪魔するって……)と、少しばかりドギマギしていた。
そんなクシュナの様子に全く気づいてないリカルドは、特にそれ以上の会話をする事もなく、黙々と家路へと急いだ。何しろ帰るなら早めに帰って事情をシルキーに伝えなければいけない。
こうなるとシルキーとの連絡手段が欲しくなるなぁと思ったリカルドは、そういえば以前その手の魔道具を開発しようとしていた子がいたなと思い出した。
(あれからそれなりに経ったけど、出来てるかな?)
ちょっと様子を見てみようと思いながら家に着くと、既にハインツ達の気配はなかった。帰った後かと、鉢合わせしなかった事に少しホッとしながらリカルドは家のドアを開ける。
ハインツ達が居たところでリカルドはどうにかするつもりではあったが、労力は少ない方がいい。
「ただいま」
リカルドの声に、居間からひょこりと顔を覗かせる樹。
「おかえりなさ——クシュナ?」
「あっイツキ君」
知り合いの二人はお互いに声を上げて指を差し、はっとしたクシュナが慌てたように頭を下げた。
「この間はごめんなさい!」
「あ、いや……大丈夫だけど……」
大騒動に発展した事件を思い出した樹は、どういう事かとリカルドに視線を向けた。
「実は彼女達に魔法を教える事になったんだ。で、いろいろ面倒な事があったからうちに招いて教える事にしたんだけど……説明はちょっと後でいいかな」
リカルドは断ってキッチンにナクルを抱っこしたまま向かい、そこで夕飯を作っていたシルキーに声をかけた。
「シルキー、今ちょっといい?」
〝おかえりなさい。どうされました?〟
「急で申し訳ないんだけど、夕食を二人追加出来るかな? あと、この子用に何か」
シルキーはリカルドに近づいて、歩いているうちに眠ってしまったナクルの顔を覗き込むと、眉を下げて労わるような表情を浮かべた。
〝胃腸がとても弱っているようですね〟
「うん、どうもまともに食事を与えられなかったようなんだ」
リカルドの後方で息を呑む音が重なった。
一人は同じ聖女見習いのクシュナで、もう一人は聖女を守る役目を負った教会騎士のジョルジュ。
「どういう事です」
少年顔に似つかわしくない険しい顔をしたジョルジュに、リカルドは後で説明しますと言い置いて、ナクルを一旦自分の部屋に寝かせた。二階にまだ部屋は余っているのだが、基本的に二階は立ち入り禁止にしておきたかったので、使用頻度の低い自分の部屋にしたのだ。
「あと少し待っててもらえますか?」
とりあえず寝泊まりするところを作らないととリカルドはクシュナとジョルジュを居間に残してハインツ達が訓練に使っているのとは反対の庭の一角に、小さな小屋を魔力で作り上げた。
そこから
「ジョルジュさんから事情を聞きました。誰にも言わないので安心してください」
真面目な顔で頷く樹。
樹はジョルジュから、リカルドが樹ならきちんと黙っていられる人間だからと説明を受けた事を明かされた。だからクシュナともう一人の聖女見習いをこの家に預ける事に教会は同意したのだと聞いて、自分がリカルドに信用されていると知り嬉しかったのだ。
樹も食事を与えられていないという男の子の事は気にはなったが、これから仕事の話をするのだろうと察しはついていたので、「シルキーさんの手伝いをしています」と言ってキッチンに下がった。
その姿にリカルドは、余計な詮索をしない出来た子だよなぁとしみじみ感心しながら、樹が座っていたところに腰を下ろした。
正面に座る二人は、片方は困惑顔で、片方は警戒心露わと対照的だが、どちらの感情も理解出来るリカルドは緩く微笑みを浮かべた。
「では、どこから説明しましょうか?」
最初に手を挙げて口を開いたのはジョルジュだった。
「ナクル様が食事をされていないというのはどういう事ですか? そのような報告はどこからも受けていません」
「それはまぁ報告しないようにされているようですから。たぶん、私の指導は受け入れられないとおっしゃられた方々の嫌がらせでしょうね」
「……うそ」
呟くクシュナとは対照的に、ジョルジュは視線を鋭くした。
「あなたはいつそんな事を調べたのです」
内部の人間であるジョルジュですら知らなかった事を、依頼を受けたばかりの部外者が何故わかるのだと指摘され、リカルドは肩を竦めた。
「私も火種がありそうなところに首を突っ込みたくはありませんから。少しだけ音を拾い集めさせてもらいました」
「音?」
「風魔法の一種です。波長を捉えれば離れたところでも音を拾う事が出来るんですよ」
本当は
「……聞いた内容を確認させていただきたい」
余計な事まで聞いてはいないかと危ぶむジョルジュに対して、リカルドはあっさりと頷いた。
「では後ほど書面にしましょう。
それと先に言っておきますが、この件について口外する気もありませんし、教会内の権力闘争に口出しするつもりも組織内の不正を指摘するつもりもありません。
私はただ依頼された事を遂行するだけですので、それ以上もそれ以下も働く気はありません」
だから書面に起こした情報を使うも握りつぶすもご自由にと言外に告げるリカルドに、ジョルジュは視線を鋭くしたまま観察していたが、リカルドが嘘を言っているようには見受けられず、やがて視線を外して重いため息を吐いた。
「見直しが必要なのは騎士だけではないとは……」
「……あの、他の聖女見習いがって、本当に?」
クシュナはクシュナで、自分に対しては普通に優しかった同年代の少女達を思い浮かべて、どうしても信じきれず尋ねるが、これにもあっさり頷くリカルド。
「一番大きな理由はあの子が孤児だからだそうです。そんなものと同列に扱われたくない気持ちが強いようですよ」
「そんな………」
そんな事でと思うと同時に、他の三人の聖女見習いがみな貴族の出身である事を思い出すクシュナ。
遠い存在だと思っていた
「……あなたの家で指導をと主張したのはそれが理由ですか」
「教会で指導を始めれば妨害を受ける可能性があったのと、あの子の心身をあの場から一度切り離して落ち着かせる必要があったので。もちろん指導効率が上がるというのも理由としては本当です。
他に質問はありますか?」
「………イツキから、彼も冒険者に指導をここで受けていると聞きましたが、部外者がいる事を聞いていません」
「クシュナさんにもナクルくんにも姿を偽る魔道具をお貸ししますから顔を合わせたとしてもまず問題はないかと」
しれっと答えるリカルドに、平凡そうに見えてなかなか食えない御仁だと内心で認識を改めるジョルジュ。
「冒険者の名前を教えていただけますか」
「ジュレというクランに所属しているハインツです。パーティーメンバーのアイルとルゼも暇潰しに来ますが」
「
想定以上の人物に、ジョルジュはくしゃりと髪をかき混ぜた。
「バレたら口外しないよう誓約を頼みますよ。その程度であれば受けてくれるでしょうから」
「そう簡単に誓約を受けてくれますか?」
簡単に誓約と言うリカルドに疑念の目を向けるジョルジュ。誓約魔法は掛けられる方の同意が有ればすんなり掛かるが、言動を強制的に制限する魔法をメリットもなく許容する人間は多くない。
「既にうちの精霊の件で誓約を受けてくれていますから。教会の威信に関わると言えば面倒ごとには関わりたく無いと喜んで受けてくれるかと」
「……まぁ、
教会相手にゆすったり、その情報を金に変える必要がないほどの金を稼いでいるのが
「今後はこのような事は事前に話していただけますか」
「この家に彼ら以外に招く予定は無いので大丈夫だと思いますが、何かあれば事前にお話しする事を約束します」
真面目な顔をして頭を下げるリカルドだが、内心ではふいーと汗を拭っていた。
虐待を受けている事を知った時点で、一旦教会から引き離したくて出来る方法を探った結果が今回のやり方だ。
事前にハインツ達が来ている事を言えば厭われて連れてくる事が出来なかったので、騙し討ちのような方法となってしまったのだ。
ジョルジュやダグラスの心象は悪いだろうが、それでもあんな環境にいるよりはマシだろうとリカルドは満足している。
最年少の聖女見習いであるナクルは、生まれてすぐに捨てられた孤児だ。孤児院で育ち、悪友に引っ張られて無理やり肝試しに付き合わされた結果、そこで浄化を発動させて教会の目についた。
すぐに聖女見習いとして引き取られたのだが、ナクルの後見についたのがキャストレイという神官だ。
そう、キャストレイといったらクシュナの恋人候補の一人だ。物腰柔らかで誰にでも優しいが、その中身は完璧主義者。孤児で読み書きも覚束ない、聖魔法の進展もない、礼儀作法も身につかない、環境に馴染めず泣いているナクルに早々に見切りをつけてミヒャエルに世話役を申し付け、表面上そうは見えないが今はもうナクルの存在など頭に残っていない。なかなかの鬼畜野郎だ。
世話役にダグラスあたりがつけばこんな事にはならなかっただろうが、ミヒャエルは聖女として大成しないであろうナクルに苛立ち、駒として使えないならば面倒な世話役から解放されるため、自分から逃げ出すようにと、貴族出身の聖女見習いに穢れた存在がいると囁いて間接的に脅しをかけたり食事を抜かせたり、そういう事をしていた。
リカルドがダグラスに虐待の事実をあの場で話したとしても、教会内で調査をすればすぐに証拠隠滅されるのと、余計にナクルの身が危うくなりかねないので、リカルドとしては騙し討ちで自分の心象が悪くなろうとも、ナクルを一旦保護出来れば構わなかった。というのが事の経緯だ。
(だいたい、あの子が見習いの中で一番魔力操作が上手だしな。魔力量さえどうにかすれば、あの子が一番破邪結界を習得するのが早い筈)
栄養不足を補うためとかいってこっそり過禍果実入りのお菓子でもシルキーに作ってもらおうと、実はとんでもない事を考えているリカルド。
(それにうまく行けば回復魔法だとか、ヴァンパイア化の治療にも携われるレベルになる。子供だから闇魔法に対する忌避感もそうないだろうし)
教会も教会だが、リカルドの方も完全に善意とは言い切れない微妙なラインで、果たしてナクルにとってはどちらが幸せだったのかは謎である。
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