第36話 誰しも苦手なものはある——あってほしい

 日は変わって早朝。

 リカルドは占いの館を終えて(ザックと通り魔に襲われそうになっていた女性と貸馬車屋を営んでいる主人がやってきた)、朝の買い出しと水撒きを終え、そのまま居間でひと休憩していたところシルキーが声だけを届けてきた。


〝リカルド様、お客様のようです〟


 こんな時間に?とリカルドは思ったが、すぐにソファから起き上がった。


「シルキー、そっちは大丈夫?」


 姿を見せない事にリカルドが心配すれば声はすぐに返ってきた。


〝大丈夫です。魘されているので手を握っていました〟


 その言葉に一晩中握ってくれていたのだろうと思い至り、頭が下がる思いのリカルド。

 ありがとうシルキーと礼を言ってドアノッカーを叩く音がする玄関に出ると、そこにいたのはハインツだった。顔色は悪くは無かったが、飄々とした空気はなく重たい表情だ。


「朝早くに悪い」

「いや平気。俺朝早いから」


 リカルドは年寄りじみた事を言いながら、とりあえず居間だと樹くんが起きてきたら遭遇してしまうなと自分の部屋に招く。

 ベッドとテーブルぐらいしかない生活感のない部屋がリカルドの部屋だが、今日は樹の送還に必要な素材リストやら手順やらを書き出した紙が雑に散らばっていた。


「あー悪い、ちょっと昨日(頭の中)整理してて。そこの椅子座ってて」


 工程の多い送還方法を間違えないようにと書き出していた紙を拾い集めるリカルドに、ハインツは何気なくベッドにも散らばる紙に目を落とし、そこに書かれている素材に目を見張った。


「お前これ、何に使うんだ?」

「これ? 樹くんの送還」

「……あぁ」


 中には霊薬エリクサーに使われるものもあり、もしや妹の?と思っていたハインツは一瞬遅れて、そっちかと納得した。

 そして昨日からずっと妹の事ばかりで頭が一杯な己に笑う。改めて見れば到底妹に使うとは思えないものがいくつもあり、視野狭窄に陥ってるなと頭を掻いた。

 それからベッドに散らばる紙を集める手伝いをしながら、そこに書かれた内容に舌を巻いた。希少素材のオンパレードはともかく、常人には不可能とも思える精錬の手順、複雑で緻密過ぎる陣に、それに掛かる膨大な魔力を想像すると、リカルドの凄さを改めて目の当たりにした気分だった。

 もともとハインツも異世界へ勇者を送還するなんて芸当が容易いとは思っていなかったが、実際にその片鱗を目にすると実感の度合いが違った。

 顔立ちは多少いいが、それ以外はどこにでもいそうな普通の人間なのになと、リカルドの横顔を盗み見るハインツ。


「それで、話があってきたんだろ? 心配しなくても防音かけてるから何でも話していいぞ」

「あぁ……とりあえずこれ」


 促されて、ハインツは集めた紙と一緒にテーブルに革袋を乗せた。

 乗せた瞬間、ジャラリという音がしたので、リカルドもそれがお金だとすぐに気づいた。


「いくら掛かるのか聞いてなかったから、とりあえず手持ちを持ってきた」

「手持ちってお前……」


 皮袋の口を開けたリカルドは、引き気味にハインツの顔を見た。手持ちという枕詞がつくような額ではない。


「ギルドに使ってない分預けてるからある程度は払えると思う」

「あー………うー………わかった。じゃあこれは預かっとく」


 リカルドとしては一番労力を割いているのはシルキーで、金銭的なものは今のところ衣類ぐらいしか掛かっていない。なのでいきなり数百枚単位の金貨(金貨一枚十万ルク)を出されても、実費に合ってない感が半端なくて受け取りづらいのだが、ハインツの気持ちもあるので単純に突っ返えすのも憚られた。

 実際のところ、どこにいるのかもわからない人間を見つけ出して即座に転移で確保し、高位の回復魔法で癒した上で世界樹の葉を使った薬を使っているので、普通にギルドに依頼しようとすると天文学的な金額になる。

 リカルドもその辺の金銭感覚を認識してないわけではないのだが、自分で素材を取ってきていたり、努力したわけではなく得た力を使用しているので、いまいちそれでがっぽりお金を取るという感覚に至らないのだ。あと、純粋に日本円換算で億単位のやり取りに思考がついていかないというのもある。


(実費差っ引いて、残りは妹さんが回復した時に渡そうか……)


 まるで息子が働き出して家に入れてくれたお金を密かに貯金する親のような事を考え始めるリカルド。小心者かつ家庭的な思考の死霊魔導士リッチである。


「それだけでいいのか?」


 億単位のお金をそれだけと言うハインツに慄くリカルド。


「いい、いい。十分だから」

「全然足りてないんじゃないか……?」

「実費からの差が激しくて俺が耐えらんないからやめて、お願い」


 降参するように両手を上げて頼むリカルドに、ハインツはほんのりと苦笑を浮かべた。これだけの腕の魔導士がよくこんな性格で在野に隠れていたなと。


「お金の事は本当に心配しなくていいから。治療に使ってる薬も俺の自作だし。あ、自作だけどちゃんとしたものだからな? 変なものは使ってないから」

「その辺は心配してないって」

「そうか? 心配なら持ってって鑑定してもらっててもいいと思ってたんだけど」

「そんな事しなくても信じてるよ」

「そ、そうか……」


 真面目に信じると言われて視線を逸らし頭を掻くリカルド。真っ直ぐな言葉に弱い死霊魔導士リッチは健在だ。


「妹さんだけど、まだ目は覚してないんだ」

「そうか……」

「状態は逐次教えるし、先の話になるだろうけど会えそうになったら言うよ」

「……あぁ」


 生きて会えると思ってなかったハインツは、十分だと言うように頷いた。


「昨日は悪かったな。イツキはどうしてた?」

「樹くんなら重力魔法を習得してぴょんぴょん跳ねてたよ」

「……重力魔法?」

「加重かけたり、重さを減らしたり。知らない?」


 もしかして珍しい魔法だったのかな?と首を傾げるリカルド。


「いや知ってるっちゃ知ってるけど、またなんであんなものを?」

「送還した時にあちらのどこに出るか分からないんだ。だから高所に出てしまった時の対応で覚えてもらったんだよ」

「あぁそういう……いやだけどお前、それなら風魔法でもなんとかなるだろ。あれはかなり難しい部類の魔法じゃなかったか? 魔法はまだ教え始めたばかりだろ?」

「教えたばかりって言われたらそうだけど、ずっと魔力操作に重点を置いてたからな。すんなり発動したぞ」

「……お前って指導役も向いてるんだな。ひょっとしてルゼ預けたら回復魔法とか聖魔法とか使えるようになるんじゃないか?」

「あの少年? そりゃまぁ魔力操作がうまくいけばできるだろうけど」

「え………出来るの?」

「出来るだろ? 魔力あるんだから」


 魔力がなければさすがに難しいが、元があるのだから、あとはコントロールだと認識しているリカルド。そういえば昨日の夜、ザックにも同じ事話したなと思い出していた。

 対してハインツは一般常識として素質で出来る出来ないが決まっていると認識していた。なので、当たり前のように出来ると言うリカルドにポカンとした。


「いや、お前、聖魔法だぞ? 魔力があるからって」

「特別な素質が必要云々って話はデマだよ。まぁ今まで使った事が無いって事なら魔力のタイプがそっち方面じゃないんだろうけど、それでも魔力操作を鍛えれば簡単な聖魔法ぐらいは出来るんじゃないか? 威力は保障しないけど」

「………本気で言ってる?」

「あぁ」


 ……まじで?とハインツは口元を押さえた。

 ルゼは闇魔法の適正が高くそれが理由でザックに師事しているのだが、本人は天使族を見返したいと思っている為、彼らの得意属性である聖魔法を会得したいと未だに努力しているのだ。その事をラドバウトとハインツは知っているので、さらっと可能だと断言するリカルドの事を、ルゼに言うべきか言わざるべきか迷った。言えば間違いなくリカルドに突撃するだろうが、そうなると師事しているザックとの確執にもなりかねないし(自分の弟子が取られたという事ではなく、自分も弟子になりたいのにという意味で)、何よりリカルドの迷惑にもなりそうだった。


「んー……そう、か」

「なんだ? 歯切れの悪い言い方して」

「いや、ルゼは聖魔法に固執しててな……それで……言えば目の色を変えるだろなぁと」


 聖魔法に固執というところで、なんとなく事情を察するリカルド。天使族とのあれやこれやだなと。


「ややこしい事になりそうだから黙っててくれない?」

「まぁその方がいいだろうな」


 頷くハインツにリカルドはほっとした。

 吸血鬼達に天使族を疑うよう仕向けた手前、そちら方面と関わり合いになりそうな案件は極力避けたいリカルドだった。


「………」


 不意に黙り込んだハインツに、二階で眠る妹さんのこと考えてるのかなと思うリカルド。実際、そうだった。


「……なんか、駄目だな。すぐに頭が持っていかれちまうわ」

「駄目じゃないだろ。至って人間的な思考だと思うぞ」

「そうか……」

「ただな、リスクの高い仕事は今は受けない方がいい」


 リカルドの忠告に、ハインツは苦笑いを浮かべた。


「気もそぞろで危なっかしいってか?」

「ハインツ自身もだけど、それをフォローする仲間も危険に晒される」

「まぁ……そうだな……」


 言葉を濁すハインツに、ラドあたりに相談してくれたらいいんだけどなぁと思うリカルド。

 年下ではあるが、ラドバウトならハインツの状態を見て上手いこと仕事の割り振りを考えてくれそうな気がリカルドはするのだが、話さなければそんな事出来ようもない。

 一番確実な安全策は精神安定の護符を作って渡す事なのだが、そこまでやるとハインツは施しと思って受け取らないので仕方がない。アイルに頑張って見張ってもらうしかないなぁと思うリカルドだった。


「このまま朝ごはんもうちで食べるか?」

「いや、一度戻る。先に行ったって知ったらアイルの奴が拗ねそうだからな」

「あぁ、それね。確かに」


 容易に想像出来てリカルドが笑えば、つられてハインツも笑う。


「あいつ、ルゼを除いたらジュレの中で最年少でさ。上の連中に可愛がられてきたんだが、ちゃんと下の面倒も見れるんだなって、少しホッとしたわ」

「ちょっと過干渉気味だけどな」

「それでもだよ」


 ハインツは兄貴分の顔で笑うと、それじゃ朝から悪かったなと言って帰っていった。

 その姿を見送りながら、そのうちラドと話す機会を作った方がいいかもしれないなと思うリカルド。本当ならハインツが自分から話した方がいいとは思っているが、その前にハインツは一人で決めてしまいそうな気配があった。


「クランを抜けるとかなったら妹さんに負担がかかるんだよなぁ……」


 意識がはっきりしないうちはいいが、落ち着いて物事を考えられるようになった時、やり場のない感情に潰される未来がある。

 ハインツは彼女にとって唯一剥き出しの感情を向ける事が出来る相手だ。それが自分のせいで有名なクランから脱退する事になったと知れば、感情の向き先を失ってバランスを崩す。

 それでもどうにかすれば大丈夫なのかもしれないが、はっきりと最後まで確認できたわけではないリカルドは、しばらく玄関で唸っていた。


(まぁラドにはハインツの報酬の件で話があるし、それとなく聞いてみるか)


 樹の教師役をやってもらう報酬として、ハインツにはヒヒイロカネを渡す予定なのだが、雑談の中でそれをラドバウトの装備に回すという事をリカルドは聞いていた。

 真祖との戦闘で某一狩りの装備がボロボロになったため、それの代わりになるものを探していたのだ。現在は間に合わせで対応しているらしく、そういう事なら前払いでもいいとリカルドは考えていたところだった。


 居間に戻ると、そこからキッチンでシルキーの手伝いをしている樹の姿が見え、そちらに足を向けるリカルド。


「おはよー」

「おはようございます」

「今日はベーコンエッグか。カリカリでおいしそー」


 スープを入れるのをリカルドもいそいそと手伝って、焼きたてのパンを籠に盛り、配膳を終えてさあいただきます。というところで、シルキーが来客を告げた。


「ギルドですか?」

「どうだろ? あ、気にしないで食べてて」


 樹にご飯を促して、全く間の悪いとブツブツ思いながらリカルドが玄関に出ると、顔にそばかすの浮かんだ金髪色白の15、6歳の少年がいた。


「リカルド様でしょうか?」

「はい、そうですが……」


 リカルドが妙に綺麗な所作の少年に訝しみながら頷くと、少年は普通の町民の服装の下から真っ白な封書を取り出した。


「こちらをご確認ください」


 そう言って差し出したまま動かない少年。

 なんだ?と思いつつそれを受け取って開けたリカルドは、なるほどと少年の所属を悟った。


「承知しました。こちらの通り伺います」

「ありがとうございます」


 頭を下げてそれ以上は何も言わず颯爽と踵を返した少年。リカルドも封書を時空の狭間に入れながらキッチンへと戻った。


「おかえりなさい」

「ただいま。今日もお昼ごはん食べたら出かけてくるよ」

「ギルドです?」

「それ関連だね。戻る時間はちょっと読めないけど、夕飯までには絶対帰ってくるよ」

「今日は訓練は」

「やっててもらっていいよ。その辺はハインツに任せるから、それに従ってもらえる?」

「わかりました」


 二人でご飯を食べ終えると並んで食器を洗い、程なくしてハインツ達がやってきた。午後にリカルドが出掛ける事を伝えると、特に問題ないとハインツは請け負った。


「ギルドからの呼び出しか?」

「いや、依頼」

「へー。ちゃんと仕事してたんだな」

「をい」


 今日もアイルにウォーミングアップを任せたハインツに、心外な、とリカルドは半眼を向けた。


「あ、でもお前が仕事ってなると、やばそうな山?」

「やばそうな山とか受けんわ」

「えー? その実力で?」

「人間平穏が一番。危険な事は性に合わないんだよ」


 などと嘯く死霊魔導士リッチ

 事実を知るものが居ればお笑い種だが、幸いな事にウリドールは聞こえていてもお口にチャックをしていた。ウリドールも成長していた。


「心配しなくても樹くんや妹さんの面倒見てる間、俺がどうこうなる事はないよ」


 どうこうなるような事があるとしたら、その時はこのグリンモア自体が何かに巻き込まれて王都が危険に晒された時ぐらいだろうなと思い浮かべるリカルド。

 

「別にそこを心配したわけじゃないけど……」

「それに俺、血がだめだから危険な事とか無理なんだよ」

「……………は?」


 え?なに?聞き間違い?と聞き直すハインツに、リカルドは視線を合わさずボソボソと答えた。


「……だめなものはだめなんだよ。マジで気持ち悪くなるし、昔から苦手なんだよ。匂いも、質感も、なにもかも」

「え……すっごい意外。え? あれ、でも送還に使うって中にそれっぽいのなかったか?」

「………そこは、頑張って我慢してやる」

「がんばって、がまん」


 ――ぷっ。と、ハインツは堪えきれず吹き出してけらけらと笑った。


「お、お前、それでよくギルドに登録してるな」

「う、うるさいな! しょうがないだろ?!」


 冒険者が血がダメとか、じゃあそもそもギルドに登録するなよという突っ込みは受け付けたくないリカルド。恥ずかしさと焦りから表情を作り忘れて真顔で早口で捲し立てていた。


「悪い悪い、貶してるわけじゃなくって、お前もダメなものがあるのが意外過ぎて」

「誰しもダメなものの一つや二つあるだろ!?」

「あーまぁ? 俺は別にないけど?」

「嘘つけ! 絶対ある筈だ!」

「いやいや無いって」

「虫とか爬虫類とか!」

「それダメな冒険者ってほとんどいないからな」

「ぐぅぅ……!」

「誰にも言わないからそんなムキになるなって」

「腑に落ちない……! 絶対お前だってある筈なのに……!」


 爽やかにあしらうハインツにギリギリと歯を噛み締めるリカルドだが、さすがに虚空検索アカシックレコードで調べようとはしなかった。こんな事で使ったらある意味負けなような気がしたからだが、その意志はぐらぐら揺れている。


「何話してるんです?」

「んー? なんでもないよ。じゃあ始めよっか」


 戻ってきたアイルに聞かれ、ハインツは誤魔化して訓練を始めたが、リカルドはしばらく虚空検索アカシックレコードで調べたい衝動を抑えるのに苦心する事になった。

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