第35話 ギルドの監視要員と重力魔法
それからリカルドは自分の都合という事にして、午後の訓練を中止にした。それからここ数日の流れでシルキーの用意した昼ごはんをみんなで食べて、帰る間際のアイルを捕まえた。
「アイル」
「……なんだよ」
そっと声を掛けたリカルドに、アイルは嫌そうな顔をしながらも玄関をくぐる前で足を止めた。
ハインツは家を出たところで明日の予定を樹と確認していて、ルゼは生垣に止まらせている監視用の
リカルドはさりげなくドアを少しだけ締めて彼らから視界を塞ぎ、気づかれない程度の防音をかけた。
「しばらくハインツの様子に注意してくれないか」
アイル達の前では普段通りに振舞っていたハインツだが、それが表面上の事というのはいくらか先を見たリカルドにはわかっていた。だからこそ、こちらの都合という事でハインツを帰らせる事にしたのだ。ひとまず一人で落ち着いて考えられるように。
「はあ? なんでお前にそんな事言われなきゃならないんだよ」
「もし普段と違うと思ったらこれを使ってくれ。二、三滴入れたものを飲ませればマシになる筈だから」
アイルの言葉をまるっと無視して小瓶を押し付けるリカルド。
押し付けられたアイルはしぶしぶ受け取ると小瓶を持ち上げ、薄い緑色の仄かに輝いている液体に眉をひそめた。
「なにこれ」
「聖樹の葉で作った安らぎの雫(依存性無しの錯乱緩和兼精神安定剤)。信用ならないなら誰かに鑑定してもらってくれ」
「………」
さらっと聖樹の葉と言うリカルドに胡乱気な視線を向けるアイル。だが、ごく一般的な庭で世界樹なんてものを育てている非常識なリカルドに対して、明確に偽物だと決めつける事が出来なかった。
そして、それ以上にこんなものを渡される意味の方が気になった。ハインツに何かあったのかと。
「何があったのか聞きたいだろうが、そのうちハインツの方から話すだろうから。それまでは聞かずに居てくれないか」
思考を読んだようなリカルドの言葉にアイルは鼻白んだ。
「何だよそれ……お前にはハインツさんが話したっていうのか?」
パーティーメンバーで教え子である自分よりも、数回しか会った事のないお前なんかに?と、アイルが気色ばむのを手を上げて止めるリカルド。
「いや、俺の場合は話したわけじゃなくて居合わせただけだ。たぶんハインツの事を一番良く見てるのはアイルだと思うから、ハインツの事頼む」
リカルドが真面目な顔で頼めば、アイルはぐっと眉間に皺を寄せた。
「お前に言われなくても」
フンと鼻を鳴らして小瓶を腰のポーチに突っ込みドアを開け大股で出て行くアイル。
その背を見送り、とりあえずアイルをつけておけばハインツは大丈夫だろうと息を吐くリカルド。ハインツ自身に渡しても良かったのだが、どうもハインツは自分の身体を過信しているところがあるようなので、ハインツ大好きのアイルに託す事にしたのだ。
「リカルドさん、何かあったんですか?」
ハインツ達を見送って戻ってきた樹は、玄関のところで腕を組み考え込んでいるリカルドに足を止めた。
樹はリカルドが午後ギルドに出掛ける事は聞いていたが、それで訓練を中止するとは聞いていなかった。だから疑問ではあったのだが、何かしら意味はあるのだろうと思っていたのだ。
「ん? ……うん、ちょっとね。急なお客さんが来て」
「そうだったんですか」
リカルドは動揺しているハインツを前にしていたので努めて落ち着いた態度を心掛けていた。だが、一人になると今後の展開を頭の中でいろいろと考えてしまっていた。いい展開も、悪い展開も。
とはいえ、それを樹に知らせる必要もない。リカルドは組んでいた腕を解くといつもの笑みを浮かべた。
「樹くん、二階にそのお客さんが泊まる事になったから暫くは二階に登らないようにしてくれるかな?」
「わかりました」
樹の部屋は一階にあるので、二階に登る事は元々無い。お客というのがどんな人か気にならないわけではないが、世話になっている身として異論はないと頷く樹。
「今日は中止にしてごめんね」
「いえ。何か事情があると思いましたから。俺、魔法の自主練とか今日教えてもらった事とか復習してるんで大丈夫です」
「そう言ってくれるとありがたいよ。ちょっとこれから出てくるけど夕方には戻るから」
「わかりました」
樹が頷くとリカルドはキッチンに向かい、そこにシルキーが居なかったので呼びかけた。
「シルキー」
リカルドが呼びかけると、ふっと目の前にシルキーが現れる。
「シルキー、必要なものはあるかな?」
〝女性ものの衣類と、それから——〟
リカルドはシルキーが言うものをメモしてポケットに入れた。
「勝手に引き取って面倒見るとか言っちゃったけど、ほとんどシルキーに任せてごめん」
〝いいえ。こうしてお役に立てることが嬉しいので〟
シルキーは胸に手を当ててほんわりとした笑みを浮かべた。
その姿にリカルドは家つきの精の
樹が庭で自主練を始めたのを横目に家を出たリカルドは、まずは買い出しに向かった。暗くなると飲食店以外の店はすぐに閉まるので、ギルドに行って話が長くなると揃えられない可能性があるからだ。
樹の時で大体どこに行けば買えるのかはわかっているので問題なく買えたのだが、女性特有のものを買うのはさすがに恥ずかしかったリカルド。鉄壁の微笑み固定がなければ不審者になっていただろう。
籠に入れて不足が無いか確認し、それからギルドへと向かうと昼下がりの中途半端な時間についた。
時間が時間なせいか窓口の職員は少なく、来ている冒険者の姿も無い。
「こんにちは。こちらをいただいたので参りました」
リカルドは窓口の職員に召喚状を見せた。
リカルドを見るのが初見だった職員は、買い物籠を腕に下げた相手がまさか冒険者とは思わず、召喚状を見て一瞬目を丸くした。すぐに表情を引き締めて奥へと通したが、冒険者?だよな?とその格好をチラチラ見ては内心首を傾げていた。
そんな風に見られているとは考えてもいない呑気なリカルドが通されたのは、小さなローテーブルを挟んでソファが二つ置かれている部屋だった。
商談とか来客とか、そこまで格式ばった相手じゃない時に使う部屋かなとリカルドが観察しながら待っていると、リカルドと同じ背丈ぐらいの初老の男性がやってきた。
白くなった髪を後ろで束ねた男性は、ギルドの職員というより、教師のような厳しい雰囲気があった。
「ここの副ギルド長をしているサイモンだ」
「初めまして。リカルドです」
副ギルド長だったのかと、差し出された手のひらを握り返しながら挨拶を返すリカルド。
Fランクのリカルドに副ギルド長なんて役職持ちが対応したのは、教会側から依頼についてはギルド長と副ギルド長までにしか知らせないようにして欲しいという要望があったためというのと、もう一つ理由があった。
「早速君を指名した依頼について説明したいのだが、いいかね?」
「どうぞ」
二人とも座ると、余計な話はなしに本題へと入る副ギルド長のサイモン。
「依頼内容は聖魔法の伝授になる。対象は聖女見習い。依頼主はもうわかると思うが教会だ。報酬は500万ルクで、期間はひと月。成果次第で報酬の上乗せもある」
リカルドは知ってはいたが、500万かーと大きなお金に内心そわそわしていた。外見は安定の微笑み固定で動かないが。
ちなみにFランクへの依頼で500万という金額は破格を通り越して有り得ない金額だ。本当のFランク相当の人間ならその額の多さに動揺するのが普通なので、リカルドの無反応にも見える様子にサイモンは目を細めていた。
このサイモン、魔導士としての能力と事務能力を買われて副ギルド長に収まっていると周囲には見られているが、実は鑑定を持っており、グリンモアの最大支部であるこのギルドに配置されているギルドの内部監視要員だったりする。
ギルドは様々な国に根を張っているが、どの国に所属しているというわけではなく完全に独立した組織のため、いろいろな国、組織から干渉を受ける事があり、時折リカルドのように能力の高い人間が入り込む事がある。その殆どが、他の組織からのちょっかいだったり鞍替えだったり、何かしらの訳ありのケースが多い。そしてそういう人間は問題を引き起こす傾向にあるため、サイモンのような監視要員がギルドの要所には置かれている。
このギルドでも、リカルドが死霊屋敷を解決した時点で何者なのかという議論は持ち上がっていたのだが、生憎とその時サイモンは別件に駆り出されて不在だったため、今回ようやく接触して鑑定を行う事が出来た。ただまぁ残念ながらステータスの関係でリカルドの情報を見る事は出来なかったのだが。
サイモン自身は魔導士のステータスではあるがそれなりの能力を持っている為、見えない相手はSランクといった限られた相手しかおらず、であるならばこの新人のふりをした何かはそれと同等か、それ以上かと考えていた。
「受ける受けないは君の自由だが、どうするかね?」
「二つ確認を。成果次第とありましたが、最低ラインのようなものはありますか?」
「聖結界の効果範囲を一人でも聖女並みにする事だ」
教会から送り込まれたなら、わざわざ教会と繋がっている事を示すような依頼を出すはずがない。故にこの新人の振りをした何かは教会関係者ではないと除外しながら答えるサイモン。
「なるほど。指導方法についてはこちらの自由にしてもいいのでしょうか?」
「指定は無かった」
リカルドはどちらもわかっていたが、ギルドと確認作業を行ったという事実が大事なので満足して頷く。ちなみに、サイモンが自分の事を観察しているとは全く気付いていない。あくまで教会が依頼を表に出さないようにという事で出て来たギルドのお偉いさんぐらいにしか考えていなかった。
「わかりました。依頼を受けます」
「……相手は教会、まして見習いとは言え聖女だ。何かあればこの国も黙ってはいまい。肝に銘じておくように」
サイモンは忠告を口にしながら、あまり牽制の意味は無いだろがなと内心嘆息する。
仮にどこかの組織が教会に接触しようと送り込んだ人間だとしても、正規の手順で依頼が行われているので、ギルドとしては教会にFランクである事を念押しするぐらいしか出来る事がないのだ。
リカルドはサイモンが差し出した依頼書を特に緊張する事もなく受け取って中身に目を通し——ふと、サイモンの視線に気づいた。
「……一応庶民レベルの礼儀は弁えているつもりですが、それ以上の事を先方はお望みですか?」
低ランクの自分が失礼な事をしないか心配なのだろうかと首を傾げるリカルド。
「いや、貴族を相手にするような礼儀はさすがに求めていないだろう」
「そうですか……何か気になる事でも?」
「……いや」
サイモンは首を振って懸念を飲み込んだ。
一番最初に接触したS級冒険者のラドバウトから、危険人物ではなさそうだという報告は受けていた。それからどうやら複数の貴族からも身辺調査を受けているらしい形跡もあり、その上で目立った動きがない事から、そちらには無害と判定されたのだろうという推測もあった。
とても冒険者には見えない普通の町民の格好で、ギルドには不釣り合いな買い物籠を脇に置き、副ギルド長である自分に萎縮するでも警戒するでも、何かを
何をしにギルドに来ているのか目的が見えず、なんとも奇妙な人物だと思うサイモン。
「数日以内に教会からそちらへと連絡が届く。あとは教会と確認して進めてくれ」
「わかりました」
これで話は終わりかなと、本日はありがとうございましたと社会人対応で頭を下げるリカルド。
サイモンはその態度に戸惑い気味に頷きを返して部屋を出た。
やはりどうにも、他の組織から入ってきた人間にしてはその態度というか対応というか、そういうものがちぐはぐに感じていた。
冒険者にしては丁寧で、貴族出身と言うには洗練されておらず、後ろ暗い組織に属しているようにも見えない。かと言って他のどの組織に属しているのだと問われても具体的な候補が出ない。何かの糸口になればと脇に置いている買い物籠の中身を鑑定すれば、出てきたのは女物の服やら下着やら生理用品系やらで。ますますわけがわからない。何でギルドに依頼を受けに来た人間がそんなものを持って来ているのか。
一体何者なんだと副ギルド長を悩ませているとは知らず、リカルドは用事が終わったとさっさとギルドを後にして家路へとついていた。
「ただいまー」
〝おかえりなさい〟
シルキーがふわりと玄関に現れて、リカルドから買い物籠を受け取った。
「全部揃えたとは思うけど足りなかったら言って、すぐに用意するから」
〝ありがとうございます〟
「夕食はどうしよう。俺が作ろうか?」
〝いえ、準備していますから大丈夫です〟
「無理しないでね。樹くんは庭?」
〝はい〟
もう少しで夕暮れになる。相変わらず頑張ってるなとリカルドが庭に出ると、手のひらから出した水を器用に操っている樹が居た。
「そこまで出来るなら他の属性にも挑戦しようか」
リカルドが来ている事に気づいていた樹はぱっと顔を上げて破顔した。
「本当ですか?」
「うん。かなり上手になってるよ。何がいい? 火に風に重力。優先するのはこの辺だけど」
「じゃあ重力で」
「うん、それじゃ重力からやろうか。樹くんは万有引力って知ってる?」
「えーと、すべてのものには引き寄せる力があるってやつですか?」
「そうそうそれ。重力魔法はその力を増減させる事なんだ」
へーと声を漏らす樹。魔法が普及している世界でも物理学ってあるんだなと思っているが、単にリカルドもそちら出身だからだ。この世界の人間に万有引力なんて言っても通じない。
「この魔法は対象の指定が難しいから、まずは自分に対してから始めよう」
「はい」
「足元の惑星が持っている引力を自分に対して減らすようにイメージするといいかな? イメージの持ち方は個人で変わるからその辺はいろいろやってみよう。魔力は自分の周りを包む感じでやるといいよ」
樹は頷いて集中した。魔力はもう随分と動かすのは簡単になっていたので助言通り身体を包むように巡らせ、引力が薄くなるようにイメージした。
「あぁうまいうまい、出来てるよ。軽くジャンプしてみて」
言われた通り樹がその場で軽く飛ぶと、ふわっと身体が舞い上がり、その予想以上の高さに驚いて集中が乱れた。
「う、わっ」
態勢を崩しかけた樹だが、なんとか立て直して転がるように着地した。
受け止めようと思っていたリカルドは、さっそくハインツに教わった受け身を実践する樹にさすがだなぁと舌を巻いていた。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ、です」
想定外の高さにびっくりした樹は呆然としたまま返したが、ふつふつと喜びが湧き上がってきた。
「い、いまの、出来た、って事ですか?」
「ちゃんと出来てたよ。慣れたら逆も出来るし、もう少し魔力操作が上達して、重力を操る感覚がわかったら自分以外にも出来るようになるね」
樹はうわぁ……と、自分の掌を見た。
今までずっと水を操ることしかしていなかったため、アニメや漫画で見たようなこれぞ魔法という魔法に感動していた。
リカルドはそのキラキラした目に内心苦笑しつつ失敗した時用の衝撃緩和剤を用意した方がいいなと考えた。
「ここで見てるから好きなように試していいよ」
危なければサポートするからとリカルドが言えば、樹は早速練習し始めた。
それを庭先に座って視界に入れながら、リカルドはミスリルを取り出して衝撃緩和の魔道具を作り始めた。
リカルドがこの世界にやってきてから季節が一つ巡り、もうじきグリンモアにも冬の季節がやってくる。雪が積もるような風土ではないが、それなりに冷たい風は吹いてくる。
時折頬を撫でる冷たい風と、庭の樹木がその色を赤や黄色に染めはじめた様子に、早いものだなぁと思うリカルド。
(そろそろ樹くんの送還に必要な素材が取れる頃だな……忘れないうちに書き出しとくか)
樹をあちらに送還するために必要なものを思い出しながら、調整を終えた指輪型の魔道具を片手に立ち上がるリカルド。
「樹くん、これ付けてみてもらえる?」
「はーい」
ふわりふわりとジャンプして重力の減少具合を確認していた樹は、器用にリカルドの前に降りた。
「指輪?」
「誤って落ちても衝撃を吸収してくれる魔道具だよ。込めた魔力を使い切るまでは効果が持続するから。色が変わったら魔力が無くなった印ね」
「この腕輪と同じようなものですか?」
「そうそう、それの衝撃緩和特化版みたいなもの」
色合いを本来のミスリルからくすんだ鈍色に変化させた指輪を樹に渡すと、へーと言いながら樹は左手の中指に嵌めた。
多少緩みのあった指輪は腕輪と同様狭まりぴたりと指に合わさった。
「これがあったらあちらに戻る時安全そうですね」
「そうなんだけどね。残念ながら空間を渡る間に力を失うんだ」
その辺は安全に樹をあちらに戻せないか確認した時に判明していた事だ。
がっかりする樹にリカルドは笑って直ぐに必要無くなるよと肩を叩いた。
それからまた樹は重力魔法の練習に戻り、リカルドは座りながら素材集めについて頭の中で今の時期に取れるものをリストアップした。
(繁殖期の古龍の逆鱗が一番面倒だな……まぁ血よりはましだけど)
土竜と風竜の血まみれ事件はリカルドの心に大ダメージを与えた事件だ。
今度は逆鱗をむしるだけなので血は出ないのだが、ダース単位でそれが必要なので剥ぎ取る行為を繰り返す必要があり、今から憂鬱なリカルドだった。
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