第33話 意外と普通に話せる魔導士と慌てる王太子

 樹とハインツの顔合わせはごたついたがどうにか無事に終えた。

 最後の世界樹の衝撃が酷く、帰る段階になってもハインツはふらついていたが。

 リカルドは彼らを送り出した後、自分の部屋で最後まで視線を感じていたルゼの事を調べていた。


「ん? …え……うわ……」


 視線の意味が何なのか、また誤解でもされていないかと確かめたのだが、ちょっと余計な情報まで見てしまってそっと接続を終わらせるリカルド。

 天使族の族長が父親だとか、おもちゃ感覚で天子族に連れ拐われた耳長エルフが母親だとか、天使族の力を発現しないルゼは母親ともども天空都市から叩き落とされた過去だとか見てない。見えなかった。そんな事実知らない。と、目頭を揉む。

 ちなみに視線の意味は、世界樹よりも家つき妖精を重要視する魔導士とは?というものと、世界樹を満足させるほどの魔力とは一体どんなものだろうか?という魔導士的な純粋な疑問で、後者に対しては可能性として自分と同じようなハーフを想像していた。

 そこでリカルドは、そういや天使族と長耳のハーフってどういう状況で成立するの?となって見た結果が先程の情報だ。


 だからあの子は天使族の姿に反応していたのか。と人のプライベート余計なものを見ちゃったなぁと後悔しながら、リカルドは夜になりいそいそと占いの館を開ける準備をしていた。

 ごたごた続きでちょっと休もうかなと考えもしたのだが、休んだところで暇になるだけなのでそれもなと思って開ける事にしたリカルド。もはや仕事なのか趣味なのか微妙なラインだ。

 そして、


「ようこそ占いの館へ——」

「貴殿がリカルド殿の話していた弟弟子か!」


 意気揚々、道を繋げた瞬間に現れたのは長身細身のザックだった。

 お決まりのフレーズを言い切る前に座られたリカルドは、とりあえずテーブルの上に砂時計を置いた。


「お話は伺っております。この砂時計が落ち切るまでお相手いたします」

「むっ、制限があるのか」

「こちらも商売がありますから」


 ザックは砂時計を見て、眉間に皺を寄せた。


「干渉させないようにしています。

 次に不正行為を行おうとされましたらそのままお帰りいただきます」


 何かしらの魔法を感知したリカルドは静かに忠告した。相手が魔導士なので魔法関係の干渉は対策済みだったのだ。そして虚空検索アカシックレコードを使わずとも予測して防げた事がちょっと嬉しかったりして微笑みの下でニヤついていた。

 ザックは肩を落として、だがすぐに身を乗り出した。


「ならば一時も無駄には出来ないな」


 不正行為をしようとした事を悪びれもせず鼻息を荒くするザック。

 リカルドは引き気味になりながら、なんとか身体を逸らす事はせず微笑みを浮かべたまま応じた。


「まずは聞きたいのだが、貴殿も他者に魔力を流せるという認識で合っているか?」

「ええ。その認識で相違ありません」

「では貴殿はヴァンパイア化した人間を元の人間に戻す事は可能だと思うか?」

「完全にヴァンパイア化した人間を戻す事は(ほぼ)不可能です」

「では、完全に変化する前であれば可能だという事か?」

「はい、可能です」

「その方法は?」

「ヴァンパイア化した部分を魔力で検知し、その部分だけを消滅させ回復魔法で補います」

「聞いていた話と同じか……だが、現実的にその方法は無理ではないか?

 消滅魔法は闇魔法の奥義。細部に対して行うというのは高度な操作が必要になる。それと合わせてほぼ得意属性が反対となる回復魔法で欠損を補うとなるとどこを探してもそんな使い手は居ないだろう」


 ザック自身が闇魔法の使い手なので、消滅魔法程の熟練度を持つ魔導士が、欠損を癒すほどの回復魔法を同時に操るという事がいかに非現実的な事か熟知していた。

 意外と真っ当に話すザックに、リカルドは少し肩の力を抜いて首を横に振った。


「何も全て一人で済ませる必要はありません。回復魔法については横に待機してもらい、消滅させたらそこで介入して癒してもらえば問題ありません」

「……それは……確かにそうだが。闇魔法は忌避される傾向にある魔法だからな。私とてある程度までは伏していた属性だ」


 属性的に魔族を想起させる色合い見た目や、闇魔法に精神魔法(禁術)や幻術といった犯罪に悪用されやすい類の魔法を含める分類の考え方もあったりするため、闇魔法=悪のイメージが強く、好んで使おうとする人間はあまりいないというのが現実だ。使える者でも使える事を隠しているケースも多い。さらに女神を奉る教会でも闇魔法をあまり良く思っていないので、ヴァンパイア化を阻止する画期的な方法だとしても協力して対処するとは思えず、普及には相当時間がかかるだろうなとザックは思案した。

 リカルドは考え込んだザックを見て、そこまで悩まなくてもいいんじゃないかなと口を開く。


「闇魔法が忌避とされるのはイメージの問題でしょうから、物質を消滅させる魔法だけを別系統の魔法として分けて位置付ければ問題ないのではないでしょうか?」

「……簡単に言うが」

「魔法は全て魔力から始まる奇跡のようなものです。その発露に神聖さや邪悪さを見出して意味づけているのは人ですよ」


 実際、リカルドにとってはやり易いやり難いは多少あれど、魔力操作によって各魔法に合わせて行使する事が可能だ。各種魔法形態に優劣は感じていないし、聖邪も感じない。ものは使いようだと思っている。唯一例外なのは死霊術ぐらいなものだが、それにしたって邪悪だと思っているわけではなく、単純に苦手なだけだ。


「刃物を持っている人物がいるとして、全員が殺人鬼だとは思わないでしょう。

 肉屋の主人や食堂のおかみさん、家に帰れば妻がナイフを手に果物をむいてくれている。そういう分け方をしているのは人ですから、同じように消滅魔法だけを分けて捉える事はきっと可能ですよ」


 たぶん。と、心の中だけで付け加えて適当な事を嘯くリカルド。

 対するザックはリカルドに言われて、頭を金づちで殴られたような衝撃を受けていた。

 言われてみれば、魔法は全ては魔力から発生する。その魔力自体に個人差はあれどそれ自体に聖邪の区別をつけているものは居ない。リカルドの言う通り、発露する現象に対して人が判断を下しているだけだ。人は神でもなんでもないのに。

 

「補助魔法は各系統の魔法を寄せ集めた様な分類ですから、とりあえずそこに小規模な消滅魔法だけを組み込んでしまえば回復魔法の補助として使えるのではないでしょうか。この治療方法はなにもヴァンパイア化に限った話ではありませんからね」

「……ヴァンパイア化に限らない?」

「ええ。人体の中で誤作動をおこしてしまっている細胞組織を特定して消滅、同じように欠損を癒してしまえば治療できる病もあります」


 リカルドが言っているのは癌細胞の事だが、ザックには細胞組織と言われても何の事かわからなかった。それを感じたリカルドは、医療技術がそこまで進んでいなかったかと内心頭を掻いて他の例えを探した。


「他にも怪我が元で拘縮してしまった手足の特定箇所を消滅させて欠損治癒を施せば元のように動かせるでしょうし――――ああ、不治の病の一つも治す事が可能ですね」


 途中、例え話が思いつかなくて虚空検索アカシックレコードの力を借りたリカルド。


「不治の病?」

「回復魔法が効かない即止病です」


 即止病とは心筋梗塞だとか、脳梗塞だとかの事だ。

 回復魔法はダメージを受けた組織を修復したり、失ったものを創り出したりする事は可能なのだが、血管の詰まりである血栓などを取り除く事が出来ない。なので、延命だけは出来るのだが、根本治癒が出来ないために治す事が出来ないとされている病の一つだ。


「即止病……それが本当なら、教会は必ず欲しがるぞ……だが消滅魔法で何故即止病が?」

「血管が詰まる事が原因なので」


 こんな事もあろうかと今日はあらかじめ用意していた紙とペンを取り出して、リカルドはささっと人体の構造をそこに書く。


「人間の身体にはこうした血が巡る道が通っているのですが、ときどき血の塊が中に出来たりして詰まってしまう事があるのです。そうなると血がいかなくなった先が壊死してしまって動かなくなります。壊死はわかりますか?」

「腐り落ちる事か?」

「はい。例えば手首を血が止まる程強く縛っていると段々色が変わってきて、最後には動かせなくなりますよね?」

「拷問では偶にあるな」


 拷問。と一瞬言葉が止まりそうになるリカルド。そういう世界だったなと思い出して、気を取り直して言葉を続ける。


「それと同じことです。魔力を流して詰まっている個所を特定して、その詰まりだけを消滅させてしまえば治ります。念のため、血が止まってダメージを受けた箇所を回復魔法で治癒するとより安全でしょうし、最悪壊死してしまった箇所を消滅させて回復させれば万全でしょう。あ、ただし脳、頭に詰まりがある場合は危険かもしれません」

「頭?」

「魂と繋がっている特殊な臓器なので、壊死箇所が多いと魂との接続に不具合が出ている可能性もあります。出来れば死霊術か呪術を扱える人に診て貰った方がいいですね」

「呪術に死霊術……」


 まさか治療行為にそちらの系統が出てくるとは思わず、呟いたまま止まっているザック。


「ヴァンパイア化の場合も頭部まで達している場合は同様です。ただこちらの場合は、頭の奥深くまで変化が進んでいると魂にも影響が出るので手遅れです。死霊術や呪術の介入があってもどうする事も出来ません」

「ヴァンパイア化というのはまさか魂も変質するのか?」


 いかなる魂も女神の腕に守られん


 それが女神を信奉する教会の有名な言葉なのだが、知らないリカルドは当たり前のようにあっさりと頷いた。


「はい」


 女神を否定するような事を言うリカルドにザックは戸惑うが、あまりにも堂々としているリカルドに宗教批判でない事は感じ取った。


「………では完全にヴァンパイア化した人間を戻せないというのは肉体的な話ではなかったりするのか?」

「肉体の方は最終手段として生体操作で人間にする事は出来ますが、人格は魂の変質を受けてヴァンパイアで固定されてしまいます。還魂の法を流用しても変質した魂を元に戻せるかどうかは五分五分で失敗すれば魂が壊れます。ですから下手にヴァンパイア化した人を人間に戻せるとは思わないでください。掛ける労力に対する成果はここまで言えばわかっていただけると思いますが」


 ザックはさらりと生体操作でと言ったリカルドに絶句し、さらに平然と還魂の法を流用と続けられた内容に頭がついていかなかった。どちらも禁術で魔導士であれば手を出してはいけない領域だという認識が強い分野だったからだ。研究気質の魔導士でも、いやだからこそ、その手の分野に対する忌避感は強い。一歩間違えれば興味のままに暴走しやすいからだ。

 禁術が使用可能だと言っているに等しいリカルドに、けれどもザックはリカルドからそういう禁術に手を出しそうな危険な魔導士の匂いというか気配と言うか、そういうものを感じなかった。ごく常識的な魔導士としての雰囲気しかなく、常に微笑みを浮かべている様子はむしろ冷静で、その知識の深さはまるで賢者のように見えた。

 残念ながら目の前の存在は賢者と称えるには難のある死霊魔導士リッチなのだが。見た目詐欺が酷い死霊魔導士リッチである。


「それは……手を出してはいけないのはわかったが。

 そもそもヴァンパイア化した者を人間に戻せるとは思っていなかったのだが……」


 言いかけて、いや、とザックは己の中で否定した。この目の前の魔導士ならばあるいは可能なのではないか。そう思った部分はあった。

 それを自覚した瞬間、この世には出来る事と出来ない事があるのだと、道を踏み外すなとそんな当たり前の事を諭されているような、そんな気持ちになっていた。


「失礼。余計な杞憂でしたね」


 リカルドの方は探究心の強い魔導士だと手を出しかねないなと思っての忠告だった。相手はラドバウトの知り合いなのだから、変に唆したとか思われても嫌だったからだが、まさか相手が自分を賢者のように捉えているとは全く想像していなかった。


「いいや、忠告感謝する。貴殿は正しく魔を導く魔導士であるな」


 熱感の篭った呟きを漏らすザック。

 うん?どういう意味?と内心首を傾げるリカルドだが、表面上は微笑み固定で泰然と言葉を受け取っているように見えていた。

 ザックはちらりと砂時計を見るが、まだもう少し砂は残っている。


「まだまだ話したい事はあるのだが、私の準備が足りなかったようだ。今日はこれで失礼するが、また時間を貰えるだろうか」

「構いませんよ。但し、この砂時計の間だけですが」

「感謝する」

「あ、そうだ、お弟子さんを約束の無い相手に訪問させるのは如何なものかと思いますよ」


 忘れるところだったと立ち上がるザックにルゼの事を言えば、ザックは意外そうな顔をしてから、すぐにそれもそうかと納得したように表情を改めた。


「あれは天使族と耳長エルフのハーフだから珍しかろうと思ってだったが、リカルド殿にとってはそうでも無かったか」


 いえ。とても珍しいですけど珍しいからって喜ぶ魔導士じゃないんでと内心肩を落とすリカルド。ルゼを寄こした意味が、ある意味好意だったからと知ってやっぱり研究タイプの魔導士って……と思っていた。


「本人のあずかり知らないところでその特性を見世物にするのはお勧めしません」


 これだから魔導士って奴はと己の種族の事は忘れてため息をつくリカルド。

 その様子にやはり人格的にも高潔な賢者足る人物だなと認識を強めるザック。


「遅れてしまったが、私はザック。ザック・ゲルライト・ダーグランという。貴殿の名を聞いてもよいだろうか」


 リカルドは名持ち貴族だったのかと思ったが、魔導士はその習得にお金がかかるケースが多いので、実力者になればなるほど貴族出身は多くなる。

 まぁ貴族だろうが平民だろうがリカルドの対応はかわらないが。


「私はしがない占い師です。貴人に名乗るような名は持ち合わせておりません。どうぞお好きなようにお呼びください」


 名前を決めていないので適当な事を言うリカルドに、やはり名を教えてもらえる程信用はされていないかと王太子と同じ感想を抱くザック。頭がいいと余計な方向に思考が舵を切る典型だった。


「では賢者殿と呼ばせてもらおう。今日は付き合ってもらい感謝する。では」


 占いの館から出るザックに反射的にリカルドは頭を下げたものの、賢者?と首を傾げた。占い師だと言っているのに、何で賢者なのかリカルドにはさっぱりだった。


 そうしてザックが姿を消して頭を上げた瞬間、次のお客がやってきた。


「よう――」

「主!」


 定型文の冒頭部分すら言わせてもらえず、駆け込んできたのは王太子。

 珍しく慌てた様子で、リカルドも思わず何事かと立ち上がった。


「どうされました」


 刺客か何かに追われてでもいたのだろうかとテーブルを回って近づいたリカルドに、王太子はリカルドの腕を掴んでその場に膝から崩れかけ、ぐっと堪えるように持ち直した。


「教会が暴挙に出たと聞いた。主の兄弟子はどうしている?」


 いつもの軽口はなく、本題を直球で尋ねる王太子の表情は隠しようもない焦りがあった。

 だが、何で王太子がリカルド(日本版)の事を気にするのだろうかと疑問符が浮かぶリカルド。そので、王太子の顔色は悪くなっていった。


「やはり怒っているか。落ち度が教会側にあるのは明らかだがどうにか気を静めて貰えないだろうか。聖女の張る聖結界はこの国の防衛の一角を占めているのだ、それを欠けるのはどうしても避けたい」

「落ち着いてください。それに関しては既に終わった話で、謝罪も受け入れている筈です」

「表面上はな。だが実際にどういう動きを取られるのか全く予測がつかない。私はそなたも怒っているかもしれないとここに来るまで気が気じゃなかったぞ」


 青い顔でそう言う王太子に、なんでそこまで焦るのだろうとリカルドは疑問になり、ちょっと時を止めて確認し、漸く理解した。

 グリンモア全土に雨を降らせるというとんでもない事をやってのけたリカルド(グリンモア版)の実力を正確ではないにしても相当近いところまで理解している王太子だからこそ、その兄弟子に喧嘩を売るような真似をした教会の事件を知って慌てて様子を確認しに来たのだ。事件が起きて頼られたのが自分ではなく、クレイモア伯爵だったという点も、自分が見限られたのかもしれないと思って焦った理由の一つだった。


 ちなみに王太子よりも先にザックが現れたのは、札の起動を感知出来る魔導士だからこそだ。ザックがいなければ本日も一番に訪れたのは王太子だった。おかげで十数分程王太子は緊張を長く強いられる羽目になっていた。


 とりあえずリカルドは王太子を椅子に座らせ、自分も向かいに座った。


「ご安心ください。兄弟子はきちんと状況を理解して、これ以上事を荒立てるつもりはありません」

「………ならば良かった」


 ほっと溜息をついて肩の力を抜く王太子に、上に立つのって大変だよなぁと呑気に思うリカルド。


「クレイモア伯爵とは知人だったのか?」

「他のお客様の事は守秘義務がございますので」

「という事は客というだけなのか」


 秒で読み解かないでと目を閉じたくなるリカルド。


「今度何かあれば私を頼って欲しいものだね……」


 頼ったら代わりに何か分捕られそうだなと思うリカルド。


「主に関しては取引ではないよ? 今回、そういうのは無しでいいから頼って欲しいと切に願ったぐらいだ。ちゃんと目立たないように処理をするから頼むよ」

「……何事も無いのが一番です」


 それはね、と王太子は大きく頷いて同意した。


「だけど何事もないとは言い切れないだろう?」

「……そうですね」


 虚空検索アカシックレコードで調べようにも星の数程ある未来を把握する事は困難だ。それはリカルドもわかっている。


「わかりました。何かあればその時は頼らせていただきます」

「あぁそうしてくれ。でないと私の寿命が縮む」


 本気か冗談かわからない笑みを浮かべて言う王太子に、今回は本気かもなぁと眺めるリカルド。それだけ王太子の表情は悪かったし、焦り方がらしくなかった。


「本日の御用件はこちらで終わりですか?」


 必ず占いはやって帰っていた王太子なので、今日はどうしますかというつもりでリカルドが聞けば思い出したように王太子は視線を上げた。


「そうだね……どうしようか…………あ、じゃあ恋愛にしようかな」

「恋愛……ですか?」


 え。婚約者と上手く行ってないの? 婚約者と上手く行ってくれないとこの王太子ヤバイんだけどと警戒するリカルド。


「ちょっと婚約者殿が最近沈んでいるような気がしてね。気のせいかもしれないけど」

「わかりました」


 なんだなんだ、また何か起きたのかと大慌てで調べるリカルド。

 そこでわかったのが、教会で問題が起きて例の教会騎士達に厳罰が下ったためしばらく警備手薄になる教会に変わって聖女を王城で預かるという決定が為されたという事。

 あの侯爵令嬢は、それを世界の修正力だと思ってヒロインと王太子が接近するのではないかと不安がっているようだったのだ。

 もちろん世界の修正力なんてものはないのだが、侯爵令嬢にしてみればそんな事わかりようもない。

 いくつかの仮定と条件を変えて未来を確認していっても、ヒロインと王太子が接近するものはなく、侯爵令嬢の杞憂である可能性がとても高い。だが侯爵令嬢の方が精神的に弱っていってしまうのはかなりの確率で散見され、王太子との関係に悪循環が発生するケースがままあった。

 未だ侯爵令嬢はこの占いの館に来る札を所持している。そして占いの館にやってくる未来も結構あった。巻き込まれる事は必至と言っても過言ではなさそうだった。

 額を押さえ、回避は?と探すリカルド。

 いろいろと条件を変え方向性を変え調べてみるが、回避は回避でしかなく侯爵令嬢は不安をずっと抱えて不安定さが残るままだった。

 リカルドにはその様子がまるで管理者アレの呪縛のようで、同情というだけでなく段々と不愉快になってきた。

 多少この王太子と侯爵令嬢のごたごたに巻き込まれるかもしれないが、ずっとそれが続くよりはここらでスッパリ不安の芽を摘んでしまった方が手っ取り早いかもしれない。不愉快さからそんな事を考えたリカルドは対応の方向性を変えた。


「少しお待ちいただけますか」


 時を戻し、そう王太子に言って目の前で手紙を書き始めるリカルド。

 その作業はすぐに終わり紙を丁寧に畳むとそれを王太子に差し出した。


「これをお相手の方に渡していただけますか?」

「……何が書いてあるの?」

「貴方を信じるようにと」


 受け取った王太子は目を丸くして、ただ折っただけの紙を見た。


「………私は、何か疑われているのか?」

「いいえ。お相手の方の心の持ちようです」

「………主は何を見たの」

「それはお相手の方に聞いてください。私から話す事ではありません。強いて言えるとすれば、これまで貴方が目にしてきたお相手の心や行動を信じてあげてください」


 王太子は手にある紙をもう一度見た。

 かなり軽い気持ちで頼んだ占いだったが、思いのほか深刻かもしれない空気に頭の中ではいろいろな可能性が持ち上がっていた。


「……わかった。主はいつも私の悩みを解決してくれたからね……うん、信じてるよ」


 その信じてるは侯爵令嬢に対してなのかリカルドに対してなのか、リカルドには判別はつかなかったが館を後にする王太子に静かに頭を下げた。


 ちなみに侯爵令嬢に渡すよう差し出した紙には、


 男は頼られると嬉しい生き物です。どうぞ記憶に囚われ悩むよりその胸の不安をお相手に伝えてください。貴女の中身が何であろうと手を振りほどくような方で無い事は、貴女自身が一番わかっている筈ですよ。


 そう、で書いていた。


 これを見た侯爵令嬢は手紙の送り主がリカルド(グリンモア版)だと気づき、同じ転生者だと確信する。そして、接触を図ろうとする事も確認済みだった。なのでリカルドは侯爵令嬢の札を敢えて起動させないように細工をして館への道を閉ざした。そうしなければ今度はリカルド(グリンモア版)に依存する未来もあるからだ。


「大丈夫だとは思うけどな……あの王太子だし」


 手紙を見た侯爵令嬢が取り乱すのを放っておく筈がない。何を書いたんだとこちらに乗り込んで来る場合もあるので、その時は大人しく襟首掴まれて揺さぶられようと覚悟するリカルド。


 そして翌日、乗り込んできた王太子に襟首掴まれ何を書いたんだと無事に詰め寄られたリカルドだった。


 昨日は自分達と敵対するかもしれないと焦って駆け込んできたのに、想い人が狼狽えて自分の前から逃げただけで、その相手に掴みかかれるのだから恋ってすげーなと揺さぶられながら遠い目(中身だけ)をして思うリカルドだったが、ちょっと勘違いをしている。

 王太子は腐っても王太子。頭を恋愛脳に染め上げる事は生まれが許さない。常に冷静で冷めた感情を残す王太子が遠慮なくリカルドに詰め寄ったのは、それをしてもリカルドならば許容してくれるという信頼があったからだ。これまでの会話のやり取りや、今回の神殿がやらかした騒動でも落ち着いた態度と口調で、さらに気遣う姿勢を見せた事から王太子の中ではかなり警戒が解かれた。もちろん王族ゆえに全面的に信頼するという行為は出来ないのだが、王太子の人間関係の中でも相当深く心を許している一人に昇格されていた。

 庶民で言えば、同門の友とか悪友とか、そのノリだ。

 いつの間にか格上げされたリカルド。かえって王太子に絡まれる事になるので全く嬉しくない事態だったのだが、幸か不幸かこの時はまだ知らずにいた。

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