第12話 ギルドで見つけた割のいい依頼?

「え?」


 時を戻した瞬間、占い部屋の椅子からソファへと移されていた少年は驚いて立ち上がった。


「初めまして。俺はリカルド。事情は連絡を受けたから理解してるよ」


 日本版リカルドは立ち上がった少年に苦笑しながら声を掛けた。


「あ。は、初めまして、ひいらぎいつきです。えっと、樹が名前で」


 さっきの今で連絡を取るにしては時間的に不自然なのだが、その辺の疑問を抱かないぐらいに素直な少年だった。

 必死な様子で自己紹介をする少年に、右手を差し出すリカルド。


「よろしく。樹くん」

「よ、よろしくお願いします。リカルドさん」


 差し出された右手を握り返し、まごつきながら頭を下げる樹にリカルドは内心で苦笑を強めた。


「もう一人紹介するけど、見えるかな?」


 見えるだろうなと思いながらリカルドはシルキーを呼んだ。


「シルキー。さっき説明したのが彼なんだ。樹くんって言うからお願いね」


 楚々とした西洋人形のような見た目のシルキーが現れて目を丸くする樹。


〝初めまして。シルキーと申します〟


 軽く膝を折って頭を下げるシルキーに、樹はぼうっとした後ハッとして、でかい声で反応した。


「い、樹です!! よろしくお願いします!」


(わかる。わかるよ。シルキー可愛いもんな。こんな子日本ではまずお目に掛かれないもんな)


 うんうん頷きながらリカルドは樹に説明した。


「シルキーはこの家についている妖精なんだ。普通の人には見えないからね」

「え?! そうなんですか??!」

「見えるとそう思うよねぇ。それと―—外ではシルキーの事は俺の奥さんっていう事にしてるからよろしく」


 後半は声を潜めて樹に伝えると、樹は疑問顔になった。


「見えないんですよね?」

「見えないけど、俺シルキーのお使いで買い物に行くからその時奥さんに頼まれてってことにしてるの。じゃないといろいろ面倒だったから。これ内緒ね」

「えと、はい」


 素直に頷く樹にリカルドも頷き、シルキーを見た。


「じゃあシルキー、部屋を案内してあげて。疲れてるだろうから今日はもうお休み」


〝はい。イツキさん、こちらです〟


 リカルドが樹の背をそっと押すと、樹は「あ、え、あ、おやすみなさい」と言って慌ててシルキーの後についていった。 


(さーて……とりあえず送還の条件は半年は先になるから……それまでに準備しないとな。樹くんの強化に、送還に必要な道具を集めて……一年後ぐらいになるかも)


 なるべく早く戻してやりたいとは思うが、安全のために無茶は出来ないよなぁとリカルドはソファに座って頭の後ろに手をやった。

 ぼんやりとそんな事を考えていたリカルドは、ふとディアードの魔導士が暴走とはいえ異世界人を召喚するに至った理由が気になってきた。

 

(魔族が騒がしいって、なんだろ……)


 魔族領内で収まってくれればいいが、人間の国にまで影響するような事、特に前回のような死の大地騒ぎは勘弁願いたかった。人間領に起きる問題に首を突っ込むつもりはないのだが、平穏な日々を暮らすため必要な事はする気だった。

 そう思ってちょっと時を止めて調べてみると、その死の大地騒ぎが一番の原因だった。それに加えてどうやら魔族領内で空白の土地となってしまった元千年呪木ウリアネスの土地を争って複数の魔族がドンパチやらかしているのも危機感に拍車がかかったようだが、やはり人間領内に実害が出たのが大きかった。

 要するに樹が召喚されてしまったのは、半分ぐらいリカルドのせいだった。


(………まじかぁ)

 

 深く項垂れたリカルドは、改めて樹を地球へと戻そうと固く誓った。


(とりあえず色を変えて追手を誤魔化して、生活基盤を整えるところからだな。

 食費増えるし、いろいろ出費を考えるとバイトするかなぁ)


 ちょっぴり王太子に渡した霊薬エリクサーが惜しくなるリカルド。だがすぐに首を振った。霊薬エリクサーなんてものを売ったら目立つ事この上ないので、その案はどちらにせよ無しだ。


(ギルドにしばらく顔出してないし、いいかげん依頼受けとかないとまずいか……しばらく昼は農作業の手伝いで、夜はいつもの占いで。そんな感じかなぁ……割りのいいバイトあればいいんだけど……まぁいいや、とりあえずトイレと風呂をどうにかしよう)


 トイレの修理はすぐに終わった。もともとあるトイレは汲み取り式のようなもので、床に穴を開けて下に埋め込んだ陶器製の入れ物に用を足し、傍に置いた洗浄の魔道具で拭かなくても綺麗に出来る仕組みになっている。その洗浄の魔道具を修理するのと、陶器製の入れ物に入れておく貪食スライムという魔物の一種を捕まえて放り込んで終了だった。

 貪食スライムというのは、自分より小さな有機物ならなんでもかんでも分解して吸収する生物で、だいたいのご家庭のトイレに入れられており街の衛生状態の維持に役立っている。

 ちなみにグリンモアの場合は糞尿を肥料とする地域もあるのでこの限りではない。

 

 トイレが終わり今度は風呂へと向かうリカルド。

 風呂というか、シャワールームのような狭い部屋があるのだが一度も使った事はなかった。

 そこに行ってみて、やっぱり狭いなと思うリカルド。

 ユニットバスよりも狭いその空間に、最初見た時どうせ使わないしいいやと放置していたのだが、これだと寛げないよなぁと日本人である樹の事を考えて虚空検索アカシックレコードでちょいちょい調べながら改修を開始した。

 

 樹が起きたのは朝というより昼前であったが、ここまで緊張しっぱなしで逃げ続けていた事を考えると致し方ない。むしろ半日程度でよく起きた。

 居間で寛ぎながら、小指サイズのミスリルを加工して魔道具をちまちまとリカルドが作っていると慌てたような足音が聞こえて、飛び込むように樹が姿を現した。


「すみません! こんな時間まで寝ていてっ」

「ああいいよいいよ~疲れてたんでしょ? シルキーにごはん出してもらうからほら座って」


 ひょっこりキッチンの方から顔を覗かせたシルキーにリカルドは頷いて見せ、昨夜シルキーが用意したと思われる、ストンとしたひざ下まである生成りの寝巻姿の樹を隣に座らせた。


「はいこれ」


 リカルドがひょいと樹の首に先ほどまで弄っていた魔道具を掛けると、その瞬間樹の髪と目の色が深緑に変わった。


「色が変わる魔道具ね。それしてれば、とりあえず目立つ髪と目は誤魔化せるよ」


 手の中に鏡を出して樹に見せるリカルド。

 樹は驚いたように鏡の中の自分を見つめ、それからリカルドを戸惑ったように見た。


「あの、どうしてリカルドさんはここまでしてくれるんですか?」

「ん、んー? えー……事情知ったら見て見ぬふりも出来ないというか?」


 微笑み固定だったが、声は明らかに動揺するリカルド。


「あの占い師さんからですか?」

「あー……まぁそうだね。袖振り合うも多生の縁って言うじゃない。ほら、朝ごはん食べて」


 シルキーがキッチンから食事を持ってきたのを見てそちらに視線を誘導するリカルド。

 シルキーがトレイに乗せて持ってきたのは、キノコの出汁で作られたリゾットのようなものだ。キノコ以外にもいろいろな野菜が柔らかくなるまで煮込んであるので、胃にも舌にも優しい味わいの一品である。

 ちなみにリカルドはシルキーにちょっと怒られた。ちゃんとしたご飯を食べていない相手にいきなりパイを食べさせてはいけませんよと。


「あ、ありがとうございます。いただきます」


 シルキーを見てちょっと頬を染めた樹は、律儀に手を合わせて頭を下げてからスプーンを手に取った。


「ゆっくり食べてね。それで食べたら寝てていいから。眠くなかったら狭いけど庭でも見てて。俺はちょっと買い物に出るけど、この家はシルキーが守ってくれてるから安心して」


 丁度口に入れたところだった樹はリカルドの言葉にこくこくと頷いた。

 それを見てからリカルドは立ち上がり家を出た。片手に持つのはシルキーから聞いた買い物リストだ。


「タオルとか、服とか、生活用品一式だな」


 普通なら自分が持っている筈のものも無いので、今更な買い物だったりする。

 古着屋があったはずと店の位置を思い出し、店員に男性物を一式お願いして揃え、石鹸だとか歯ブラシだとか細々したものを購入していった。

 ちなみにタオルはパイル生地ではなく、ぺらっとしたものなので吸収性はあまりよくないものしかない。洗髪のためのものも泡立つ感じではないので、物足りないだろうなぁと思いながらリカルドは帰路についた。


「ただいまー」


〝おかえりなさい〟


「樹くんは?」


 出迎えてくれたシルキーに買い物かごを渡して聞けば、少し庭の様子を見てから休まれましたと返ってきた。


〝お昼は少し過ぎましたが召し上がられますか?〟


「あぁうん。お願い」


 リカルドはいつものように居間のソファに座り、シルキーが食事を持ってきてくれるのを待ちながら、暇つぶしにあと少しだった本を開いた。


 ラストは壮絶な一騎打ちをしながらも、殺したくないのに殺さなければならない事に苦しむルーカス王子と、異母弟であり主である王子を守り切る事が出来て満足して殺されるエーリクの心情が訥々と描かれており、微笑み固定の顔で読みながら内心は滂沱の涙を流すリカルド。

 なんでお前がこんな事をと呟くルーカスに、お前だからだよと想うだけで答えないエーリク。それでも穏やかな微笑みを浮かべて息を引き取る姿に答えを見つけたルーカスだったが、仲間の手前嘆く事も出来ず毅然とした態度を取るしかなかった。

 そこで物語は終わった。


(ここで終わりとか! もうちょい後日談とか書いてくれよ~……これで終わったら結局ルーカスは心許せる相手いないじゃん。一人で新政権樹立させて孤独に王様頑張るってこと?)


〝お待たせしました〟


「ううん。ありがと」


 キノコと野菜たっぷりのスパニッシュオムレツのようなものとパンとクリームスープが運ばれ、お礼を言ってリカルドは手を合わせた。

 本の内容で消化不良だった気持ちが、おいしい食事に少しずつ癒されていく。

 食べ終える頃にはだいぶん持ち直して、リカルドはちょっと虚空検索アカシックレコードでこの二人の結末について調べてみた。


 この二人の物語は二百年前のグリンモアで実際に起きた歴史だったのだが、調べてリカルドは後悔した。

 ルーカスは実在した。エーリクも実在した。

 だが、このエーリク。本に書かれていたような人物では全くなかった。

 昔グリンモアが他国に占領されてしまった例の事件を引き起こした人物だった。

 どういうことかと言うと、本気で王位を簒奪するために他国へと渡りをつけて隣国に襲わせ、第一王位後継者であるルーカスを毒殺しようと画策していた。

 ルーカス側はその混乱に乗じて敵対勢力を全て炙りだすため一度引き、王位簒奪を成功させたとエーリクが喜んだところを逆襲して敵対勢力の全てを叩きのめしていた。一騎打ちなどどこにもない完全なる包囲網戦だった。

 ちなみに互いの事をとても嫌っており、どっちもかなりいい性格の持ち主だった。


「……シルキー、ちょっと出てくる」


〝お出かけですか? お戻りはいつ頃でしょう?〟


「夕方には戻ってくるよ。遅くなったら樹くんにごはんよろしくね」


 若干力なくリカルドは言って本を黒い袋に入れて家を出た。

 もう返却しようと思った。


(あれだな……情報操作のために書かれたんだな。これ)


 道すがら、そんな事を考えるリカルド。

 その推測は当たっていて、王の血筋からグリンモアを他国に売り渡すような人間が出たという話を広めたくなかったルーカスが書かせた代物が、リカルドの読んだ歴史書と言う名のフィクションだった。


(今度から史実を見るのは止めよ……)


 とても残念な気持ちでリカルドはあの老人の店のドアを開いた。


「こんにちは」


 声を掛けて入るリカルドだったが、店には誰も居なかった。

 留守かな?と思ってカウンターに近づくと、ぬっとカウンターの裏から老人が現れて仰け反るリカルド。


「お前さんか。もう読んだのか?」

「は、はい」


 ちょっと心臓(無い)をドキドキさせて頷くリカルド。

 相変わらず小洒落た服装の老人はカウンターの下から紙きれのようなものを出してきて、リカルドの前にそれを置いた。


「あの?」

「昨日、保護魔法をかけただろ」

「え? あぁはい」

「その出来を見て、同じように保護魔法をかけて欲しいって連中がいる」

「……はい?」

「どうする。受けるならここに物を寄こさせるが」


 どうする、と言われてもと思うリカルド。

 とりあえず目の前に置かれた紙きれを手に取り見て見ると、保護魔法をかけてほしい本の種類(素材)と、何冊掛けて欲しいのか、一冊あたりの値段が書かれていた。


(……一冊、1万クル。高っ! え? 何これ。どういう事?)


「あの、これって」

「昨日の今日だ。まだ依頼は来てないが、たぶんあと三人から五人ぐらいは声を掛けてくるだろうな」

「ええっと、一冊1万ってあるんですけど」

「初回だからな、少し安いが納得いけば次からは上がるだろう」

「いやいやいや。そうじゃなくて、どういう事ですかという事なんですけども?」

「どういうも何も保護魔法を掛ける仲介だろうが」

 

 さも当たり前に言われて、自分に常識がないのかと思うリカルド。思わず時を止めて虚空検索アカシックレコードで調べてしまう。

 すると目の前の老人は、本を売り買いする界隈ではなかなか顔の効く老人で、腕のいい魔導士を見つけた時は知り合いの蒐集家に声を掛けたり、逆に知り合いから腕のいい魔導士を紹介してほしいと頼まれたりしていた。

 最初にリカルドに保護魔法を掛けさせたのはぼったりくりではなく、お金を持っていなさそうなリカルドにお節介で仕事を仲介するため試したという事だった。


(そんなの説明してくれないとわからないって……)


 そう思ったが、目の前のバイトはとても魅力的に見えるリカルド。


「……これ、どこかのお宅に伺えばいいんですか?」

「いや、ものはわしが預かってくるからやるのはここでだ」

「保護魔法は前回のものと同じでいいんですね?」

「あぁ。別の種類のものも出来るのか?」

「期限付きなら時間停止も可能です」


 本当は期限など付ける必要はないが、対象物を指定するとはいえ時間停止の魔法が相当高度な魔法である事を理解していたので制限をつけるリカルド。リカルドもちょっとずつ成長はしていた。


「ほぅ、時間停止。どのぐらいの期間出来る?」

「最長一年です」

「そこそこ出来るな。これに試しに出来るか?」


 カウンターの上に出された本は、こちらも革張りのしっかりとした装丁のものだった。

 リカルドは無言で手を翳し、すぐに手を離した。


「出来ました」


 様子を見ていた老人は少しばかり目を細めていたが、何も言わず片眼鏡を取り出して本を手に取った。


「……きちんと掛かっているな」


 片眼鏡を外し、ページが捲れる事も確認する老人。未熟な使い手が時間停止を掛けるとページが開けない事があるのでその確認だった。

 確認を終えると本をカウンターに置き、ふむと老人は突っ立ったままのリカルドを見上げた。


「答えたくなきゃ答えなくていい」

「はい?」

「お前さん、もう少し長い期間付与できるだろ」

「………」


 なんでわかるんだろうと、無言のまま思うリカルド。


「可能ならもう少し上の依頼も受けれるがどうする」

「……ちなみに報酬はどのぐらいになります?」

「時間停止一年あたり10万クル、五年から70万クル、十年から150万クルだな。

 十年単位の依頼は早々来ないが、一年から五年は何件かあるだろう」

「じゃあ五年ぐらい出来ます」


 老人は笑った。じゃあと言った時点で最低十年出来ると言ったようなものだ。


「ではそれで依頼を受ける事にしよう。三日後にまた来れるか?」

「大丈夫です」


 頷き、リカルドは老人と仲介契約を結び、報酬の二割を老人が残りの八割をリカルドが受け取る事で合意した。

 もっと取られるかなと思っていたリカルドだったが、老人が遠慮したのではなくそれが相場だった。

 店を後にしたリカルドは、ついでにギルドに寄った。

 長期間依頼を受けていないとペナルティを課せられる事があるらしいので、何か簡単なものはないかなと依頼掲示板を物色するが、残念ながら以前やった農作業の手伝いは無かった。その代わり割りの良さそうなものが残っていた。


---

依頼者:アレオッティ

報酬:5万クル

期限:依頼受諾より五日

依頼内容:所有宅の害虫駆除。詳細は別途カウンターにて説明。

---


 茶色く変色したその紙を取ってカウンターに持っていくと、マッチョの男性職員が二度三度とリカルドと依頼票を見比べた。


「あの、何か?」


 やけに見られるなとリカルドが聞けば、「あ、その」とマッチョ職員が一瞬言い淀んだが「なんでもありません」と首を横に振った。


「こちらの依頼ですが、主に害虫駆除をお願いされていますがその他にも人が住むにあたりがあれば同時に駆除を希望されています」


 部分的に協調してくるマッチョ職員に、はぁと相槌を打つリカルド。

 とりあえず毒魔法と風魔法を駆使すればだいたいの害虫には対応できるので、まぁ大丈夫だろうとリカルドは思った。


「それではこちらの依頼を受諾するという事でよろしいですね」

「はい」

「期限は五日。違約金はとくにありませんから、あまり無理なさらないように」

「はい? はい。わかりました」


 害虫駆除で何を無理するのだろうと思うリカルド。

 蜂とかいるんだろうかと思いながらお宅までの地図と受託証、お宅の鍵を受け取って、ちょっと見てみようと下見のつもりでそのお宅へと向かった。

 

 日が少し陰り始めた頃、高級住宅街の一角へと足を踏み入れ場違い感を覚えながら地図を片手に進むと依頼の建物らしきものを見つけた。

 こげ茶色のレンガの外観に深い緑の色をした屋根、庭園の前に設置された門扉に掲げられている水の雫と鍵を合わせた紋章が目印だ。


「お宅っていうか、お屋敷だよなこれ」


 洋館と言うにふさわしいデカさにあっけにとられるリカルド。住宅街を通ってくる間に、もしかしてそうかなぁと思っていたが思った以上に立派だった。

 ただ、そこに人の気配はなく広がる庭園は荒れており野花が咲き乱れ立派な洋館を蔦が覆い隠そうとしていた。


「……人がいないならむしろ楽か」


 今やっちゃうかとリカルドはポケットから鍵を取り出して門扉に近づき、あれ?と気づいた。何故か屋敷を囲むように聖結界が張られていたのだ。

 お偉いさんの家だから安全のためなのかなと思いながらリカルドは鍵を開け、敷地へと足を踏み入れた。

 その瞬間、何かがざわりとした。


(………?)


 足を止め、周りを見るリカルド。

 かつてはバラが咲き誇っていたと思われる庭園だが、生垣は崩れ他の木々と一体化し枝を方々へと伸ばしている。

 特に生き物の気配はしないので、気のせいかと思ったリカルドだが、自分のその考えにハタと気が付いた。


(生き物の気配がない?) 


 すぐに闇魔法を使って敷地内の生命反応を調べてみると、精度を上げてみても植物系のものしか反応が無かった。


(害虫すらいないんだけど、どういう事?)


 依頼内容の害虫がそもそもいない事態に戸惑うリカルド。

 わけがわからず屋敷に近づいて鍵を開けて大きなドアを両手で開けると、むわっとした異様な空気が中から流れてきた。

 それはまるで魔族領のあの沼地で感じたようなおどろおどろしい気配で、すぐさまリカルドはドアを閉めようとした。が、それよりも先にリカルドの腹に黒い霧が巻き付き中へと引きずり込んだ。


 間違いなく心霊現象系のソレに鳥肌(妄想)が立ち、反射的に魔力を解き放ちそうになるリカルド。

 だがリカルドも学習能力があった。こんなところでそんな事をしてはグリンモアが消滅してしまうと、必死で耐えて盛大に壁に投げつけられ床を転がった。


 ゴロゴロと転がった先は、壊れた窓から光が差し込んでいる筈なのに漆黒の闇に塗りつぶされたような世界だった。

 普通の人間なら何も見えないが、リカルドにはボロボロの内装がしっかり見える程度には視界が保たれていたので、とにかく自分を落ち着けながら気配のする方を見た。


 そこに居たのは、黒いぼろぼろの布切れを纏った白骨。黒い眼窩の奥にはドロッとした血溜まりのような暗い赤い光が灯っている。スペクターだ。

 それを視認した瞬間、リカルドは光の速さで九字を切っていた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


 切った瞬間、相手は燃えた。リカルドは燃えなかった。学習能力の賜物だ。そして使用したのが魔法でないあたり条件反射の早業だった事が伺える。


ギョロォォォ


 耳障りな音というか声というか、そういうものを発しながら燃えるスペクターだったが、その横の扉からぬっと別の何かが現れた。

 黒い霞が凝縮したような黒い影はレイス。それが一体ではなく何体もわらわらと出て来たのだ。もはや台所の黒い悪魔と同じで一体いれば十体いると思えの増殖状態だ。

 全身を駆け抜ける悪寒(妄想)に身を震わせるリカルド。さながら大量のゴキを見た御令嬢のような有様だ。


 ちなみにリカルドは、この手の相手に対して支配下に置く技能を持っているのだがすっぱりサッパリ頭から弾け飛んでいた。

 リカルドが選択したのは真逆の技能、聖魔法。


 浄化!!!


 もはや全身全霊の勢いで力をセーブするなど考えずぶっ放したそれは屋敷と言わず敷地全てを強烈な白光で覆ってしまった。

 当然リカルドも浄化されているのだが、そこは無限魔力でダメージを受けて無傷。光が収まった後には、精神的にダメージを負ったリカルドがプルプルしながら夕暮れの光が差し込む廃墟の中で四つん這いになっていた。


「言ってくれよ、害虫じゃないって、つーか、害虫いないし、いるのアレだけだし」


 めっちゃ怖かった、めっちゃ怖かった!と、ブツブツ言いながらよろよろと何とか屋敷を出てその足でギルドに向かうリカルド。あのマッチョ職員に文句が言いたかったのだ。あの時言い淀んだのはこれかと、もっとちゃんと言ってくれれば受けなかったと。


 ちなみにこの依頼、リカルドは以前虚空検索アカシックレコードで確認済みだった。リカルドに適した依頼は何か調べた時に真っ先に出てきたものなのだが、依頼票にどう書かれているかまでは見ていなかったためそれだと気が付いていない。


 よれよれのおぼつかない足元がふつふつとした怒りによって駆け足に代わり早々にギルドへと戻ると、あのマッチョ職員がリカルドに気づいてちょっとだけ気づかわし気な顔をした。

 そこへづかづかと近づきリカルドは鍵をカウンターに置いた。


「あ、やはり取りやめます――」

「完了しました」


 いつも微笑みを浮かべているリカルドにしては珍しく、無表情でマッチョ職員の言葉を遮った。


「そうですよ……ね? 完了?」

「完了、しました。不死者の類は、もういません」


 わかりやすいように区切って言うリカルドに、マッチョ職員の目が大きく見開かれた。その灰色がかった薄い緑の目が信じられないと言っていたが、リカルドはそれには気づかずとにかく言いたい事を口に出す。出さないと苛立ちが収まらない。


「言わせてもらいますけど、あれはきちんと説明しないと死人が出る類の依頼ですよ。偶々対抗手段を持っていたからいいようなものの、普通なら死んでます」


 まじで。本当に。と無表情のまま迫るリカルドに、マッチョ職員は「え、あ、え」としどろもどろになった。マッチョの割に気弱な様子であるが、別にこの職員が気弱というわけではなく、格だけは歴戦のリッチであるリカルドからにじみ出ている殺気というか気迫というか、そういうものにやられて完全に気圧されていた。


「おい、何やってるんだ」


 ぐいっと後ろから腕を引かれて振り向いたリカルドは、二メートルはあろうかという赤い髪の大男を見て反射的に鑑定を発動、相手のステータスを確認した。

 とりあえず自分よりは下だったので、強気で出ても大丈夫だなと思い無表情のままするりと掴まれた腕を抜いた。


「正当な抗議をしているだけです」

「正当だろうが何だろうがこんなところでそんな殺気を撒き散らすな。気をやる奴が出る」


 殺気?と、そこでやや冷静になったリカルドは大男から視線をあたりへと移すと、体格のいい男達が離れるようにしてこちらを伺っていた。そしてカウンターの奥に居た女性は避難させられるようにさらに奥の部屋へと移っている。

 さすがに魔力まで漏らしてはいなかったのでその程度で済んでいたが、本気でリカルドが怒り狂ったら失神程度では済まなかっただろう。


「……失礼しました。そういうつもりではなかったんですが」


 ふぅと息を一つ吐いて頭を下げるリカルド。


「何をそんなに怒ってたんだ?」


 リカルドがすぐに矛を収めたので大男は厳めしい表情を緩めて、カウンターの向こうで気圧されたままのマッチョ職員とリカルドを見比べた。

 リカルドは、なるべく淡々と感情を交えず不死者が出ると説明されずに行って(精神的に)死にかけたという事を説明すると、大男はため息をついて憐れむようにマッチョ職員を見た。


「そりゃあ説明不足だな。

 詳細はカウンターでと書かれてるんだ。仮に依頼主が不死者の単語を説明からわざと省いていても、それとなく知らせないとギルドと登録した人間の信頼関係は失われるぞ」

「も、申し訳ありません」


 一応、マッチョ職員はそれとなくリカルドに言ってはいた。だがリカルドはこの辺りの事情に疎かったため全く気が付かなかったのだ。


「まぁ気持ちはわかるがな。その依頼ならこの辺に居る奴なら誰でも知ってるからな」


 少し擁護するような大男の発言に、内心むっとするリカルドとは反対にほっとするような顔をするマッチョ職員。


「だが逆に言えば、そんな依頼を持ってくるって事は知らない可能性が高いって事だろ。そうでなくとも、分かり切った事でも確認するのがギルドの職務の筈だ」

「お、おっしゃる通りで」


 手のひら返しの批判に、汗を掻きだすマッチョ職員。


「まぁあんたも無事だったって事で許してやってくれ。それと、その手の古い依頼はこの辺りでは誰でも知ってる訳あり案件だから今後は気をつけるようにな」


 大男はリカルドの髪と目の色を見て、最近外からやってきた冒険者だろうとそう助言した。

 リカルドは少々イライラはしたが、そう言われて引き下がらないのも事を荒立てるだけだと思い頷いておいた。


「わかりました。今後は注意します」

「おう、じゃあな」


 手を上げていく大男に軽く目礼し、リカルドは職員に向き直った。


「では報酬はいつ受け取りに来たらいいですか?」

「まてまてまて」


 去って行った筈の大男が戻ってきた。

 まだ何かあるのかとリカルドがちょっと鬱陶しく思っていると、大男はリカルドを上から下までじっくりと眺めた。

 本日のリカルドは、いつもの通りの町民と変わりない軽装だ。


「……魔導士か?」


 姿からは全く冒険者に見えないが、先ほどするりと自分の腕を引き抜いた技量から、前衛職だと勝手に思っていた大男。だが手ぶらの様子からもしやとそう聞く大男に、リカルドは目を細めた。


「一応そうですが」

「不死者はどうしたんだ」


 いくら魔導士と言えど、近隣で有名な正真正銘の化け物屋敷、教会でも手を焼く不死者の巣窟を片付けるなどあり得なかった。

 大男だけではなく、様子を窺っていた周囲の冒険者達も耳をそばだてている。


「消しましたよ。全部」

「どうやって」

「何故あなたに言わないといけないんです」


 聖魔法は使う人が限られる上、浄化が使えるとなるとさらに限られるので矛先を変えるリカルド。それからマッチョ職員に向き直り言った。


「私はきちんと依頼を完了させました。

 確認が必要ならそちらで行ってください。三日後ぐらいに来ますからその時に報酬をお願いします」


 マッチョ職員にそれ以上問答する気は無いと態度で示しその場を離れるリカルド。

 大男は一瞬リカルドに声を掛けようとしたが、今は止めた方がいいかと上げた手を降ろした。そしてカウンターの向こうで固まったままのマッチョ職員に声を掛けた。


「なぁ、あいつのランクは?」

「……え? あ、いえ、個人情報をお教えする事は――」

「ほら」


 首からタグを取り出してマッチョ職員だけに見せる大男。そこには薄く虹色に輝くひし形の石がはめ込まれていた。

 それを見てマッチョ職員は息を呑み、すぐに頭を下げた。


「し、失礼しました。先ほどの方はFランクです」


 小声で言うマッチョ職員に、ますます大男は内心首を傾げる。

 Fランクと言えば入ったばかりの新人だ。あれがFランクだとはとても思えなかった。


「確認に行くんだよな?」

「それは……はい。職員が行くことになるでしょうが……」


 言葉を濁すマッチョ職員に、誰も行きたがらない事が透けて見える。


「俺が行ってきてやるよ。鍵借りるぞ」

「あ、はい。あ、ありがとうございます」


 頭を再度下げるマッチョ職員に、軽く手を振って大男はギルドを後にした。

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