第8話 今度は侯爵令嬢がやってきた
家庭菜園に水やりをしたり、壊れていた防犯システムをちまちまと直してみたり、そうやって気力を回復させたリカルドは翌日の夜、お店を開ける事にした。
数日ぐらい休んでもいいかなぁと思ったりもしたが、そうすると夜の時間が暇になってしまったので、結局いつものようにグリンモア用リカルドになって占い部屋の椅子に座ったのだ。
さて、誰か来るかなぁ~と路地裏からの道を繋げ、札からの転送を許可した瞬間――王太子が来た。
開けるんじゃなかったと心底思うリカルド。
「やあ主。昨日は来れなかったから心配したよ」
とてもにこやかに手をあげて勝手に椅子に座る王太子の後ろに、あの近衛の姿が無い。
とうとうこいつ一人で来るようになりやがったと呻きたいのを堪えるリカルド。
「他の方が来られている時は入れないようになっているんです」
定型文すら言わせて貰えず、しぶしぶ応対するリカルド。
「そうだと思って今日はずっとあの札を見ていたんだ。光った瞬間に来れるように」
(札を見てないで仕事しろよ……)
王太子はにこにこしながらリカルドの気持ちなどお構いなしにテーブルの上に身を乗り出した。水晶を置いてなかったらもっと近づかれていたかもしれない勢いで、置いてて良かったと思うリカルド。
「ねえ主。主は奇跡って信じる?」
「奇跡ですか? ……どうでしょうか。生憎と私は奇跡と思うような場面に出くわした事がないので」
(悪夢と思えるような場面には出くわしているけどな……)
リッチにされたとか。不死者に囲まれたとか。いきなりヴァンパイアロードに殺されそうになったとか。人食い植物に食われそうになったとか。それはもういろいろ。と、精神がお出かけしそうになるリカルド。
「そうかぁ。主にとっては奇跡じゃないんだね」
含みのある言い方に、リカルドは意識を戻し何事かと警戒した。
「何か楽しい事がありましたか」
落ち着いた口調を心がけて言えば、王太子は笑みを深めた。
「それはもう。楽しいというか喜ばしい事かな? 一昨日言った魔族領からの侵入者、あれがね、消えたんだ。
それも只消えただけじゃない、ヒルデリアで大きな被害となっていた大地の汚染も全て浄化されて綺麗になっているというおまけつき」
すごいよね。物凄い範囲が毒の地に変えられていたっていう報告だったんだけど。と、子供のように目を輝かせて見てくる王太子から、必死で目を逸らさないようにするリカルド。
大丈夫大丈夫、顔は固定しているし顔色は変わらないから落ち着いてと自分に言い聞かせ、穏やかに「そうでしたか」と相槌を打つ。
「主は誰がやったかわかる?」
エメラルドの目が確信を帯びた光を湛えてリカルドの目を覗き込んだ。
早々に時を止めてリカルドは逃げた。
「そりゃ一昨日の昨日でそうなったら疑われるのかもしれないけど、ここからヒルデリアって離れてるだろ。何で俺だと思うんだよ。俺だけど。めっちゃ頑張ってやったの俺だけど!」
バンバン机叩いて抗議したい気持ちを宥めて、
ちょっと先の未来を見るのも大変だが、最近は条件付けをうまく出来るようになったのか早々にパーンとする事はなくなってきた。油断するとすぐパーンだが。
どう返せば王太子が素直に引っ込むのか、一番興味を引かないのか探して、何を言ったところで興味を抱かれたままな事を確認する羽目になりダメージを受けるリカルド。パーンするよりダメージがでかかった。
「………侵入してきていた魔族が探していた相手が撃退したようですね」
もうええわとリカルドは投げやりに答えた。
「相手って、魔族だよね? じゃあその魔族が大地を浄化したっていう事?」
「そうですね」
「ふぅん? そんな子供でもわかるような事でとぼけるの」
とぼけてないし事実なんだけどと思うリカルド。
じっと王太子に見つめられ、残念ながら事実しか述べていないので(何だよ嘘じゃねぇよやんのかこら)とやさぐれ気味のリカルドは黙って見返した。
「……不思議だね。嘘じゃないのか」
「嘘を言った覚えはありません」
「へー………どんな魔族なの?」
「……不死者のようです」
「アンデッド? 益々変な魔族だね。浄化なんて出来るアンデッドがいるの?」
「いるようです」
「人間に友好的……アンデッドが? 考えにくいが……何か理由があったのか…」
本音が零れている王太子に、そうだろうなぁと思うリカルド。
一般的に考えて不死者が人間に友好的なわけがない。それは日本に居た頃からリカルドは痛い程わかっている。ただの害のない浮遊霊みたいなのでも別に人間に友好的なわけではないのだ。
「いや、何にせよ仮にも王級を退けるという事はかなりの実力を持った魔族だ。どこにいるのかはわかるか?」
「生憎と動いているので特定する事は」
すごく狭い範囲でしか動いていないので、ピンポイントで特定しようとしない限りは「この街の中です」の一言で終わる。
「そうか……まぁ、大人しくしてくれるのならこちらも有り難いんだけど。
あぁそういえば、一昨日話してくれた破邪結界なんだけどね。あれ、何とかなりそうだよ。例の聖女候補がうまく力を使えるようになったらしくて、どんどん上達していっているみたいだ」
「そうですか。それは良かったです」
本当に良かった。やった甲斐があったと内心胸を撫でおろすリカルド。
「急に上達したから不思議に思ってね、調べてみたらどうも教会を抜け出した夜があって、その翌朝から上手く出来るようになったみたいなんだ。不思議だよね?」
またしてもリカルドは必死で目を逸らさないようにした。
「もしかして、来た?」
「その方がここにですか? いいえ。来ておりません」
来てはない。来ようとしていたが。
「そうなのか。絶対ここに来たんだと思ったんだけどな……私の勘も鈍ったかなぁ」
冴え渡っておいでです。と現実逃避したくなる気持ちを抑えつけて耐えるリカルド。
「まぁいいとしようか。今日は来年の収穫について相談に来たんだ」
今までで一番為政者らしい相談に、リカルドはおやと思う。
ただ、そこまで先の話になるといろいろな要素や条件が複雑に分岐していってしまうので確証のある答えは正直用意出来ない。辺りざわりの無い事しか言えないんだけどなぁと困るリカルドの前に、王太子は袋を五つ置いて開けて見せた。
「これ、品種改良したものなんだけど、どれが一番この国に適していると思う?」
意外と条件絞ってくれたとほっとするリカルド。
時を止めてそれぞれの種を調べてみると、より多くの収穫が取れるもの、害虫に強いもの、寒暖差に強いものと、いろいろなタイプのものがある。
リカルドはグリンモアの国土を調べて、それと目の前の種を比べて一つ一つ条件を絞って確認していった。非常に根気のいる作業なのだが、元々技術畑のリカルドは単純作業にも慣れていて淡々と進めていった。
調べ終えたところで、一度居間に戻って紙と羽ペンを持って戻りグリンモアの地図を書くリカルド。
地図があった方が話しやすいので、フリーハンドではあるがそこそこ見れる地図を書き上げると羽ペンを空間の狭間に仕舞って時を戻した。
そして後ろから出してきたという風を装って地図を開いて見せる。
「地図があった方が説明が簡単なので、ちょっと失礼します」
ぱさりとテーブルに地図を広げて、その上に五つある袋を別々の場所へと置いていく。
「私には農業の知識が不足しているので、育て方までは言及できませんが」
「…あぁ、それはもちろん。そこまで聞くつもりはないよ」
一瞬王太子の反応が鈍かったが、調べた内容を忘れる前に話そうとリカルドは気にせず続けた。
「来年の気候は今年よりもやや低い可能性が高いので、こちらにある種は今置いている地域で育てるのが一番収穫量は上がります。
ただし、こちらの地域に関しては植物を食べる虫が大量に発生する可能性があるので、それが抑えられないようならこちらのものを育てた方が被害は少ないかと」
「あぁ、確かにこの地方は度々害虫の被害に悩まされているね……そうか。来年は出るのか。ちょっと対策がいるな」
真面目な顔をしてしばし無言となった王太子は、じっと地図を見つめた後に顔を上げた。
「主。この地図は貰ってもいいかい?」
「どうぞ。大したものではありませんが」
さっきフリーハンドで書いただけなので特に惜しくもなんともないリカルド。
「他にもこういう地図は持っているのかな?」
「いえ。これは私が書いたものなので、他に地図は持っていませんが」
「そうか……主が書いたのか」
王太子は立ち上がるといつものように300クル置いて地図を畳み小さな袋を纏めて畳んだ地図の上に置いた。
「ねえ主。私は主の事を信用しているから問題ないのだけれど」
静かな口調に薄っすらと不穏な気配を感じるリカルド。
視線を落としたままリカルドを見ない王太子に、ちょっと腰が引けそうになる。
「前に主は私に忠告してくれたよね。
『いわれなき言葉に傷つかない人間はいない』
ああその通りだったよ。ただの一度もそんな素振りを見せなかったけど、その通りだった。気づかなかった己が情けなくなった程だ」
どうした。急に。独白なんぞして。と、リカルドは微笑みの下で逃げ腰だ。
「だから私も主に一つ忠告しよう。
私のような王侯貴族や軍属の前でこんな地図を出さない方がいい。まして、自分で書いたなんて口が裂けても言わない方がいい」
軍属、の一言でリカルドは理解した。
(地図は軍事機密扱いか!)
フリーハンドで書いた地図が軍事機密扱いになると誰が思うだろうかと、どこに向けていいかわからない文句を抱えるリカルド。
「……ご忠告。感謝いたします」
辛うじてひねり出した言葉に、王太子はいつもの軽い笑みを浮かべて頷いた。
「じゃあこれで失礼するよ。今日もありがとう」
リカルドは静かに頭を下げて見送った。
そして王太子が転送されたのを確認して、そのままテーブルにおでこをぶつけた。
「知らんがな~……あんなもんで軍事機密とかって……」
泣き言を呟いた時だった。札を使って転送してくる動きを感じて即座に姿勢を戻すリカルド。
まさか王太子が戻って来たのかと取り繕ってみれば、そこにはやや釣り目の意志の強そうな若竹色の瞳に、少し赤みがかった金髪の縦ロールがいた。
まだまだ年若いように見えるが出るとこは出て引っ込んでるとこは引っ込んでいる、誰が見ても迫力満点の美女だ。眼福ものの相手であるが、リカルドはそれどころではなかった。
アイリーン・エッケンハルト侯爵令嬢。つまり、王太子の婚約者。
「ようこそ占いの館へ。今宵はどのようなご相談でしょう」
内心白目を剥きかけたリカルドは、なんとか定型文を口にして椅子を勧めた。
あの王太子の婚約者など鬼門中の鬼門だ。しかも王太子に無断でここに来ているとなれば後で何を言われるか。占いで見ただけで嫉妬してきたのだ。実物に会って話をしたとなればどうなるか。
とはいえ、客に違いはない。それはそれとして対応しなければと、変なところで真面目に考えていた。
御令嬢はグリンモアでは見かけない天幕内の様相に少し眉を
「あなたが噂の占い師ですか」
ピンと伸びた背筋に、意志の強い鋭い目。ぱっとみるだけでも立ち居振る舞いには気品があって、あぁ確かにこれは強そうだと思うリカルド。
「はい。ここで占いをしております」
「……なんでも占うと聞いたのですが」
「そうですね。お客様はどなたから札を譲られたのでしょうか?」
「………言う必要が?」
少し警戒している侯爵令嬢に、リカルドは微笑みを浮かべたまま肩を少し竦めた。
誰のものだったのか。それは
「お譲りされた方が、来られなくなると困るのではないかと。もう一つ札を用意しようと思ったのですが」
「聞きますが、その札はこのグリンモア以外の国からもここへとやってくる事は可能なのですか?」
「やったことはありませんが、機能的には可能ですよ」
そうリカルドが言うと、侯爵令嬢は少しだけ表情を緩めた。
「エマです。エマ・アンカー。
近々フルエストに輿入れするからと
最初のお客であるエマの名に、あぁなるほどと納得するリカルド。
エマの実家はそこそこの商家なので、侯爵家に出入りしている可能性はなくはない。
「そうでしたか。無事に進んでいるようで何よりです。
ではこれはエマさんにどうぞお渡しください」
差し出した札を侯爵令嬢は受け取り、自分の持っていた札と見比べそっとしまった。
その様子に危機管理意識が高い人だなと思うリカルド。
素直にそれが本物だと思って受け取らないあたり、侯爵家での教育の賜物なのだろう。
リカルドは上に立つ人って大変だなぁと呑気に観察していた。
「エマはあなたに出会った事で、みなに祝福されて嫁ぐ事が出来ると喜んでおりました。それで……私も……」
そこで初めて俯いた侯爵令嬢。数回深呼吸を繰り返し、再び意志の強い目をリカルドに向けた。
「私も、祝福されたいと思ったのです」
「ご家族にお相手の方との事を反対されているのですか?」
以前リカルドが見た情報ではそんな事は無かった。冷遇はされていたが、王家との繋がりを強める事が出来るので喜ばれている筈だった。
「いいえ。家族に反対はされておりません。
ですが、見ての通り私の髪はこのような色で父とも母とも異なります。相手の方はこのグリンモアでも高貴な身分の方。……不義の子を娶るのかと、言う者がいるのです」
うーん?と内心思うリカルド。正直なところ全ての人に祝福されてというのは、貴族社会では難しいのではないかと思っている。特にこの侯爵令嬢と王太子ではいろいろと権力的なあれこれが付きまとうので、全会一致でというのは不可能とさえ思えた。
不義だのどうのと言ったところで、上が進めてしまえば結婚は出来るだろうし実際王太子はそのつもりだから、それはそれでいいのではないかと思ってしまうリカルドだったのだが、一応話はちゃんと聞こうと質問を重ねた。
「お相手の方はなんと」
「で……相手の方は、そのような事は気にする事はないと。私が私だから、一緒になるのだと、言ってくださいました」
侯爵令嬢は視線が下がりそうになるのをぐっと目に力を入れて堪えたようで、ものすごい睨まれているような心地になるリカルド。
どうでもいいが(今一瞬殿下って言いそうになったよね?)と内心でつっこんでいた。
「ですが、私は……私のせいで、相手の方が悪しざまに言われるのが我慢ならないのです。私の事であれば耐えられるのですが、あの方がそのような事を言われるのは……」
(あぁそういう方面で言ってたのか……)
「この髪色は母が不義密通をしていたわけではなく、先祖に国外の人間が居たので先祖返りのように出ただけなのです。その事は私の家族は知っておりますが……それを公表する事は家の恥と、外に漏らす事はしません」
うーん。と内心唸るリカルド。
(何でこんな色が出たのかという根拠を出さずに、親子関係を立証できればいいんだろうけど……あるかな?)
ちょっと時を止めて
要するにDNA鑑定のようなものがあればいいんだよなぁと思いながら探すと、いくつかそういうものは出て来た。
呪術の儀式に使用する生贄の関係を証明するための魔法だったり、吸血鬼が好みの血を探すために使用している魔法だったりと、ちょっとアブノーマルな感じのものが多かったが、場所と相手を選ばない魔道具もあった。
(魔道具が一番使いやすいだろうけど……)
その魔道具を作る事自体はリカルドでも可能そうだったのだが、やや面倒な材料を取ってくる必要があり作成までに時間も要した。
「お客様、お時間をいただければ親子か否かを証明する魔道具を用意する事は可能です」
時を戻して言えば、侯爵令嬢は目を大きく開いて、しかしすぐに冷静さを取り戻して聞いた。
「いくら、必要なのですか」
問われたリカルドは頭の中で日当3万円、精神手当2万円ぐらいでいっかと雑な計算をした。
「8000クルです」
「わかりました。用意いたします」
「三日後、取りに来ていただければお渡ししますが、その前に。
こちらに来る前に一度お相手の方とこの件についてよく話し合ってみてください」
「……どういう意味ですか」
警戒感を滲ませる侯爵令嬢に、リカルドは微笑みを少しだけ苦笑に変えて言った。
「大半の男は女性を守りたいものなのですよ。
もちろん、支えてもらえるという事はとても嬉しいのですが、それでも何の相談もなく守られるだけというのは男として情けなく感じる場合が多いのです」
話をしていると、なんとなく何でも自分一人で背負ってしまいそうな雰囲気をリカルドは感じた。それをそのままにしておくと、あのヤンデレ王太子とすれ違いそうで、すれ違ったらえらい事になりそうで、えらい事になったら自分にもとばっちりが来そうで、早い話自己保身で口を挟んだ。
「……ですが、私は迷惑をかけたくないのです」
「お客様は相手の方が困っている事があったら、迷惑だと思って手を貸す事はしませんか?」
「それは……でも、私が問題となっているので」
なかなか引かない侯爵令嬢に、リカルドは試しに時を止めて
途中経過はいろいろあったが、最終的にリカルドは王太子に絞殺されそうになっていた。
実際はリッチなので死にはしないが、住居と仕事を失う未来だった。
冷や汗(気のせい)をかきながら、王太子に知らせた場合の未来を確認するリカルド。こちらはねちねち嫌味を言われていたが、絞殺されそうにはなっていなかったのでほっとする。
(やっぱりあの王太子ヤンデレ系だろ……)
ひどく疲れた気分で時を戻し、リカルドは最終手段に出る事にした。
「わかりました。
では、お相手の方と相談し、相手の方に了承を得られた場合のみ魔道具をお渡しします」
「なっ……それは」
「大丈夫です。相手の方は海よりも深い心の持ち主です」
(但し、婚約者に限る。だけどな)
「相手の方を信じて、話してみてください」
その言葉に侯爵令嬢は折れた。
代金を置いて立ち上がる侯爵令嬢に頭を下げ、気配が消えたところでリカルドはぐでーと椅子の背もたれに倒れ掛かった。
「あー……ねちねち言われるのかぁ……やだなぁ」
危険な未来を回避できるのはありがたいが、回避できそうにない嫌な事を先に知ってしまうというのも嫌だなぁと思うリカルドだった。
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