Hang in there
増田朋美
Hang in there
Hang in there
暖かく、でも風が強くて、のんびりするというのには一寸残念な日であったが、それでも雨が降っていないから、何処かへ出かける人も多そうな日であった。と言っても、体や心が健康な人に限ってのことであるが。
「おーい。みんな元気かい?餃子をつくったんだけど、つくりすぎちゃったから持ってきたよ。」
と、製鉄所のインターフォンがない玄関を、杉ちゃんががらっと開けて、デカい声でそういった、のであるが、
「杉ちゃん、一寸静かにして。今、大事な話しをしてるんだ。」
と、ひとりの男性利用者が杉ちゃんに言った。
「大事な話しってなんだよ?」
杉ちゃんがすぐ聞く。
「う、うん、なんかね。ここを無理やりやめたいという人が出てしまって、、、。」
「やめたいって誰?」
と、杉ちゃんは、すぐ聞いた。
「誰かが来ているのか?それなら、だれなのか教えてもらえないもんかな。」
「そうはいってもねえ、杉ちゃん、こういうことは、プライバシーに関わる問題だからね。」
と、利用者はいうが、答えが出るまで聞き続けるのが杉ちゃんというもの。一度くっつかれると絶対に離れないのが杉ちゃんである。
「おい、だれだ?誰が製鉄所をやめたいって言うんだ。名前を教えてくれ。何処のだれなんだ?」
「そうだねえ、、、。」
と利用者は、杉ちゃんに答えを出すのを渋った。
「そうですか。では、この製鉄所も退所したい、そうおっしゃるんですね。」
いきなり応接間の方から、そう聞こえてきたので、杉ちゃんは、餃子の容器を利用者に無理やり渡し、自分は車いすをこいで、応接室まで行ってしまった。
「ええ。そういうことです。なによりも、やっと外へ出てくれるとおもったら、今度は天下一の不良高校と言われる富士岡高校へ転校したいと言います。あんな所、悪い生徒ばっかりで、うちの子がせっかくよくなってくれたのに、そんな悪い女性ばかりの学校へ行きたい何て言いだすんですから、言語道断ですよ。」
「富士岡高校って、昔は女子高だったよな。確か、ちょっと前に共学になったと言われる。」
と、杉ちゃんはつぶやいた。
「それに、富士岡高校の校長は、大変情け深い、いい人だって、そんな大嘘を言いふらしたのは、同和地区の出身者だったそうじゃありませんか。そんな人間がいうことなんて、信用できませんね。」
「山岸さん、律子さんの気持ちを聞かせてもらえないでしょうか?」
多分応対しているのは、ジョチさんであると思われるが、偏見の塊みたいなお母さんに、辟易しているようであった。
「律子はまだ、高校生ですし、社会的に経験が多いということではありません。それなら、大人がこうしろと指示を出してやるべきでしょう。律子は間違った所へ行こうとしているわけですから、それを修正してあげようと思って、そういっているんじゃありませんか。それをなぜ、本人の気持ちなんて言うんです?」
「おい、お前さん、一寸待ってくれ!」
山岸さんと言われた女性がそういうと、杉ちゃんは急いで入り口のドアをがちゃんと開けてしまった。
「まあ、その理屈も分からないわけではないですけどね、大事なのは、本人が行きたいという気持ちなんじゃないですか。それに、同和地区の人がと言いますけどね、そういうやつは、日ごろから生活に困っているようなもんだから、よほど悪事を考えている時じゃない限り、悪いことは言わないと思うよ。」
中には、ジョチさんと、勉強させて貰いたいと言って、利用していた山岸律子さんという女性と、そのお母さんが向かい合って話し合っていた。
「でもですね、私たちのころから、富士岡高校は、不良性のたまり場だって噂になっていました。どんな生徒であっても、富士岡高校だけは行くな、そういわれていました。そんな所にどうして律子をやろうという気になれるでしょうか!」
「ええ、確かに僕たちの時代から、そういわれていました。ですが、10年前に共学になってから、新しい校長先生に代替わりしたとき以来、とても良い学校になったと聞いております。お母さまの時には、富士岡高校は悪いと言われていたかもしれないけれど、そんなことは、もう昔の事だと思っていただければ良いと思うんですが。」
ジョチさんがお母さんの言葉に急いでそういうと、お母さんは感情的になってこういうのであった。
「でも私は母親です。養育義務っていうものがあります。娘が危険な場所を選んでしまったら、何とかしてそこから安全な所に持っていく、それも養育義務のひとつだと思うんですが!」
「養育義務って言いますけどね、お前さん。律子さんはお前さんのロボットじゃないんだぜ。なんでもお前さんの言う通りになるかっていうと、そういうことはないですよ。まあ、昔は確かに、怖い奴らがいたのかもしれないけどさ、もう時代は変わったことを考えてもらいたいな。」
杉ちゃんが急いでそういうことを言った。
「でもですね。何処の高校を出たかというのは、一生ついて回ります。それがコンプレックスになるような思いをさせたくありません。公立の学校を出ていたほうが、頭がよかったんだと相手に印象付けることもできるはずです。今せっかく、吉永高校に居させて貰っているのに、それを退学して、不良ばかりの高校に行くなんて、律子がどういう精神で、そういうことをいうのでしょうか。其れはきっと、同和地区の出身者が、よからぬことを吹き込んだ事しか、考えられないじゃないですか。それなら、親が出てきて、それをとめてやることは、当たり前じゃないですか!」
「そうですけど、お前さんの言っていることは明かに時代錯誤。吉永高校はいい高校なんてそんな神話は当の昔に崩れ去りました。お前さんの言っていることは真逆。律子さんが学校にいけなくなって、こっちへ来たのは、吉永高校で鬼畜教師が、変なことを言うからだよ。富士岡高校は私立なのでそういうバカ教師はいない。」
杉ちゃんは一生けんめい律子を養護した。ちなみに、富士岡高校は、いちおう古くからある小規模な私立学校である。確かに、生徒人数が少ないのと、偏差値があまり高くないので、悪い学校と言われがちであるが、杉ちゃんの言う通り、校長先生が教育に力を入れているという学校であった。
「まさしくその通りです。公立学校の先生はいちおう県職ということになりますから、中には教育者ではなくて、別のものになってしまう人もいます。律子さんがあたったのはそういう人だったんでしょうね。別に僕は、吉永高校が悪いと言っているわけではありません。ですが、生徒を平気で傷つけるような発言をする教師がいて、その教師の下では、彼女は大変なので、別の学校へ行った方が良いと言ったのです。」
ジョチさんも、杉ちゃんに続いて、そういった。
「お母さんごめんなさい。」
お母さんの隣にいた律子さんが、小さい声でそういうことをいうのであるが、
「馬鹿!お前さんが謝ってどうするんだよ。お前さんは、富士岡高校に変わりたいという意思を貫き通せばそれでいいの!」
杉ちゃんがそういうのであるが、
「こちらには、ずいぶん期待いたしましたが、人間をよくしてくれるのではなく、何だか甘やかしているような所だったんですね。」
と、お母さんが言うので、
「でも、富士岡高校は、決して悪いところではありませんよ。」
とジョチさんは言った。それでも、納得できなさそうなお母さんに、杉ちゃんはとうとう頭に来たらしく、
「お前さんが自分で確かめて来たら!」
と怒鳴ってしまった。ジョチさんが、杉ちゃん少し声を小さくと注意したが、杉ちゃんはあきれた顔をしている。
「まあ、お母さんも、律子さんも、いろんな意味で疲れていらっしゃいますな。一度、本当の姿を見る時間と、リフレッシュが必要でしょう。そのための人材は、こちらでも用意できますから、必要になりましたら、おっしゃってくださいね。」
ジョチさんが、冷静な態度でそういうことを言った。
「そんな人材、必要ありませんよ。第一、同和地区の出身者を雇うような所なんですから、ろくな事業所ではございませんね。」
お母さんは律子に、家に帰るように促した。
「ではごめん遊ばせ。」
と言って、部屋を出ていく二人を眺めて、杉ちゃんは思わず馬鹿野郎と怒鳴ったが、ジョチさんがそれをとめてくれた。いずれにしても、お母さんの方が変わってもらわなければ、律子さんはますます荒れるのではないかと思われた。でも、他人である杉ちゃんもジョチさんも、彼女を叱ることは出来なかった。
その数日後の事である。
「理事長さん、これ見てください!この教師がいたところは、吉永高校ですよね!」
と、製鉄所の利用者のひとりが、新聞をもって応接室に飛び込んできた。静岡限定の地方新聞であるが、その片隅に、生徒が教師に暴力という記事が載っていたのである。なんでも学校側の都合で学校名は書かれていなかったが、なんでも生徒が、教師を家庭科室の包丁で刺したという事件だった。被害にあった教師は、中村ゆかりという女性教師だったようであるが、命に別条があったというわけではないようである。
「なにが書いてあるんだよ。」
杉ちゃんがジョチさんに聞く。答えを出さないといけないことを知っていたジョチさんは、事件の概要を説明した。
「そうか。それなら、これは大きなチャンスかもしれないぞ。そういう具体的な事件が起きたのなら、高校を変わるきっかけが掴めるかもしれない。」
そんなにプラス思考な杉ちゃんに、ジョチさんも利用者も驚いた顔をした。
「一体誰のことを言っているんです?」
ジョチさんがそう聞くと、
「ああ、山岸律子さん。彼女、学校を変わりたいと言ってたのに、強引なお母さんのせいで変われなかったじゃないか。吉永高校で事件が起きてくれたら、それこそチャンスかもしれないぞ。」
と、杉ちゃんは直ぐに答えた。
「そうですね。杉ちゃんの言う通りかもしれません。しかしですね、学校というところは、医療ミスよりひどいやり方で、事故を隠ぺいしようとしますからね。彼女が、そこから逃げることは、果たしてできるでしょうか。」
ジョチさんがそういうと、
「何とか、律子さんに連絡ができないでしょうか。もし、吉永高校で本当に事件が起きたのなら、こんな危ない高校には居られないから、高校を変わった方が良いと、彼女に知らせてやることも必要だと思います。あたしたちも、彼女の事、すごく心配していたんですよ。だから、あたしたちで、彼女に知らせてやらなくちゃ。」
と、利用者が、純粋な少女らしくそういうことを言ったが、
「いやあ、それは無理ですね。あのお母さんに、同和地区の人間がそうしろと言ったのかと言われてしまえば、僕たちも対処のしようがないので。」
と、ジョチさんが言った。
「そうか。同和問題とはそういうことなのか。」
と杉ちゃんがデカい声でそういうことを言った。すると、玄関先から、製鉄所の近所に住んでいる、おじさんの声で、
「おーい!一寸来てくれ。女の子が川の中を流されてきたんだ。ちょっと手当てしやってくれないかな!」
と、聞こえてきたもんだから、ジョチさんと利用者は、急いで玄関先に行ってみた。すると、茶摘みの恰好をしていたおじさんが、若い女性を背中に背負ってたっている。だれだとおもったら、彼女は間違いなく律子さんだった。
「ああ、分かりました。じゃあうちであずかることにいたしましょう。」
「着替えは、私のを貸してあげます。」
ジョチさんと利用者はそういうことを言って、とりあえず、律子さんを空いている製鉄所の居室へ連れていき、布団に寝かせてあげて、着るものも利用者のものに変えた。おじさんの話しによると、吉永高校の制服を着ていたので、多分、こないだの事件とかかわりがあるんだろうと言っていた。確かに、彼女が川に飛び込んでも無理はないとジョチさんは大きなため息をつく。
ジョチさんやほかの利用者たちが、おじさんから話しを聞いている間、杉ちゃんは、台所に移動し、とりあえず食べるものをつくろうと言って、雑炊をつくった。
律子さんが目を覚ますと、目の前にうまそうな雑炊がおいてあった。
「お、目が覚めたな。若い奴は、回復力も早いな。よし、食べろ。悩んでいる奴は腹が減っているからな。まずは思いっきり食べることだ。」
と、杉ちゃんが、自分になにがあったか分からないという顔をしている律子さんに、そういうこと言った。しばらく驚いていた律子さんだったが、枕元にある、うまそうな雑炊のにおいにつられてしまったらしく、急いで布団に起き上って、バクバクと食べ始めた。
「よかったねえ。うまいもんを食べられて、幸せだな。二度とあんな真似はしないでくれよ。あそこで茶摘みのおじさんに拾ってもらえなかったら、今頃どうなっていたのか分からないんだよ。」
杉ちゃんはデカい声でそういった。隣に座っていた水穂さんが、
「本当にごめんなさい。あなたにひどいこと言って。」
と言って頭を下げるので、
「お前さんに謝って貰う理由はないよ。お前さんは何も悪いこと言ってないんだから、堂々としていればいいの。」
と、杉ちゃんは言った。でも、水穂さんは、杉ちゃんこれは違うんだよと言った。そういうところが、水穂さんの現状を示しているような気がした。
「でもよ。お前さんがああいうこと言ってくれなかったら、間違いなく律子さんには選択肢が無くて、困ってしまうぜ。」
と、杉ちゃんが言った。
「それに、富士岡高校で救われた人はいっぱいいるんだから、それは隠しておいちゃいけないだろ。そういうこともできるんだって、ちゃんと言ってあげることは、間違いじゃないよ。」
「そうですけど、僕がああいうことを言わなかったら、律子さんは川に飛び込んでしまわないでも済んだかもしれないって考えると。」
「バーカ!お前さんが言おうが言うまいが、彼女はきっと、吉永高校にそのままいたら、おかしくなっちまうか、こういう風に危ないことをしでかしたかもしれないよ。それを早く脱出させてやったんだから、お前さんのしたことは間違いじゃないの。」
弱気になっている水穂さんに、杉ちゃんはデカい声で言った。
「目が覚めましたか?」
と、ジョチさんが律子さんの部屋にやってくる。
「ああ、今つくった雑炊をバクバク食ってるよ。明日は普通のご飯にするけど、それでいいよね。」
杉ちゃんだけ一人、ニコニコしていた。
「お母さんには、連絡しておきました。多分、もう少ししたら、こちらにくると思います。あなたがもう少し体調を回復されたら、改めて話し合いましょう。その時は、あなたもしっかり意思をしめしてくださいね。あなたが悪いわけではないことは、僕たちもちゃんと知っていますからね。」
「本当にすみません。僕が余計なことを言ったばっかりに。」
と水穂さんは改めて頭を下げた。
「いえ水穂さんが謝る必要はありません。それよりも、吉永高校で、教師が刺されるという事件は本当にあったのでしょうか?」
ジョチさんは急いで訂正して、そう聞いた。
「え、ええ、本当です。みんな不満を持っていたと思います。あの学校では、どの教師も、国公立大学のことしか口にしなかったものですから。中には私立に行きたい子もいたでしょうし、家庭の事情で就職しなければならない子も居ました。先生を刺した子は、どうしても就職しなければならない子でした。」
律子さんはやっと吉永高校の現状を語り始めた。
「しっかしな、なんでまたそんなに国公立大学の進学に拘るんだろうね。それ以外に高校の価値はないとでも言いたげだね。」
と、杉ちゃんが言うと、
「中には、優しい先生も居ました。でも、そういう先生は、学年主任とか、ほかの先生に言いくるめられて、結局やめたり、ほかの学校へ移動したりしていきました。あたし、本当に何をやっているんだろう。もうこんな所生きてなければよかった。だって、みんな国公立大学はこんなにいいんだって、そういう事ばっかりいってくるものですから。」
と、彼女は言った。
「まあまあ待て待て。学校に長居をするとどうしても洗脳されてくるようになるけどさ、そういうところばっかりじゃないってことを、考えられる環境にまずは自分をおくことだな。そのために、高校を変わっても良いとおもうよ。無理して、辛い環境にいて、良いはずないもの。」
と杉ちゃんが急いでそういうと、
「でも、母があんな事、いうくらいですから、もう私のことは、どうにもできないのではないでしょうか。母は今でも、吉永高校はすごいと信じ込んでいるみたいですし。」
と、律子さんは言った。
「それはお前さんがちゃんと言うんだな。もう吉永高校はひどいところになっているって。そして、富士岡高校の昔の噂を信じるなと。」
杉ちゃんが急いでそういうと、
「私、そんな事言える自信がありません。母は吉永高校を目指していたけれど、いけなかった過去もあり、公立高校は凄いって信じ込んでいるみたいで、あたしの味方ではなさそうだし。なんで私は助かったんでしょう。いっそ川に落ちていればよかった。」
と、彼女はいうのだった。その言い方は半ば自棄になっているような言い方だった。まあ確かに、自殺をしたいというところまで追い詰められたのだから、そうなってもしょうがなかった。
「もうしわけありませ、、、。」
と、水穂さんが再度頭を下げるが、姿勢が悪かったのだろうか、ひどくせき込み始めてしまった。杉ちゃんが急いで、お前さんも無理をするなと言って、背中をさすってやったりして、水穂さんを解放するが、水穂さんは、すみませんとしか言わないのだった。
「ほら、水穂さんまでおかしくなっちまった。お前さんも、しっかり考えてくれよ。このまま無理してぼろ学校に居ても、ろくなことはないんだよ。」
杉ちゃんは、律子さんに言った。
「僕たちも手伝いますから、あなたが、より良く生きられるように努力してください。一度限りの人生でもありますし。」
ジョチさんは、一寸厳しく律子さんに言ったのであった。
Hang in there 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます