EP10 エピローグ

 目が覚めたとき、浬は自分のベッドの上だった。


 体を起こし、周囲を見る。


 浬は、自分の腕を見た。

 少し前までは感じていた、楓の温もりは完全に消え去っていた。

 手には、寒々とした感触だけが残っていた。


 カレンダーを見た。

 高校二年生の、四月だった。


 *


 あれから浬は、再びいつも通りの毎日を過ごし始めた。

 目が覚めてから初めて学校に行った日、浬はあらゆる人に楓の安否を聞いて回った。

 しかし、返ってきた答えはすべて同じ「誰なのか知らない」というものだった。



「相原? ……知らねえな」

 浬は柴山にも楓のことを聞いたが、答えは同じだった。

 苅間や近田さえもが、同じ答えだった。


 浬は、言いようもない虚脱感に魂を抜かれた状態になった。

 相原楓なんて人は、初めからこの世に居なかった。

 誰も彼もがそんな風に振舞っていた。



 そんな無味乾燥な毎日が一週間ほど続いた。

 浬は、虚ろなで登校していた。


 不意に、浬は目の端に見たことある人影を捉えた。


 艶やかな黒い髪、小さい背中、ツンとした唇……


(あれは、もしかして)

 浬は全身に、血が巡りだすのを感じた。


 浬は駆け出した。


(僕の、大切な、何よりも大事な……)


 浬は走った。


 影を追いかけて、走った。


 あり得ないことだと、頭のどこかでは分かっていた。


 しかし、それでも、頭に浮かんだ僅かな可能性に、縋らずにはいられなかった。


 しかし距離は縮まらない。


 それでも浬は走った。


 ほんの数百か、数十メートルの距離のはずなのに、遠かった。


 ついに追いつくことはなく、浬は影を見失った。


 *


 浬は教室に入った。

 教室には、柴山、苅間、近田の三人がいた。


 目が虚ろな浬を見て、柴山は驚いた。

「おっす浬……、ってすげー顔してるぜ。大丈夫か?」

 柴山は心配そうに浬の顔を覗き込んだ。

「……うん」


 浬は、先ほどん見た影を思い出しかけたが、すぐにそれを打ち消した。

 あれは、幻だったのだ。

 焼け付くような黒い感情が、浬の肺腑をえぐった。



「よう、浅見」「おいすー」

 苅間マリカと近田チカが、教室に入ってきた浬に向かって口々に挨拶をした。。


「うん……」


 曖昧な返事を返した浬の様子に、苅間と近田は顔を見合わせた。


「あんた、浅見くんになんかした?」

「いや?」


 浬は席につくと、机に突っ伏して目を閉じた。


 目を閉じると、これまでの思い出が鮮明に思い出された。

 初めて一緒に下校したときのこと、

 初めてデートしたときのこと、

 初めてキスしたときのこと


 幻、だったのだろうか。


 これまでのことすべて。

 この胸の内にある思い出も、すべて。


 すべて……


 *


 チャイムが鳴るのが聞こえて、浬は顔を上げた。10分ほど時間がたっていた。

 どうやら、少し眠ってしまったようだった。



 担任が教室の戸を開けて、ガニ股で入ってきた。そしていつも通りの、気の抜けた間延びした声を出した。


「えーっと、高校二年生のこんな時期ですが、転校生です。入ってきていいよ」


 途端に教室中が色めきだった。


 そのざわめきも、浬には関係のないことだった。


 今更誰が来たって。


 しかし浬は、その後おずおずと照れくさそうに教室に入ってきた生徒を見て、目を見開いた。


 すべての音が遠くに聞こえた。

 時が止まったような感じがした。


 それは、見覚えのある、良く見知った顔だった。


「初めまして、相原楓です。よろしくお願いします」


 そう言って彼女は笑った。


 それはよく見慣れた、天使のような笑顔だった。

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はじめての彼女はアホかと思ったらアポカリプスでした。 キリン🐘 @okurase-kopa

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