第15話 Epilogue ミーアの回想
イーサンから結婚式の招待メールがきた。ついにイーサンも結婚かぁ。久しぶりに届いた旧友からの写真付きメールについ昔の思い出に耽ってしまう。大学を卒業して2年、まだ昔を懐かしむには早い気もするけどあの日々の思い出はあまりに鮮烈で、未だに私の胸を焦がし続けているんだなとしみじみ思う。
空気ノイズの最後のライブになったあの日、カナタは逃げるように大学を辞めミレニアム音楽同好会も空中分解。トビアスは学外で音楽活動を続けてたけどイーサンもテオももうバンドはやらないっていって普通の学生生活に戻っていった。かく言う私も暫くは何も手につかず無為な日々を過ごしたけど、サキが心配して映像系のサークルやグループに引き合わせてくれたから大学生活は概ね充実して終えることができた。
実はあの後、カナタのバイト先の知人と名乗る一組の男女が訪ねて来て私宛に一通の手紙と楽曲のデータが入ったファイルを渡しにきた。手紙はカナタの字で、逃げるようにいなくなった事への謝罪と一年間の楽しい思い出を共有できた事への感謝が綴られていた。楽曲ファイルの中には空気ノイズのこれまでやってきた曲の楽譜と音源が入っていてその中に見慣れないタイトルの音声データが入っていた。再生するとMIDI音源のデモが鳴り出した。きっと次に空気ノイズでやろうとしていた新曲だったのだろう。聞いているとなんだか悔しくて涙が出てきた。
もう、あの最後のライブから5年も経つのか。
「イーサンこっち向いて」
結婚式当日、久しぶりにバンドメンバーに再会できた喜びでいつになくハイテンションでアンティークカメラを向けていた。燕尾服を着たイーサンは学生時代より少し太って見えてなんだか幸せそうだ。
近くにいたテオとトビアスを捕まえてイーサンと3人並ばせて何枚もカメラに収めていく。一緒に来ていたサキが分かりきった事を言う。
「やっぱり羽山来てないんだ。まだ音信不通なの?」
イーサンが申し訳なさそうに頭を掻いて答える。
「ごめんまだ連絡つかなくて。本当、どこでどうしているやら心配だよ」
トビアスがケロッとした表情で話に加わる。
「もう終わった事なのにな。5年前は許せない気持ちが強かったけど時間が経つと客観的に自分たちの事が見えてきて、『あ~若かったなぁ』くらいにしか思わないよ。俺のした事も大概だし、まぁお互い様って感じ」
私はトビアスの言葉に深く頷く。
「うん、そうやって皆んな大人になっていくんだろうね」
「でも羽山は大人になりきれなかったんだろう。今日も来てないし。もうあの時の事なんて誰も責めちゃいないのに」
テオはそれでもカナタに寄り添った言葉で繋ぐ。
「でも羽山くんの気持ちも解る気がする。あり得たかもしれない未来があまりに眩しすぎて今の僕たちを見たら失望してしまうんじゃないかなって」
「それこそ失礼な話だろう。皆んな現実と向き合いそれぞれの場所で懸命に生きているんだから」
私は二人の会話に割って入る。
「まぁまぁ。でもトビアスの言う事も分かるよ。現実が理想を超える事ってないじゃん。理想って願いなんだもの。だから大人になるのって現実と地続きの夢を見られるようになるって事なんじゃないかなぁ」
私が珍しくシリアスな話をしたものだからイーサンがニヤニヤしながら近づいて来た。
「みんなまだ20代なのにシビアだなぁー。まだまだ見果てぬ夢を追いかけてもいい年頃なんじゃないの?」
「相変わらず周回遅れな発想だな」
トビアスに突っ込まれるやふざけあって絡みつくイーサン。
「て言うかさ、イーサンっていくつになったの?」
「33」
私の質問に即答して笑いを誘う。
そう言えばイーサンからメールをもらっていたのを思い出した。シオンさんを結婚式に呼んでいいか事前に私に確認をしてくれていたのだ。シオンさんがあの時していた事を後になって色々教えてくれたのもイーサンだった。あの時は色々わだかまりがあったが今はもう責める気持ちはない。私はシオンさんを呼ぶことを承諾していた。
「ねえイーサン、そう言えば今日シオンさんは来れるって?」
「いや、それが彼女今お父さんの仕事を手伝うためドイツにいるんだって。ここに来れない事をとても残念がっていたよ。ミーアにもよろしくって」
「そう、残念。でもそれぞれの場所で懸命に頑張っているんだね。いつかまたシオンさんのギター聞きたいなぁ」
今は別々の道を歩んでいる私たちもいつか交差する時が来るのだろう。その時まで私も精一杯生きて、胸を張って会えるよう目の前の道を一歩一歩踏みしめて行こう。
社会人3年目の朝は慌ただしい。出社してすぐにメールをチェック、先週からの引き継ぎをしつつ今日のスケジュールを確認。頭の中はまだイーサンの結婚式の余韻が残っていてふわふわしていたけどそんな私を一気に現実に引き戻す辞令が出ていた。来月からフランスで開催される国際プロダクトデザイン展示会に日本人スタッフとして派遣される事になったのだ。
私は喜び勇んで準備をする。初めての海外出張、それもフランス。心ときめかない訳がない。
そして出発の日。東京からエアバスで揺られる事10時間、シャルル・ド・ゴール国際空港に到着。そこから地下鉄を乗り継ぎパリ・リヨン駅に降り立つ。宿泊するホテルはそこからすぐの所にある。パリ・リヨン駅はとにかく大きな駅で女の勘で進んでいったらすっかり迷ってしまった。ため息をつきリストバンドの端末を操作してナビを起動しようとしていると、どこからかピアノの音が聞こえてるのに気がついた。なんとなく懐かしい響きだなぁと思い音の鳴る方へ近づいていくとはたと気がつく。間違いない、この曲は学祭の時、空気ノイズの皆んなでカバーした『ドッペルゲンガー』だ。決して有名ではない、それも100年近くも前の曲を一体誰が弾いているのだろう。私の心拍数はどんどん上がっていく。音の鳴る方へ必死で向かっていると曲はいよいよ後半部分へ突入。やばい、急がなきゃ帰られちゃうかも。いよいよ走り出して駅の中を駆け抜ける。視界が捉えたピアノの前にはちょっとした人だかりが出来ていて弾いている人の姿は見えない。小さな体を滑り込ませ人波を掻き分けて辿り着いた時、リタルダントするピアノの最後の一音が優しく着地するところだった。
ピアノの前にはボサボサの髪をトップで一つに纏めて無精髭を生やしたカナタが座っていた。
恐る恐る一歩前へ出る。目が合った瞬間驚きのあまりお互い言葉が出なかった。肩で息をしつつ絞り出すような声で一言
「何やってるの?」
「何って、ピアノ弾いているんだよ」
間の抜けた返答に思わず吹き出してしまう。
「相変わらずだね、カナタは。5年ぶりなのにちっとも変わっていない」
私のことを上から下まで舐め回すように見ては少しやさぐれた声で応える。
「お前は変わったな。スーツなんて着ちゃって。もうすっかり社会人なんだな」
「そうだよ、人間は変わるの。人生の時計は少しづつ前に進んでその度に新しい自分を受け入れないといけない。でもカナタのせいで止まったままの時計があるよ」
視線を外し後悔の念を浮かべて呟く。
「ごめん、俺のせいで傷つけちゃったよな」
「違うよ、私たちは傷つけ合う事も出来なかったんだ。もっと長い時間を掛けて言葉を積み重ねていくべきだった。そういう大事な間をすっぽかして結果だけを追い求めちゃったんだ」
自嘲気味に笑いながら鍵盤に掛けていた手をだらんと落とす。
「その報いがこれか。俺はこの5年間ずっと同じ所をぐるぐる回っていた。みんな卒業してそれぞれの道へ進む中俺だけがあの時から動けずにいるんだな」
「らしくない、そんな感傷に浸ってウジウジしているのカナタらしくない。私の知ってるカナタはもっと図々しいやつだったし自分の欲望に素直なやつだった」
しかし私の熱のこもった煽りにもいじけた様子で応える。
「素直に欲望をぶつけてたらまた人を傷つけるだけだろ。言ったら俺は今でもお前に欲情してるし抱きたいとも思ってるんだぜ」
私は一切の躊躇いなく左手で思いっきりカナタの頬をビンタした。
「痛っ、何すんだよ」
「利き手で殴らなかったのはせめてもの情けだと思え」
そう言ってピアノ椅子に座ったままのカナタを抱きしめた。
止まったままだった5年間と最も美しく輝いていたあの一年が走馬灯のように駆け巡り胸の奥底から涙が溢れてきた。
「畜生、もう人前で泣くのは嫌なんだよ~」
「ごめん、ごめんな、ミーア」
そう言って私の肩を優しく叩く。
そこに12,3歳くらいの青い瞳をした勝気そうな女の子がカナタの前にやってきてフランス語で話しかける。
「さっきの演奏良かったわ。でもここはフランスなんだからフランスの作曲家の曲を弾くべきね」
この女の子の真っ直ぐな物言いに私たち二人は顔を見合わせて笑う。
「それじゃリクエストにお応えしてフランスが誇る大作曲家、フランソワ・クープランの『神秘の障壁』をお届けします」
そう言ってピアノに向かい大きく肩を揺らして弾き始める。
美しい時計のような、あるいは流れていく時間そのもののような、それでいてどこか懐かしい曲。そうだ、これはシオンさんがよくギターで弾いていた曲だ。
カナタがいて、イーサンがいて、テオがいて、トビアスがいたあの季節。傍らにはシオンさんのギターがあって、そして私がいた。
この曲はもうすぐ終わる。そしてまた新しい季節が始まるのだろう。
だって次のノートがもうすぐそこまで来ているのだから。
空席の椅子 米田竜一 @ryuichiyoneda
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