第14話 feedback from vacant seat

イベントライブまでいよいよあと一週間。俺はこの間バンド練習の時を除いて誰とも会わず一人黙々と練習していた。その甲斐あってか調子はメキメキと戻っていき今ではメンバーの足を引っ張ることなくバンド練習ができていた。

しかしバンド内の空気は相変わらず重苦しくかつてのような和気あいあいとした雰囲気は戻っていない。それでも俺たちは、4月のライブを越えればきっと何かが変わる、またいつものようなくだらない冗談を言い合えるバンドに戻れる、そう信じて日々の練習に取り組んでいたのだと思う。


今日もいつものように通し練習をしてから気になるところを話し合っていると、トビアスが顎に手をやり難しい顔をしながら曲順に対する違和感を口にしだした。

「やっぱり羽山の持ってきたこのセットリスト、3曲目と7曲目を入れ替えた方がいいと思う。もうひと盛り上がり欲しいところなのになんか尻すぼみで終わっちゃう感じなんだよね」


「そうかぁ?」

俺は少しおどけた調子で返したが内心は穏やかではなかった。俺はこのセットリストに絶対の自信があったのだ。1、2、3曲目までを俺の作曲した勢い重視の曲で構成し、後半を少し落ち着いたトビアスの作曲した曲で纏めてライブ全体を2部構成のようにするという考えがあったのだ。寝ずに考えたこのプランを変えたくなかったので、いつも俺の意見に賛同しがちなテオに先ず意見を求めた。

「うーん、トビアスの言うこともわかるなぁ。今の曲順だと後半少しバテちゃったみたいな雰囲気があるよね」

予想に反しテオはトビアスの案の方に肯定的だった。

メンバー全員うんうん唸りながら熟考するも意見が纏まらなかったのでトビアスは多数決を提案してきた。この流れで多数決は嫌な予感しかしなかったので避けたかったが、このままでは埒が明かないので仕方なく多数決に同意した。


結果テオ、ミーアがトビアス案の方を推薦し議論は決した。俺は納得が出来ず言い訳がましく食い下がる。

「多数決って乱暴じゃないか。歴史を見ても多数派が常に正しかった事はないし、シオンさんの意見を聞いてからでもいいんじゃないか?」


思わずシオンさんの名前を出してしまい一気に場の空気が凍る。するとトビアスが不機嫌そうに話を締めくくった。

「シオンさんは空気ノイズのメンバーじゃない。空気ノイズの事は空気ノイズが決める」


これ以上トビアスと揉めてまた辞めると騒がれても事なので俺は仕方なくトビアス案に同意した。だけど俺は内心納得がいってなかった。こればっかりはどうしようもない。

それからの一週間は瞬く間に過ぎ、いよいよ空気ノイズの命運を決める大事なライブが始まろうとしていた。


ライブ当日。朝から晴天に恵まれ初夏を思わせる陽気が街全体を包んでいた。

空気ノイズの出番は一番手、18:30からの演奏でリハーサルのためメンバー全員14:30には集まっていた。会場入りするまでは減らず口を叩いていたメンバーも、リハーサルで本番と同じステージに立った瞬間観客席の広さに圧倒され言葉を失っていた。

そのリハーサルも少し難航した。主催側には事前にAIによる音質補正を全てオフにしてくれと伝えていたが、当の会場の音響スタッフにはそれが伝わっておらず一悶着あったのだ。一から自分たちのやりたい音楽の方向性を音響スタッフに伝えてなんとか理解を得られたが、本番を前にして会場スタッフとの間にピリピリとした雰囲気を醸成してしまった。

セッティングが終わり本番同様1、2曲目を通しで演奏するとまた一つ不安な面が露呈した。テオが緊張のせいでミスを連発していたのだ。考えてみれば学祭以来人前で演奏する機会もなくいきなりこんな大舞台に立たされているのだ。無理もない。俺はテオの緊張を解すべくアドバイスをする。


「テオさ、緊張すると下を向いて演奏しがちでしょ。でもそういう時はむしろ顔を上げて演奏してみな。顔を上げる事により気道の流れがよくなり酸素の吸入が増えて少し緊張が解れるから」


言われるまま顔を上げて演奏するテオ。

「あ、本当だ。なんかさっきより手の強張りがなくなった気がする」


イキイキとした表情でベースを弾くテオにイーサンが笑いながら絡む。

「でも空気ノイズがシューゲイズのバンドじゃなくてよかったね」


「へ、シューゲイズ?何それ?」

キョトンとした顔で尋ねるミーア。今度はテオが笑いながらシューゲイズの言葉の意味を教えている。

ここにきてバンドの雰囲気は少し和らいできていた。しかしトビアスだけは硬い表情のままだった。


リハーサルが終わると花室が挨拶に来た。

「お疲れ様。リハいい感じだったね。本番もこの調子で頼むよ」


俺はメンバーを代表して花室に返事をする。

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


花室は上機嫌にイベントの盛り上がりぶりを説明する。

「お陰様でチケットはソールドアウト。今日はライブ配信もあってそっちの視聴者も入れるとざっと一万人以上はうちらのライブを見てくれる計算になるんだ。これはFract Noteはもちろん、pop ogre、そして君たち空気ノイズにとっても大きなチャンスだから頑張っていこうね」


「はい!」

俺たち5人は勢いよく返事をした。


本番までの時間、皆思い思いに過ごしてた。テオは控え室でずっとベースを弾いていてミーアはそれを聞きながら何やら話し掛けていた。イーサンは彼女を迎えに行くといって飛び出していった。俺はトビアスに呼び出され会場となったSTUDIO EVOLの屋上展望室に来ていた。屋上には薄紫の雲が広がり着実に日没が迫っていた。夕日の逆光を背にトビアスが鋭い言葉を投げかける。


「お前、やっぱり水原さんと別れた方がいいと思う」


勝手に決めつけるようなそのセリフに憤慨して答える。

「それはライブが終わった後ちゃんとミーアと話し合って決めるって言ったろ」


俺が言い終わらないうちにさらに言葉を重ねてくる。

「水原さんは優しい子だ。だからお前の犯した不貞行為も許してしまうだろう。だがお前の中に本質的に備わっている支配欲や性的欲求は再び水原さんを裏切り傷つける事になると思う」


「俺だってバカじゃない。もう欲求に流されて行動したりしないしミーアの事だってちゃんと考えている。話はそれだけか?もう行くぞ」


背を向けて歩き出す俺にトビアスは吐き捨てるように呟く。

「お前は結局衝動で動く人間だ。そんなお前の事を俺はどこか羨ましくも憎らしくも思っている」


トビアスの言葉が胸に引っかかりつつも足を止める事なく戻って行く。

そもそも『今は余計な事は気にせずバンドに集中しろ』と言ってきたのはトビアスだ。それをライブ直前になってまた蒸し返すなんて。思えばあいつはいつもそうだ。正論をぶつけてきたかと思えばすぐに矛盾した行動をとる。今更になってあいつのそういう性格が鼻についてモヤモヤした気分になったが、今はライブに集中しようと思い気持ちを入れ替えるため外の方に目をやる。

屋上から見える入り口ゲートの方は既にお客さんが長蛇の列をなして続々と会場に入って行くのが見えた。


いよいよライブ本番だ。



「空気ノイズさん、それじゃ準備お願いします」

定刻。会場スタッフに声を掛けられ俺たちはステージ上のそれぞれの持ち場につく。

ステージと観客席の間には光学迷彩のスクリーンがありステージ側からは観客席を見渡せるようになっているが、観客席の方からは楽器や機材は見えても人間の姿かたちは透明になって見えていない。

2階のVIP席の方に目を遣ると招待していた榎木さんと柏木さんの姿が見えて俄然やる気が出てきた。視線を1階アリーナ席の方に戻す途中、視界の端に何か引っかかるものが映ったような気がした。気になった方、アリーナ奥の方の観客席を注意深く観察していると俺は気づいてしまった。シオンさんが来ている事に。他のメンバーは気づいているだろうかと振り返るも皆全く気づいておらず、ただライブ前の緊張感でそわそわしているだけだった。しかしトビアスだけは気づいたのだろうか、アリーナの奥の方を見て神妙な顔をしている。


「スクリーン上がります」


スタッフの声で俺は一気に自分の世界に没入し、イーサンにカウントを指示する。


1曲目『赤の写生』。ギターのアルペジオから始まってシンコペーションのベースラインが曲全体を前へ前へと推し進めていく軽快なナンバー。

客席の歓声が一気に跳ね上がり俺のテンションも加速度的に上がっていく。

こんな大きな会場で演奏するのは全員初めてだった。にも拘らず俺たちはその大きさに飲み込まれる事なく、ただその興奮の中心に立つことに喜びを感じていた。

1曲目が終わり間髪を入れずに次の曲のカウントをイーサンに指示する。

2曲目『空のハンガー』。6/8拍子のクラシカルなフレーズに現代のロックビートを乗せて畳み掛けるように進行していく風変わりなナンバー。この曲も1曲目の勢いを引き継ぎかなりのアップテンポで駆け抜ける。要所要所演奏の難しい所がありテオがミスしないか懸念していたが、今はただ猛烈な勢いの中に自分たちを放り込んでしまい心配する間も無く一気に弾ききってしまった。

気持ちいい。自分の音がどこまでもどこまでも広がっていく感じだ。

今年の初めからこの4月までの鬱積していた感情を全部一気に爆発させているようなライブだ。しかしこのあまりに浮かれた狂熱のようなライブのせいで俺は決定的なミスを犯してしまう。

2曲目までのあまりに気持ちのいい立ち上がりに釣られてつい勢いで、3曲目を自分の曲のイントロを弾いてしまったのだ。本来なら3曲目は多数決で決めたトビアスの曲を演奏する事になっていたのに。

すぐに間違いには気づいたがもう後戻りは出来ない。俺は構わずギターのリフを弾き続けているとトビアスは遂にブチ切れてギターを床に叩きつけてそのままステージを降りていった。アンプから出続ける壊れたギターのフィードバックが不気味に鳴り響き会場全体が何事かとどよめいていた。

俺は絶頂の最中急におもちゃを取り上げられた子供のように癇癪を起こしてトビアスよろしくギターを床に叩きつけて同じようにステージを降りてしまう。

残されたテオとイーサンはしきりに客席に向かって頭を下げ、ミーアはその場でうずくまって泣いていた。

もう何もかもが嫌になっていた。逃げるように降りた先、バックステージにいた花室が声を掛けてきた。


「すごい演出だね、羽山くん。でも今時そういうのは流行らないんじゃない?炎上しちゃうよ、僕みたいに。てか替えのギターとか持ってきてるの?」


「すみません花室さん、ライブはもう終わりです」

俺は誰とも喋りたくなかったので短く一言だけ詫びてその場を立ち去った。


暗い部屋の中でずっとうずくまっていた。何分、何時間そうしていただろう。リストバンドの端末の光だけがぼーっと光っていた。端末にはイーサンから何度も呼び出しが掛かっている事を知らせる通知が表示されていて、それを見るのも嫌になりリストバンドを外そうとすると、Orbisからも通知がきている事に気ずく。内容を見て俺は飛び起きた。Orbisに塚原教授がログインしている事を知らせる通知だった。俺は急いでOrbisにログインし塚原教授のいる火曜会の館に飛んだ。


「やぁ羽山くん、来てくれて嬉しいよ」

塚原教授はピアノを弾きながら迎えてくれた。

「2月の後半に倒れてからこの方ずっと昏睡状態だったみたいでね。一昨日やっと目を覚ましたものの寝たきり状態で体を動かせないから一日の大半をOrbisの中で過ごしているんだ。だがもう先は長くない。こんな事なら目覚めずにそのまま死にたかったよ」

教授の口から”死”という言葉が出て俺はどきりとする。


「そんな、先生に死なれたら困ります」

ピアノを弾いていた手を止めてゆっくりと話し始める塚原教授。


「私はね、自著の中で『早く死んだ方がいい』なんて説いてきたけどいざ自分が死ぬとなるとやっぱり怖いんだよ。おかしいだろう。持論に矛盾している。永遠に生きる事と永遠に死ぬ事、まぁ永遠の死などとは変な表現だが両方を比して考えた時、生きる事にはどんなに無くそうと努力しても必ずストレスや苦痛など一定の負荷がかかる。それがどんなに微量であったとしても永遠という無限大の時間を掛け算してしまうと生きる事は永遠にして無限大の負荷を受けざる得ない事になる。

対するに死は無であり永遠の断絶だ。何も考えなくて済む。どちらを選ぶべきかは明白だろう?ただ頭では分かっていてもやっぱり死ぬのが怖いんだな。尤も私は100年かそこら生きただけだから死を恐ろしく感じてしまうだけなのかもしれないがね。1000年以上生きたらこんなに死を恐れなくなるのかもしれないね」

講義とも世間話ともつかない口調で話しながらピアノに置いた手に視線を落とす。


俺は話の中で感じた思いをストレートに教授にぶつけた。

「先生は本の中で人間が永遠に生きたとしても個としての自我を保てるのはせいぜい1000年くらいだろうと仰っていましたよね。それはなんというか、新しい形の死なんじゃないですか。個の消滅としての死。先生はそれに対しても恐怖を感じられますか?」


「それは飽く迄私の見解だからな。実際1000年以上人間が生き続けた時、人間の心がどうなっているかは1000年生きた人にしか分からないよ。私が死の恐怖に対して言えるのは、これまで人間にとって死は否応なしにやってくる絶対的決定事項だった。シェイクスピアが『生きるべきか、死ぬべきか~』なんて言う必要もなく、たとえその時選択しなかったとしても死はいつか必ず訪れる運命だった。

ところが現代の科学技術は今まさに死を克服しようとしている。その時人間は死の恐怖から解放されるのと同時に死を選択する苦悩と直面する。黙っていたらいつまで経ってもお迎えはこない。自分で死を選択する以外はね。

前世紀は大変生きづらい世の中だったのか自殺する人も多くてね。そういう人は精神的に大変追い込まれていて普通の精神状態ではなくなっていく。だから死の恐怖よりも生への苦痛が優っていてそれ故”死”という大きな壁を飛び越える事ができた。

しかしこれから先君たちの時代に待っているのは普通の精神状態の人間が悩み、苦悩し、何度も逡巡しながら到達する死への道だ。一度生まれてしまった”意識”に死を選択させるのはあまりに酷だとは思わんかね?」


一息に長口上を吐き出すと少し疲れた様子でため息をつく。そしてまた思い出したように話し出す。

「そういえば君たちのバンド、なんか大きいステージが決まったんだっけ。そっちはどうなったんだい?」


「はい、実はライブの途中で俺とトビアスが喧嘩してギターをぶん投げて逃げ出してきちゃいました」


呆れるような表情を浮かべつつも笑いながらエールを送る教授。

「若いねぇ。私も昔そんな事あったよ。若い時分ってのはお互いの衝動や価値観が激しくぶつかり合う。まぁ仕様のない事だね」


「それより先生に聞いておかなければならない事があります。シオン・デーニッツ、そして先生のご子息、塚原麗流太について」

その名前を出した瞬間、教授の顔は険しくなった。アバター越しにもセンシティブな話題に触れた事が伝わる。


「シオン・デーニッツ、私のひ孫娘に当たるらしいね。まだ会った事がないけど。というのも私の息子、塚原麗流太とその家族とは絶縁状態でね。恥ずかしい話だよ、ほんと」


「え、どういう事ですか?」


「君も多分知っているんだろう。日本優和会について」

やはり教授の口から日本優和会の名前が出た。事の真相を突き止めるべく会話を進める。


「はい、存じてます。一言で申し上げるなら”優生思想に基づいた民族主義を掲げる唾棄すべき団体”です」


教授はパチパチと手を鳴らして俺を褒め称えた。

「素晴らしい。さすが私の教え子だ。対するに恥ずべきは不肖の我が息子、塚原麗流太だ」

教授は昔話をするように遠い目をしながら話し出す。

「麗流太が生まれたのは今から75年前。当時日本はまだ出生率の低下と人口減少という危機に直面していてね」


「はい。授業で習いましたね」


「加えて言うと当時急速に拡大しつつあったグローバリズムに対するアンチアクションとして民族主義や過激なナショナリズムが台頭してきた時代でもあったんだ。さらに中国や韓国、アメリカやロシアとの貿易の不均衡や領土問題なども抱え、日本の中でもかつての保守派とはまた違った極端な民族主義を掲げるグループがいくつも立ち上がっていた。その流れに身を投じてしまったのが我が息子麗流太。複数点在していたそれら団体を一つにまとめて日本優和会を結成しその広告塔として著名人や政治家をどんどん巻き込んでいったんだ。

当然私の思想、信条とは激しく対立する事になり結果的に息子家族とは絶縁状態に。しかし皮肉なものでね、麗流太にはムラサキという一人娘がいたんだ。彼女が結婚相手として連れてきたのがドイツ人のフィデリオ・デーニッツ。純血の日本人を礼賛しながら自身の純血性は孫の代で途絶えるというね、」


少し寂しそうな笑いを浮かべる教授。俺はシオンさんの事を伝えるべきか悩んだ。老い先短い教授の人生の最後をひ孫娘の不名誉な行為で以って汚すような気がしてどうにも躊躇われた。俺が言い淀んでいると教授の方から話を振ってきた。


「シオンとは友達なのかね?」


「はい。僕の一コ上の先輩でとても聡明で頼りになる人です」


それを聞いて少し安心した表情を見せる教授。

「麗流太の影響を受けて偏った思想に陥っていないか心配でね。でも君が近くにいるなら安心だ。よかったらこれからも側にいてシオンの事を見守っていてくれ」


俺は黙ったまま大きく頷いた。


塚原教授はそれから3日後の早朝に静かに息を引き取った。


STUDIO EVOLでのライブを台無しにしてしまった次の日、俺は荷物を取りにミレニアム音楽同好会の部室兼スタジオに行く。誰にも会わないよう始発の電車に乗ってまだ薄暗い旧校舎の中を足早に進んでいると、ポロンポロンとクラシックギターの音が響いているのに気がつく。まさかと思い俺は階段の方に向かうと案の定シオンさんが仄暗い階段の中腹に腰掛けてギターを弾いていた。


「やっぱり来たわね。待っていたわ」


俺は呆れつつ声を掛ける。

「待っていたって、一体いつからいたんですか、こんな薄暗く不気味な所に。女性が一人でこんな所にいるのは危なくないですか?」


質問には答えず、クスクスと笑いながら俺の性格を分析してくる。

「その言い回し。本当自尊心が強くプライドが高いくせに女性には謙虚よね。そういう所ずるいと思うわ」


「はぁ、そうですか」

俺は気の無い返事をして会話の主導権を握られないようにする。


「あなたとお話がしたかったの。よかったら屋上に行かない?私のお気に入りの場所なの」


彼女に連れられて来た旧校舎の屋上は錆びたアンテナや使われなくなった黒板やパイプ椅子などが打ち捨てられた前世紀の遺物の墓場のような場所だった。

錆びた手すりに手を掛け遠い方を見ながらシオンさんが詫びてきた。


「昨日のライブ、見ていたわ。本当に酷い内容。ごめんね、全部私のせいね」


俺ははっきり明言する。

「あなたのせいじゃない。全部俺が撒いた種です。ミーアに拒絶され行き場を失った欲求をあなたで埋め合わせしようとした。自業自得です」


「でも羽山くんの欲求に付け込んだのは私。ほんとはね、あなた達二人に嫉妬していたの。普通に学生生活送ったり恋愛したり。そういうのを二人ともごく自然にやっていて、『あ~私はなんでこんな風に生きれないんだろう』って思えてきちゃって」


この時初めて彼女の人間らしい一面を見た気がした。しかしそれでも拭えいない疑念を俺はぶつける。

「なんで日本優和会なんですか。あなたほど教養があればあんなコテコテの民族主義団体の欺瞞や矛盾にすぐ気がつくはずです。それに、あなた自身はハーフじゃないですか」


「色々と誤解しているようね。まず第一に日本優和会は外国人や混血を排斥しようとしている団体ではないわ。どちらかというと、そうね、絶滅寸前の希少動物を保護しているような団体よ。だから数は少ないけど私のような純血の日本人以外の人も会員にはいるのよ」


「その考えが間違っています。そもそも純血ってなんですか?あなた達が純血だと思っている日本人でもその遺伝的ルーツを辿って行けば、中国やインド、ヨーロッパやアフリカ系など様々な民族のDNAが少しづつ入っている」


シオンさんは少し感心したように頷く。

「確かにその通りね。だから補足すると日本優和会はある種の共同幻想を守ろうとしているだけなのかもしれないわ。何れにせよ私はもうあの団体とは距離を置くつもり。もともと祖父の意向で関わっていただけだし」


「塚原麗流太、塚原教授の息子さんですね」


「詳しいのね。とても優しいおじいちゃんよ。混血の私にも優しくしてくれたし」


朝日が昇ろうとしていた。俺たち二人は並んで東の空が明るくなっていく様子を眺めた。長い沈黙の後、シオンさんはまるで懺悔するように告白する。


「水原さんは”恋愛感情はあるけど性欲がない”って言ってたでしょう。私は多分それと逆で性欲はあるけど恋愛感情は湧かないの。だから男の人に平気でそういうことをして使い捨てて傷つけた。人を好きになるっていう感覚が解らなくて多くの人を傷つけたわ。それは私の想像力の欠如の問題ね。でもあの時、羽山くんに無理矢理唇を奪われた時、電気が走ったような衝撃が体を貫いたの。あなたとなら私、ちゃんと恋愛ができたのかもしれないわ」


「今更そんなこと言うのはズルいですよ」


両手を後ろで組んで伸ばしながら自嘲気味に呟く。

「あ~あ、私なんか順番間違えちゃったみたい。普通に君に恋して水原さんと正々堂々と取り合えばよかった」


俺はゆっくり視線を外して立ち去ろうとする。


「もう行くのね。これからどうするの?」


「学校辞めます。皆に合わせる顔がない」


「意気地なし」


彼女の捨て台詞を背中で受け、俺は屋上を後にする。太陽はすっかり地表から顔を出し新しい一日の始まりを告げていた。

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