【『喜劇王』ペルドット】

『喜劇王』ペルドット①

「き、『喜劇王』様……また、『王』はいないと声を上げる人間たちが……」

「またあ……?」

 扉の向こうにいる側近の言葉に、『喜劇王』と呼ばれた男は心底から面倒くさそうに顔をしかめた。

 端正な顔立ちをした男は三体のぬいぐるみを両手に抱えている。どうやら男は、それらで遊んでいた途中のようだ。

 男がいるのは、どこかの楽屋程度の広さしかない部屋だ。一人には広いが、二人入ると少々狭い。

 中に置かれているのは机と椅子がいっきゃくずつ。部屋の隅にはいくつかの木箱が詰まれ、木箱の周りには道化の人形やリスのぬいぐるみなどが散らばっている。あとあるのは、何着かの服がかかったハンガーラック。それには派手な道化の衣装と、同じがらのスーツが三着も吊り下げられている。

 まるで仕事部屋と子供部屋が合わさったようなこの場所は、『喜劇王』と呼ばれたこの男の個人的な部屋である。

「さっきもそれ、あったんだからさ、そっちでなんとかできるでしょ? じゃ……」

 と言って、男は扉を閉めようとする。

「そ、そうですが……。今回は先程の倍以上の数の人間たちが一気に出てきまして……。我々ではもう対応できません。なにとぞ、『喜劇王』様のおちからを……!」

 側近は扉の隙間に足を挟んで食い下がる。隙間にすべり込ませてきた側近の足を、男は嫌そうな顔で一瞥いちべつする。

「絶対いやだよ……。僕、この部屋から出ないからね……。そのぐらいそっちでやってよ……」

「そ、そこをなんとかお願いします、『喜劇王』様……!」

「やだ。さっきも僕、自分でやったし……。今忙しいんだよね……」

 男は馬のぬいぐるみを自分の目の高さまで持ち上げると、話し始めた。

「……今日も馬のモルス君は重い荷車にぐるまを引いて働きます。本当はお父さんの仕事なのですが、お父さんはなまものなので一つも働いてくれません」

 目の前で人形劇が始まった。まさかその人形遊びが最優先さいゆうせん事項じこうなのかと、側近は顔を引きつらせる。

「モルス君が重い荷車をえっちらおっちら運んでいると、そこに一人の男が現れました。男は馬のモルス君に言いました。ねえきみ、その荷車は重そうだね。しんどくてつらいだろう? きみさえよければ、もっと楽な仕事をしてみないかい? 私のサーカスに来て芸をするんだ。

 モルス君は思いました。人の役に立てるのは嬉しいし、喜ばれるのは好きだ。毎日お父さんの代わりに重い荷車を引くよりは、サーカスでたくさんの人に喜ばれたい。モルス君は、その人間のサーカスに行ってみることにしました」

 男は右手に持つ馬のぬいぐるみを動かしながら、すっかり自分の世界に入っている。側近はひとまず黙り、声をかけるタイミングをうかがう。

「サーカスのテントに行くと、自分の他にも動物たちがいました。トラのトム。ライオンのジミー。猫のマッド・キャット。手のひらに収まる小さな犬から、大人の背丈せたけほどもある大きな犬まで。大勢のサーカス団員たちの中には子供もいました。芸人見習いの子たちに混ざって、ひときわ暗く、みんなから空気のような扱いをされている男の子は、この巡業じゅんぎょうサーカスの団長夫婦の息子だそうです」

 男は道化のぬいぐるみを動かし始める。

「その男の子は、芸と芸のあいだを繋ぐ係でした。道化の格好をしておどけたり一人芝居をして、観客を飽きさせない係です。その小さな道化が、モルス君のお世話をすることになりました。

 けれどその男の子は、感情をうまく出せないせいで両親に気味きみわるいと言われ、毎日二人から痛めつけられていました。お母さんには冷たい井戸の水をかけられたり、酒浸さけびたりのお父さんには毎日、あれがだめだ、これができてないと酒瓶で殴られたりむちで打たれたりしました。理由はなんでもいいのです。彼らはその男の子を痛めつけるために、毎日生きているようなものでした。

 それを真似して、他の子たちも男の子をいじめるのです。無視をしたり、靴をやぶいたり、男の子がひとりぼっちなのをいいことに、周りの子は面白がってひどいことをしてきます。男の子はそれでも道化を演じ続けました。他に行く所もないし、他の生き方も知らないからです。

 いつも男の子は二人に痛めつけられたあとサーカステントの裏に行って、おりにいる動物たちになぐさめてもらっていました。ぐしゃぐしゃにれあがった顔で笑顔を作り、動物たちに大丈夫だよと言うのです。泣いていると父親に泣くなと怒鳴られて気を失うまで殴られるので、男の子は涙をくと布団に入って眠り、傷ついた心が治らないまま、また、舞台に立って道化を演じました。母親にぶたれて早く死ねといわれても、男の子は笑って、ごめんねお母さんと言うのです。

 その男の子には秘密がありました。男の子は生まれながらにして恐ろしい魔法を持っていたのです。男の子はある日サーカスの全ての演目が終わったとき、トラのトムに言いました。ごめんねトム。今から君につらい役を演じさせるよ。僕はね、分かったんだ。今までたくさん我慢がまんしたんだし、いいよね。男の子は殴られ、腫れあがった顔でトムに笑いかけます。男の子の手には、小さなナイフがありました。男の子はそのナイフを、自分の左手にあてがいます」

 男は抱えていたトラのぬいぐるみと道化のぬいぐるみを動かす。

 そこで側近が、恐る恐る声をかけた。

「あ、あのう……『喜劇王』さま……」

「……なに?」

 男はどこを見ているのか分からない、ぼんやりとした目で側近を見る。

「……先程の私の話、聞いていましたか?」

「聞いてたよ……。『王』はいないって言う人間たちの騒ぎでしょ……」

「な、ならば対処の方を……」

「だから、僕、今忙しいんだってば。そっちでなんとかしてよ……。めんどくさいし……」

「対処してくれなければ、この国は滅んでしまう可能性もありますが……」

「知らないよ……どうでもいい……。もともと、僕、国を作る気なんてなかったし……」

「き、『喜劇王』様……あなた……王の一人でしょう?」

 男の態度に側近は絶句ぜっくする。そんな風に聞かれても、男の表情は一ミリたりとも動かない。どこか他人事たにんごとのように、抱えたぬいぐるみで遊んでいるだけだ。

「ん……そうなってるねえ……。周りがそう言ってるから、一応は僕、『王』様なんじゃないかなあ……。ええと……どこまで言ったっけ……」

 男はぬいぐるみを両手に持ったまま、ぶつぶつとそんなことを言っている。傍目はためから見ても、今起きている問題を対処する気がないのは明らかだ。

「分かりました、『喜劇王』様……」

 側近はため息まじりに言うと、こめかみに手を当てる。

「もういいです。スカーレット様をお呼びして助けていただきます。間違いなく、スカーレット様からお説教が飛んでくると思いますので、お覚悟を」

 側近が『残虐王』スカーレットの名を出した瞬間。男の態度が一変いっぺんした。

「ちょ、ちょっと待ってよ……。スカーレットを呼ぶのはさ、違うんじゃない……?」

「では、対処していただけますか?」

 側近はこめかみに手を当てたまま、男に尋ねた。

「……」

 男は無言のまま嫌そうな顔をした。側近は言う。

「スカーレット様をお呼びしますね。思考を繋げます」

「分かった、分かったよ。やるってば、やればいいんでしょ……」

 男は嫌そうな顔で頷き、部屋の扉を開けた。男の返答に、側近はこめかみに当てていた手をのける。

「はあ……めんどくさい……」

 男は見せつけるようにしてため息を吐き出し、抱えていたぬいぐるみを後ろに放り投げていく。

「めんどくさいけど、スカーレットが来るのはもっとめんどくさいことになる……。お説教はいやだし……ま、行ってくるよ……」

 そう言うと男は見えないカーテンを引くように、右手を左へと動かしていく。透明なカーテンは男の姿を隠していき、やがて、男はそこから消えた。

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