【『信仰王』ソフィスタス】

『信仰王』ソフィスタス

「『信仰王』様! 『信仰王』様万歳!」

「『信仰王』様万歳! リトリア万歳!」

『信仰王』は自身が統べる宗教しゅうきょうこくリトリアの玉座で、国民たちの声を聞いていた。

「いいですねえ。うんうん。いい気分です」

 広げた魔法から伝わってくるその声に、耳の横に手を当てた少年は、満足げに一人でうんうんと頷く。

 聞こえる声は『信仰王』へ向けられたものである。各地の教会から聞こえるその声を、この国の『王』は広げた自身の魔法で聞きとっていた。

礼拝れいはいも時間ぴったり。いいですねえ。僕らへの信仰しんこうしん一色いっしょく。最高です」

 そう言うとその少年は、耳の横に当てていた手をのけた。

 少年の年のころは、十三のあたりか。上半身はしわ一つないシャツで、襟元には黒いリボンを結んでいる。下半身は黒のショートパンツと、太ももの半分あたりまである靴下をベルトで吊り上げて固定している。シャツの上に羽織っているのはたけの長い黒の上着。

 そんな少年は、『信仰王』ソフィスタスと同じ透明の髪に、鮮やかな赤い目を持っていた。

「みなさんほんと真面目まじめですよねえ。あんな協定、いまだに誰も破ってないなんて」

 少年は言いながらかごのバスケットをテーブルの上に置き、中からサンドイッチを一つ取り出す。

 少年がいる長方形の白いテーブルの周りには、他に少女二人が座っていた。年のころは少年と同じく十二か十三ほどで、二人とも、少年と同じく透明な髪と真っ赤で鮮やかな目の持ち主である。

 三人がいる空間は、自然と洞窟どうくつが削れてできた場所だった。三人が囲むテーブルや座っている椅子は何の濁りもない白に染められ、唯一の出入り口である扉も、ドアノブまでもが真っ白に塗られている。

 三人がいる所から少し段差を上がった場所の上には、ぽっかりと大穴が空いている。そこから降り注ぐ優しい光が、真下に鎮座ちんざする大理石だいりせき荘厳そうごんな椅子と、そこに座る司教しきょうかんを被った人物を照らしている。

 神秘的な空気が漂う空間の中。荘厳な椅子には『信仰王』の名で呼ばれている王、ソフィスタスが静かに目を閉じて座っていた。

 この洞窟は、『信仰王』ソフィスタスの玉座である。洞窟の外はしん殿でんのようなつくりになっており、この洞窟は二百人ほどいる従者の中でも、片手の指で数えるほどしか入ることは許されていない。

 ソフィスタスが統べるこの国は「宗教国」と言われているだけあって、建物は白を基調としたものや教会などが多い。国の総人口は六億五千人ほどで、この世界で二番目に人間たちが多く住む国となっている。そのほとんどは魔術書などを使って魔法を起こす魔術師たちだ。一般の人間たちももちろん普通に暮らしているが、魔術師たちは全員白い聖職者のような服を着ているので、魔法を扱う者とそうでない者を見分けるのは難しくない。

 ちなみに世界で一番多くの人間たちがいる国は、フランベリアの同盟国家メフィリセだ。その国はフランベリアが「同盟」を組んで広げているものなので、国かと言われれば怪しいが。

「この国で私たちを信仰するのは、当然のことなのだと思うのですけれど」

 と、一人の少女が言った。

 そばかす顔の、取り立てて目立つ要素のない少女である。着ているのは農民が着るような簡素なチュニックで、頭にはバンダナを巻いている。耳の下からは、透明な髪が二つの三つ編みとなって垂れている。

 この少女の名はブラン。ソフィスタスから生まれた分身体であり、『信仰王』と呼ばれる存在の一体である。

「ま、そうなんですけどねえ」

 と、少年が答え、手に持ったサンドイッチを一口かじった。パンの隙間からはみ出たソースが、彼の陶器とうきのような肌を汚していく。

 この少年の名はグラウという。この少年もまた、ソフィスタスから生まれた分身体の一体であり、『信仰王』と呼ばれる存在の一体である。

『信仰王』ソフィスタスが統べるこの国は白い建物の他に、他の『王』の国とは一線をかくした部分がある。それはこの国の国民全員が、『王』であるソフィスタスを「信仰の対象」としているところだ。

 ソフィスタスが持つ魔法は『平等』と『絶対』であり、これは同時に、この国の教義きょうぎとなっている。

 教義を簡単にまとめるとこういうことだ。

『・不信仰者ふしんこうしゃが一人でもいた場合、その家族・および親族をみな平等に、絶対にこの世界から魂ごと浄化する。

 ・『信仰王』に対して不信を欠片かけらでも持つ者、また、持った者、これすなわち国の敵、および『王』の敵とする。

 ・『信仰王』の言葉は絶対。

 ・信仰を忘れるべからず。『王』はこの世界の絶対的な存在なり。己の祈りと信心が『王』を存在させると自覚せよ。『王』への信仰を忘れるな』

 つまりこのリトリアという国に生きる人間たちは全員、『信仰王』ソフィスタスをあがめる信者たちであり、ソフィスタスのためならばどのようなこともする人間たちの集まりなのだ。

 そんな宗教国だが、この国にはもちろんソフィスタス自身にも他の『王』らとは違う特徴がある。

『信仰王』ソフィスタスは名の通り“誰か”に信仰されなければこの世界に存在できない。これは、「魔法が使える人間」から修業をんで『王』となった他の六人らとは大きくことなる点である。

『平等』と『絶対』という強大な魔法を持つソフィスタスだが、長い年月によって信仰が薄れていくこと。“誰か”の心から消えること。自分への信仰がなくなること。それがソフィスタスの大きな弱点である。『信仰王』への信仰が消えた瞬間、ソフィスタスはこの世界から消え去ってしまうのだ。

 だが、たとえ一人の信者の『信仰王』に対する信心が残っていれば、ソフィスタスはその信仰心で『王』としてこの世界に存在し続けられるともいえる。

「わ、私たちを信仰しない人間なんていらねえのですう! 全員、平等にぶっ殺すのですう!」

 と、ブランの横に座る少女が言った。

 貴族風のドレスで身を包み、手入れの行き届いた格好をした少女である。透明な髪は編み込んでまとめ、赤いリボンで留めている。

 この少女の名はレヴ。この少女も二人と同じ、ソフィスタスの分身体であり、『信仰王』と呼ばれる存在の一体である。

 元々、魔法使いには、他人には知られてはいけない真名まなというものを持っている。その名を他人に知られた場合、無理矢理、魂の隷属れいぞく関係かんけいを結ばされることもあるのだ。

 そしてソフィスタスも例外ではなく、『信仰王』になる前は、確かに「人間」としての名前と人生を持っていた。その時の名前のそれぞれに、「違う自分であった可能性」を集約させ、自身の分裂体として生み出したのだ。こうすることで自身を含む四人の名前を正しい順に並べて読まれない限り、ソフィスタスは人間だった頃の名前……真名を相手に知られることはない。

 ソフィスタスから生み出されたこの三体は同じく『信仰王』としての力を持つのだが、不思議なことにそれぞれ個性があり、興味の対象や趣味など、楽しみを感じることも違っていたりする。

「ところで。一つ不思議なんですが」

 と、グラウが、口の横についたソースを、服の袖でぬぐいながら切り出した。

「どうして他の皆さん、『同盟王』さまを野放のばなしにしているんですかねえ。世界一の勢力を持つとかなんとか知りませんけど、それならなおさら、先に潰してしまえばいいのに。こう、プチッとね」

 グラウはサンドイッチに挟まれたトマトの切り身を抜き出し、右手の人差し指と親指で軽く潰した。トマトは、ぶちゅっ、と音を立ててぺちゃんこになる。

「先程の定例会議だって、スカーレットさまとグディフィベールさまは最後まで残っていた様子でしたし。『同盟王』さま、なんか企んでいるんですかねえ」

 グラウは潰したトマトを後ろに放り投げ、汚れた指を舐める。

「な、何か企んでいようと、私たち以外の国はいらねえのですう! 他の『王』の国全部、平等にぶっ潰すのですう! この国以外いらねえのですう!」

 と、レヴが割り込んでくる。それを聞いたグラウが、サンドイッチを片手にレヴに言う。

「分かってないですねえ。他の所を潰すって言っても、スカーレットさまの魔導国とかあるじゃないですか」

「『残虐王』の所は先月、偵察隊を送ったのですけれど。いまだに一人も帰って来ていないのですけれど」

 グラウが言うと、ブランが機械のようにのっぺりとした口調で話に入ってきた。

「スカーレットさまは容赦ようしゃないですからねえ。なんたって『残虐王』。人間を食べている、なんて噂も出ているほどですよ。偵察隊はもしかしたら、ディナーの食材として出されちゃったりして。あははっ!」

 と、グラウは見た目相応の笑みを浮かべて笑う。

「確かに、この世界には僕らのリトリア以外はいらないですけどねえ。でも、他の国を潰すとなると……軍事国家やワンダーランド、それに、『喜劇王』さまのアーガストもある。ちょっと現実的じゃないですねえ。

 もうちょっと考えて発言はつげんしてくださいよ。いくら僕たちが同じ根本こんぽんの存在だって言っても、頭の良さは個人差があるんです。これだから温室おんしつそだちのおじょうさまは」

「むー、ぐぐぐ……!」

 自分の意見が通らず、レヴは小さな拳を握って唸る。

「わ、私はお嬢様ではないのですう! 私は『“魔法がない世界”で普通の人間だった可能性』の分身体なのですう! それに温室育ちでもなく、お屋敷の中で暮らしていたのですう!」

「あー、はいはいそうですか。……お屋敷も十分、温室ですけれどね」

 グラウはぼそりと言う。

「僕から見たら、どっちも同じですよ。街でぬくぬくと育ててもらい、六十七歳で『人間』としての生を終えたんでしょう? 僕たちに比べれば一番長生きじゃないですか。しかも、あなたは子孫しそんも残してる。僕らの中じゃあ、一番『幸せ』じゃないですか。ま、僕にはそういうのよく分かんないんですけど。

 ほら僕なんて、『信仰王』さまの生贄にされなかった未来の一つにすぎませんし。もっと詳しく言うと、『“魔法の世界”で人間の男だった可能性』です。けれど最後は毒を飲まされて死ぬなんて。まったくつまんない人生でしたよ。ああ、本当につまらない。

 ま、『信仰王』さまの生贄いけにえで生きたまま供物くもつにされた人生に比べれば、ちょっとは面白みがありますかねえ」

 と、グラウは王の椅子に座るソフィスタスに目をやった。

「ほら、二人も黙ってないでおしゃべりしましょうよ。

『“魔法の世界”で『信仰王』への生贄にされた』結果と、『“魔法の世界”で、生贄にされなかった可能性』のお二人?」

 グラウが促すと二人は、

「――どうでもよい――」

「どうでもよいのですけれど」

 ソフィスタスとブランは同じようなことを返した。グラウは、やれやれ、というふうに肩をすくめる。

 どうやら、人形のような『信仰王』と三体の分身体のうち、グラウが一番おしゃべりで感情を持っているようだった。

「……ああ、この中でおしゃべり好きなのは僕だけですか。同じ人間から生まれたのに、なんてつまらない。

 まあいいですよ。僕はお仕事に戻ります。面倒くさくてやりたくないんですけれど、仕方がないですからねえ。この国から出ようとしている不信仰者は、優しい僕でも無視できませんから」

 グラウはそう言うと、右手の中指を親指にこすりつける。

 グラウの提案に他の三人は何も言わない。『信仰王』でもあり、ソフィスタス本人でもある彼らは、いちいち言葉にしなくても通じ合っている。この四人で意見が食い違うことはあれど、根本が同じであるこの四人は、最終的には必ず一つの結論を出すのである。

 そしてこの四人は全員、自身の国の信者たち以外はどうでもよいと考えている。『信仰王』にとっては自身を存在させる信仰心と、自身を崇める人間たちがいればいいからだ。それ以外のものはいらないし、どうでもいい。この『王』と他の三人は、心底からそう思っている。


 リトリアの国の端……隣国に差し掛かる手前で、大きな荷物を持った三人の人間が歩いていた。彼らはしきりにきょろきょろとあたりを見回し、見るからにこそこそしている。

 一人は四十を超えた男と、もう一人は同じ年頃の女。女は小さな男の子の手を引いている。

 この親子は、正規の手順を踏まずにリトリアから出ようとしているのだ。

「……さあ。今ならこの国の見張りもいない。向こうの国に知り合いがいる。あと少しだ。頑張れ」

 大きな荷物を揺らしながら、父親が後ろにいる母親と子供をはげます。この坂を超えれば、隣国へ行ける。閉鎖的へいさてきな『宗教国』だが、何か月も前から抜け道を準備してきたのだ。あと五メートルほどで国境を超える。

「……牛や羊、おばあちゃんだって置いてきたわ。父さんのお墓だって……」

「もう考えるな。おばあちゃんは……もうだめだ。朝から晩まで信仰王様と。あの声を聞いてたらおかしくなっちまう。

 墓は新しく作ればいい。牛や羊も、すぐに手に入るさ。金は持ってきたんだから。家にあるルードさつを全部持ってきたんだぞ。しばらくの生活もこれで大丈夫だ」

「そうね……」

 母親は浮かない声で返事をし、子供の手をぎゅっと握り直した。

「ねえお母さん……どこへ行くの? おばあちゃんは?」

 何も分からない子供が母親に聞く。

引越ひっこしをするのよ。おばあちゃんもすぐに来るわ」

 と、母親は嘘をついた。「この国にいたらおかしくなる」など、答えられるわけがない。

「ああ……あと少しだ。おおーい!」

 父親が、数メートル先のフェンスの向こうにいる男に手を振る。この時のために金を積み、脱出を準備してくれた協力者である。

「荷物は?」

「ああ。これで全部だ」

「よし。まずは子供からだ。さあ、早く」

 協力者の男はしゃがみ込み、あらかじめ開けておいたフェンスの穴に子供をうながす。

「お母さん……」

「大丈夫よ。早く行きなさい」

 母親もうながすと、子供は不安げな顔のままその場にしゃがみこむ。穴の手前で、不安になった子供が後ろにいる母親の方へ顔を向けた瞬間。

 玉座にいるグラウが、パチンと指を鳴らした。

 フェンスの穴を通り抜けようとした子供は、灰となってその場に崩れた。空っぽになった服が、その場にぽとりと落ちる。

「ひ……あああああ!」

 母親の悲鳴が響き渡り、次の瞬間には同じように灰と化した。うずたかく積まれた灰の山の上に、着ていた服がぽとりと落ちる。

「く、くそ! もう少しだったのに! もう少しで……!」

 そう叫んだ父親も灰と化す。背負っていた荷物が派手な音を立て、灰と服の山に落ちる。

「ひ、ひいいいいい!」

 協力者の男は、悲鳴を上げながらその場から逃げ去った。


「……この国から逃げようとするなんて。なにが嫌なんだか」

 グラウが、空いた左手に持つサンドイッチを一口頬張る。そしてもう一度、パチンと指を鳴らした。『信仰王』が持つ、「平等」と「絶対」の魔法が発動する。


 国の端の、あの親子が逃げようとした場所の反対側。壊れたあばらの中で、三人の魔術師が話していた。

「……この国はもうだめだ。我々も他の国へ行こう。魔導国ドゥナトゥリアならば、我らの知識もさらに向上するはずだ」

「そうだ。この国を出よう。あんな『王』を信仰するなど馬鹿げている」

「ああ。『信仰王』などくそくらえだ」

「……しかし、『残虐王』は人食いなどと噂されている『王』だぞ。我々を受け入れてくれるのか……」

「大丈夫だ。あの『王』はどんな生き物でも差別しないと聞く。我々の魔術の発展のため、この国は捨てるぞ」

「ああ。何が平等と絶対だ。そんな教義――」

 その言葉の途中で、一人が灰となって床に落ちた。

「う、うわあ!」

「し、『信仰王』様! お許しを!」

 それを目撃した二人はおびえ、『王』へゆるしをうが、そんな言葉も『王』にとってはどうでもいい。

 残った二人も、すぐに灰の山と化した。三人分の服が床に落ち、入ってきた風で元が人間だった灰を外へと押し出していった。


「なにが『信仰王』だ……。今日の夜、決行するぞ。夜なら見張りも少ない。この国から出て……」

 そう話していた男が灰になって崩れる。部屋に集まっていた他の人間たちが、一斉に悲鳴を上げて外に出ようとする。出入り口の扉に殺到さっとうしたところで、集まっていた十人ほども一気に灰と化した。

「あらあら。変ねえ、服と灰の山がたくさん」

 入ってきた女性が、ほうきを持って灰の山を外へいていく。


「……ふむ。全部で二百人ほどですか。最近多いですねえ」

 最初の親子と三人の魔術師を含み、この国から出ようとしていた者、不信仰者を全員平等に消し去った『信仰王』は、右手を下ろした。

 億の中のたった二百人が消えたところで、この国の『王』たちにとってはどうでもいいことである。

「まったく、この国の魔術師たちは何をしているのやら……困ったものですねえ」

 と、グラウが言う。

 ソフィスタスは強大な魔法を持つ反面はんめん、『王』たちが当たり前に使う思考魔法などの基礎知識で扱う魔法を使えない。探知魔法の範囲も最大まで広げて二百メートルと、『王』の中では一番狭い範囲である。

 だが、「信仰心」で生きるソフィスタスは、「自分に信仰心を向ける対象」のことならばどんなに離れていようが把握できる。この国全体がソフィスタスへの信仰心でできているので、探知魔法がなくても国の中で起きていることは手に取るように分かる。

 基礎魔法が使えないソフィスタスは、この国に誰も接近せず、攻めてこないよう、リトリアにいる魔術師たちに、この国全体に遮断魔法をかけさせているのだ。

「ちゃんと働いてほしいものです。サボった人たちはあとで処罰を……」

 と、言いかけたグラウの言葉がそこで止まった。

 他の三人も、同時に何かを感じ取る。


 国の中心にある街の路地で、一人の物乞ものごいがぶつぶつ何かを呟いていた。

「……『信仰王』などこの世界に存在しない。そんな『王』などこの世界にいない」


 街の端。簡素な家の中で、うつろな目をした家族が呟いている。

「『信仰王』など存在しない。そんなものはこの世界にいない」


 とある講義室の中。魔術の勉強会を終えた魔術師たちが、席を立つ。三十人ほどが、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。

「『信仰王』などいない。そんな『王』は存在しない」


『王』を否定する声は波紋はもんのように広がっていく。それを、四人の『信仰王』は感じ取る。

「貴様! 『信仰王』様を否定するか! 不信仰者が!」

「そんな『王』はいない! そんな『王』は存在しない! そんな『王』など、この世界には存在しない!」

 この国の魔術師と『王』を否定する人間との言い争いが始まっている。それを、四人の『信仰王』は把握する。

 テーブルに肘をついたグラウは、面倒くさそうに長いため息を吐き出した。

「“否定”ですか。これはまた……厄介ですねえ」

 そう言ったグラウの姿が、うっすらとけ始める。

「我々を信仰する人間など、最悪一人いればよいのですけれど」

 そう言ってきたブランの姿も、うっすらと透け始める。

「そ、そうなのですう! 信仰する人間など、一人いればよいのですう! は、早くしないと、私たちは『王』の座を落とされ、この世界からも消えてしまうのですう!」

 口を挟んできたレヴの姿も透け始める。

「ひとまず、元の『信仰王』に聞いてみましょうか」

 グラウがソフィスタスに顔を向ける。ソフィスタスは目も開けずに、

「――われを信仰する人間は一人でも事足ことたりる。言わせずとも分かるはずだ――」

 と、少女にしては少し低い声でそう答えた。「なるほど」と、グラウはかごのバスケットに手を突っ込み、二つ目のサンドイッチを取り出す。

「じゃ、全員平等にぶっ殺しますか。そのあとはそのあとで考えましょう。誰がやりますか? 誰でもいいですよ。早い者勝ち……」

 言いかけたその途中で、ソフィスタスが右手を前に出した。

 次の瞬間、他の三人は同時に感じ取る。『王』を否定していた三百五十六人が、一斉に灰と化すのを。

 ソフィスタスは、静かに右手を下ろした。

「……で、まだ出て来てますねえ。僕ら『信仰王』を否定し始めた人間」

 そう言って、グラウが二つ目のサンドイッチをかじる。彼の姿が、さらに薄く透けていく。

「平等に消し去っていても、次から次へと出てきたらきりがないのですけれど」

 と、ブランが言う。『王』への否定の声は止まらない。四人の『信仰王』の姿が、さらに薄くなっていく。

『『信仰王』などいない。そんな『王』は存在しない!』

『そんな『王』は存在しない! 『信仰王』など存在しない!』

 否定の声は数を増やし、あっという間に国民の半分まで広がっている。四人の姿がさらに薄くなり、後ろの景色が透けて見えるほどになる。

「い、いやですう! 消えたくない! 消えたくないのですう! いやだ、いやだいやだ、いやなのですううう!」

 頭を抱えたレヴが机に突っ伏して声を上げる。このままではこの世界から消える寸前だというのに、他の三人は動じてすらいない。

「あーぁ。“否定”と信仰心不足で『王』の座を下ろされますか。つまんないまくきです」

 グラウがのんきにそう言った。彼も同じく、人間たちによる『王』への否定で消えかけている。

「ま、これは仕方がないですねえ。消しても消しても出てくるなんて反則です。どういうことでしょうねえ」

 誰も何も答えない。グラウは一人でしゃべっている。

「次に『王』としてこの世界に戻ってこられるのは、果たしていつになるのやら。ところでこの世界から消えたら、僕たちどうなっちゃうんですかねえ。『王』は死なないと聞きますが」

 サンドイッチを食べ終えたグラウは、頭の後ろで両手を組む。すっかりこの事態に対してもどうでもいいという雰囲気を出している。

「その前に。これはもう、必要のないものですねえ」

 グラウはいつの間にか手に持っていた紙を見ながらそう言った。その紙は『同盟王』フランベリアが取り決めた、『王』同士で戦争はしない、という協定書である。ここには『王』たち全員分の署名が書かれている。

 グラウはその協定書を両手で持ち直すと、ビリビリと破っていった。バラバラになった紙片が大理石の床に落ちる。

 そこで白い服を着た従者が、突然部屋の扉を乱暴に開けて入ってきた。

「し、『信仰王』様! と、突然あなた様を否定する声が国中から……!」

「あ。もう遅いですよ。他の人間ごと消しますから」

 と、グラウが入ってきた従者ににっこりと微笑む。

「な、な、なに、を……」

 状況が理解できない従者はそんな単語を口から漏らす。そこで『信仰王』ソフィスタスは、静かに右手を前に向けた。

 ソフィスタスは『信仰王』として消える前に、自らの魔法を発動させた。

 ソフィスタスから発せられた白い光が、この洞窟の玉座から広がっていき、リトリア全体を包む。

『王』を否定していた者。その人間を止めようとしていた者。何も気づいていない者。魔術師でもない一般市民。『王』へ指示をあおごうと玉座に向かっていた者。四人の『信仰王』の前に現れた従者。

 その全員が平等に、その存在ごとこの世界から消滅する。今度は灰の山すら残らない。魂も残さず存在ごと、この世界から消し去ったのだ。

「さっぱりしましたね。こうもからっぽになると、ちょっと思うところがありますけどねえ」

 グラウが言う。リトリアの中には、一人の人間もいなくなっていた。魔術師もいなくなったことで、この国を囲っていた遮断魔法が消えていく。

「どうでもよいのですけれど」

 と、グラウの言葉にブランが返す。

「――どうでもよい――」

 ソフィスタスも同じような言葉を返した。

「そうですね。どうでもいいです」

 グラウが言う。

 そしてソフィスタスが右手を下げた瞬間。薄く透けていた四人の姿は、音もなくその場から消え去った。

 空っぽになった玉座と王の椅子に、外の陽ざしだけがさんさんと降り注いでいた。

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