【『残虐王』スカーレット】

『残虐王』スカーレット①

 その頃。ペルドットのアーガストから海を挟んだ隣の国……『どうこく』ドゥナトゥリアを統べる『残虐王』スカーレットは、溜まっていた仕事に一区ひとくりをつけていた。

「……ふう」

 右手に持つペンを置き、かけていた眼鏡を外して机に置く。深く息を吐きながら、椅子の背もたれに背中をあずける。ぎし、と椅子が鳴った。机に置いている置時計の針は、とっくに日付を超えている。

(今日も徹夜てつやかもな……)

 スカーレットは同心円の眼で置時計を見つめながら、一人、そんなことを思う。

 彼がいるのは書斎しょさいのような部屋である。置かれている家具はつやの浮くこげ茶色の机と、一人がけの椅子。上着を入れているクローゼットのみ。驚くほど物が少ないのは、不必要な物は部屋に置かないというのがスカーレットの考えだからだ。物が多いと掃除の手間もかかるし、仕事に集中できないとスカーレットは思っている。

「……」

 スカーレットは机の上に山積みになっている書類に目をやった。これらのほとんどは国の中で問題が発生したという報告書だ。朝になったら、この場所で何があったのかを見に行かなければならない。

 これらの書類に目を通すほかにも、やることはまだたくさん残っている。朝までぐっすり眠ったのはもう何時いつぶりかと、スカーレットは思う。

 仮眠を取りたいが、これらの書類が遅れると他の人間の仕事が止まってしまう。スカーレットはサインの書き過ぎでしびれた右手を、空いた反対の手で軽くむ。

 彼は『王』という立場だが、自分の周りに宰相さいしょうや側近を一人も置いていない。そのため、この国は実質スカーレットが一人で回している。

『王』としての本来の仕事の他に、政治関連や国民のこと。隣の国とのこと。他の六人の『王』とのこと。もう慣れたものだが、最近は疲れがたまっていることを自覚する。ゆっくり休んだ日は、もう何日前のことだったか。

「……」

 スカーレットは一つ息を吐き、残っている仕事のことを一旦頭の隅に寄せた。

 軽く目を閉じ、自分を起点きてんとして探知魔法を発動させる。徐々に範囲を広げていき、街や国全体に異常がないことを探っていく。

 すっかり暗くなった空には黄色の丸い月が浮かんでいる。その光景が、探知魔法を通じて頭の中に浮かぶ。

 スカーレットは七人の『王』たちの中で、三番目の魔力保有量と探知魔法の索敵さくてき範囲を持つ。五百キロの索敵範囲を持つペルドットには及ばないが、探知魔法の範囲を限界まで伸ばせば、大雑把おおざっぱだがこの国全体を把握することができる。

 伸ばした探知魔法の範囲内にある物を、スカーレットは感じ取っていく。

 街で一番大きな通りには誰一人として歩いていない。道の端でちらほらと光っている街灯の下には、警備人形の“人形ドール”が三メートルほどの間隔かんかくで立っている。

 ひとまず、目立った問題は起きていないようだ。スカーレットは広げていた探知魔法を解除し、目を開けた。

 と、その時。突然、右手が激しく震え始めた。

「……またか」

 震える右手を見つめ、そう呟く。

 スカーレットは右手の人差し指と中指を掴むと、外側にねじり折った。ごき、ぎゅる、という骨がねじれて折れる音が指の中から上がる。神経をつたってくる激痛に、彼は顔をしかめて耐える。

 それでも右手の震えは止まらない。スカーレットは薬指と小指も掴み、同じように反対に向けてねじり折った。右手の親指以外の指が、ねじれてうずまきのような形に変わる。しかし、右手の震えは一向におさまらない。

 スカーレットは煙を上げて修復されていく指を何本か掴み、すぐさまもう一度ねじる。その横の指も掴み、同じように折っていく。治りかけた指を何度も折るという形容できない激痛に、彼は額に汗を浮かばせる。

 しかし、右手の震えは止まらない。おさまるどころか死にかけた虫の断末魔だんまつまのように、さらに激しく痙攣けいれんし始める。

「くそ……!」

 いつもなら、ここまですると震えは止まっていた。それなのに今は。

 スカーレットは左手で右手の手首を掴むと、ふっと息を吐いて、右の手首を思い切り外側に回した。ごきりと手首の骨が半回転し、腕の中でねじ切れて折れる。

「…………っ‼」

 声にならない悲鳴を口の中で噛み殺し、激痛に背中を丸めてもだえる。内出血を起こした右手首が、倍以上に腫れあがる。

 そこまでしてようやく震えは止まった。折れた指や手首が、煙を上げながら修復されていく。

「……」

 スカーレットは椅子の背もたれに背中を預け、左手のこうを目の上に置く。着ているシャツは汗で張り付き、重い不快感ふかいかんがまとわりついている。

 ここ最近、この震えが起こる間隔かんかくが短くなってきている。昔より半端はんぱな痛み程度では、「あいつ」は簡単には引っ込まなくなってきた。 自分の中にいる「あいつ」が必死になって、この体の主導権しゅどうけんと意識を奪いに来ているのを感じる。

(痛いじゃないか。自分の体だろう? よくもここまで痛めつけられるものだ)

 と、自分の中から声が聞こえた。いつも痛みを与えて追い返している「あいつ」だった。

「黙れ……」

 スカーレットは自分の中にいる「誰か」に言葉を返す。

(君は私のくだかれた魂の欠片を入れて作られたんだ。今の君は『私』と『君』という人間の……どちらだろうね)

「……黙れ」

(他人の魂の欠片を生きた人間に入れるなんて、恐ろしいことをよくやったものだ。

 私の砕かれた魂の欠片は全部で六つ。そのうちの四つは君が持っているんだ。君は耐えているようだが、私が元々持っているのろいは……知らないふりをしていても、必ず君をむしばんでいく)

「……」

(私の魂の欠片は残り二つ。それは監獄の最下層にある。その二つを手に入れれば、君の人格は消え、私が完全にこの世界に出てこられる。そうすれば、私はもう一度……)

「あいつ」の声が段々小さくなっていく。

(……私が勝ち残ったのに、私のゲームを広げた途端とたん、ユーリと、あの『観測者』の二人に邪魔をされてしまった。今度こそ彼を完全に殺して、もう一度、私のゲームを……)

 意味の分からないことをのたまいながら、声はやがて聞こえなくなった。自分の中にいる「あいつ」が、完全に引っ込んでいったのを感じる。

 スカーレットは息を吐きながら、目の上に置いている手をどけた。

『なんだ、まだ生きてんのかよ』

 すると、次は部屋の出入り口の方から声が聞こえた。スカーレットは体を起こし、声が聞こえた方に顔を向ける。

 出入り口の扉を背にして、幽霊ゆうれいのように姿がけている男が立っていた。部屋の扉が、男の透けた体越からだごしに見えている。

『よう。お兄ちゃんだぜ。可愛い弟よ』

 うっすらと姿が透けているその男は、軽く手を上げる。

『……ふぅん。一丁前いっちょうまえに王様やってんじゃねえか』

 透けている男は部屋を見回し、スカーレットのところまで歩み寄ってくる。

 男が着ているのは黒のタンクトップと黒のズボン。両肩を出し、腕だけをそでに通してだらしなく上着を羽織っている。髪は薄い赤毛。襟足えりあし毛束けたばを三束ずつ、小さな三つ編みに結んでいる。男の腰あたりには、背骨せぼねの延長のような尻尾がゆらゆらと動いている。

 顔立ちは十五の少年ぐらいに見える。しかし男の飄々ひょうひょうとした掴みどころのない雰囲気と口調が、明らかに少年の歳ではないことをうかがわせる。

 向こう側の景色が透けて映る中、男の青紫あおむらさきに染まる両目には、スカーレットと同じく同心円の模様が浮かんでいた。

 男は机の前まで来ると、足を止めた。ニヤニヤした笑みを浮かべて、スカーレットに言う。

『なぁ、弟よ。お前、あの会議で他の奴には嘘をつくなとか言っておきながら、よく言ったもんだよなぁ。あの会議の時よ、俺はお前の言葉を聞いてて爆笑ばくしょうしてたんたぜ。

 お前は他人の嘘が分かるが、他人に嘘がつけねえわけじゃねえ。

 あのガキ共が死んだのは病気じゃねえ。全員、誰かに殺されてただろ? お前がやったんだよ。正確に言うと、お前の中にいるあいつだが』

「……」

 スカーレットは、何も答えない。男は一人で話を続ける。

『いやあ、見てるだけで最悪だったぜ。胸糞むなくそわるくなる光景だったよ。あいつはガキ共にニコニコしながら近づいて……容赦ようしゃなくぶっ殺したんだ。

 ガキ共は全部で二十体ぐらいいたかなぁ。で、そいつらの死体をどこに持って行ったと思う?』

 男はニヤニヤして続ける。宣言するように言い放つ。

『あいつは足元に転がる死体を指さして、呼び出した魔物の部下共にこう言ったんだぜ。『適当に料理しといてくれ』ってな。地下の冷蔵庫でも開けてみろよ。まだ解体されてねえ死体がたっぷり詰まってるぜえ。あっははははは!』

 透けている男は声をあげて笑う。

『なあ。お前、あの会議の後半あたりから記憶が飛んでんだろ。もう少しで、あの『同盟王』とかいう奴と戦争するところだったんだぜぇ。お前の同級生、馬鹿じゃなくてよかったなぁ』

「……」

 スカーレットは『王』たちが集まった会議の時のことを、頭に浮かべる。

 だが、あの会議の時、自分の国の報告をしたあとから、いくら思い出そうとしても記憶にぽっかりと穴が空いているのだ。どうやってこの屋敷に戻ってきたのかも思い出せない。

『俺はなぁ、弟よ。お前のことが心配なんだよ。お前がいつかれて、仲良くしてたオトモダチみぃーんなぶっ殺しちまうんじゃねえかって。

 俺の言ってること分かるよな。俺が嘘を言ってねぇのも、分かるよなぁ?』

 男はスカーレットの胸に、透けている右手の人差し指を向ける。その指を、近づけていく。

 スカーレットの胸に男の指先がぶつかると思われたその時。男の指先は、そのままずぶずぶとスカーレットの胸の中へと沈み込んでいった。姿が透けている男は、「そこ」にはいない存在だった。

『なぁ、いい加減、そうやって我慢するのやめちまえよ。毎回毎回、痛みを与えてあいつを追い返してもよ、いつかは限界がくる。分かってんだろ?

 どうせお前は最初から、人間のふりをした偽物にせものなんだ。今さら人間らしくしたって無駄じゃねえか。わらで作られた人形が『自分は人間だ』って周りにも自分にも嘘をついて、人間共のれにまぎんでるのと一緒だよ。

 俺たちは周りの奴らとは最初から違う。家畜と仲良くしねえだろ? お前は食材に話しかけたりしねえだろ?

 ああ、理解できねえなぁ。なぁ弟よ。お前はいつからそんなに馬鹿になっちまったんだぁ? 甘ったれたお前の性格を治すために、俺がお前ののう味噌みそ電極でんきょくぶっ刺していじったのがいけなかったのかなぁ』

 くっくっく、と透けた男は、わざとらしく肩を揺らして笑う。

『何を我慢することがある。簡単じゃねえか。俺たちをぶっ殺した時みてえにやりゃいいんだよ。俺の首を食い千切って、俺の心臓を引っこ抜いた時みてえにすりゃいいのさ。もう一人の兄貴を追いかけまわした時みてえに、引き裂いて、はらわたを引きずり出して、死体も綺麗に全部食っちまえ。そうすりゃそれこそ『残虐王』だ。中途半端に人間共を遠ざける嘘をついたりしなくてもいい。

 それとも『残虐王』サマは、お上品じょうひんにフォークとナイフで死体を切り刻む方がおこのみかあ? お前が妹の死体をテーブルの上に乗っけて、丁寧ていねいに解体して食った時みてえによ』

 透けている男は上目遣いにスカーレットを見つめる。スカーレットは、何も答えない。ただ黙って、透けている男を見つめ返している。

『……そんなににらむなよ。ぶっ殺したくなる。

 お前は俺と、もう一人の兄貴と、妹の中にあったあいつの欠片を奪ってよ、今、そこにそうやって存在できてるんだ。ありがとうお兄ちゃん、ぐらい俺に言ったらどうなんだ?』

 透けている男はスカーレットから離れながら軽口をたたく。

『なぁ、お前もさっさとこっちに来いよ。もう死んじまった俺たちは、そっちの世界の人間に話しかけるしかできねえんだ。暇すぎておかしくなっちまいそうだ。

 他人の魂の欠片を入れて作られた俺たちは、死ぬともう二度とそっちには行けねえし、“魂人形ビスク・ドール”にもなれねぇ。知ってるだろ? あの妹の魂はひとっかけらも残らず消滅しょうめつしちまったが、俺たち兄貴の声は届くだろぉ? なぁ、なんでずっと無視するんだよ。たまには、死んじまったお兄ちゃんと遊んでくれよ』

 そこで透けている男は、はん、と鼻を鳴らし、

『……いや、お前が殺したお兄ちゃんと、だなあ』

 と、ニヤつきながらふざけたことを言った。それでもスカーレットは何の反応も示さない。

『……つれねえなぁ。ま、いいぜ。せいぜい頑張れよ。お前がこっちに来るのを、お兄ちゃんたちは待ってるからなぁ』

 透けている男は最後にそう言い残すと、景色と同化するように消えていった。

 部屋には再び、スカーレットだけが残される。

 さっきの男は兄の一人……レイヴィヴェルド・フィルタ・フォン・スカーレットだ。もう一人の兄の名はハードヴェルド・ノイン・フォン・スカーレット。二人は同じ職場で働いていたため、レイヴィヴェルドは周りにレイヴィと名乗っていた。二人とも自分が学生の時に……死んだ。

「……」

 スカーレットは頭に、兄が言っていた妹の姿を思い浮かべた。妹、と言ってはいるが、実際には血は繋がっていない。他の二人の兄もそうだ。スカーレットは自分がどこで生まれて、どんな親がいたのかも知らない。

 彼女は世にも珍しいあかだいだいみどりあおあいむらさきという七色の髪を持ち、自分と二人の兄同様、同心円の模様が浮かぶ目を持っていた。そして自分と二人の兄と同じく……体内に「あいつ」の魂の欠片を埋め込まれていた。

 彼女の中に埋め込まれた欠片には、「あいつ」が持っていた未来予知の魔法が入っていた。「あいつ」の未来予知は二秒先から一分以内の出来事だったが、家にいた魔術師の研究員たちがその欠片に手をほどこし、彼女は百年単位で未来を見通みとおせる魔法をた。その力は極めて強力だったため、彼女の髪は他に例がない七色へと変化した。そして、その力を持って家から逃げないよう彼女は両足のけんを切られ、屋敷に閉じ込められた。

 彼女の世話係となって過ごした日々を、スカーレットは思い返す。『王』になる前の様々な過去を、スカーレットは振り返る。

 魔法学校でペルドットやフランベリア、他の学生たちと過ごした時のこと。人間ではない自分を理解し、未来への道を示してくれた教師のこと。二人の兄たちになじられ、痛めつけられた日々のこと。自分の中にいる「あいつ」と初めて話した時のこと。

「……」

 自分の右手を見つめながら、スカーレットは思う。

「自分」が「自分」でいられるときは、あとどのくらいだろう。その前に……今ここにいる「自分」という存在は、本当に……。

 そこまで思ったところで、スカーレットは首を横に振った。

「……自己否定だな。やめよう」

 と、スカーレットはそう呟いた。

 基本的に「死なない」この世界では、自らの存在を否定することが自殺の方法の一つになっている。「自分という存在はここにはいない」と強く思うことで“自分”という存在そのものをこの世界から消し去る行為である。

「……風呂でも入るか」

 彼は椅子から立ち上がり、部屋の出入り口に向かった。

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