【『残虐王』スカーレット】
『残虐王』スカーレット①
その頃。ペルドットのアーガストから海を挟んだ隣の国……『
「……ふう」
右手に持つペンを置き、かけていた眼鏡を外して机に置く。深く息を吐きながら、椅子の背もたれに背中をあずける。ぎし、と椅子が鳴った。机に置いている置時計の針は、とっくに日付を超えている。
(今日も
スカーレットは同心円の眼で置時計を見つめながら、一人、そんなことを思う。
彼がいるのは
「……」
スカーレットは机の上に山積みになっている書類に目をやった。これらのほとんどは国の中で問題が発生したという報告書だ。朝になったら、この場所で何があったのかを見に行かなければならない。
これらの書類に目を通すほかにも、やることはまだたくさん残っている。朝までぐっすり眠ったのはもう
仮眠を取りたいが、これらの書類が遅れると他の人間の仕事が止まってしまう。スカーレットはサインの書き過ぎで
彼は『王』という立場だが、自分の周りに
『王』としての本来の仕事の他に、政治関連や国民のこと。隣の国とのこと。他の六人の『王』とのこと。もう慣れたものだが、最近は疲れがたまっていることを自覚する。ゆっくり休んだ日は、もう何日前のことだったか。
「……」
スカーレットは一つ息を吐き、残っている仕事のことを一旦頭の隅に寄せた。
軽く目を閉じ、自分を
すっかり暗くなった空には黄色の丸い月が浮かんでいる。その光景が、探知魔法を通じて頭の中に浮かぶ。
スカーレットは七人の『王』たちの中で、三番目の魔力保有量と探知魔法の
伸ばした探知魔法の範囲内にある物を、スカーレットは感じ取っていく。
街で一番大きな通りには誰一人として歩いていない。道の端でちらほらと光っている街灯の下には、警備人形の“
ひとまず、目立った問題は起きていないようだ。スカーレットは広げていた探知魔法を解除し、目を開けた。
と、その時。突然、右手が激しく震え始めた。
「……またか」
震える右手を見つめ、そう呟く。
スカーレットは右手の人差し指と中指を掴むと、外側にねじり折った。ごき、ぎゅる、という骨がねじれて折れる音が指の中から上がる。神経を
それでも右手の震えは止まらない。スカーレットは薬指と小指も掴み、同じように反対に向けてねじり折った。右手の親指以外の指が、ねじれてうずまきのような形に変わる。しかし、右手の震えは一向に
スカーレットは煙を上げて修復されていく指を何本か掴み、すぐさまもう一度ねじる。その横の指も掴み、同じように折っていく。治りかけた指を何度も折るという形容できない激痛に、彼は額に汗を浮かばせる。
しかし、右手の震えは止まらない。
「くそ……!」
いつもなら、ここまですると震えは止まっていた。それなのに今は。
スカーレットは左手で右手の手首を掴むと、ふっと息を吐いて、右の手首を思い切り外側に回した。ごきりと手首の骨が半回転し、腕の中でねじ切れて折れる。
「…………っ‼」
声にならない悲鳴を口の中で噛み殺し、激痛に背中を丸めて
そこまでしてようやく震えは止まった。折れた指や手首が、煙を上げながら修復されていく。
「……」
スカーレットは椅子の背もたれに背中を預け、左手の
ここ最近、この震えが起こる
(痛いじゃないか。自分の体だろう? よくもここまで痛めつけられるものだ)
と、自分の中から声が聞こえた。いつも痛みを与えて追い返している「あいつ」だった。
「黙れ……」
スカーレットは自分の中にいる「誰か」に言葉を返す。
(君は私の
「……黙れ」
(他人の魂の欠片を生きた人間に入れるなんて、恐ろしいことをよくやったものだ。
私の砕かれた魂の欠片は全部で六つ。そのうちの四つは君が持っているんだ。君は耐えているようだが、私が元々持っている
「……」
(私の魂の欠片は残り二つ。それは監獄の最下層にある。その二つを手に入れれば、君の人格は消え、私が完全にこの世界に出てこられる。そうすれば、私はもう一度……)
「あいつ」の声が段々小さくなっていく。
(……私が勝ち残ったのに、私のゲームを広げた
意味の分からないことをのたまいながら、声はやがて聞こえなくなった。自分の中にいる「あいつ」が、完全に引っ込んでいったのを感じる。
スカーレットは息を吐きながら、目の上に置いている手をどけた。
『なんだ、まだ生きてんのかよ』
すると、次は部屋の出入り口の方から声が聞こえた。スカーレットは体を起こし、声が聞こえた方に顔を向ける。
出入り口の扉を背にして、
『よう。お兄ちゃんだぜ。可愛い弟よ』
うっすらと姿が透けているその男は、軽く手を上げる。
『……ふぅん。
透けている男は部屋を見回し、スカーレットのところまで歩み寄ってくる。
男が着ているのは黒のタンクトップと黒のズボン。両肩を出し、腕だけを
顔立ちは十五の少年ぐらいに見える。しかし男の
向こう側の景色が透けて映る中、男の
男は机の前まで来ると、足を止めた。ニヤニヤした笑みを浮かべて、スカーレットに言う。
『なぁ、弟よ。お前、あの会議で他の奴には嘘をつくなとか言っておきながら、よく言ったもんだよなぁ。あの会議の時よ、俺はお前の言葉を聞いてて
お前は他人の嘘が分かるが、他人に嘘がつけねえわけじゃねえ。
あのガキ共が死んだのは病気じゃねえ。全員、誰かに殺されてただろ? お前がやったんだよ。正確に言うと、お前の中にいるあいつだが』
「……」
スカーレットは、何も答えない。男は一人で話を続ける。
『いやあ、見てるだけで最悪だったぜ。
ガキ共は全部で二十体ぐらいいたかなぁ。で、そいつらの死体をどこに持って行ったと思う?』
男はニヤニヤして続ける。宣言するように言い放つ。
『あいつは足元に転がる死体を指さして、呼び出した魔物の部下共にこう言ったんだぜ。『適当に料理しといてくれ』ってな。地下の冷蔵庫でも開けてみろよ。まだ解体されてねえ死体がたっぷり詰まってるぜえ。あっははははは!』
透けている男は声をあげて笑う。
『なあ。お前、あの会議の後半あたりから記憶が飛んでんだろ。もう少しで、あの『同盟王』とかいう奴と戦争するところだったんだぜぇ。お前の同級生、馬鹿じゃなくてよかったなぁ』
「……」
スカーレットは『王』たちが集まった会議の時のことを、頭に浮かべる。
だが、あの会議の時、自分の国の報告をしたあとから、いくら思い出そうとしても記憶にぽっかりと穴が空いているのだ。どうやってこの屋敷に戻ってきたのかも思い出せない。
『俺はなぁ、弟よ。お前のことが心配なんだよ。お前がいつか
俺の言ってること分かるよな。俺が嘘を言ってねぇのも、分かるよなぁ?』
男はスカーレットの胸に、透けている右手の人差し指を向ける。その指を、近づけていく。
スカーレットの胸に男の指先がぶつかると思われたその時。男の指先は、そのままずぶずぶとスカーレットの胸の中へと沈み込んでいった。姿が透けている男は、「そこ」にはいない存在だった。
『なぁ、いい加減、そうやって我慢するのやめちまえよ。毎回毎回、痛みを与えてあいつを追い返してもよ、いつかは限界がくる。分かってんだろ?
どうせお前は最初から、人間のふりをした
俺たちは周りの奴らとは最初から違う。家畜と仲良くしねえだろ? お前は食材に話しかけたりしねえだろ?
ああ、理解できねえなぁ。なぁ弟よ。お前はいつからそんなに馬鹿になっちまったんだぁ? 甘ったれたお前の性格を治すために、俺がお前の
くっくっく、と透けた男は、わざとらしく肩を揺らして笑う。
『何を我慢することがある。簡単じゃねえか。俺たちをぶっ殺した時みてえにやりゃいいんだよ。俺の首を食い千切って、俺の心臓を引っこ抜いた時みてえにすりゃいいのさ。もう一人の兄貴を追いかけまわした時みてえに、引き裂いて、はらわたを引きずり出して、死体も綺麗に全部食っちまえ。そうすりゃそれこそ『残虐王』だ。中途半端に人間共を遠ざける嘘をついたりしなくてもいい。
それとも『残虐王』サマは、お
透けている男は上目遣いにスカーレットを見つめる。スカーレットは、何も答えない。ただ黙って、透けている男を見つめ返している。
『……そんなに
お前は俺と、もう一人の兄貴と、妹の中にあったあいつの欠片を奪ってよ、今、そこにそうやって存在できてるんだ。ありがとうお兄ちゃん、ぐらい俺に言ったらどうなんだ?』
透けている男はスカーレットから離れながら軽口をたたく。
『なぁ、お前もさっさとこっちに来いよ。もう死んじまった俺たちは、そっちの世界の人間に話しかけるしかできねえんだ。暇すぎておかしくなっちまいそうだ。
他人の魂の欠片を入れて作られた俺たちは、死ぬともう二度とそっちには行けねえし、“
そこで透けている男は、はん、と鼻を鳴らし、
『……いや、お前が殺したお兄ちゃんと、だなあ』
と、ニヤつきながらふざけたことを言った。それでもスカーレットは何の反応も示さない。
『……つれねえなぁ。ま、いいぜ。せいぜい頑張れよ。お前がこっちに来るのを、お兄ちゃんたちは待ってるからなぁ』
透けている男は最後にそう言い残すと、景色と同化するように消えていった。
部屋には再び、スカーレットだけが残される。
さっきの男は兄の一人……レイヴィヴェルド・フィルタ・フォン・スカーレットだ。もう一人の兄の名はハードヴェルド・ノイン・フォン・スカーレット。二人は同じ職場で働いていたため、レイヴィヴェルドは周りにレイヴィと名乗っていた。二人とも自分が学生の時に……死んだ。
「……」
スカーレットは頭に、兄が言っていた妹の姿を思い浮かべた。妹、と言ってはいるが、実際には血は繋がっていない。他の二人の兄もそうだ。スカーレットは自分がどこで生まれて、どんな親がいたのかも知らない。
彼女は世にも珍しい
彼女の中に埋め込まれた欠片には、「あいつ」が持っていた未来予知の魔法が入っていた。「あいつ」の未来予知は二秒先から一分以内の出来事だったが、家にいた魔術師の研究員たちがその欠片に手を
彼女の世話係となって過ごした日々を、スカーレットは思い返す。『王』になる前の様々な過去を、スカーレットは振り返る。
魔法学校でペルドットやフランベリア、他の学生たちと過ごした時のこと。人間ではない自分を理解し、未来への道を示してくれた教師のこと。二人の兄たちになじられ、痛めつけられた日々のこと。自分の中にいる「あいつ」と初めて話した時のこと。
「……」
自分の右手を見つめながら、スカーレットは思う。
「自分」が「自分」でいられるときは、あとどのくらいだろう。その前に……今ここにいる「自分」という存在は、本当に……。
そこまで思ったところで、スカーレットは首を横に振った。
「……自己否定だな。やめよう」
と、スカーレットはそう呟いた。
基本的に「死なない」この世界では、自らの存在を否定することが自殺の方法の一つになっている。「自分という存在はここにはいない」と強く思うことで“自分”という存在そのものをこの世界から消し去る行為である。
「……風呂でも入るか」
彼は椅子から立ち上がり、部屋の出入り口に向かった。
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