第2話光井旅館の女将
僕は連絡帳から沙耶ばあちゃんと表示されているものをタッチする。コールが鳴ってすぐにつながる。
必ず3コール以内に出てくるので流石旅館の女将だと僕は思う。
「優ちゃんが連絡くれるなんて何かあったのかい?」
沙耶ばあの年齢は、今年で84歳なのだが、老いを感じさせないような活力ある声であった。
「沙耶ばあ、今日一部屋空いてる?」
「なんだい優ちゃん達が泊りに来るのかい?」
沙耶ばあは僕たちが泊まりに来てほしいのか、声のトーンが上がる。
しかし、今回は僕ではなくて宇野さんだ。沙耶ばあをがっかりさせてしまうのは心苦しいが宇野さんの為、心を鬼にして今回の本題を話す。
「沙耶ばあ,残念ながら僕たちは泊まらないよ」
「そうなの……」
沙耶ばあの声のトーンが明らかに下がる。沙耶ばあは、僕が考える以上に僕たちが来ることを結構楽しみにしていたらしい。
「それじゃ誰が来るんだい?」
「宇野さんて言う人だよ」
「もしかして宇野綾香さんて言う名前なんじゃないかい?」
「はい……そうです」
どうやら沙耶ばあは、宇野さんと面識があるらしい。
宇野さんも光井旅館について知っているような反応をしたで、その可能性があると考えていたが、すぐに名前が挙がるあたりそこそこ親しい関係にあるかもしれない。
いいや、ここは確かめておくべきだ。
僕自身も光井旅館との関わりは深い方だ。
出来るだけ不利益になるようなことはしたくない。
「沙耶ばあ、宇野さんとは結構親しいのですか?」
「宇野さんはうちのお得意様だよ、20年前くらいから年二回程度お祝い会などの場所として利用してもらっているよ」
そうだったのか、宇野さんと光井旅館はかなり親しい関係のようだ。
沙耶ばあは、僕たちと関わる時は旅館の女将としての立場ではなく祖母という立場で関わろうとしていた。
僕はそれを尊重して光井旅館のことについてあまり知ろうとしなかった。
だが、僕が沙耶ばあを頼る関係上、光井旅館に何かしら関わる可能性が高い。
その時に内情を知っていなければ、光井旅館に不利益になるようなことが起こるかもしれない。
それだけは防がないといけない。祖母の望みだからと言って光井旅館のことをよく知ろうとしなかった僕の甘いところだ。
「それでどうして綾香ちゃんがこっちに泊まるんだい?」
「傘も使わず公園にいたので心配になり声を掛けたところ、今は家に帰りたくないと言ったので沙耶ばあの所なら対応出来ると思って連絡しました」
「忠告してやったのにあの野郎無視しやがったな」
事情を話すと沙耶ばあは心当たりがあったのか怒気の含んだ声が聞こえてきた。
どうやら沙耶ばあは、この事態を前から予測していたらしい。
恐れていた事態を防ぐことが出来なかったは残念だが、宇野さんことについて適切にメンタルケアが出来る沙耶ばあに助けを求めることが出来たのでよかった。
しかし、今回は軽率な行動が多かった。身近に知り合いがいたため何とかなりそうだが、もしそうではなかったらよりつらい状況になっていただろう。
「沙耶ばあ迷惑を掛けてすいません」
「優ちゃんの今回の対応は別に悪くないよ、自分には手を負えないと思って連絡してきたんだから」
流石は旅館の女将だ、少ない言葉からしっかりと意図を汲み取り対応してくれる。
「それじゃあ、部屋の準備をするとしますか」
「あとこちらに送迎をお願いできませんか?僕たち今、桜田公園にいます」
「わかったよ、大体三十分ぐらいかかるから」
「わかりました」
そうして電話を切る。とりあえず宇野さんの問題は解決しそうだ。
あとは宇野さんを送迎の車に乗せて、後始末をすれば今回の件は終わる。
「宇野さん、予約が終わりました。あと三十分後に送迎の車がここに来ます」
「ありがとうございます」
宇野さんは僕が電話している間に状況整理が済んだのか先程までの暗い表情ではなかった。
それでも多少マシになった程度であり、まだ目を離すわけにはいかない。
彼女に何が起きたかは分からないが、彼女にとって相当堪えることがあったのだろう。
後は沙耶ばあが上手く対応してくれるはずだ。
それから10分ほどたったのだろうか、どちらも話しかけることをしないので雨音だけの空間が僕たちを支配していた。
僕たちはほとんど赤の他人なのだから、こんな状態になるのは必然だった。
現状を考えてもこちらから声を掛けることはとてもできない。
この雰囲気から少しでも逃げるために別のこと考える。
宇野さんをことが終わった後どうするべきか、そう思い僕は腕時計を確認する。
現在時刻が4時50分で送迎の車が20分後に来るので大体5時10分ぐらいになる。
その後にやることがあるから、それを終わらせる時間も考えると6時過ぎになるかもしれない。
家のことも考えると先に連絡しておいたほうがいいだろう。
しかし、この状態でスマホを取り出すと宇野さんが何か話しかけたいことがあった場合、こちらに話しにくい状態になってしまう。
こちらから関わったのだから宇野さんを突き放すような行為は出来るだけ控えたい。
まあ、連絡は今すぐしなくても特に問題がないはずなので後で連絡しよう。
「光井さんはどうしてここまでしてくれるんですか?」
そんなことを考えていると宇野さんから声を掛けてきた。
それは警戒を感じさせるようなものではなく、ただ疑問だから聞いたと思えるものだった。
だが本当にそうなのだろうか。
宇野さんなら感情を偽ることや本当の気持ちを隠すことなど簡単に出来るはずだ。
宇野さんはどういう気持ちで聞いたのだろうか。
僕はその答えを振り返ればわかる。僕の持つ才能が疑問の答えを教えてくれるだろう。
宇野さんの感情を分かれば、今の彼女に合った答えを返すことができる。
けどそれをしてしまえば、僕は宇野さんのことを人として見ることはなくなるだろう。
うまく人付き合いをしようとするほど、僕の中でその人はただの道具にしか見えなくなっていた。
それが僕の中でどうしようもなくつまらないことに思える。
だから僕は宇野さんを見ることなく返答をする。
「どうしてと言われたら、その場の気分と自己満足のためですね」
「・・・・・・」
宇野さんが信じられないようなものを見る視線を僕に送ってきているような気がする。
本当なら驚いている顔を見てみたいが、それをしてしまったら、さっきまで行ったことが無駄になったしまう。
「率直にいいすぎましたか?」
「え・・・・・・いえ・・・・・・その」
宇野さんはひどく動揺していた。
想定していた答えと大分違っていたのか、対応がおどおどしい。
軽蔑されたのだろうか、それとも呆れたのか、今、宇野さんは僕のことをどう思っているのだろうか。
僕はどっちでもいいと考えている。元々あのような強引な説得をしてしまったのだ、印象何て言うことをいまさら気にしても仕方ない。
それよりもせっかく宇野さんの方から話しかけてくれたのだ、会話を続けないといけない。
「宇野さんは自分のために行動することはダメなことだと思いますか?」
「いえ、私はそう思いません」
宇野さんはハッキリと答える。
僕は宇野さんが賛同してくれたことを喜ぶように少し声のトーンを上げて言う。
「そうでしょ、だから僕は自分の為に動くんですよ、だって自分の人生なんですから自由にやらないと」
「それが私にここまでする理由なんですか」
宇野は何かを見極めようとしている。
さっきまでの言葉は違い、はっきりとした意思を込められている。
ここで中途半端な返しはいけない。少なくとも現状では僕の在り方を宇野さんに示さなといけない。だから僕は自信をもって明るく答える。
「ああ、僕は自分のしたいことに全力を尽くすタイプだからね」
「それだけのためにあんな事したんですね」
宇野さんは呆れたような声でいった。
もはや先程まであった気遣いはほとんどなくなりかけていた。
それでいい、少しでも気が紛れるならこの行為が無駄ではなかったということだ。
「私は光井君みたいに自分の為に頑張れません、だから少しだけいいなと思ってしまいました」
宇野さんの言葉には諦観といった念を感じさせるようなものだった。
自分の為に頑張れないか、宇野さんは何を思ってこの言葉を言ったのだろうか。
そんなことは分からないが今の僕にとってその言葉は自分を納得させるための言葉にしか聞こえない。
「宇野さんは自分の為に動ける人物だと僕は思えるよ」
「どうしてそう思うのですか?」
僕の言葉に宇野さんは不思議そうに聞いてくる。彼女の質問に答えようとする時に思い浮かべるものがあった、それは顔も名前も知らない人物。何も知らないのに一番彼の事を知っている気がする。そんな不思議な感覚に襲われる。
「自分の為に動けない人は自分の事について考えない、そういう人物はいつも何かを見据えている。それに比べたら宇野さんはまだ自分の事について考えることができてるじゃないか」
「それはどういうことですか?」
「いつか分かると思うよ」
僕は宇野さんにそう言って立ち上がる。
さて、そろそろこの時間も終わりらしい。
僕は公園の入り口の方を見ると光井旅館と書かれた車が止まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます