第3話 妹は強かった
現在の時刻は5時5分だったので予定より5分早く来たことになる。
その車から一人の女性が降りてこちらに向かってくる。
その女性は見た目だけで判断するなら40歳前後あたりと思える容姿であり、こちらを向ってきている姿勢も背筋がしっかり伸びており堂々としている。
ただ、こちらに向かっているだけのはずだが、そこからは威厳や風格といったものを感じ取れる。
僕はそれを見て敵わないなといつも思う。そんなことを考えているとその女性はこちらに話しかけてくる。
「優ちゃん、久しぶりだね」
「久しぶりといってもつい三週間前に会ったばかりじゃないですか」
こちらに来たのは沙耶ばあだった。
もう84歳のはずなのだが、それを一切感じさせない。
この人に老いという概念が存在するのか疑ってしまう。
ちなみに僕は月一で光井旅館に行っている。理由は様々だが、一番の理由は沙耶ばあへの恩返しだ。
僕は沙耶ばあに一生かけても返せない恩がある。だから、僕は少しでも恩を返したいと思っている。
沙耶ばあの様子から、早々に倒れるようには感じないが沙耶ばあは今年で84歳になる。
年齢的に何があってもおかしくない。
倒れてからでは遅いので元気に暮らしている間に少しでも恩を返したいと考え、月に一回は通うようにした。
そのこと自体は些細な事だけど、何もしないよりいいはずだ。
本当はもっと別の形で恩を返したいと思っているのだが、それで自分のことを蔑ろにしてしまうと、沙耶ばあを悲しませるので今は無理せずやっている。
「綾香ちゃんも久しぶりだね、随分と美しくなったじゃないかい」
「ありがとうございます、沙耶さんに多くのことで助けてもらったのにそれを無駄にしてしまい、尚且つ迷惑を掛けてすいませんでした!」
宇野さんは必死に零れ落ちそうになっている涙を我慢しながら言いきった。
雨に打たれながら自身の無力さを悔いている。その様子は16歳の少女がするようものではなかった。
そんな宇野さんに沙耶ばあは優しく抱きかかえる。
「よく頑張ったね、とても辛かっただろ、綾香ちゃんは頑張り屋だからどんな時でも我慢してしまう、今もきっと我慢しているんだよね。これ以上迷惑かけないために、だけどね私は言ったはずだよ、私にならいくらでも迷惑かけていいと、だから今は我慢するのをやめなさい」
「沙耶さん……ありがとう」
沙耶ばあの言葉に宇野さんは初めて安堵してような表情をして沙耶ばあに抱き着いて涙する。沙耶ばあはそれを優しく受け止めた。
さっきのやり取りからも宇野さんがどれ程苦しんでいたことかわかる。
そんな彼女に寄り添えるのは今会ったばかりの僕ではなく、長年宇野さんのことを知って頼られている沙耶ばあみたいな人だ。
旅館の仕事で忙しいはずの沙耶ばあがこっちに来たのも、宇野さんを受け止められるのが現状で自分しかいないと分かっていたからだろう。
そのために無理して時間を作ったはずだ。
人のためにここまで出来る沙耶ばあは本当にすごい人物だと思う。
僕は邪魔にならないようにその場から離れる。
宇野さんもこのような場面をほかの人に見られたくないはずだ。宇野さんが落ち着くまで僕は静かに待った。
あれから10分ほど経ち宇野さんも落ち着いてのか、沙耶ばあから離れベンチに座っていた。
「優ちゃん雨の中待たせて悪かったね」
「もともと呼んだのは僕だから気にしなくていいよ」
むしろ状況的にはこちらがお礼をしなければならない。
忙しい中時間を作ってくれたのだ。
しかし、ここでお礼をすれば先程の沙耶ばあのいくらでも迷惑を掛けていいという言葉を嘘にしてしまう。
何より宇野さんに罪悪感を抱かせてしまう。少ない時間だが特殊な状況もあって宇野さんのことは大分わかってきた。説得の時から分かっていたことだが宇野さんはとても真面目だ。いや、完璧であろうとしているといった方が正しいのだろうか。
ただ、完璧主義者だから完璧になりたいと言う訳でもないような気がする。
完璧にならなければならないそんな呪縛らしきものに囚われているように感じる。
どうして宇野さんはそのような呪縛を受けているのか、謎は多くあるが少なくとも彼女にとって、今の状況はその呪縛に反している状況なのだろう。
沙耶ばあが今は何とかしてくれているが、下手のことをすると今までの行為が無駄になりかねない。
頭が使うところが多くて疲れると思っていると沙耶ばあが僕に提案してくる。
「優ちゃんも家まで送っていくよ?」
光井旅館に行く道中に僕の家がある。少し遠回りになるが寄れない距離ではない。
しかし、僕はこの後やることがある。車に乗ると不都合なことが多いので断っておこう。
「僕はこの後やることがあるので大丈夫です」
「そうかい、今回はありがとうね」
沙耶ばあは理由を聞くことなく了承してくれる。そんな所が本当に助かる。
「沙耶ばあ、一応明日朝9時ごろに様子を見に来ます。沙耶ばあにすべて丸投げなのはいけませんから」
「それはいいね!こちらで連絡等は済ませておくよ」
沙耶ばあは嬉しそうに答える。
今の会話で喜ばせるようなことをしていないはずなのだが、どのに喜ぶ要素があったのだろか。孫の成長したところが見れたからか、まあどっちでもいいだろう。
「綾香ちゃんそろそろ行くよ!」
「はい」
沙耶ばあが声を掛けるとベンチに座っていた宇野さんは、傘をさしてこちらに向かってくる。
傘は沙耶ばあが持ってきたものだろう。
「光井さん、色々としていたただいてありがとうございました」
宇野さんはそういうと僕の前で頭を下げる。別にそこまでする必要はないのだが宇野さんが満足するならさせるべきだろう。
宇野さんとの関わりはこれで終わりになるはずだ。
表面上ではまだ関わるかもしれないが、ここまで深く関わるのはないはずだ。
ある意味強烈な出会いだったが、その関係を続ける意思は僕になく、きっと彼女にもないはずだ。
だから去り際の彼女に掛ける言葉は特にない。ただ応援のコールを送るぐらいないいかもしれない。
「宇野さん、頑張ってください」
「ありがとう」
宇野さんは少しの間を開けた後、僕に感謝を述べる。
僕の言葉を宇野さんはどう受け取ったのだろうか。少しでも宇野さんの力になったのならいいなと思う。
宇野さんはその後車に乗り光井旅館に向かった。僕は車が見えなくなるまで見送った。
やっと終わった。そう思うと同時に先程まで突き動かしていた感情がなくなっていくのを覚える。
僕はいつまでこの感情に振り回されるのだろうか、どれ程人のために行動すればいいのだろうか、今僕の抱えている問題はどのような形で解決するのか、そんなどうにもならないことつい考えてしまう。
これ以上考えても不毛なことなので今やるべきことを考える。
現在の時刻は5時30分だ。この時間だと後始末も含めると家に帰れるのは確実に6時を過ぎる。そうなると晩御飯の作る時間が遅くなってしまう。
僕の家は基本的に両親がいない。
父は仕事が忙しく平日は基本遅くまで帰ってこず、母も仕事と僕のために色々行っているので帰りが遅い。
僕には弟と妹がいるので誰かが料理などの家事をしないといけないが、元々このような状況を作り出しているのは僕が原因なので、出来るだけ弟や妹に迷惑を掛けないため家事は大体僕がやっている。
弟の方は中学二年なので部活やら友達やらで遅く帰ってくるのだが、妹の方はまだ小学六年生なので割と早めに帰ってくる。
家事などが遅れるのを連絡するなら早めに帰ってくる妹の方がいいだろう。
そう思い僕はスマホを取り出し連絡する。
「
電話をかけるとまだ幼さが残った声が聞こえてくる。その声は妹の
「春香、ちょっと急用が出来てね、晩御飯が遅れるかもしれない、
直人は僕の弟だ。春香も直人も僕より数倍頭がよく、才能があり、スタイルもいい。本当に兄弟なのか疑ってしまうほどに。
それらが原因か、昔は関係最悪であと少しで絶縁になる所だった。そこからあれこれやって今では互いに仲良くなっている。
「優兄が急用ね、私は優秀な妹なのでゆっくり遊んでいてもいいよ?」
「うまい冗談を言うようになったね、兄をあまり揶揄ってはいけないといつも言っているだろ」
「
「優秀な妹よ、僕は前にも言ったよね?十人十色という言葉があるように人それぞれなんだよ」
直人は何でもできる超人人間、あんな奴と僕を比べてもらって困る。勝てるわけがない。
「まあ冗談はさておき、その急用とは何ですか?」
「冗談なんだ……急用については言えない。あとはよろしく出来るか?」
「別に構いませんよ、ただし条件があります」
春香は少し可愛らしい声を出しながら言う。条件とはなんだろうか。
「条件て何かな?」
「今日の料理は私が作ります」
はっきりとした声で私に宣言する。電話越しでもやりたいという気持ちがわかるほどものだった。
いつもはそんなことを言わなはずなのだが、今日に限っては違った。
これだけは譲らないと春香の気持ちが電話越しに伝わる。多分春香の中で今日料理を作るということが大切なのだろう。
今日は様々なことが起きる。
宇野さんの件といい春香の件といい、何かの転換点になっているのか、本当に変わった日だ。
しかし、優秀な妹だからといえまだ12歳の子供だ。
一人で料理させることは許可できない。せめて誰か見守る人がいないといけない。
「春香、料理をしたいなら僕と一緒にやろう、さすがに一人で料理させるわけにはいかない」
「一人じゃないならいいんだね?」
春香は待ってましたと言わんばかりに僕に確認する。
「ああ、一人じゃないならいいよ」
「それは直兄でもいい?」
直人なら余程の事が起きない限り冷静に対応できるはずだ。
元々優秀な妹なのであまりミスがないと思うが、それに直人が加われば確実に安全だろう。優秀な弟と妹を持つと色々楽で助かる。
「直人がいるならいいよ、それで今直人は居るのかな?」
「直兄なら今帰らせてる、あと五分もすれば来るけど確認する?」
春香はごく当たり前のように言う。
帰らせてるね、帰らせてるのか……何かものすごく闇を感じるがここは触れない方がいいのだろう。
家族同士でも隠し事の一つや二つあるはずだしな。
「別に確認しなくていいよ、気を付けてやりなよ」
「うん!優兄も楽しみにしててね!」
嬉しそうに言うとそこで電話が途切れる。春香たちには迷惑を掛けてしまったので後で甘いものでも買っておくか。
そんなことを考えながら僕は急用を終わらせに行く。
それから大体一時間ぐらい経ち僕は急用を終わらせ、家に帰宅することが出来た。
急用を終わらせるのに大分頭を使ったのでかなり疲れている。
今日のところはやることやって早めになることにしよう、明日のこともあるんでそうした方がいいはずだ。
家に帰ると満面の笑みで待っていた春香と疲労を感じさせる姿している直人がいた。
あまりにも対照的な姿とみて妹と弟の力関係がよくわかってしまう。
「優兄お帰りなさい!料理は出来てるから一緒に食べよ!」
「ああ、そうするよ」
その後僕たち三人で食卓を囲んだ。晩御飯のメニューは煮込みハンバーグやカボチャサラダなど豪華なものだった。
どれもとてもおいしく、五年間料理してき僕の料理よりも格段にうまく作れている。才能の差を痛感させれる。一体どこで練習したのだろうか?
これからは春香に作ってもらおうかなと考えてしまうが流石にそれは出来ない。
春香に感想を聞かれたのでとてもおいしかったと答えたらとても喜んでいた。
喜んでいる春香を見ると知らない間に成長したなと思う。直人もそうだがもうとっくに僕より立派になっている。
僕がいつまでも世話を見ている必要はもうすぐなくなるかもしれない。それは少しさみしいことだが、これも時の流れなのだろう。
その後僕はやることをやり終わり、就寝につく。
今日は色々あったが宇野さんの件については運が良かったなと思う。
宇野さんが沙耶ばあと関係があり、沙耶ばあが来れるほどの余裕があった。
そこでふと疑問に思う。
宇野さんの件について運が良すぎるのだ。声を掛けた人がたまたま光井旅館に親しい人で、たまたま宇野さんについて小さい頃から関わりがありメンタルケア出来た。
とてもじゃないが都合がよすぎるのだ。
もしかしたら、これ自体仕組まれている可能性がある。だが僕の記憶にはそういった前兆が見られない。より思考を巡らせようとした瞬間ノイズが走る。
きっと疲れている、それにもし仕組まれていたとしても今のところ不都合もない。そう結論付けて僕な意識を手放すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます