第五章
森から屋敷に帰ってきて数時間後。
夕食と、その後片づけを終えたわたしは自室で一休みすることにした。
「ふう……」
椅子に座って、ほっと一息吐く。
今日は色んな出来事があって疲れてしまった。
……ううん、「今日も」か。
でも、昨日よりはまだ大丈夫そう。
「よし、時間が空いているうちに『ルベーリアの記憶』から、色々と知識を身につけようかな」
やる気を出すために、あえて声に出してみる。
とはいえ「ルベーリアの記憶」にあるのも二〇〇年前の知識なんだけど。
でも、なにも知らないよりはマシだよね。
目を閉じて、記憶を深く辿っていく――
「……つ、疲れた」
目を開いて、頭を軽く振る。
とりあえず、今日はもうやめとこう。
収穫は魔法学校で得た知識かな。
基本的な魔法の使い方などは、なんとか覚えられたと思う。
発動方法とか、制御方法などなど。
これで、マーカスに放った光……名付けるならルビィ・フラッシュかな。いや、やっぱりなし。とにかく、あの光を暴発させたりはしない……はずだ。たぶん、きっと。
でもなんだか、身を守れそうな魔法については知識を得られなかったな。
そもそも「ルベーリア」は、あまり魔法が得意じゃなかったから、仕方がないのかもしれない。
魔法そのものの知識は今ひとつだったけど、「魔法薬」についてはかなり勉強していたみたいだった。
どうやら「ルベーリア」……わたしは、魔法薬の調合は得意だったらしい。
そういえば、ゲームでも色々な魔法の薬を使って聖女に嫌がらせを仕掛けたりもしていた気がする。
シナリオ上は特に言及されていなかったけど、あれらの魔法薬は自前だったのかも。
この知識、なにかの役に立てられないかなあ。またちょっと考えてみよう。
ともかく魔法以外でも、身を守る術が欲しいんだよね。
クロウかシャルさんに剣術を教わるっていうのは、どうだろう。
うーん……クロウは教えてくれるかな。
「面倒だ」とか言って、断られそうな気がする。
明日、シャルさんに頼んでみようかな。
「う~ん……」
椅子に座ったまま、大きく伸びをする。
今日はもう、お風呂に入って寝よう。
翌朝。
メイドの朝は早い――
なんて脳内でナレーションをしながら、わたしはベッドから抜け出す。
身支度をして、洗濯などを済ませてから厨房へ向かう。
食事の下準備をしてから、ポポちゃん……と、わたしが食べるフルーツを用意した。
さすがに、昼前までなにも食べないというのは辛いもんね。
カットしたフルーツを、そのままひょいひょいと口にする。
ちょっとお行儀が悪いけど、誰も見てないしいいよね。
ポポちゃんの分は、リンゴを何個か丸ごとバスケットに入れる。
ワイルドなポポちゃんは、丸ごと食べるのが好きらしいから。
バスケットを手に、わたしは庭へ出た。
「おねえさ~ん、おはよ~」
「うん、おはよう」
扉に開けて庭に進んだ途端、ポポちゃんが走ってきてくれる。
今朝は事前にトッブウド・イタリベーシャを使ってあるので、ポポちゃんの言葉もちゃんと通じた。
「はい、朝ご飯だよ」
バスケットからリンゴを一つ取って、ポポちゃんに差し出す。
「わ~い、いただきま~す」
……リンゴを食べ終えたポポちゃんと少し戯れてから、屋敷に戻ろうとすると。
「おねえさん、おきゃくさんだよ~」
ポポちゃんが、そんなことを口にした。
「え、お客さん?」
「うん、ほら~」
ポポちゃんが門の方を見る。
そちらに目を向けると、たしかに門前に人が立っていた。
銀髪で長身。背中に大きな剣を背負った、鋭い目つきの男性だ。
その足元には、白くてフワフワの小さな狼がいる。
見覚えのある組み合わせ。
リスルムの町で会った、ミカエラさんとライくんだ。
どうして、この屋敷に……?
考えていると、ミカエラさんと目が合う。
あちらは無表情。なにを思っているか、まったく推し量れない。
気まずいので、曖昧な笑みを浮かべてみた。
ミカエラさんが門を押し開き、ライくんと共に屋敷の敷地内へ入ってくる。
そのまま足早にこちらに歩いてたミカエラさんは、わたしの前で立ち止まった。
ミカエラさんが一瞬、隣にいるポポちゃんに視線を向ける。
「なるほどな、お前が『おねえさん』ってわけか」
ポポちゃんから視線を移し、わたしを見下ろしながらミカエラさんが言った。
「は、はい?」
「なんでもねえよ」
よくわからないけど、ミカエラさんの雰囲気はどこかおかしい。
なんというか不機嫌そうで、どことなく怖い感じだ。
嫌な予感がしてきた。
もしかしてなんだけど、クロウ――吸血鬼の存在が知られているんじゃ。
そうなんだとしたら、まずいよね。
……どうしよう。どうするべきなんだろう。
「昨日」
逡巡していると、ミカエラさんが先にそう切り出す。
「リスルムの町で事件があってな」
「じ、事件、ですか?」
それってきっと、ミリアさんとエマちゃんの件だよね。
「ああ、教会に住んでる子供とシスターがいなくなったんだ」
うう、やっぱり。
「二人の行き先はな、この森だったんだ」
はい、知ってます。
そういえば、ミカエラさんは二人を発見できたんだろうか。
「オレは教会の神父に頼まれて、この森まで捜しに来ていた。無事に二人を保護できたんだが……」
よかった。二人とも、ちゃんと帰れたんだ。
「気になる物を目撃したんだよ」
「な、なんですか?」
「――吸血鬼」
心臓が跳ねる。
覚悟はしていたけど、決定的な一言だった。
「黒髪の吸血鬼と、獣みてえな見た目をした吸血鬼の戦いだ」
ミカエラさんも、あの場にいたんだ。まったくわからなかった。
たぶん、クロウも気がついてなかったよね……。
「そこに、お前もいたな」
「え、ええと……」
まっすぐこちらを見据えるミカエラさんから、目を逸らす。
「単刀直入に訊くが……お前、何者だ?」
「……え」
わたし?
てっきりクロウ、というか吸血鬼について質問されるかと思った。
だけど、そっちもどう答えたらいいのやらだよ。
ベストなのは、なにも答えないって選択なんだろうけど……
それはたぶん、ミカエラさんが許してくれそうにない。
「こら~!」
わたしとミカエラさんの間に、ポポちゃんが割り込んできた。
「おねえさんをいじめるんじゃな~い!」
「いや……別に虐めてるわけじゃ……」
「おねえさん、こまってるじゃないか~!」
「ガウガウ」
と、ライちゃんが同意するかのように首を縦に振る。
「だから、いじめてねぇって」
ミカエラさんが困ったように頭をかいた。
「あー……そういう風に感じたなら、悪い」
「い、いえ、大丈夫ですけど」
「だが、はっきりさせておく」
ミカエラさんが真剣な表情になる。
「吸血鬼はオレにとって敵だ。お前がどういう事情で一緒にいるのかは知らねえが……オレは吸血鬼を殺す」
「ミカエラさん……」
そう、だよね。
吸血鬼は人間にとって敵……二〇〇年経っても、そこは変わらないんだ。
「ルビィ、お前……魔法を使えるな?」
あ、そうか。
ミカエラさんがクロウとマーカスの戦いを見ていたなら、わたしがルビィ・フラッシュ(仮)を使った瞬間も目撃されているのか。
「……はい、使えます」
「つまり、お前は吸血鬼にとって貴重な魔力補給源なわけだ」
「え?」
たしかにそれは事実だけど、なにか誤解されているような。
「そして、その服装からするに……」
ミカエラさんが、わたしの姿を下から上に眺める。
「あっ、おねえさんをやらしいめでみてるな!」
「ガウ〜」
「お前ら、ちょっと黙ってろ。ていうか、やらしい目なんかしてねえよ」
ミカエラさんがポポちゃんとライちゃんを睨む。
「……その服装からするに、だ。お前、この屋敷のメイドなのか」
「はい、一応そうです」
「なるほどな。きっと、吸血鬼に弱みを握られているんだろう。補給源にされている上に、無理やり働かされているんだな」
「え、いやあの……」
「わかってる。なにも言うな」
片手をあげて、言葉を遮ってくる。
ミカエラさん、人の話を聞いてくれないタイプ?
「待ってください、わたしは……」
「心配するな、オレが助け出す」
……駄目だこりゃあ。
がっくりと肩を落としていると、ミカエラさんがわたしの背後に目を向けた。
振り向くと、そこには……
「不快な気配がする上に騒々しいから出て来てみれば……随分と勝手を吐かしているな」
いつの間にか、屋敷の入口にクロウが立っていた。
「出てきたな、吸血鬼」
不敵に笑って、ミカエラさんは背中の大剣に手を掛ける。
対するクロウは悠然とした足取りで、わたしの隣まで歩いてきた。
「平気か、ルビィ」
こちらに視線を落として、クロウが問う。
「はい、特になにかされた訳じゃないので」
「そうか。で、こいつは何者だ?」
クロウは、わたしからミカエラさんに目を移す。
「えーっと……」
あれ、そういえばミカエラさんって何者なんだろう。
よく考えてみると、名前ぐらいしか知らない。
「オレの名はミカエラ」
わたしが答えに窮していると、ミカエラさんがそう名乗った。
「ざっくり言えば、魔物退治を生業にしてる。つまり、お前みたいな野郎を狩る仕事だ」
挑発的な口調で、ミカエラさんはクロウに言ってみせる。
「……ただの退治屋か。それにしては気配が不快だ。不快すぎる」
心底から不愉快そうに、クロウは顔をしかめている。どうしたんだろう。
「それだけじゃねえよ」
「ほう?」
「オレはたぶん、お前を封印した聖女の子孫だ」
なんでもないことを言うように、ミカエラさんはそう口にした。
「……えぇ!?」
思わず声を上げる。
ミカエラさんが聖女の……『サント・ブランシュ』の主人公、プリムラの子孫……?
そんなまさか……いや、でもそういえば……
ミカエラさんと町で初めて会ったとき、わたしも微かに感じたのを思い出す。
銀髪と琥珀色の瞳が、誰かに似ている気がすると。
そうだ、どうして気がつかなかったんだろう。
ミカエラさんの髪と瞳は、聖女プリムラと同じ色だ。
「なるほど……聖女の子孫か。どうりで不快さを感じるわけだ」
「お前、ご先祖サマが封印したとかいう吸血鬼なんだろ? 黒の王とか言ったか」
「前半は当たりだが、後半は外れだ。残念ながら、俺は黒の王ではない」
「なんだ、そうなのか……まあ、なんでもいいさ」
ミカエラさんが背中の大剣を抜き、切っ先をクロウに向けた。
「どういう理由か知らないが、封印が解けちまったみたいだからな。子孫のオレが、ちゃんと処理しねえとだろ」
剣呑な言葉を発するミカエラさんに、クロウは口の端を吊り上げる。
「ふ……やってみるがいい」
クロウの魔力が高まるの感じた。
「ちょ、ちょっと二人とも……!」
まさか、本気で戦うつもり?
「ポポちゃん、ライちゃん、二人を止めて……って!」
「すやすや」
「すやすや」
寝てる! 少し離れた場所で、二匹寄り添って寝てる!
退屈しちゃったのかな!
くう……なんとも尊い光景を堪能したいけど、今は我慢だ。
「クロウさん、ミカエラさん!」
「ルビィ、少し離れてろ」
そう言ったのはミカエラさんだ。
「随分とうちのメイドに馴れ馴れしいな」
クロウが不機嫌そうに言う。
そんなクロウをよそに、ミカエラさんはこちらへ手をかざす。
すると――
「え」
わたしの身体が、ふわりと後方に飛ばされた。
すぐさま戻ろうとして、動きを止める。
「な、なにこれ……」
光の壁が、わたしの行く手を遮っていた。
「結界を張った。お前はそこで待ってろ。必ず救い出してやる」
「ルビィ、大人しくしていろ。こいつはすぐに片づける」
ミカエラさんとクロウが、同時に言い放つ。
ああもう、どうしよう。
◆
不快な気配に目を覚まして出て来てみれば、見知らぬ男が屋敷の中に侵入していた。
どうもルビィを救い出す……などと戯言を吐いているようだ。
「出てきたな、吸血鬼」
男が背中の得物に手を回す。
身の丈ほどもある大剣。少し古びてはいるが、中々の業物のようだ。
ルビィの隣まで移動し、声をかける。
「平気か、ルビィ」
「はい、特になにかされた訳じゃないので」
その言葉に、内心で安堵する。
「そうか。で、こいつは何者だ?」
男に目線を移して、ルビィに訊ねる。
銀色の髪、不遜にこちらを見る瞳は琥珀色。
全身から発せられている魔力の属性は……光だ。
この感じ……まさかとは思うが――
「えーっと……」
「オレの名前はミカエラ」
ルビィが答える前に、男がそう名乗った。
「ざっくり言えば、魔物退治を生業にしてる。つまり、お前みたいな野郎を狩る仕事だ」
男……ミカエラが殺気をぶつけてきた。
いちいち癇に障る、不愉快な男だ。
「……ただの退治屋か。それにしては気配が不快だ。不快すぎる」
「それだけじゃねえよ」
「ほう?」
「オレはたぶん、お前を封印した聖女の子孫だ」
「……えぇ!?」
驚きの声を上げたのはルビィだ。
「なるほど……聖女の子孫か。どうりで不快さを感じるわけだ」
「お前、ご先祖サマが封印したとかいう吸血鬼なんだろ? 黒の王とか言ったか」
「前半は当たりだが、後半は外れだ。残念ながら、俺は黒の王ではない」
まさか父上に間違われるとはな。
「なんだ、そうなのか……まあ、なんでもいいさ」
ミカエラが背中の大剣を抜き、切っ先をこちらに向けた。
「どういう理由か知らないが、封印が解けちまったみたいだからな。子孫のオレが、ちゃんと処理しねえとだろ」
実に挑発的な態度だ。
「ふ……やってみるがいい」
「ちょ、ちょっと二人とも……!」
ルビィが慌てた様子で声を上げる。
「ポポちゃん、ライちゃん、二人を止めて……って!」
「すやすや」
「すやすや」
ルビィが呼びかけたポポと……小さな狼は、二匹揃って眠っているようだ。
「クロウさん、ミカエラさん!」
「ルビィ、少し離れてろ」
ミカエラが言った。それにしてもこの男……
「随分とうちのメイドに馴れ馴れしいな」
しかも呼び捨てだと……
などと考えていると、ミカエラがルビィに向けて手をかざす。
俺は身構えた。なにをするつもりだ?
「え」
ルビィの身体が、ふわりと後方に飛ばされた。
同時に、ミカエラが周囲に魔法で結界を張る。
ルビィを巻き込まないため、か。
「結界を張った。お前はそこで待ってろ。必ず救い出してやる」
「ルビィ、大人しくしていろ。こいつはすぐに片づける」
右手に魔力を集中し、剣を造り出す。
「聖女の子孫……果たして、どの程度の実力なのか見せてもらおう」
「はっ、随分と偉そうだな。吠え面かかせてやるよ」
大剣を構え、ミカエラが地を蹴った。
――疾いな。
一足飛びでこちらへと肉薄し、大剣による斬撃を繰り出してくる。
後退し、大剣をかわす。
鈍い音を発しながら、大剣の刃が空を切った。
ミカエラは即座に反応し、大剣を水平に構えて再び地面を踏み込んだ。
そのまま、こちらに突進してくる。
轟然と迫る突きを紙一重で避け、ミカエラの背後に回り込んだ。
そのガラ空きの背中に剣を――
ヒュン、と「なにか」が俺の顔面目がけて飛んできた。
反対の手でそれを掴み取る。
「……矢か」
「受け止めるか。やっぱり化物だな」
こちらに向き直ったミカエラは、小型のボウガンを手にしていた。
いつの間に取り出したのやら。ミカエラが身に纏っている青色のロングコート……その内側には、色々と物騒な物が隠されていそうだ。
「化物か。そっちも人間にしては、いい動きだ」
聖女というよりは、あの女の周りにいた男どもを彷彿とさせる。
「そりゃどうも。褒めても手加減はしてやらねえぞ」
「ふ、必要ないな」
いくら力が弱まっているとはいえ、人間に後れを取ったりはしない。
「……お前、ぜんぜん本気じゃねえだろ」
不服そうに、ミカエラが指摘してくる。
「言っただろう。実力を見せてもらうとな。そういう貴様はどうなんだ。まさか、その程度なのか?」
「はっ、まさかだろ」
ミカエラが大剣を構え直す。
その刀身が、眩い光を帯びる。
「武器への魔力付与か」
あれで斬られたら、さすがに無傷では済まなさそうだ。
「こらー! 二人ともやめなさーい!」
結界の外でルビィがなにか叫んでいるが、今は無視だ。
◆
クロウとミカエラさんの戦いが始まってしまった。
結界に阻まれているわたしには、見守るしかできない。
……なんてことはないはず。
「こらー! 二人ともやめなさーい!」
結界の向こうに思い切り叫ぶ。
二人はまったく反応してくれない。
ううん、クロウは一瞬だけど、たしかに目を向けた。
つまり無視したんだ。腹立つ。
ミカエラさんが光輝く大剣でクロウに斬りかかる。
あれって、武器への魔力付与だよね。
『ルベーリア』の記憶から得た知識にあった。
武器に魔力で特殊な効果を与えたり、単純に強化したりする技術だ。
ルベーリア自身は上手くできなかったみたいだけど。
ミカエラさんが大剣に付与したのは、光属性の魔力……
あんなので攻撃されたら、クロウも危ないんじゃ……
やっぱり、なんとかして二人を止めないと。
ミカエラさんが振るう大剣がクロウを襲う。
対するクロウは、ときに機敏な動きで攻撃を避け、ときに剣で攻撃を受け止める。
ミカエラさんの猛攻に、防戦一方といった様子だ。
早く戦いをやめさせないとだけど……
呼びかけても聞いてくれないし、どうすればいい?
そうだ、シャルさんを呼んできて……
いや、やっぱり駄目かも。当然ながら、シャルさんにとってもミカエラさんは敵だ。戦いを止めてくれそうにない。
「この結界さえなければ……」
そうだよ。結界だ。
ミカエラさんが張ったこの結界がなければ、二人に近づける。
呼びかけよりも、もっと直接的に戦いを制止できるはず。
ミカエラさんの魔力属性は光。
この結界も、きっと光属性の魔力で作られている、よね。
わたしはミカエラさんの先祖――聖女プリムラの封印魔法を解除した。
同じ要領で、この結界も無効化できないだろうか。
といっても、具体的にどうやればいいのかがわからない。
聖女の封印は、触れるだけで解除できたけど……
おそるおそる、光の障壁に指を触れてみる。
「……痛っ」
指が結界に触れた途端、静電気のような感覚が走った。
どうやら封印魔法と違って、触れるだけじゃ駄目みたいだ。
「うーん……」
あ、そうだ。
聖女の封印に触れたとき、わたしの身体は魔力が漏れているという状態だった。
つまりあれって実は、「単に触れただけ」じゃなかったわけだ。
よし、やってみよう。
上手くできるかはわからないけど、とにかくやってみるしかない。
意識を集中して、全身から魔力を放出させる。
わたしの身体から、光が溢れてきた。
光に包まれた手を、結界に伸ばす。
指が結界に触れる。すると――
パリン。
まるで硝子が割れるような音と共に結界が砕け散った。
「や、やった!」
どうなるか不安だったけど、成功したみたいだ。
なんて喜んでる場合じゃなかった。重要なのはここからだ。
クロウとミカエラさんを止めないと。
戦う二人の元まで駆け出す。
「クロウさん、ミカエラさん!」
剣と大剣をぶつけ合う二人が、同時にこちらへ目を向ける。
「ルビィ!? お前、どうやって……」
「ほう、結界を解除したのか」
「戦いをやめてください」
二人の間に立って、そう告げる。
「……悪いが、そいつはできねえ」
ミカエラさんが目を伏せながら、そう口にした。
大剣の柄から左手を離して、コートの内側からナイフを取り出す。
素早い動きで、それをクロウの胸に突き立てた。
「こいつで終わりだ、吸血鬼」
ミカエラさんが告げた。
「ぐ…………」
「クロウ!」
苦しげに呻きながら地面に膝を突いたクロウに駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
いや、絶対に大丈夫じゃない。心臓にナイフが刺さっているんだから。しかもそのナイフは、ぼんやりと光っている。ミカエラさんの魔力が付与されているんだ。光属性の魔力が。
「おいルビィ、なんでだ?」
頭上から、ミカエラさんの疑問に満ちた声が降ってくる。
見上げると、ミカエラさんは訝しげな目でこちらを見下ろしていた。
「なんでお前が、吸血鬼の身を案じる?」
「だからそれは……」
口を開いたけど、すぐに言葉が止まる。
傍らのクロウが、わたしの腕を掴んできたからだ。
「クロウさん?」
「ルビィ…………ぞ」
それは掠れた声音だったけど、たしかに耳に届いた。
ルビィ、血を貰うぞ。
言葉通り、クロウがわたしの首筋に噛み付く。
ブツリと、牙が皮膚を突き破る。
「な……ルビィ!」
ミカエラさんが驚いたように、わたしの名前を呼ぶ。
血液が、魔力が、クロウに吸われていく。そして、強烈な脱力感が襲ってきた。
なんか、ものすごく魔力を持っていかれたような。
隣でクロウが立ち上がる気配を感じた。なんとか顔を上げてクロウに目を向ける。
クロウは胸に刺さったナイフを自分で引き抜くと、それをミカエラさんに放り投げた。
クロウの胸にできた傷が、瞬く間に塞がっていく。すごい再生能力だ。
「ルビィ。最初に吸血したときから感じていたが、やはりお前の血は素晴らしい」
「す、素晴らしいですか」
反応に困るコメントだなあ。傷が治ったのはよかったけど。
「瞬時に致命傷が再生されたのも素晴らしいが……」
あ、致命傷だったんだ。さらりと言うなあ。
「なにより、弱っていた魔力が少しだけ回復したのは僥倖だ」
クロウが全身から魔力を放出させる。
たしかに、クロウの魔力はこれまでに比べて少し力強さが増しているような気がした。
「ミカエラ、さきほど『これで終わり』とか吐かしていたな」
不敵な笑みを浮かべながら、クロウは腕を組む。
余裕に満ち溢れた態度だ。というか、なんだかものすごく偉そう。いかにもなクロウらしさに、安心感すら覚えるのはどうしてだろう。
「あの言葉、今度はそっくりそのまま貴様に返してやろう」
「少し魔力が高まったぐらいで、大きく出るじゃねえか」
ミカエラさんもミカエラさんで、冷静な様子だ。
光輝く大剣を手に、クロウを迎え討つ構えを取る。
困った。二人の戦いを止めたかったのに、むしろ事態を悪化させてしまったみたい。
「ク、クロウさん……」
なんとかしたいけれど、血を吸われた影響で声を出すのもやっとだ。
とりあえず、これだけは伝えておきたい。
「こ、殺したりはなし、ですからね……」
ちらり、とクロウがわたしに視線を落とす。
「お前がそう言うなら、善処はしてやろう」
よかった。いや、よくはないんだけど、とりあえずは安心だ。たぶん。
「一瞬で終わる。せいぜい死なないように気をつけるんだな、聖女の子孫」
クロウが魔剣をその手に造り出す。
「見せてやろう。真の力の一端をな」
クロウがそう口にすると同時だった。
その全身を覆う魔力が輝きを増して、クロウの周囲に何十本もの剣が出現した。
な、なにそれ、いきなり反則的すぎない?
浮遊する剣の切っ先は、すべてミカエラさんを向いている。
「行け」
クロウが短く告げ、手にした剣を振りかざす。
すると、浮遊する剣が一斉にミカエラさん目がけて放たれた。
結果から述べてしまうと、戦いはクロウの勝利で終わった。
「あー……くそ、いきなり大技出しやがって」
地面に大の字で寝転がるミカエラさんが、忌々しげに呟く。
クロウはちゃんと「善処」してくれたみたいだ。
ガバッと勢いよくミカエラさんが身を起こして立ち上がる。
「ほう、もう動けるのか」
クロウが感心した様子でそう口にした。
「まだ戦うつもりか?」
「な……駄目ですよ、ミカエラさん」
「安心しろ。今日のところは勘弁してやる」
「ふ、口の減らない男だ」
とりあえず、ミカエラさんは矛を収めてくれるみたいだ。よかった。
「どうせ、立っているのがやっとの状態なのだろう?」
「ああん、なんだと? やっぱりケリつけるか?」
煽るクロウに、ミカエラさんが食ってかかる。
ちょっとちょっと、いい加減にして欲しい。
「やめてください、二人とも」
フラつきながら、なんとか立ち上がる。
「わわ」
「平気か、ルビィ」
よろめく身体を、クロウが支えてくれた。
「ぜんぜん平気じゃないです」
攻める気はないけど、たっぷり血を吸われたし。
「……薬は持っているか?」
「あ、はい」
魔力を回復する薬だ。こんなこともあろうかと、ちゃんと持ち歩いてる。
薬の瓶を取り出して、中身を飲み干す。
「ふう」
「おい、ルビィ」
薬を飲み終えたわたしを、ミカエラさんがジッと見てくる。
「なんでしょう?」
「とりあえず、戦いはやめる。その代わり事情を説明してくれるんだろうな?」
うん、やっぱりそうなるよね。
ミカエラさんに事情を話してしまってもいいのだろうか。
クロウの顔をチラリと見やる。
するとクロウは肩をすくめて「好きにしろ」と呟いた。
わたしは頷いて、ミカエラさんに向き直る。
「実はですね――」
ミカエラさんに、これまでの経緯を簡潔に説明する。
わたしが前世の記憶を持っているという部分は、変わらず秘密にしたけど。
「なるほどな、とりあえず事情は理解した」
「では、どうかわたしたちの存在は見て見ぬフリでよろしくお願いします」
「そうはいくかよ」
やっぱり駄目か。
「まあ……人間に危害を加えないと約束するなら、とりあえず退治はしないでやるよ」
「本当ですか?」
「ああ、ただし条件が……ん、あいつが話に出た弟か?」
「え?」
ミカエラさんが屋敷の方に目を向ける。弟って、シャルさん?
見ると、たしかにそこにはシャルさんがいた。
玄関から足早に、こちらへと歩いてくる。なんか勢いすごいけど。
あ、もしかしてミカエラさんがいるから? また一悶着起きるんじゃ……
そう懸念していると。
スッ、とシャルさんはわたしたち三人の横を通り過ぎていった。
「あ、あれ?」
「なんだ、あいつは?」
シャルさんは、すやすや眠っているポポちゃんとライちゃんの少し離れた位置で立ち止まる。あ、察した。
「ルビィさん……いう……ですか」
シャルさんがボソボソと、なにか口にする。
「え? なんですか?」
「しっ!」
シャルさんが思い切りわたしを振り返り、人さし指を口に当てる。
「なんて言ったんですか?」
小さな声で、わたしは再度訊ねる。
「これは、どういうことですか?」
シャルさんは、なぜか震えている。なにがだろう。流れからして、ミカエラさんのことではなさそう。というか存在に気づいてないかも。
「うーん、むにゃむにゃ」
「ぷうぷう」
ポポちゃんと、ライちゃんが、可愛い寝息を立てる。
「――っ!?」
シャルさんが息を呑む気配が伝わってきた。
「あ、あああああああああああっ!」
そう発しながら、シャルさんが膝から崩れ落ちる。
「尊すぎる……」
泣きそうな声でシャルさんが呟く。むしろ泣いてる。
いや、気持ちはわかるけど……
「お、おい、こいつ大丈夫か?」
ミカエラさんが、クロウにそう声をかける。
クロウは肩をすくめて、溜息をついた。
「やれやれ……おい、シャル」
クロウが名前を呼ぶと、シャルさんは「はっ」として立ち上がった。
ゆっくりとこちらを向いて、何事もなかったかのような表情をする。
「どうしましたか?」
こっちのセリフだよ。
「……おや、こちらの方は?」
シャルさんが、ミカエラさんを見やる。やっぱり気づいてなかった。
クロウがわたしの肩に手を置く。
「説明は任せた」
「はいはい。実は……」
かくかくしかじか。
「なるほど……あちらの天使……いや、狼のお連れですか」
今、天使って言ったよね。
「お、おう」
ミカエラさん、引いちゃってるよ。
「それでミカエラ、条件がどうとか言おうとしていたな」
クロウが話を進める。
「ああ。人間に危害を加えないと口約束されても、信じられないからな」
まあ、それはたしかに。
「だから、ここでお前らを監視させてもらうと決めた」
「監視……ですか」
「ああ、今日から世話になるぞ」
「え?」
「あ?」
ミカエラさんと同時に首を傾げる。
「世話になるって……ここに住むんですか?」
「そうだが、なにか問題でもあるのか?」
ミカエラさんはわたしじゃなくて、クロウにそう問い掛ける。
「好きにすればいい。シャルも異存ないな?」
「ええ、仕方ありません」
そう答えながら、シャルさんはライちゃんをガン見している。
ああ、これは……
ミカエラさんが屋敷に住む=ライちゃんも屋敷に住む。
絶対こう考えてるな、この人。
こうしてミカエラさんとライちゃんが、この屋敷で暮らすことになる。
異世界転生したわたし、吸血鬼の兄弟、聖女の子孫、モフモフたち。
不思議な面子による共同生活の始まりだった。
破滅エンドを迎えた悪役令嬢は吸血鬼兄弟のメイドになって溺愛される 景山千博とたぷねこ @kageyamatp
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