第四章

 食器の片づけを終わらせて、わたしは屋敷のエントランスにやって来た。

「お待たせしました」

 ソファに足を組んで座っているクロウに、わたしはそう声をかける。

「ああ、待ちくたびれたぞ」

 うん、絶対に言うと思った。

 これでも急いで片づけたつもりなんだけど。

「すみません」

「さて、さっさと出発するぞ」

 クロウがソファから立ち上がる。

 その姿を見て、「あれ……」と口にしてしまう。

「どうした」

「いえその……今から魔物を調べに行くんですよね」

「そうだが」

 クロウは「なにが言いたいんだ」とばかりに訝しむような目を向けてくる。

「シャルさんみたいに武器は持っていかないのかなと思いまして」

「……なんだ、そんな話か」

 拍子抜けした様子で、クロウは肩をすくめた。

 シャルさんは町に行くとき細身の剣……レイピアを腰に提げていた。

 幸い使うところを目にする機会はなかったけれど。

「俺様は武器を持たない主義だ」

 どーん、と宣言される。

 それってつまり、素手で戦ったりするとかだろうか。

「納得したか」

「うーん……はい、一応」

「一応だと?」

「いいえ、納得しました」

「ふん、ならば行くぞ」

 颯爽と歩き出すクロウの後についていく。

 誰か一人は屋敷に残るべきだという理由で、シャルさんは留守番だ。

 ポポちゃんは「ぼく、ねむいよ〜」とお昼寝タイムに突入してしまった。

 門から外に出たクロウは森の奥に進むのかと思いきや、屋敷の外周を調べ始めた。

 わたしは、そんなクロウを後ろから見守る。

 うーん、応援とかするべきかな。

 いや、絶対に「黙ってろ」と怒られる。

「おい、ルビィ」

「なんでしょう」

 馬鹿な思考を繰り広げていると、不意にクロウが呼びつけてきた。

 手招きをして、近くに来るよう促される。

「どうかしたんですか?」

「こいつを見ろ」

 隣に立つと、クロウは地面を指さした。

「これは……」

 屋敷を囲っている塀の側に、何者かの足跡があった。足跡というより、靴跡かな。溝があるし。

「塀も汚れているな」

 クロウの声に視線を上げる。

 たしかに、塀にも土が付着していた。薄っすらとだけど、これも靴跡に見える。

「ここから魔物が侵入しようとしたんですか?」

 だとしたら危険なのでは。

「塀に登って中の様子を覗いただけ……だろうな」

 そこをポポちゃんに威嚇されて逃げたのかな。

「しかしルビィ、この足跡を目にして妙だとは思わないか」

「え、そうですね……足跡というか靴跡に見えるぐらいですけど……」

「その通り、これは靴跡だ」

 クロウはなぜか満足そうに頷く。

「つまり、屋敷を覗いていたのは魔物じゃない可能性がある」

「え、そうなんですか? でも、靴を履いている魔物だっているかもしれないですよね」

「ああ、だから可能性だと言っただろう」

 もし魔物じゃないんだとしたら……いったい、なんなんだろう。

「……人間、でしょうか?」

「いや、それならポポが間違えるとは思えんな」

 うん。ポポちゃん、ホワホワした雰囲気だけど勘は鋭そうだもんね。

「魔物でも人間でもないとなると……なんでしょう?」

「今、目の前にいるだろう」

 あ、なるほど。吸血鬼か。

 人によっては魔物に分類してしまいそうだけど、怒られそうだから黙っておこう。

「吸血鬼は限りなく魔に近い人間のような存在だからな」

 限りなく魔に近い人間のような……うーん、なんだかよくわからない。

「よくわからん、という顔をしているな」

「う」

 慌てて両手で頬をおさえる。

 意味ないけど、つい反射的にやってしまった。

「実際、よくわからん生き物だが。吸血鬼というのは」

 吸血鬼である本人が言っていいんですか、それ。

「この靴跡の主が吸血鬼なら、屋敷を覗いていたのはクロウさんやシャルさんの仲間なんですか?」

「どうだろうな。そもそもの話、本当に吸血鬼なのかもまだわからん。あくまで、例えばの話だからな。と、いうわけでだ。靴跡を追うぞ」

 地面に残った靴跡は、森の先まで続いている。

「相手が何者にしろ、あまり賢くはないようだ……いや、それともわざとなのか?」

 ……たしかに。

 これだけ派手に痕跡を残してるなんて、まるでこっちを誘っているみたい。

「まあ、どちらでもいい。誘いならば乗ってやろう」

 どこか愉快そうに、クロウは靴跡を辿って歩き出す。

 ――靴跡を追って、屋敷から少し離れた場所まで進んだ。

 ふと、前を歩いていたクロウが立ち止まる。

「痕跡が消えた」

「え。あ、本当ですね」

 ここまで続いていた靴の跡が、ぷっつりと消えている。

「……木に登ったか?」

 クロウの呟きに納得した。

 ここは森の中だ。登る木はいくらでもある。

「近くに住処があるのか、それとも……」

 口元に手を当て、クロウは思索に耽る。

 こうしている間に、いきなりどこかから襲ってきたりして……

 ――――ガサリ。

「きゃあ!?」

 近くの茂みが音を立てる。

 驚いて、思わずクロウの腕にしがみついてしまった。

 揺れる茂みから、なにかが姿を現す。

 その正体は――

 長い耳と、赤い目を持つ小さな獣。

 わたしも前世からよく知る、あの動物だった。

「……ウサギ、だな」

「……ウサギですね」

 一気に緊張の糸が切れる。ああもう、びっくりした。

 ウサギもこちらに驚いた様子で、いずこかへ走り去っていく。

「おい」

 クロウが鋭い目つきで見下ろしてくる。

「いつまでそうしている気だ」

 そういえば、クロウの腕にしがみついたままだった。

「……あはは、すみません」

 気恥ずかしさを誤魔化すように笑って、クロウから離れる。

「まったく……度胸があるんだか臆病なんだかわからないやつだ」

「不意打ちが苦手なんです」

 急に大きい音とか、そういうの。

 そんな主張を無視して、クロウは周囲を調べ始める。

「……ふ、どうやら木になど登っていないらしい」

「え?」

 こいつを見てみろ、とクロウが草むらに呼び寄せる。

 そこには、例の靴跡が再び出現していた。

 途切れていた地点からはそう離れていないから、ここまで飛び移ったのかも。

 靴跡は草むらのずっと奥まで続いてるみたいだ。

 クロウが草むらに足を踏み入れる。

「さて、この先になにがあるのかな」

 クロウの声色は、心なしか楽しそう。

 できれば、なんにも出てこないでくれると嬉しいんだけど。


 茂みをかき分け、道なき道を進む。

 例の靴跡を追って、どんどん森の奥深くに入っている気がする。

「止まれ」

 わたしの前を行くクロウが、声を潜めて指示してきた。

「クロウさん?」

「あれを見ろ」

 クロウは顎をしゃくり、前方を示す。

 そこには、ボロボロに朽ちた小屋があった。

「あれって……」

「おそらく標的の住処だろう」

 いつの間にか標的になってる。

 たしかに靴跡は、小屋の方まで続いているみたいだ。

 屋敷を覗いていたというなにかは、あの朽ちた小屋の中にいるんだろうか。

「どうするんですか?」

 隣に立つクロウは、わたしの問いを「ふん」と鼻で笑う。

「決まっているだろう。あの小屋に乗り込むぞ」

 ですよねー。そうだろうとは思ってました。

「怖いのなら、ここに残ってもいいんだぞ」

「いえ、一緒に行きます。むしろ一人で残される方が怖いです」

「そうか、なら行くぞ」

 言うが早いか、クロウは小屋に向かって歩き出す。

「ちょ、待ってください」

 慌ててクロウの後を追いかける。

 少し先のクロウは、肩で風を切って進んでいく。

 もしかして、正面から堂々と乗り込むの?

 なんというかこう、ひっそり裏に回ったりとかしなくていいのだろうか。

「クロウさん」

「なんだ」

 クロウは呼びかけに応えてくれたけど、足は止めない。

「もっと……こっそり近づいたほうがいいんじゃないでしょうか」

「小細工など不要だ」

 きっぱりと告げられてしまう。

「どうせそこまで大した相手じゃない。気配でわかる」

 ……その台詞、フラグっぽいんですけど。

 どうしようもなく不安になってきた。

 なんだか嫌な予感がしてしまう。

 当たらないといいんだけど……って、いけない。これもフラグっぽいよ。

 今のなし。もう全然、嫌な予感とかしない。

 などと自分に言い聞かせているうちに、小屋の前まで来てしまった。

 改めて近くでみると、今にも崩れそう。

 屋根も外壁も、全体的に苔むしてる。もはや自然の一部って感じだ。

 クロウとわたしは、さらに小屋へと近づいていく。

 そして、とうとう入口の前に立った。

 途中で、クロウの言う標的が小屋から飛び出してきたりしたらどうしようかと思ったりしたけれど……今のところ、なにかが起こる気配はないみたい。

「……中から気配を感じるな」

 口にしながら、クロウは古びた扉に手を触れる。

「気配は二つ。どちらも人間のようだが……」

「え、それじゃ靴跡の主は人間なんですか?」

「そうと決まったわけじゃない」

 どういうことなんだろう。

「入ってみればわかるだろう」

 事もなげに告げて、クロウは扉を「バーン!」と豪快に開け放った。

「ちょ、ちょっと開け方ぁ!」

 正面から行くにしたって、もう少し慎重にして欲しい!

 それと心の準備もさせてもらいたかったんですけど!

「なんだ」

 恨みがましい視線を送っていると、クロウが不思議そうに眉をひそめる。

「……なんでもありません」

「さっさと中に入るぞ」

「は、はい……」

 クロウと二人、室内に足を踏み入れる。

 外観と同様、中も荒れ果てていた。

 あちこち酷く汚れて、壊れた家具類が散乱している。

「……誰もいませんね」

 見回す限り、小屋の中は無人だ。

「奥にも部屋があるらしい」

「あ、本当ですね」

 小屋の奥に、扉が見える。

「行ってみよう」

 床を軋ませながら、奥に進む。

 扉の前に立ったクロウが、手を伸ばそうとする。

「ちょっと待ってください、クロウさん」

「どうした」

「今度は乱暴に開けないでくださいよ」

「やれやれ、いちいち細かいメイドだ」

 大雑把なメイドよりはマシだと思う。

 再度、クロウは扉に手を伸ばす。

「そっとですよ、そっと」

「わかったわかった」

 こちらをうるさそうにしながらも、クロウは静かに扉を押し開いた。

「どうやら寝室だった場所のようだな」

 おそるおそる、クロウの後ろから中を覗く。

 やっぱり荒れ放題だけど、たしかにここは寝室だったのかもしれない。

 ボロボロになった大きなベッドが置かれているし。

「……いるな」

 部屋をぐるりと見渡して、クロウが呟く。

「え、え、ここにいるんですか」

「ああ、はっきりと気配を感じる」

 わたしは部屋のあちこちに視線を飛ばす。

「どこにも、なにもいないみたいですけど……」

「隠れているんだろ」

 クロウがベッドの方に歩み寄る。

 そして……

「なあ?」

 身を屈め、陰になっているベッドの下を覗き込んだ。

「わああああっ!」

 悲鳴が上がり、ベッドの反対側から女の子が飛び出してくる。

「ま、待って、エマちゃん!」

 女の子に続いて、女性がベッドの下から出てくる。

 女性は、シスター服を着ていて……って、なんだか見覚えがあるような。

 シスター服の女性が、怯える女の子をかばうように抱く。

 間違いない。その女性は、わたしが知っている人だった。

「ミリアさん!?」

 そう。リスルムの教会で知り合ったシスター、ミリアさんだ。



      ◆



 オレとライオネルはリスルムの町を出て『魔の森』まで来た。

 森に入ってしばらく歩いたが、子供もシスターも姿は見えない。

「ライオネル、匂いとかでわからねえか」

「うーん……」

 ライオネルが鼻を鳴らす。

「……ごめん、わからないや。この森、なんか変だよ。ぜんぜん鼻が利かない」

「そうか。お前の鼻も駄目か」

「お前の鼻もって?」

「オレも、色んな感覚が鈍くなってる気がする」

 この森に入った瞬間から、どうも身体が重い感じだ。

「ここも曰く付きなんだっけ」

「ああ、聖女が吸血鬼の王を封じたって言い伝えがある。他にも、昔はよく子供が行方不明になったりしていたらしいな」

「へぇ、ちょうど今みたいに?」

「そうだな……」

 昔の事件となにか関連があるのか……

 ともかく、早いとこ子供とシスターを見つけねえと。

 ふと、近くの茂みが激しく音を立てる。

「ライオネル、警戒しろ」

「わかってるよ」

 背中に手を回し、剣の柄を握る。

「グルルルル……」

 ライオネルが茂みに向かって低く唸り声を上げ出した。

 茂みが大きく揺れて、そこからなにかが姿を現す。

 それは大きく丸い、鳥のような頭だった。

 つぶらな瞳が、オレとライオネルを見つめる。

 なんだ、こいつは?

「あれ~」

 鳥が声を発して、茂みから出てくる。

 顔に見合って、全体的に丸っこい姿をしていた。

 上半分が猛禽類で、下半分が馬……のように見える。

「ヒポグリフ……か?」

 それにしちゃ、随分と丸いが。

「おい、お前」

 オレはヒポグリフに声をかける。

「おにいさん、だれ?」

「オレはミカエラ。こっちはライオネルだ」

「うーん? おにいさん、ぼくのことばがわかるの?」

「わかる」

「そうなんだ~、おねえさんだけじゃないんだね~」

 おねえさん?

 そいつも、このヒポグリフと会話できるのか?

 オレのように?

 気にはなるが……今は、シスターと子供が優先だ。

「おい、ちょっといいか――」

「へえ~、らいおねるくん、このおにいさんのあいぼうなんだ~」

「ああ、そうだよ」

「そっか~、ところで、なんのあいぼうなのかなあ」

「魔物退治さ」

「なるほど~、らいおねるくんは……」

 ヒポグリフが言葉を止める。急にどうしたんだと思っていると……

「らいおねるくんって、ながいから、らいくんってよんでもいいかなあ」

 どっかの誰かさんみたいなことを言い出しやがった。

「ああ、いいよ」

 ライオネルは、あっさり承諾する。

 獣同士、早くも仲良くなっているご様子だ。

「そっちはなんて呼んだらいい?」

「ぼくはね~、ぽぽってなまえなんだ~。おねえさんにつけてもらったんだよ」

 また「おねえさん」か。いったい、何者なんだ。

 おっと、それよりもヒポグリフ……ポポに確認しねえと。

「なあ、ポポ。ちょっと訊ねてもいいか」

「なにかなあ? ……でも、ちょっとまって。おにいさん、きゅうによびすてにするなんて、なれなれしいよ~」

「お、おう、すまん……」

「きをつけてね」

「わ、わかった……」

 なんなんだ、このヒポグリフは。

「それで、ききたいことってなにかなあ?」

「この辺りで、子供と女を見なかったか」

「おんなのひとは、おねえさんいがいでだよねえ?」

「ああ、そうだ」

 いや待てよ。

 ポポの言う「おねえさん」がシスター・ミリアっていう可能性もあるのか。

「念のため確認なんだが、『おねえさん』ってやつの名前はミリアじゃねえよな」

「ちがうよ~」

 ポポが頭を横に振る。

「そうか……で、どうだ。子供と女を見てねえか」

「ごめんね、みてないや」

 当てが外れちまったみたいだ。

「そのひとたちをさがしてるの?」

「ああ、まあな」

「きぐうだね~。ぼくも、おねえさんをさがしてるんだ。ぼくがおひるねするまえにでかけていったんだけど、おきてもまだかえってなくて……ああ、かんがえてたらさびしくなってきちゃったよ」

 ポポがのっそりとした動きで、オレたちに背を向ける。

「ぼく、おねえさんをさがしにいくね。それじゃあね。おにいさんに、らいくん」

「あ、ああ、見つかるといいな」

「またね、ポポ」

 別れの言葉を交わして、ポポは茂みの中へと消えていった。

「引っかかるな」

 オレは無意識に呟く。

 あのポポに、「おねえさん」とかいう人物は、この森で暮らしているのだろうか。

 リスルムの住人が恐れて近づきたがらない、この森で人間が生活してる?

 そもそも、「おねえさん」が人間とは限らないが……

「悪いやつじゃないよ、ポポは」

 ライオネルがオレの呟きにそう反応する。

「獣の感か?」

「そんなとこだね」

 たしかに、ポポからはまるで嫌な感じはしなかった。

「……うだうだ考えてる場合じゃねえか」

 シスター・ミリアと子供の捜索に戻ろう。



      ◆



 森の中、朽ちた小屋でわたしとクロウが遭遇したのは、意外な人物だった。

 リスルムの町でお世話になった教会のシスター、ミリアさん。

 そして、ちょっとボーイッシュな雰囲気の女の子だ。

「ミリアさん、どうしてこんな場所に?」

「ルビィさんこそ……それに、そちらの男性は?」

 女の子を後ろから抱いたまま、ミリアさんはクロウに視線を移した。その表情からは警戒心が見て取れる。

「え、ええと……この方はですね」

 困った。なんて説明したらいいのだろう。

「おいルビィ、こいつらはお前の知り合いなのか」

「はい、まあ……」

 女の子の方は初めて見るけど。

 わたしはクロウさんの腕を掴んで、ミリアさんたちに背を向けた。

 二人で顔を寄せ合い、声を潜めて会話する。

「クロウさん、ここは正体を誤魔化すべきですよね」

「そうだろうな」

「女性の方には、わたしは旅人ってことになっていて……」

「ああ、町で出会ったとかいうシスターか」

 簡単に相談し、わたしとクロウは旅の途中で森に迷ったという設定にすることにした。

「……あの、ルビィさん?」

 遠慮がちに、ミリアさんが声をかけてくる。

「ご、ごめんなさい。実はわたしと彼――クロウさんは森で迷子になってしまって……」

「そうだったのですね……」

 なんとか納得してくれたみたいだ。

「おいシスター、お前と子供はなぜこんな場所に隠れていた?」

 クロウの問い掛けに、女の子はムッとした表情になる。

「アタシは子供なんて名前じゃない。エマっていうちゃんとした名前があるんだ」

「こ、こら、エマちゃん」

 窘めるミリアさんに、女の子――エマちゃんはぷいっと顔を逸らす。

「ふ……ではシスターにエマ、なぜこんな場所に隠れていた?」

 薄く笑って、クロウは同じ質問を繰り返す。

「実は……」

 ミリアさんが事情を説明してくれる。

 事の発端はエマちゃんが友達と口論になったから、らしい。

 エマちゃんは、聖女プリムラの昔話が大好きで、『魔の森』には封じられた吸血鬼の屋敷があるんだと信じていた。

 友達はまったく信じていなかったようで、エマちゃんに対して「そんなのあるわけない」「迷信だ」と言ったのだとか。

「だから証明したかったんだ。吸血鬼の屋敷はあるって。聖女様のお話は真実だって」

 悔しげに、エマちゃんは唇を噛む。

 吸血鬼の屋敷は実在するよ。目の前に、その吸血鬼がいるんだよ。

 教えてあげたいけれど、残念ながらできない。

 ごめんね、と心の中でエマちゃんに謝る。

 ……それはともかく。

 聖女の伝説を真実だと証明したくて、エマちゃんは町を飛び出して、この森に入り込んだというわけだ。

「わたくしはエマちゃんを連れ戻すために、ここまで追ってきたのです」

 ミリアさんがそう続ける。

「……話はわかった。それで、結局どうしてこんな小屋に隠れていたんだ?」

 クロウの言うとおり、その疑問がまだ氷解していない。

 ミリアさんとエマちゃんが互いに目を合わせる。

 二人とも、なんだか怯えたような様子だ。

「隠れていたといいますか……閉じ込められていたのです」

 ミリアさんが、ゆっくりとそう切り出す。

「閉じ込められていた……誰にですか?」

 もしかして、わたしとクロウが靴跡を追ってきた相手だろうか。

「……なんだか気味の悪い男だよ」

 そう口にしたのはエマちゃんだ。

「気味の悪い……どんな人なの?」

「あれは……本当に人なのでしょうか……」

 ミリアさんが身体を震わせる。顔色が悪い。よっぽど怖ろしい目に遭ったのだろうか。

「森に到着したわたくしは、幸いにもすぐにエマちゃんを見つけられたのです。お説教などは後にして、二人で早く町に帰ろうとしました。ですが……」

「そこで、急にあいつが出てきたんだ」

 ミリアさんの後に続いて、エマちゃんがそう言った。

「青白い顔で、口から獣みたいな牙を生やした不気味な男がさ」

「……わたくしたちは、逃げる間もなく捕まってしまいました」

 そして、この部屋に押し込められたそうだ。

「で、その男はどこにいるんだ?」

 クロウの言葉に、ミリアさんもエマちゃんも不思議そうな表情を浮かべる。

「……そちらの部屋には、いなかったのですか?」

「向こうには誰もいませんでしたけど……」

 わたしの答えに、ミリアさんが驚く。

「おかしいですね……わたくしたちをこの部屋に閉じ込めた後、ずっと扉の前にいたみたいなのですが……」

「……あいつ、あたしたちを餌にする気だったんだ」

 エマちゃんが穏やかじゃないことを言い出した。

「……そうなの?」

「うん、ずっとブツブツ聞こえてたから。あたしかシスター、どっちから血を吸ってやろうかって」

 ……え。血を吸う?

 それってもしかして……わたしは思わずクロウの顔を窺う。

 目が合うと、クロウはこちらに肩をすくめて見せた。

 たぶん、「さあな」って意味だと思う。

「あいつ、きっと吸血鬼なんだよ」

 エマちゃんが興奮気味にそう口にする。

 屋敷を覗いていた靴跡の主……吸血鬼の可能性もあるって話をしていたけど、まさか本当にそうなんだろうか。

「扉が開かれたとき、いよいよ餌にされるんだって思った」

「ですから、わたくしとエマちゃんは咄嗟にベッドの下へ隠れたんです」

 わたしとクロウが開いたのを、例の男だと勘違いさせてしまったのか。

「ともかく、だ」

 クロウが低い声音を響かせる。

「問題は、その男がどこにいるのかだろう」

 たしかに。

 今のところ、この小屋にはいないと考えていいよね。

 なんで不在なのかはわからないけど、これってミリアさんとエマちゃんを連れ出すチャンスなのでは。

「あの、クロウさん」

「なんだ、腹でもすいたのか」

「違いますっ!」

 なんでそうなるの。

「……今のうちに小屋を出て、ミリアさんとエマちゃんを町まで送り届けたほうがいいんじゃないでしょうか」

「駄目だな」

 クロウが提案を一蹴する。

「ど、どうしてですか」

 不気味な男がいない今なら、二人を連れ出せるのに。

「俺は不気味な男とやらに用があるからだ」

 たしかに『魔の森』を調べたのは、それが目的だったけど。

「それに、俺様がそこまでしてやる義理はない」

 クロウは冷たく言い放つ。

 ……そうか。つい忘れそうだったけど、この人って基本的に『悪役』だもんね。

 義憤に駆られて弱きを助ける……なんて行動を期待するのが間違いだったかもしれない。

「じゃあいいです」

「理解が早いな、素晴らしい」

「わたしが二人を町まで送り届けます」

「なに?」

 クロウが呆気に取られたような表情になる。

 ちょっと気分がいい。

「どういう理屈だ、それは」

「クロウさんはここに残る。なぜなら不気味な男に用があるから。わたしと、ミリアさん、エマちゃんは残る必要がないので小屋から出る。簡単な理屈ですよね」

「待て、ルビィ。お前は俺のそばにいてもらわなければ困る」

 ……なんか、もっと別のシチュエーションで言われていたら、うっかりキュンとしそうな台詞だ。

 そばに置いておきたい理由は、魔力が枯渇したときにわたしの血を吸って補うためなんだけれど。

 ……あれ、なんだろう。

 なにかが引っかかる。吸血鬼が人間から血を吸うのは、魔力を補給するためで……

「そもそも、お前たち三人だけで森を歩くのは危険だと思うが。もし途中で例の男に遭遇したらどうするつもりなんだ」

「う、それは……」

 仰る通りだ。わたしに戦う力はないし、ミリアさんもエマちゃんも守れない。

「俺の近くにいるのが一番、安全度は高いぞ」

 クロウは自信たっぷりだ。

 実際、そのほうがいいんだろう。

 なにかあったとき、本当に守ってくれるのならだけど。

「わかりました……でも、これからどうするんですか?」

「待つ」

 クロウが短く答える。

「……待つ、ですか?」

「ああ。例の男がどこに行ったのかは知らんが、この小屋が住処だというなら、待っていれば帰ってくるだろう」

 それはたしかに。

「ルビィ、あの二人にここへ隠れているように説明しろ」

「……わかりました」

 ミリアさんとエマちゃんに、まだ危険だから隠れているようにと話す。

「俺とお前は外だ」

 クロウと二人で、小屋の外に出た。

 正直、わたしも中にいたい気持ちがある。

「お前は俺のすぐ近くにいてもらわなければ困るからな」

 うーん。やっぱり、別なシチュエーションで言われたい言葉だ。

 クロウがわたしをそばにいさせたいのは、血を吸って魔力を補うためで……

「あっ」

 思わず声を出す。

 さっき感じた引っかかりの正体がわかった。

 何度も確認するようだけど、吸血鬼が人間の血を必要とするのは、血液に含まれる魔力を摂取するためだよね。

 例の男が吸血鬼なんだとしたら、ミリアさんとエマちゃんは餌にはならないんじゃ……それが、引っかかりの正体だ。

 クロウによると、この世界は魔法が衰退してしまっているという。

 わたしがこの話を聞かされたのは、ブランチのときだった。

 この時代に生きている人は、魔力を持っていない……

 当然、ミリアさんやエマちゃんにも魔力はないということになる。

 つまり、吸血鬼にとって餌にはならないはずだよね。

「おいルビィ、どうかしたのか」

「はい?」

「ぼんやりしていただろう。なんだ、やっぱり腹が空いたのか」

「だから違いますってば」

 なんなの、そんなに腹ペコキャラなイメージでもあるのかな?

「じゃあなんだ、言ってみろ」

「えっとですね……」

 抱いた疑問をクロウに説明する。

「それは俺も気になっていた。考えられる可能性は三つほどある」

 わたしは無言で頷き、続きを待つ。

「一つ目は、そもそも例の男とやらが吸血鬼ではない可能性だ」

 いきなり首を捻る。吸血鬼じゃない?

「でも『血を吸う』って言葉をミリアさんとエマちゃんが聞いたんですよ?」

「二人の聞き違いかもしれん……などと言い出したらキリがないから、その考えは排除するぞ」

「あ、はい」

 そういえば、二人の証言が正しいとは限らないのか。

 クロウとわたしは、まだ自分の目では例の男を見ていないわけだし。

 でも、そこまで考慮してたら本当にキリがない。

「なにも血を吸うのは俺たち『吸血鬼』だけじゃないからな。まったく別の魔に属する存在かもしれん」

 ……言われてみれば、そうだよね。

 身近にいるせいか、血を吸う=吸血鬼……って、すぐに連想してしまったけど。

「二つ目。やはり例の男は吸血鬼だが、俺と違って純血種じゃないという可能性だ」

「純血種じゃない……ですか」

 それじゃあ、何種なんだろう。

 というか、何種があるのかよく知らないけど。

「純血種よりも下位ならば、活動に必要な魔力は格段に少なくて済む」

「そうなんですね。あれ……でも結局は魔力が補給できなきゃ、やっぱり血を吸う意味がないですよね」

「そうとも限らん」

 え、そうなの。

「たとえばルビィ、チョコは好きか?」

「好きですけど、なんですか急に」

「ではチョコを食べなければ、お前は活動できないとする」

 えぇ、なにそのチョコレートモンスター。

「だが、あるときチョコを食べても活動に必要なエネルギーは得られなくなってしまった。しかし、チョコは好きだ。お前はチョコを食べるのをやめるか?」

「……やめないですね」

 なんとなく、クロウが言いたいことは理解できた。

 単純に人間の血液が好物なら……たとえ魔力を補給できなくても吸血するというわけだ。なにそれ怖い。

「下位な吸血鬼ほど血の味に取り憑かれやすい」

 淡々とクロウが言う。

「まあ、純血種でも取り憑かれるやつはいるがな」

「……クロウさんはどうなんですか?」

 わたしの問いに、クロウは意表を突かれたように目を見張る。

「さて、どうだろうな」

 むう。含みのある笑みで誤魔化されてしまった。

「三つ目の可能性は、この時代の人間も魔力自体は有しているというものだ」

「え、でも魔法は衰退してしまったんですよね?」

 わたしが知っている『サント・ブランシュ』は、バリバリ剣と魔法のファンタジー世界だった。

 その時代から二〇〇年が経過したこの世界では、魔法が当たり前のものじゃない。

 そう教えてくれたのはクロウだけど……あ。

「もしかして、魔法を使えるだけの魔力は持っていないってことですか?」

「正解だ。吸血鬼の俺やシャルですら嗅ぎとれないほど微量な魔力は、宿っているのかもしれん」

 下位の吸血鬼なら、少ない魔力でも足りる。

 だったら、この時代の人間であるミリアさんやエマちゃんも、餌になり得るってことだ。

「とまあ、あれこれ考えてきたわけだが……答えは会えばわかるだろう」

 クロウが身も蓋もない言葉で締め括る。

「ちょうど本人も帰ってきたようだしな」

「え」

 ……いつの間にか、前方に人影があった。

 男の人だ。背が高い。クロウと同じぐらいだろうか。

 伸び放題で乱れた髪。飢えた獣のような眼が、こちらを見据えている。

 あれが、例の男で間違いないだろう。

 エマちゃんの証言通り、口には鋭い牙が見て取れた。

 肌は死人のように青白い。身に纏っているのは、ほとんどボロ切れと化したローブだ。

 ……しかし、なんだろう。

 あの男の人、どこかで見たような気がする。

 たしか、前世の記憶を取り戻してすぐに……

「ルビィ」

 クロウがわたしの肩に手を置いた。思考が中断される。

「下がっていろ」

「は、はい……」

 わたしを庇うようにして、クロウは前に進み出る。

 同時に、男の方もこっちに向かってきた。



      ◆



 目の前に現れた男を、俺は知っていた。

 それもそのはずだ。

 なぜならば、この男は部下なのだから。

 いや。部下だったと表現したほうが、もはや正しいだろう。

 見る影もない姿になってしまった、かつての部下と向かい合う。

「酷い姿だな、マーカス」

 それが男の名前だった。

 マーカスには、父上を復活させるための儀式を任せていた。

 父上が不完全な覚醒を果たした際に、屋敷の外に吹き飛ばされたらしいが……

 それから二〇〇年、この森で生きながらえていたのか。少し驚きだ。

「お、おお……おお……おお……」

 マーカスが擦れた声を発する。

「……クロウ様、クロウ様ではないですか」

 ほとんど獣のような相貌を、凄惨な笑みで歪める。

「このマーカス……インバーテッドの者に再び邂逅できるとは思っておりませんでした」

 口調は丁寧だが、その声音には不遜な響きが混じっている。

「昨夜、屋敷を覗いていたというのは貴様か?」

「ええ、ええ、そうですとも。屋敷の封印が解けた様子でしたから。これは確認せねばと出向いたのですよ。奇妙なヒポグリフに邪魔されてしまいましたがねぇ……」

「確認だと?」

 笑わせてくれる。

「貴様が屋敷に来たのは、俺たちを殺す気だったからだろう」

 声色でわかった。

 マーカスは間違いなく俺に恨みを抱いている。

 いや、俺というよりはインバーテッド家に……より限定するならば父上、アルバートを憎んでいるのだろう。

「くくく……なんだ、バレているのですか」

「隠す気もないだろう」

 全身から俺に対する殺意を滲ませておいて、よく言ったものだ。

「興味はないが、一応訊いてやる。俺たちを恨む理由はなんだ?」

「私の計画を台無しにしてくれたからですよ」

「計画だと?」

「私が黒の王を復活させるために儀式を担当したのは、王の力を利用しようと考えたからでした。そのために貴方たちに取り入り、信用を得て儀式の司祭に選ばれた」

「そうだったな。貴様を信頼したのは大きな間違いだったわけだ」

「私は黒の王に暗示をかけ、操り人形に……」

「もういい」

 マーカスの戯言を遮る。

「復活した父上には自我がなかった。そして貴様は父上に吹き飛ばされたそうだな」

「……そうだ、そうだとも! 聖女の封印により、私はそのボロ小屋からも出られなくなった!」

 声を荒げながら、マーカスは俺の背後を指さす。

「それでよく二〇〇年間も生き延びられたものだな」

 屋敷ごと封印された俺たちのように、時が止まっていたようではなさそうだが。

「私は小屋から出られなかったが、逆は可能だったのですよ」

「逆……そういうことか」

「ええ、馬鹿な人間がたまに迷い込んで来てくれましてねぇ……そいつらを餌にして命を繋いできたのですよ」

「貴様はたしか、一般種だったな」

 一般種とは文字通り、一般的な吸血鬼だ。

 俺たち純血種の下位に当たる吸血鬼で、人間の血が混ざっている場合が多い。

 ルビィにも説明したように、少ない魔力でも活動できる種だ。

 だからこそ、今日まで生存できたわけだ。

 ……それもここで終わりだがな。

 手を前方にかかげ、魔力を集中させる。

 イメージするのは、全てを切り裂く剣だ。

 凝縮された魔力が、赤と黒を基調とした剣を造り出す。

 眼前に顕現したそれの柄をにぎり、軽く一振りする。

 刀身が周囲に魔力の燐光を散らす。

「……ふん、今ひとつだな」

 やはり力が弱まっている。

 聖女によって二〇〇年も眠らされてしまった影響だろう。

 本調子を取り戻すのに、どれくらいかかるやらだ。まったく忌々しい。

 だが、マーカス程度を相手にするならば問題はないはずだ。

「そら、俺を殺したいのだろう。遠慮なく来い、マーカス」

「余裕ですねぇ。随分と力が弱まっているとお見受けしますが」

「だからどうした。貴様程度にはちょうどいいだろう」

 マーカスが眉間に皺を寄せる。

「貴方のその不遜な態度が昔から気に入らなかった……望み通り、殺してやるッ!」

 吠えながらマーカスが地面を蹴る。

 一瞬で距離が埋まり、マーカスが肉薄する。

 そのままこちら目掛けて拳を振り上げた。

「ガアアッ!」

「まるで獣だな」

 マーカスの拳を剣で受け止める。

 拳と刀身がぶつかり、火花を咲かせながら甲高い音を響かせた。

「む……」

 思ったよりも重量のある一撃だった。

 俺の身体は地面を滑るように後方へと押しやられる。

「クロウさん!」

 不安げな色を帯びたルビィの声が飛んできた。大げさなやつだ。

「問題ない。そこを動くなよ」

 前方のマーカスを見据えたまま、背後のルビィに声を投げた。

「その女性は……」

 マーカスは、そこで初めてルビィの存在に気づいたかのような反応を示す。

「くく……これはこれは。美味そうな餌を連れているじゃないですか、クロウ様」

 ルビィに目を向けながら、マーカスは口の端を吊り上げる。

 その歪な顔に、下卑た欲望を覗かせる。

 こいつ……俺への憎悪はそっちのけでルビィの血に目を奪われたな。

 下位の吸血鬼としては正しい反応かもしれんが。

 再びマーカスがこちらに向かってくる。

 今度の目標はルビィだろう。俺を抜けて、あいつを襲う気だ。

「貴様にはやらんぞ。あいつは俺のだ」

 剣を構え、猛然と迫るマーカスに斬りかかった。



      ◆



 全身を怖気が駆け抜けた。

 マーカスと呼ばれた吸血鬼の視線が、わたしを捉えたからだ。

 もしかして、わたしに狙いを変えた?

 というか思い出したけど、あのマーカスって人……黒の王復活の儀式をやっていた司祭だよね。

 わたしと同じく生贄に選ばれた人たちに、手を下していた吸血鬼だ。

 目覚めた黒の王に殴り飛ばされていたけど……生きてたんだ。びっくり。

 ……なんて驚いている場合じゃない。

 よく考えなくても、マーカスにとってわたしは恰好の的じゃない。

 貧相とはいえ魔法を使えるだけの魔力は持っているんだから。

 いくら少ない魔力で活動できるとはいえ、より多量の力を確保しておきたいと、わたしなら考える。

 こちらを凝視していたマーカスが動いた。

 ものすごい速さで、まっすぐに走ってくる。

 目標はたぶんクロウじゃなくて、その後方にいるわたしだ。

 駆けてくるマーカスに、クロウが立ちはだかる。

 そして手にした剣でマーカスを斬りつけた。

 マーカスはクロウの剣を腕で掴むと、そのままへし折った。

 えぇ……どんな腕力?

 折られた剣は光の粒になってクロウの手から消える。

「……ちっ」

 忌々しげに舌打ちして、クロウは身体を捻った。

 左脚を軸にして、マーカスの腹部に回し蹴りを喰らわせる。

 マーカスの身体が回転しながら宙に浮き、吹き飛んだ。

 五メートルほど離れた場所でマーカスは落下して、鈍い音を立てる。

「う、うわぁ……」

 思わず声を漏らしていた。

 クロウってば、蹴りの威力がえげつない。

 普通の人間なら、今ので死んでると思う。

 そう、普通の人間が相手ならだ。

 土の上に落下したマーカスが、何事もなかったかのように立ち上がる。

 口から血を流しているみたいだけど、平気そうにクロウへと向かっていく。

 目の前で繰り広げられる超絶戦闘を、わたしは呆然と眺めるしかない。

「邪魔をするなァァァァッ! クロウ・インバーテッド!」

「下郎が気安く呼ぶな」

 クロウは、こんなときでも尊大な態度を崩さない。

 迫るマーカスにも慌てず、至って冷静な様子だ。

 右手を上げて、再び魔法で剣を造り出す。

 クロウが屋敷を出る前、武器を持つ必要がないって言っていたのは、あの魔法があるからだったんだ。

 便利そうに見えるけど……たぶんあれ、魔力が不足したら使えないよね。

 などと考えている間にも、吸血鬼同士は互いの攻撃をぶつけ合う。

 クロウが振り上げた剣に、マーカスは拳を突き出す。

 破砕音が耳朶を打つ。

 クロウの剣が砕かれた音だ。

 マーカスはそのままの勢いでクロウの顔面を殴ろうとする。

 ヒュン――と、なにかが空気を裂くような音がした。

 そう思った刹那。

「ガァァァァッ!」

 マーカスが呻き声を上げる。

 クロウを狙っていたマーカスの右腕が消えていた。

 ううん、切断されたんだ。

 クロウが左手で新たに造り出した剣を振るい、マーカスの腕を斬った。

 さっきの空気を裂くような音の正体はそれだ。

 どさり、とわたしのすぐ近くに「なにか」が落ちた。

 視界の端に捉えた「それ」を直視しないようにする。

 たぶん、というか間違いなく斬り飛ばされたマーカスの右腕だろう。

 しっかりと目にするのは、きっと精神衛生上よろしくない。

「ぐううう……」

 呻きながら、マーカスが地面に膝を突く。

 左手で右腕を押さえながら顔を上げて、クロウを恨みがましく睨む。

「おのれ……おのれ……クロウ・インバーテッド……」

「気安く呼ぶなと言っただろう」

 クロウは剣を右手に持ち替えて、その切っ先をマーカスの眼前に突きつけた。

「終わらせてやろう」

「ふ、ふははは……」

 突然、マーカスが笑い出した。

 なになになに、なんだか怖いんですけど。

 クロウもいきなりのことに怪訝そうな顔になってる。

「気でも触れたのか」

「はははは……油断したな、クロウ・インバーテッド」

「……なんだと、どういう意味だ?」

 そう問い掛けた直後、クロウは弾かれたようにこちらを振り向いた。

「ルビィ!」

「え?」

 クロウがわたしの名を叫ぶ。

 同時、足首を「なにか」に強く掴まれた。

「きゃあ!」

 驚いて、足元に目を向ける。

 そこには――

 クロウに切断されたマーカスの右腕がいた。

 マーカスの右腕に、わたしの足首ががっちりとホールドされている。

 な、なにこれ、どういう状況?

 肘から上だけの状態で動いて、いつの間にかわたしに近づいた?

 というかゾンビ映画みたいで怖い!

「――ちっ!」

 クロウがマーカスに背を向けて、こちらへ駆け出す。

 ほとんど一足飛びでわたしの元まで来ると、マーカスの右腕を剣で突き刺した。

 刺された右腕が、わたしの足首を放す。

 クロウは剣ごとマーカスの右腕を地面に突き立てる。

 串刺し状態になった右腕は激しく悶えてから、糸が切れたように動きを止めた。

「平気か?」

「は、はい、ありがとうございま……」

 言葉を途中で止める。

 クロウのすぐ背後に、マーカスが迫っていた。

「クロウさん、後ろ!」

 必死に声を張り上げる。

 反応したクロウが後ろを振り返ろうと動くけど、間に合いそうにない。

 マーカスの左手。その指から生えた鋭い爪が、今にもクロウを切り裂こうとしていた。

 こうなったら……!

 わたしはクロウを思い切り突き飛ばした。

 クロウと二人、抱き合うように地面へと転がる。

 そのすぐ真上で、マーカスの爪が空を切った。

「くそっ! 女め、貴様も邪魔をするのかああああッ!」

 マーカスが怒りをぶつけてくる。

「お前から八つ裂きにしてやる!」

 マーカスがわたしに腕を伸ばす。

「――――っ!」

 なぜかそこで、わたしはマーカスに向かって右手をかかげていた。

 手のひらから眩い光が放たれる。

 え、なにこれ?

「ぐ、ぐおおおおおおッ!」

 わたしの手から発生した光を浴びたマーカスが大きく怯んだ。

「バカな……光の魔力だと……ッ!」

「よくわからんが、でかしたルビィ」

 わたしを抱き起こしつつ、クロウが再び魔法で剣を造り出す。

「今度こそ終わりにしてやろう」

 光を浴びて苦しそうにしているマーカスに、クロウは素早く剣を振るう。

 マーカスの首が胴体から転がり落ちた。

 わたしは慌てて目を逸らす。直視するのは辛い。

「おのれ……おのれクロウ・インバーテッドォォォォッ!」

 怨嗟に満ちたマーカスの声が聞こえてくる。

 首だけになっても喋るとか怖すぎだよ。

 クロウがわたしから離れた。

 釣られて顔を上げると、地面に転がっているマーカスの首が視界に入る。

 憎悪に満ちた眼差しが、こちらに向けられていた。

 クロウがゆっくりとマーカスの首に近づく。

「さっさと消えろ」

 冷然と告げて、クロウはマーカスの首に剣を突き刺した。

 するとマーカスの首と、そばに倒れていた胴体が塵となって消えていく。

「……倒した、んですか?」

「ああ、完全に消滅した」

 これで一件落着……なのかな。

「ところでルビィ、さっきのあれはなんだ」

「さっきのあれ、ですか?」

「お前が放った魔力のことだ」

 マーカスを怯ませた、あの光……正直、自分でもよくわからない現象だった。

 なので、そのまま答えるしかできない。

「わかりません」

「……あれは強い指向性を持った魔力だった」

「指向性ですか……?」

「そうだ。ただ単純に放出するだけの魔力じゃなく、例えばそう……相手を退けるという明確な目的で発せられたものだ」

「なるほど……」

 そう言われても、無意識だったもんなあ。

「念のために言っておくが」

 クロウが神妙な顔つきでそう切り出す。

「さっきのあれを間違っても俺やシャルに使うなよ」

「……え、どうしてですか?」

「場合によっては深手を負いかねないからだ」

 それって光属性の魔力だから?

「でも、純血種は光属性の魔力に耐性があるんじゃなかったんですか?」

 だからクロウもシャルさんも、わたしの血を吸えるわけで。

「あくまで、ただの光属性魔力に対しては、な。さっきルビィがやったように相手を退ける……という意思で放たれた魔力なら話は別だ」

「そうなんですね……まあ心配しなくても、どうやったかわからないんで大丈夫だと思います」

「わからないというのも問題があるような気はするが」

「……やっぱりそうですかね」

 魔法の使い方とか、色々と勉強したいとは思っている。

 でも、なんだかんだで状況が落ち着かなくて機を逃してしまうというかなんというか。

 身を守る手段も学びたいし……うん、がんばろう。

「ああ、そういえばルビィ」

 クロウがなにかを思い出したようにそう口にする。

「なんですか?」

「お前、俺様を突き飛ばしたな」

 え、もしかして怒られる感じ?

「す、すみません、勢いでつい」

「別に怒ってなどいないが……なぜ、あんな真似をした」

 うーん、口調からして本当に怒っているわけじゃなさそう。

 純粋に疑問に思ったから訊いているだけかも。

「なぜって……クロウさんを助けなきゃと思ったからです」

「それだけか?」

「はい、そうですけど」

 他にどんな理由があるだろうか。

「……く、くっくっくっ」

 クロウさんが肩を小さく揺らして笑い出す。

 なになに、いきなりどうしちゃったの。

「あの、クロウさん?」

「くくく、この俺様を『助ける』ときたか。しかしまあ、今回は実際に助けられたわけだしな……まったくルビィ、やはりお前は面白い女だ」

 おう、またもや言われてしまいました。

 個人的には、あんまり嬉しくないんですけど。

「……認めよう」

 クロウが呟く。

 それは、わたしに対してというよりは、自分に言い聞かせるかのようなものだった。

「認める……ですか?」

「ああ、そうだ。俺自身の気持ちを認める。ルビィ――俺は、お前を気に入っている」

「……は、はいっ?」

 いきなり真正面から告げられて、声を上擦らせる。

「どっ、どうしたんですか急に……」

 というか、だ。というか。

 気に入っているって、それはどういった意味合いなんだろう。

「特にどうしたわけもない。ただ、はっきりさせておきたかっただけだ」

「そ、そうなんですか。ありがとうございます……?」

 なぜか、わたしは礼を述べる。

 どういう意味合いかは不明だけど、気に入ってもらえるのは素直に嬉しい。

「礼をするのはこちらの方だな。助けてもらったのだから」

 クロウが、すぐそばまで歩み寄る。

 そして、わたしの顎に手をかけると――

 身を屈めて、わたしの唇に自身のそれを押し当てた。

「――――」

 いきなりの事態に、わたしは一瞬フリーズした。

「――っ!?」

 でもすぐ我に返って、思わずクロウの頬を軽くビンタする。

 え、待って。ちょっと待ってよ。

 今、なにをされた?

 もしかして、もしかしてなんだけれど。

 き、き、き、き、き……

 キス……された?

 一気に顔が、ううん、全身が熱くなるのを感じる。

 恥ずかしいのと、なんだかよくわからない感情で。

「い、いきなりなにするんですか!」

 とりあえず、そう問い質す。

「それはこっちの台詞だ」

 頬を押さえながら、クロウが苦笑する。

「いやどう考えてもわたしの台詞ですよ!? ビンタしたのは謝りますけど!」

「まったく、よくも殴ったな。父上にもぶたれたことがないというのに」

「殴ってなぜ悪いんですか!」

 いきなりキ、キスとかされたらしょうがないと思う。

 ……なんだこのやり取り。どっかのパイロットと艦長みたいになってる。

「随分と強気だな。だが、そんなところがいい。しかし今さら口づけぐらいで、なにをそんなに騒いでいるんだ?」

「い、今さら口づけぐらいって……」

 わたしにとっては初めてのキスだったんですけど。

「俺とお前は、吸血した仲とされた仲だぞ?」

 いやいや、それとこれとは別問題でしょう。

 それとも吸血鬼的には、あっちの方が恥ずかしい行為なの?

 たしかに背徳感めいた物がある気はするけど。

「確認なんですけど……なんでキスなんてしたんですか」

「礼だ。遠慮なく取っておけ」

 ……なんかもう、よくわかんない。



      ◆



 森で朽ちた小屋を見つけたオレは、そこで信じ難い光景を目の当たりにした。

 吸血鬼同士の戦いだ。

 そして、その場にいたのは――

「ねえ、ミカエラ。さっきのって……町で会った女の人だよね」

「ああ、そうだろうな」

 ライオネルに肯定を返す。

 オレとライオネルは、吸血鬼同士の戦いが決着すると同時に、その場を離れていた。

 今いるのは、森の入口辺りだ。

「ねえミカエラ、引き返しちゃってよかったの? たぶん、あの小屋にシスターと子供がいたと思うんだけど。微かだけど、匂いがしたから」

「……もっと早く言ってくれよ」

「ずっと言ってたけど、ミカエラが無視したんじゃないか」

「本当か」

「うん、ミカエラってばボンヤリ歩いちゃってさ」

 まったく気がつかなかった。

「ミカエラ、あの女の人が気になってるんでしょ」

「それもある」

 どうして、あいつがこんな場所にいるのか。

 そもそもの話、なぜ吸血鬼が二体もいやがる……どうなってんだ、この森は。

「あの人……ルビィだっけ、吸血鬼と一緒にいる様子だったよね」

「そうみたいだな」

「捕まってるのかな」

 オレは答えない。

 正直、あいつが捕まっているという風には見えなかったからだ。

 あの黒髪の吸血鬼を助けていたみたいだった。

 それに――

「あいつ、魔法を使っていたよな」

「そうそう、使ってたよ。しかもミカエラと同じ光属性だった」

 昔、この世界は魔法に溢れていた。

 多くの人間が魔力を持っていて、日常的に魔法を使っていたという。

 魔法を教える学校なんて場所も存在していたらしい。

 オレの先祖とされる聖女プリムラも、魔法学校に通っていたと言い伝えにある。

 そんな大昔と打って変わって、この世界の魔法は衰退してしまった。

 一般的に魔法というものは、失われた力とされている。

 ほとんどの人間が魔法を使えるだけの魔力を持っていないからだ。

 だが稀に、強い魔力を持って生まれる人間がいる。

 オレみたいなやつが、だ。

 他にも魔法が使える人物を何人かは知ってはいる。

 だから、あのルビィって女が魔法を使えても、驚きはするが不思議じゃない。

 しかし、オレと同じ光属性っていう点は別だ。

 光の魔力は、魔法が栄えていた大昔ですら珍しいとされる属性だった。

 あの女、いったい何者なんだ。

「ねえミカエラ、早く小屋に戻ったほうがいいんじゃない?」

「ああ、わかってる」

 オレとライオネルは、再び朽ちた小屋を目指す。



      ◆



 わたしとクロウは、小屋で待つミリアさんとエマちゃんの元に戻ることにした。

 クロウがわたしにしたことについて、もっと問い詰めたいところだったけど、二人を待たせる訳にもいかなかったし。

「おねえさ~ん」

「うん?」

 小屋に入ろうとしたところで、なにやら聞き覚えのあるプリティボイスが。

 声のした方向を見やると、ドドドと砂埃を上げながらポポちゃんが走ってきている。

 ポポちゃんは、わたしの前で急制動すると、頭をグリグリと押し当ててきた。

「さみしかったよ~、だからきちゃった~」

「あらあら、よーしよし」

 甘えてくるポポちゃんの頭を撫でる。

 うーん、可愛い。やはりポポちゃんはベスト・オブ・癒しだ。

「ルビィ、お前はここにいろ」

「あ、はい」

 ポポちゃんと戯れるわたしを置いて、クロウが小屋に入っていく。

 それから数分後、クロウが一人で小屋から出てきた。

「あれ、ミリアさんとエマちゃんはどうしたんですか?」

「眠らせた」

「ああ、なるほど……って、ええ!?」

「ついでに記憶も少し消させてもらった。具体的には吸血鬼……マーカスについての記憶。それからルビィと俺に、この森で出会った記憶だ」

 なんか、淡々とすごい所業を語っていらっしゃる。

 魔法って、そんなことまで可能なのか。

「どうして、ですか?」

「覚えていられると、面倒事になりそうだからだ」

 ……たしかに、そうなのかもしれない。だけど、なんだか罪悪感がある。

「さて、ちょうどいいところにポポが現れてくれたな」

 クロウがポポちゃんに目を向ける。

「うん? なにかなあ?」

 ポポちゃんはキョトンと頭を傾げた。

 なんとなくだけど、クロウの考えを察する。

「まさかクロウさん……」

「そのまさかだと思うぞ」

 クロウが再び小屋の中に引っ込む。

 そして片腕にミリアさんを担ぎ、反対側にエマちゃんを抱えながら出てきた。

「この二人を、ポポに森の外まで運んでもらう」

 やっぱり予想通りだった。

「ルビィ、お前からポポに頼んでくれ。その方が言うことを聞きそうだ」

「あれえ?」

 ポポちゃんがミリアさんとエマちゃんを見て声を上げた。

「どうかしたの、ポポちゃん?」

「おんなのひとに、こどもだよねえ」

「うん、そうだけど……」

「もしかして、このおんなのひと、みりあってなまえかなあ?」

 ポポちゃんの言葉に、わたしは目を瞬かせた。

「なんで知ってるの?」

「やっぱりそうなんだ~。えっとね、ここにくるとちゅうで――」

 ポポちゃんは、ミリアさんとエマちゃんを捜している男性と遭遇したらしい。

「おいルビィ、何事だ」

 ポポちゃんとのやり取りを見ていたクロウが、そう訊ねてくる。

 事情を説明すると、クロウは難しい顔になった。

「二人の捜索に来た町の人間か……そいつは一人だったのか?」

「ポポちゃん、どうだった?」

「ひとりじゃなかったよ~」

 わたしはポポちゃんの答えをクロウに伝える。

「そうか。ならば、この二人はそいつらに発見してもらうとするか」

「もしかして、二人をここに置いていくんですか?」

「ああ、そのつもりだ」

「それ、大丈夫なんでしょうか……」

 こんな場所に女性と子供を置き去りにするだなんて。

「大丈夫だろう。マーカスはもういない。とはいえ、別の魔物はいるかもしれんがな」

「どこが大丈夫なんですか!」

 声を荒げると、クロウはうるさそうに顔をしかめる。

「落ち着け。一応、魔物除けの魔法を施していく」

「本当にそれで安全なんですか?」

「当たり前だろう。俺様の魔法なんだぞ」

 クロウに懐疑的な視線を向けると、自信満々にそう返される。

「信じます、任せましたよ」

「ふ……任されよう」

 まだちょっと不安だけど、クロウを信用するしかない。



 ミリアさんとエマちゃんを小屋に残して、わたしたちは屋敷に帰ってきた。

 二人にはクロウが魔物除けの魔法を使ってくれたけど、やっぱり心配だ。

 町から来た人が、早く二人を見つけてくれるといいんだけど。

「やれやれ、森を歩き回ったせいで身体が不快だ」

 屋敷に入るなり、クロウがそう漏らす。

「俺は風呂に行く」

 宣言するクロウに、わたしは「いいですね」と返した。

「わたしもお風呂に入ろうかな」

 クロウと同じく森を探索したわけだし。色々と変な汗も出たしね。

「ほう、ならば一緒に入るか」

「え――」

 なんでもないような調子で言うクロウに絶句する。

「な、なななな、なに言ってるんですかっ!」

 入るわけないでしょうに。

「冗談に決まっているだろう。真に受けたのか?」

「う……わかってます! 受けてません!」

 意地の悪そうな笑みを浮かべるクロウから顔を逸らして、わたしは意味もなく屋敷の外に出てしまった。なにやってるんだろう。

「あれ、ルビィおねえさん、どうしたの~?」

「な、なんでもないよ」

 庭先にいたポポちゃんが、わたしの近くに寄ってくる。

 そういえば、気になっていることがあったんだ。

「ねえ、ポポちゃん」

「なにかなあ?」

「森で会った男性って、どんな人だった?」

 特に意味はないんだけど、なんとなく気になっていたんだよね。

「えっとね~」

 ポポちゃんが中空を見つめる。

 男性と会ったときの記憶を辿っているのかな。

「たしか……ぎんぱつで、おっきなけんをせおってたよ~」

「銀髪で、背中に大きな剣……」

 なんだか知っているような。

「もしかしてなんだけど、その人って小さな狼を連れていなかった?」

「うん、そうそう~。らいくんだよ!」

 やっぱり。

「かわいかったな~、らいくん。でも、ぼくがちょっとだけうえかなあ……えへ」

 どっちも可愛いと思います。

 銀髪で、大きな剣を背負っていて、狼のライオネルくんを連れている男性か。

 うん、間違いない。

 リスルムの教会で会った、ミカエラさんだろう。

 町からミリアさんとエマちゃんの捜索に来たのは、ミカエラさんだったんだ。

 ちゃんと二人を発見してくれているといいけど――



      ◆



 オレとライオネルは急いで朽ちた小屋まで引き返した。

「あの吸血鬼と、ルビィって人、もういないね」

「そうだな……ところで、シスターと子供の匂いはどうだ?」

「ちょっと待って」

 ライオネルが鼻を鳴らす。

「こっちだ」

 駆け出したライオネルの後を追う。

 行き着いたのは、廃屋と化した小屋の入口だ。

 再度、ライオネルが鼻を鳴らす。

「……うん、小屋の中にいるみたいだよ」

「よし」

 オレは小屋の扉を開けて、中に足を踏み入れた。

 すると、捜していた二人の姿がすぐ目に飛び込んでくる。

 二人は入口付近の壁にもたれて床に座っていた。

 近づいて、様子を確認する。

 どうやら二人とも眠っているらしい。見たところ、怪我はなさそうだ。

「おい……おい、シスター」

 声をかけて肩を軽く揺すると、シスター・ミリアが小さく呻いて目を開く。

「こ、ここは……?」

 ぼんやりとした様子で、ミリアがそう口にする。

「ここは『魔の森』にある小屋の中だ」

「ミ、ミカエラ様? どうして……」

「神父に頼まれた。自分の状況は把握してるか?」

「は、はい……エマちゃんを連れ戻しに来て……無事に見つけて……それから……」

 ミリアは言葉を止めて、片手で軽く自身の頭に触れる。

「それから、なにがあった? どうして、こんな場所で眠っていた?」

「……すみません、なんだか記憶が曖昧で」

 ミリアが苦しそうな表情を浮かべる。

「いや、オレこそ悪い」

 つい詰問口調になってしまったことを詫びる。

「……確認だが、この子供と合流してからのことを思い出せないのか?」

「はい……そのようです」

「そうか」

 おそらくだが、ミリアと子供は吸血鬼と遭遇している。

 あいつらが戦っていたすぐ近くにいたんだ。その可能性は高い。

 となると、黒髪の吸血鬼になにかされたか。

「ライオネル」

「どうしたの?」

「二人に魔力の匂いが残ったりしてねえか」

 ミリアと子供に近づいて、ライオネルが匂いを確認する。

「……うん、微かに魔力の残り香があるよ」

「やっぱりか」

 魔法で記憶を操作されたのかもしれない。眠っていたのも魔法によるものだろう。

 今ひとつ状況を掴めないが……黒髪の吸血鬼を調べる必要がありそうだ。

 ……あの女についても気になるしな。

「あの……ミカエラ様?」

「すまん、考え事をしていた。シスター、動けそうか?」

「はい、わたくしは大丈夫ですが……」

 答えながら、シスターは子供に目を向ける。こっちはまだ眠ったままだ。

「子供はオレがおぶっていく。町に帰ろう」

 黒髪の吸血鬼について調べるのは、また明日だ。

 シスターと子供を町に送り届けてから森に戻ってくるとなると、日が暮れちまう。

 夜は吸血鬼の力が増す時間だ。

 さっきの戦いを見たところ、黒髪の吸血鬼は手強そうだった。

 日の出てる時間ですらそう感じるんだ。夜に相手するのは面倒そうだ。

 また明日、準備を調えてから出直すとしよう。

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