第三章

 インバーテッド家の屋敷に帰ってきたわたしとシャルさんは、クロウに町で得た情報などを報告した。

 それを踏まえて、今後どうしていくのかを相談するみたい。

 話し合いの場所は、二階のサロンだ。

 集まったのは当然、クロウ、シャルさん、わたしの三人。

 ポポちゃんは「ぼくもう、おねむだよ~」と言って、庭先で眠ってしまった。

 スヤスヤと寝息を立てていて、とんでもなく可愛かった。シャルさんも大興奮だ。

 それはさておき。

「仮説が正しかったと証明されてしまったが……もう少し、この世界が現在どういう状況なのかを調べたいところだな」

 わたしの正面に座るクロウが腕を組みながら言った。

「そうですね。一応、こういう物は手に入れて来ましたが」

 クロウの隣に座っているシャルさんが、テーブルの上に一冊の書物を置いた。

 かなり分厚い。そして高価そうな装丁。表紙には歴史書とある。

「ほう」

 クロウは書物を手に取って、矯めつ眇めつ眺める。

「後で目を通すとしよう」

 書物をテーブルに戻して、クロウはこちらに視線を向けた。

 赤い双眸が、わたしを見据える。

「ルビィ」

「なんでしょう?」

「……この世界がどうなっていようが、俺のやることは決まっている。それだけは明言しておくぞ」

 いきなり、どうしたんだろう。

「俺の目的は、父上を完全な形で復活させることだ」

「それは……」

 クロウの父親。吸血鬼の王。アルバート・インバーテッド――

 そういえば、クロウはなんのためにお父さんを復活させようとしているんだっけ。

 ……あれ、わたし知らないかも。

『サント・ブランシュ』の設定でも、特に触れられていなかったような。

 ただ、かつて人間から恐怖されていた存在という説明だけで……

 復活させて、どうするんだろう。

 世界を支配する? はたまた人間を根絶やしにする、とか?

 なんだか、どれも違うような気がする。

 クロウやシャルさんを見ていると、どうもそんな野望とかなさそう。

 たしかに、わたしが襲われそうになった黒の王は、とても怖かった。

 でもあれは自我がなかったからなんだよね、きっと。

 黒の王を……お父さんを完全な形で復活させて、その先はどうしたいのか。

 ここは、クロウに訊いてみよう。

「クロウ様」

「なんだ?」

「お父様を復活させて、どうするおつもりなんですか?」

 わたしの質問が意外だったのか、クロウは僅かに目を見開いた。

 薄く笑って、足を組んでみせる。

「もちろん――世界征服だ」

「…………ええ?」

「……兄さん」

 クロウの隣で、シャルさんが呆れた様子で首を横に振った。

「というのは冗談だ」

「……そういう冗談は言っちゃ駄目なんですよ」

 あんまり面白くないし。

「叱られますよ」

「誰にだ」

「さ、さあ?」

 言っておいてなんだけど、ちょっとよくわからない。

「ていうか、それはどうでもいいんです。ちゃんと真剣に答えてください」

「お前に教える必要はないだろう」

 突き放すような口調。追求しても聞き出すのは難しそう。

「だが世界や人間をどうこうしたりする気はない……と、言えば安心か?」

「はい、一応は」

 やっぱり、目的は気になるけど。

「なら、お前は今後も俺たちと行動を共にするということでいいんだな」

「え?」

「なんだ、そういうつもりで確認したんじゃないのか」

「はい。ただ単に気になったから、お訊ねしただけですけど」

 そもそもクロウたちと行動しないなんて選択肢、考えもしなかった。

 今更、一人でやっていけるとは思えないし。

「……ふ。やはり変わっているな、お前は」

「そうですか?」

 まったく自覚はないんだけど。

「ああ。ところで話は変わるが、夕食はまだ出てこないのか。いい加減、腹が空いた」

「はい?」

「兄さん、あの……当然ながら使用人はもういないので、夕食は勝手に出てきたりしないのですが……」

 シャルさんが言い辛そうに告げる。

「――ふむ。それは道理だ」

 なんなんだろう、クロウって少し天然なのかな?

「で、夕食はどうするんだ」

「一応、食材とかは町で買ってきましたけど」

 口にしながら、わたしはクロウとシャルさんを見やる。

 勝手なイメージだけど……この二人、料理とかできなさそう。

 特にクロウ。さっきの「夕食はまだ出てこないのか」発言もそうだけど、部屋の散らかりっぷりも凄まじいし、家事とは無縁なんじゃないだろうか。

 シャルさんはどうだろ。できそうというか、やりそうな雰囲気はあるけど。

「あのー、ひとつ確認していいですか」

 わたしは小さく手をあげる。

「なんだ」

「なんでしょう」

 吸血鬼兄弟が声を揃えた。

「クロウ様にシャルさん、お二人は料理とかできたりしますか」

 わたしの問いに、二人は顔を見合わせる。一瞬後、こちらへ視線を戻した。

「できない」

「できません」

 またもや声を揃える。仲良し兄弟かな?

「やっぱりできませんか……」

 うん、そんな気はしてた。

 でもね、一応は確認しておきたかったのです。

「じゃあ、わたしが夕食を用意してもいいですか?」

「なんだルビィ、料理ができるのか」

「はい、まあ」

 前世じゃ、よく自炊していたし。

「お口に合うものが出せるかどうか、保証はしませんけど」

「……よし、いいだろう。お前に任せる」

「ルビィさん、お願いできますか」

「わかりました。それじゃあ厨房お借りしますね」

 カウチから立ち上がる。

 厨房の場所は把握しているから大丈夫だ。帰ってきてから、食材を運んだし。

 頭の中でなにを作ろうかと考える。

 あ。クロウとシャルさんにも、リクエストがないか訊いてみよう。

「なにか食べたいものとかないですか?」

「いや、任せる」

「私も同じです」

 要するになんでもいいと。一番困るやつ。

「それじゃあ、苦手なものとかってあります?」

「特にないな。大蒜も平気だぞ」

 うん、吸血鬼ジョークかな?

「私もないですね」

「わかりました。それじゃ待っていてください」

 言い置いて、わたしはサロンから厨房に移動した。



 さて、結果から言うと料理は大成功したと思う。

 ――だけど、ちょっと大変だった。

 厨房に来て最初にしたのは、調理器具の点検。これはすぐに済んだ。

 次は準備だけど、ここからが手間取った。

 この厨房には、水道もコンロも存在しないからだ。

 あるのは大きな暖炉と、かまど。薪で火を起こさないといけないやつ。

 薪は厨房に使えるものが残っていたから、それを使った。

 火を起こすのに、少し苦労した。火の魔法とか使えたら楽だったのかな。

 次は水だ。屋敷の裏庭に井戸があるとシャルさんに教えてもらったので、そこから汲んできた。涸れてないか不安だったけど。

 準備には少し手間取ったけど、料理自体はスムーズに進んだ。

 前世で慣れているし、そこまで難しいものは作ってないからだと思うけど。

 火にかけた鍋の中でグツグツと煮込まれている「それ」の様子を確かめる。

「もういいかな」

 鍋の中身をお玉で少量だけ掬って、小皿に注ぐ。

 それを口に含んで、味を確認する。

「うん、我ながら美味しい。あとは……パンとチーズもいるよね」

 うーん、お酒もあった方がいいのかな。

 わたしは苦手だから飲めないけど。

 でも厨房には、お酒の類いは見当たらないんだよね。

 料理用とかに置いてありそうなものだけど。

 シャルさんかクロウに確認してみよう。

 人数分の盛り付けをして、運搬用のワゴンに乗せる。

 ワゴンを押して、わたしはダイニングルームに移動した。

 広いダイニングルームの大きなテーブルに、食事の用意を調えていく。

「よし、完璧」

 準備は万端、後は二人を呼んでくるだけだ。

 あ、お酒についても確認しなきゃだっけ。

 とりあえずサロンに行ってみよう。

 二人がまだそこに居てくれたらいいんだけど。



 サロンに行ってみると、シャルさんしか居なかった。

「おやルビィさん、どうしました」

「食事の用意ができたので呼びに来たんですけど……クロウ様は?」

「兄さんは部屋に戻ってしまいました。先ほどの歴史書に目を通しているのでしょう」

「ああ、なるほど。じゃあ呼んでくるので、シャルさんはダイニングで待っていてもらえますか?」

「わかりました」

 あ、そうだ。その前に確認しなきゃだった。

「シャルさん、お酒ってあったりしますか?」

「お酒ですか」

「はい、夕食にあった方がいいかなと思って」

「たしかに、あれば嬉しいですね。では、探して持っていきましょう」

「お願いします」

 お酒はシャルさんに任せて、わたしはクロウの自室へ向かう。

 扉の前に立ってノックをすると、すぐに声が返ってきた。

「入れ」

「失礼します」

 扉を開けて、中に入る。

 ……うーん、やっぱり散らかってるなぁ。

「なにか用か?」

 机で歴史書に目を落としながら、クロウは問いかけてきた。

「クロウ様、食事の準備ができました」

「わかった」

 本を閉じて、椅子から立ち上がる。

 近くまで来たクロウが、ふと足を止めた。

 わたしの顔をジッと見つめてくる。

 な、なに? もしかして、また血を吸いたいとか言い出さないよね。

「ルビィ」

 低い声で、クロウはわたしの名前を口にする。

「は、はい」

「お前、さっきシャルを『シャルさん』と呼んでいたな?」

「え?」

 いきなり、なんの話だろう。

 たしかに町での調査以降、シャルさんって呼んでるけど。

 もしかして、怒ってるのかな。ちょっと不機嫌な感じだし。

 弟を馴れ馴れしく呼ぶな、とか。

「えっと……ごめんなさい」

「なぜ謝る?」

「いや、そう呼んじゃいけないのかなと」

「別に構わん。シャルは了承しているのだろう」

 はい、とわたしは頷く。

 うーん、クロウがなにを言いたいのかわからない。

 問題ないなら、なんでわざわざ指摘してきたんだろう。

「構わんが……気に食わない」

「え、やっぱり駄目なんですか?」

 どっちだよ、と突っ込みたくなる。

「いいや。気に食わんのは、俺様に対する呼び方だ」

「クロウ様の呼び方、ですか?」

 なんだろう。もっと敬った呼び方をしろっていうのかな。

 様付け以外になんかある?

「そうだ。なぜ俺だけ『クロウ様』なんだ? まあ、俺様を敬いたくなる気持ちはよくわかる。滲み出てしまっているものな、威厳と気品が」

「えーと……」

 つまり、どういうことなの?

「……もしかして、なんですけど。自分もシャルさんみたいに呼べと仰ってますか?」

 そう訊ねると、なぜかクロウは真顔になった。

「言ってない」

 なんだそれ!

 と、声を張り上げたいけど胸の内に留めておく。

「……だがまあ、お前がどうしてもと懇願するなら、特別に許可してやらんでもない」

「え?」

「だから、俺もシャルのように呼ぶという話だ」

 それはわかってる。だけど……

「懇願まではしないです」

 別に「クロウ様」と呼ぶのに抵抗もないし。

 わたしが答えると、クロウは信じられないというような目をした。

「この俺が許可すると言っているのに……?」

 そこまで声を戦慄かせるような事態なのか。

「えっとですね。シャルさんの場合は調査上、必要性があって仕方なくそう呼ぶようにしただけで……」

「そんなことはどうだっていい」

 ぴしゃりと言葉を遮られる。

「俺だけ『違う』というのが気に入らんのだ」

 もしかして意外と子供っぽい?

「……ならば、これは命令だ。ルビィ、俺様もシャルのように親しみを込めて呼べ」

 別にわたしはクロウの家来でもなんでもないので、命令に従う謂れはないのだけど……

 ま、いいか。これ以上、話が長引くと料理が冷めてしまう。

「わかりました。それでは……クロちゃんでいいですか」

「いいわけないだろう、アホか」

 なんで?

「親しみを込めろと仰ったじゃないですか」

「だからといって『クロちゃん』はないだろ」

「じゃあ、クーちゃんでいいですか」

「よくない。無意味に縮めるな」

 文句が多いなぁ。

「では、クロウちゃん……」

「ちゃん付けもよせ」

「わかりましたよ。だったら、クロウさんでいいですかいいですね」

 無難だけど、これ以外にないでしょ。

「おい、投げやりになってないか……だが、まあいいだろう」

「ではクロウさん、早くダイニングに行きましょう。せっかくの夕食が冷めてしまいますから」

 ようやく納得してくれたクロウと連れ立って、ダイニングルームに戻った。


 ダイニングでクロウ、シャルさん、わたしはそれぞれ席についた。

 細長いテーブルの一番奥……日本的に言うなら上座にクロウ。

 彼から見て右にシャルさんで、左にわたしといった形だ。

 座る前に、全員分のセッティングは完了してる。

 鍋からお皿に料理を盛り付けたし、クロウとシャルさんのグラスにお酒も注いだ。食器も揃ってる。

 準備万端、あとは食べるだけ。

 ……はぁ、お腹空いた。

 胸中で呟きながら、わたしはお皿から湯気を立てている料理に目を落とした。

 今夜の献立は、ざく切りにした野菜とお肉を鍋でじっくりと煮込んだポトフだ。

 野菜はニンジン、じゃがいも、タマネギ、キャベツで、お肉は牛肉。味付けはハーブと塩胡椒で、あっさりめに仕上げた。

 ポトフはフランスの家庭料理らしいけど……野菜とお肉を煮込んだシンプルな物だから、この世界にも存在はしていそう。名前まで同じかは知らないけど。

 お供は硬めのパンと、カットしたチーズ。

 それにシャルさんが持ってきてくれた白ワインだ。ちょうどポトフに合いそうなお酒でよかった。

「肉と野菜の煮込みですか。いい香りがしますね」

 シャルさんがそう口にする。

「おいシャル、まずは乾杯だ」

 クロウに言われて、シャルさんは自分のグラスを持ち上げた。

「ところでルビィ、お前は飲まないのか」

「すいませんクロウさん、わたし……お酒は苦手で」

 そもそも、この世界って何歳からお酒を飲んでオーケーなんだろう。

『ルベーリア』の記憶から情報を引き出してみる。

 ……十六歳から、お酒を飲んでもいいみたいだ。ちょっと早過ぎない?

 えぇと、『ルベーリア』は十七歳歳だから年齢的には飲んでも問題ない。

 あ、でも二〇〇年経ってるから法律も変わってるかもしれないのか。

 まあ、今そこは気にしないでいいとして。

 ふと思ったけど、お酒が苦手なのって『前世のわたし』なんだよね。

 ちょっとでも飲むとすぐ酔っ払って、眠くなってしまう……といった有様だった。

 たぶん、そういう体質をしていたんだと思う。

 でも今、わたしはルベーリア・オズボーンとして生まれ変わっている。

 もしかしたら体質も変化してるかもしれない。

 つまり、お酒だって飲めちゃう可能性があるわけだ。

「苦手ということは、飲めないわけではないんだろう?」

「兄さん、無理強いはよくありませんよ」

「なんだシャル、随分と優しいな?」

「別段、普通だと思いますが」

 ……ん?

 なんだろ。クロウとシャルさんの雰囲気が、おかしい気がする。

 どことなくだけど、ピリッとしている感じ。

 お互い笑顔を向け合ってるけど、目が笑っていないような。

 どうしたんだろう。なにかあったのだろうか。

「あ、あの!」

 なんとなく居たたまれなくなって、わたしは声を上げた。

 二人が同時にこちらへ目を向ける。

「わたし、飲んでみます」

 もし平気になっているなら、それは喜ばしい変化だ。

 お酒っていう楽しみが一つ増えるんだから。

「よし、では特別に俺様が注いでやろう」

 わたしは手近にあった空のグラスを持った。

 そこへクロウが、ボトルからワインを注いでくれる。

「ありがとうございます」

「ルビィさん、やめておいた方がいいのでは……」

 不安げなシャルさんに、わたしはゆるく首を振った。

「いえ、飲んでみたいんです」

「……わかりました」

 シャルさんも納得してくれたみたいだ。

「よし、では乾杯だ」

「乾杯」

「乾杯です」

 グラスを掲げるクロウに、シャルさんとわたしも続く。

 クロウとシャルさんがワインをあおる。

 よし、わたしも続こう。

「ふう……いただきます!」

 グラスに口を付けて、ワインを少し飲んでみる。

 ……うん。フルーティで甘みがあって、まろやかな味だ。アルコール度数がそこまで高くないのか、飲みやすいように感じる。

「どうだ」

「美味しいです」

 わたしはクロウに率直な感想を返す。

 今のところ、気分が悪くなるとか強烈な眠気がやってくる気配はない。

 どうやら生まれ変わったわたしは、アルコールが平気みたいだ。

 そこまで強くないお酒だからというのもあるだろうけど。

 なんにせよ、いい発見ができた。

「ささ、冷めないうちに料理をどうぞ」

 クロウとシャルさんに食事を勧める。

「ルビィ、食べる前に一つ言っておく」

「なんでしょうか」

 温かいうちに早く食べて欲しいんですけど。

「正直なところ、俺は味にうるさいぞ」

「え、はぁ……」

 つまり、わたしの料理が口に合わなかったらブチ切れたりしちゃうのかな。

 ちょっと怖いけど、大丈夫。料理の腕には自信がある。根拠はないけど。

「覚悟はいいか」

 なんの? と思いつつ、わたしは頷く。

 クロウがスプーンを手にした。

 ポトフのお皿から、スープを掬って一口。

「…………」

 クロウは無言のまま、次はお肉と野菜も口に運んだ。

 咀嚼して、飲み込んだ様子が伝わってくる。

「…………」

 クロウはそのまま、どんどん食を進めていく。

 ちょっとちょっと、感想は?

「私も頂きます」

 様子を見ていたシャルさんもスプーンを持ってポトフを食べ始めた。

「これは……とても美味しいですよ、ルビィさん」

「あ、ありがとうございます」

 褒められると、素直に嬉しい。

「クロウさんはどうなんですか?」

 無言でポトフを食べ続けるクロウに、たまらず訊いてみる。

「……まあまあだな」

 などと仰る割に、クロウのお皿はすでにからっぽだった。

「おかわり、いかがですか」

「……もらおう」

 クロウのお皿に、鍋からポトフをよそう。

「どうぞ」

「ああ」

「ところで、美味しいですか」

 二杯目のポトフを食べにかかるクロウに、わたしは改めて感想を求めた。

「…………悔しいが、うまい」

「よしっ」

 思わずガッツポーズをしてしまう。

 おっと、はしたないですわ。なんて今更な気もするけど。

 さてさて、わたしも食べようっと。

 ようやく自分の分を食べ始める。

 うん、やっぱり我ながら美味しい。パンとチーズも最高だ。

「ところでルビィ」

 パンを頬張っていると、不意にクロウが声をかけてきた。

 口内のパンを飲み込んでから、わたしは「はい?」と返す。

「お前、今後も俺たちと行動を共にするんだったな?」

「えっと……はい、そのつもりです」

 行くあてもない。

 外の世界には魔物とかいるみたいだし、一人で放り出されたら困る。

「つまりは、この屋敷に住まうんだな?」

「そうですね……住まわせてもらえるなら助かります」

「よし、ならば条件がある」

 一瞬、ニヤリとクロウが口角を上げた。

 なんだろ、なんか言質を取られたような気がする。

「条件……ですか?」

 あれかな。血を寄越せとか。

 うーん、頻繁に吸われるのはちょっと辛いかも。

 身体的にじゃなくて、精神的によろしくない。

 なんというかアレ、すっごく恥ずかしいのだ。

「ルビィ、お前――メイドになれ」

「――え?」

 いきなりなにを言い出してるんだ、このお方は。

「メイドって……あのメイドですか?」

 お帰りなさいませ、ご主人様的な。

「なるほど……いい考えですね、兄さん」

 おお、シャルさんも乗っかってきた。

 さっきまでクロウと妙な空気だったのに。

 そもそもなんだけど……

「なんで、わたしがメイドに?」

「自慢じゃないが、完璧な俺様も家事だけはできん」

 それはもはや完璧とは言わないのでは。

 まあ、たしかに自室も酷い有様だもんね。

「そして、シャルも似たようなものだ」

「恥ずかしながら……」

 で、現在この屋敷には家事をしてくれるメイドがいないと。

 だから、わたしに白羽の矢を立てたわけだ。

「お二人とも家事ができないということは、もちろん屋敷には使用人がいたんですよね?」

 シャルさんも、「使用人はもういない」みたいなことを話していたような。

「ああ、執事やメイドがいた」

 うーん、あんまりちゃんと覚えていないけど、あの日――

 わたしが前世の記憶を取り戻した日、屋敷には使用人らしき姿はなかった気がする。

「あの、儀式の日なんですけど……執事もメイドも見当たらなかったような」

「当然だ。あの日は使用人を全員、屋敷の外に出させたからな」

「なるほど……」

「それで、どうなんだ?」

 クロウが、わたしに返答を促す。

 メイドになれという条件を出すってつまり、あれだよね。

 料理の腕前を認めてくれたんだよね、たぶん。

 それはちょっと、悪い気はしない。

 ううん。正直、かなり嬉しい。

 それによく考えると、無条件で屋敷に置いてもらうのは気が引ける。

 だからってメイドになる必要があるのかは、ちょっと謎だけど。

 だって家事なら、わざわざ『メイド』という立場にならなくてもできるわけだし。

 でもまあ、こういうのは形が大事なのかもしれない。

 うん、決めた。

「なります」

 わたしは、吸血鬼兄弟のメイドになったのだった。



      ◆



 町を出たオレとライオネルは、魔法使いの塔跡地にやってきた。

 すっかり日は暮れちまって、辺りを照らすのは月明かりだけだ。

 オレもライオネルも夜目がきくので特に問題はない。

「あれが魔法使いの塔跡地?」

「そうだ」

 少し先の草原に、朽ち果てた塔が立っている。

 それほど高くはない。

 かつては空高くそびえていたのかも知れないが、現在は三階の辺りから上が存在していない。塔の周囲に散乱する瓦礫が、その名残なんだろう。

 ……聖女と悪しき魔法使いが戦った痕跡か。

 そこにどんな背景があったのか、オレはよく知らないが。

 本になったりしているみたいだし、ガキの頃に聞かされたような気もするが、まったく覚えてない。それに、正直どうでもいい。

「ミカエラ。あそこ、なにかいる」

「おう、わかってる」

 まだ少し距離があるのに、嫌な気配がありありと伝わってきやがる。

 ……噂の亡霊ってやつか。

「行くぞ、ライオネル」

「退治するの?」

「ああ」

「依頼でもないのに?」

 たしかに、そうだが。

「タダ働きかもしれないよ?」

「後から神父に報告すれば、なにかしらもらえるだろ」

 それなりの信頼関係はある……と思う。

「やっぱりミカエラが感じたのって、この塔からの気配なのかな」

「どうだろうな」

 オレが感じた物とは、また違う気もするが。

「どっちにしろ、やることは同じだ」

「はいはい、お仕事だね」

 移動して、入口から塔の内部に進む。

 朽ちた塔に足を踏み入れた瞬間。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……」

 地の底から響くような声がした。

「出やがったな」

 オレの眼前に、ぼろ切れを纏った人間のような姿をしたやつが現れる。

 頭部はフードに覆われていて、顔は判然としない。

 宙に浮かぶこいつは、もちろん人間じゃない。もっとも、昔はそうだったのかもしれないが……今じゃ哀れな亡霊だ。

「もしかして、悪しき魔法使いの亡霊とか?」

「いや、そこまで強力な存在じゃねえだろ」

 どんな謂れのある霊かは知ったことじゃないが――

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 どうも、やり合う気は満々らしい。上等だ。

 オレは背中の剣を抜く。

「来い、きっちりあの世に送ってやるよ」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 亡霊が飛びかかってくる。

 オレは剣を構え、石床を蹴った。



      ◆



 夕食と、その後片づけを終えたあと。

 わたしはサロンで休憩するクロウに質問をぶつけた。

「メイド服ってありますか」

「……なんだと?」

 やはりメイドをやるなら、着なくてはいけないでしょう。

 形から入るのって、わりと大切だと思う。

「名称から察するに、メイドの仕事着か?」

 あ、もしかしてメイド服とは呼ばないのか。

「そうです。仕事着があれば、頂けないかなと」

「おそらくメイドたちが使っていた部屋があるフロアの物置にあるだろう。自分に合う物を選んで、好きに持って行くといい……部屋まで案内が必要か?」

「いえ、場所さえ教えくだされば」

「わかった、場所は――」


 クロウに教わって、わたしはメイドが生活していたという部屋がある場所まで来た。

 大半の使用人は、屋敷に住み込みで働いていたらしい。

 ちゃんと一人につき一部屋が与えられていたみたいだ。

「さてと、物置ってどこだろ」

 廊下には結構な数の部屋が並んでいる。

 とりあえず、片っ端から確認していくしかないかな。

 ――何部屋か扉を開こうとしたけど、鍵がかかっていて無理だった。

「あ、ここは開くみたい」

 ようやく施錠されていない扉に行き当たる。

 扉を開いて、中を覗いてみた。

「お、たぶん当たりかな」

 部屋の中は棚が並んでいて、床には色々な物が整然と置かれてある。

 よく整頓された物置だった。

 こういう光景を見ると、心が落ち着く。

 誰かさんの散らかった部屋を思い出しつつ、一人で「うんうん」と首を上下させた。

 よし、メイド服を探そう。

「お邪魔しまーす」

 なんとなく口に出してから、部屋に入った。

 メイド服がありそうなのは……やっぱりクローゼットだよね。

 部屋の一番奥にあるクローゼットの前まで進む。

「よいしょ」

 クローゼットの戸を開いて、中を確認する。

「おお……」

 思った通り、メイド服がずらりと掛けられていた。

「サイズ合うのがあればいいけど」

 さすがに、これだけあれば大丈夫かな。

「……これがよさそう」

 着られそうなメイド服を見つけたので、クローゼットから引っ張り出す。

 フリルがふんだんにあしらわれたエプロンドレスだ。これまたフリルがついた白いカチューシャもセットになってる。

「か、可愛い……」

 はたしてこの可愛らしい衣服が自分に似合うのだろうか。

 ……ちょっと心配になる。

 でも単純に着てみたいという好奇心もたしかにあった。

 実は前世でも興味があったんだよね。結局、着る機会はなかったけど。

「……よし」

 覚悟を決めて、着替えを開始した。  


 着替えを完了したわたしは、近くにあった姿見の前に立つ。

「お、おお……」

 鏡に映っているのは、メイド服姿のルベーリア・オズボーンだった。

 そういえば、前世の記憶を取り戻してから自分の姿を改めて見るのは初めてかも。

 うーん、やっぱり外見はいいよね『ルベーリア』って。

 長くて綺麗な赤い髪、きめ細かな白い肌。長い睫毛に縁取られた切れ長の目。

 ゲームをプレイしていた頃から、見た目は好みだったんだよなー。

 今は自分がその『ルベーリア』なんだけど……なんだか不思議な感覚だ。

 鏡の中、メイド姿の自分をまじまじと見つめる。

「結構、似合ってるんじゃないかな」

 さすが『ルベーリア』の姿だけあって、なにを着ても絵になる。サイズもぴったり。

「お帰りなさいませ、ご主人様~」

 とか、笑顔で言ってみたり。

「……これはないな」

 中身がわたしのせいだろう。ぎこちなさが半端じゃない。

「でも、うん。全体的には悪くないかも」

 両手を頬に添えながら、そう呟いた。

「お前、意外と自惚れ屋なんだな」

「うひゃあ!?」

 背後でした声に、わたしは飛び上がらんばかりに驚いた。

 ていうか実際に飛び上がった。

 胸元を押さえながら、後ろを振り向く。

 そこにいたのは、面白い物でも見るかのような目をしたクロウだった。

「な、なにしてるんですか」

「様子を見に来てやった。ちゃんと服を見つけられたかと思ってな」

 つまり心配してくれた? ……でもちょっと待って。

「着替えてる最中だったらどうするんですか、ノックぐらいしてください」

「俺は別に構わん」

「いや、わたしが構うんですよ」

 心底から理解できないといった感じに、クロウは眉を寄せる。

 駄目だこりゃ。

「とにかく今度からは気をつけて欲しいです」

「やれやれ、我がままなメイドだ」

 クロウは、額に手を当てる。いちいちポーズを取りたがる人だな。

「ところで」

 口にしながら、クロウが目の前まで近づいてくる。

 そしてわたしの顎に手をかけ、自分の顔を寄せてきた。

 なになになに、恥ずかしいんですけど。どうして自然にこんな動作ができるんですか。

 心臓が高鳴るのを自覚する。

 クロウって性格はちょっとアレな部分があるけど、顔はとてもいい。

 そんな美形なご尊顔で間近に迫られると、やはり鼓動が早くなってしまう。

「あの……顔が近いです」

「熱心に鏡を見ていたようだが、その格好が気に入ったのか?」

「へ? いやあ……どうなんでしょう」

 悪くないとは思ったけども。

「ふ……まんざらでもない様子に見えたがな」

 クロウが薄く笑う。

「……どこから見てたんです?」

「ふむ、『お帰りなさいませ、ご主人様』の辺りからだな」

「忘れてください今すぐに!」

 うおあああああ! 穴があったら入りたいとはこのことだよ!

「くくっ、悪くないメイドっぷりだったぞ」

 意地の悪い口調だった。

 ぐぬぬ……恥ずかしくて顔が熱い。

 わたしはクロウの手を払いのけ、そっぽを向いた。

「さっきも言ったが、意外と自惚れ屋なんだな」

「貴方に言われたくありません」

「たしかに、俺様は自分が完璧すぎて怖い」

 クロウは顎に指を当て、物憂げな表情を浮かべる。またポーズ取ってる。

「そ、それはすごいですね……」

 そこまで断言されると、なんかもう清々しいな。

「…………」

 クロウが無言でわたしをジッと見つめてくる。

「なんですか、まだイジり足りませんか」

「……いや、あれだ。自惚れるだけあって、そう悪くないぞ」

「ん?」

 もしかして、褒めてくれたのだろうか。

「クロウさん、今のって……」

「さっそくだがルビィ、メイドとしての初仕事を命じる」

 わたしの言葉を遮るように、クロウは告げてきた。

「初仕事ですか!」

 いったい、なにを任されるのだろう。

「庭先でヒポグリフが騒いでいるから、なんとかしてやれ」

「……ええ?」

 ポポちゃんが庭先で?

 どうしたんだろう。寝ていたはずだけど、起きちゃったのかな。

 状況はわからないけど、とにかく庭先に向かおう。

「それでは、行きます」

 クロウに言って、わたしは部屋を出ようとする。

「おい、『かしこまりました、ご主人様』はないのか?」

「ありません!」

 しょうもないことで呼び止めないで欲しかった。



 わたしは使用人の物置から庭先に移動した。

 たしかにポポちゃんが目を覚ましている。

 両翼を広げて、鳴き声を発していた。

「おねえさ~ん! ルビィおねえさ~ん!」

 どうも、わたしを呼んでいるみたいだ。

「ポポちゃん、どうしたの?」

「あ、おねえさん~!」

 こちらの姿を捉えたポポちゃんが、眼前に猛ダッシュしてくる。

「ぼくね、たいへんなことにきがついて、めがさめちゃったんだよ!」

「あらら、大変なことって?」

「うん、それはね……」

 ポポちゃんがグッと顔を寄せてくる。

「ぼく……おなかがすいたんだよ」

 なぜか内緒話をするような口調で言われてしまった。

 うーん、ポポちゃんのぶんも夕飯を用意するべきだった。

 屋敷に帰って来るなり眠っちゃったから、てっきりお腹は空いてないんだとばかり。

「ごめんね、気がつかなくて」

「おねえさんは、わるくないよ~」

 ポポちゃんの優しみ。

「じゃあ、なにか食べる物を持ってくるね」

「わーいわーい」

「なにか食べたい物ってあるかな。昼間の干し肉とか?」

「うーん……おねえさんは、ばんごはんたべたの?」

「えっとね」

 料理を作って食べたと説明する。

「ぼく、それがたべたいよ~!」

「それって……」

「おねえさんのてりょうりだよ~!」

 ポポちゃんはなぜか涙目で懇願してくる。

 明日の朝食用にと思って、ポトフはまだ残してあるけど。

「人間の食事だけど……平気?」

「まったくもんだいないよ~。ぼく、わりとなんでもたべるから。とりにくは、ちょっとあれだけど……」

 どれだろう。まあ、ポトフに使ったのは牛肉だから大丈夫か。

「それじゃ、持ってくるね」

「うんっ」

 わたしは急ぎ足で厨房へ向かった。


 厨房でポトフを温めて、庭先に戻ってくる。

 ポポちゃんがどれくらい食べるかわからないので、鍋ごとワゴンに乗せて持ってきた。

「お待たせ」

「いいにおいがするよ~」

 ポポちゃんがワゴンの上に乗った鍋へと吸い寄せられるように近づく。

「今、お皿によそるからね」

 そう言って、わたしは鍋のフタを持ち上げる。

「わ~いただきま~す」

「えっ、ちょ……」

 止める間もなくポポちゃんは鍋に嘴を突っ込んだ。

 そのままムシャムシャと中身を食べ始める。

 ワ、ワイルド〜。

「おいしい〜、ルビィおねえさんは、おりょうりじょうずだね!」

「あ、ありがとう」

 結局、ポポちゃんはポトフを綺麗に平らげてしまった。



      ◆



 ルビィに騒いでいるヒポグリフ……たしかポポとかいう名前を付けたんだったな……をどうにかするように言いつけた後、俺はサロンにやってきた。

 少し飲み足りなかったから、一人で酒でも飲もうと思ったのだ。

 ところが、そこには先客がいた。

「おや、兄さん」

 シャルだ。

 カウチに座るシャルの手にはワイングラス。

 どうやらこいつも飲み足りなかったらしい。

 俺は無言でシャルの対面に腰を下ろす。

 持ってきたグラスをテーブルに置くと、シャルが「どうぞ」とボトルからワインを注いだ。

 血のように赤いワインがグラスを満たす。

「ああ」

 俺は短く返して、グラスに口をつけた。

「兄さん……」

 こちらを窺うように、シャルが口を開く。

「どうした?」

「ルビィさんのこと……すみませんでした」

「……なんの話だ?」

 いや、本当はわかっている。

 シャルが謝罪しているのは、自分があの女の血を吸ってしまったからだろう。

 吸血鬼……特に俺たちのような純血種以上の吸血鬼の家族には、暗黙の了解めいたものが存在する。

 それは、『お互い同じ相手から吸血しない』というものだ。

 なぜそんな習慣があるのかは知らない。とにかく何百年も前から存在しているのだ。

 正直、俺はそこまで気にしたことはなかった。

 シャルが俺と同じ人間から血を吸っても、特になんの感慨も抱かないだろうと思っていた。

「私がルビィさんから吸血したこと……兄さん、怒っている様子でしたから」

「怒ってなどいない」

「ですが夕食のとき……」

 ルビィにワインを勧める俺をやんわりと止めようとしたシャルに、おかしな態度を取ってしまったのは認める。

 そうだ、おかしい。俺はどうしたんだ。

 呼び名の件といい、まるで……いいや、そんな馬鹿な。

 かぶりを振って、馬鹿げた考えを振り払う。

「兄さん?」

「ん、ああ……どうした」

「いや、兄さんこそどうかしたんですか?」

 シャルが心配するような眼差しを向けてくる。

「なんでもない。それからルビィの件は気にするな。あいつの血を吸わなければ、お前の身が危なかったのだろう」

 シャルがルビィから吸血したのは、不可抗力のようなものだ。

 二人が行った町には、他にも人間はいくらでもいただろう。

 だが、シャルは町の人間からは血を吸わなかった。

 ルビィの目を気にして?

 ……違う。

 町の人間から怪しまれないために?

 ……それも否だ。

 シャルが町の人間から吸血しなかったのは、そうしたところで無意味だからだ。

 歴史書に軽く目を通して判明したのだが、この時代を生きる人間は魔力を持っていないらしい。

 俺たちが生きた時代から二〇〇年が過ぎたこの世界は、魔法というものが衰退してしまったようなのだ。

 そうなった経緯はまだ不明だが、とにかく魔法は伝説上の存在になってしまった。

 俺たち吸血鬼が人間から血を吸うのは、そこに宿る魔力を摂取するための行為だ。

 だから魔力を有していない人間から吸血しても、意味がない。

 吸血鬼は魔力の気配に敏感だ。

 シャルも、町の人間を目にして気がついただろう。

 この人間たちは、魔力を持っていないと。

 だから限界まで耐える羽目になってしまった。

 そして、ルビィの血を吸うしかなかったのだ。

 魔法が衰退してしまった世界……

 ルビィは俺たち吸血鬼にとって、重要な存在となってしまったわけだ。

 父上の復活について研究するより先に、俺たちが生きていくための術(すべ)を見つけ出さなければならないだろう……

「クロウさん、ちょっといいですか」

 不意に降ってきた声に、思考が中断される。

 顔を上げると、そこにはメイド姿のルビィが立っていた。



      ◆



 ポポちゃんがポトフを平らげた後。

 厨房で鍋を洗ってから、ちょっと一休みしようとしたわたしは、ふと気がついた。

「わたしってどこで寝ればいいんだろう?」

 この屋敷に置いてもらえることにはなったけど、そういう話はまだしていなかったよね。

「よし、さっそく相談しよう」

 もう夜だし、早く決めてもらわなきゃ。

 クロウはどこにいるだろう。

 やっぱり自分の部屋かな?

 そう思ってクロウの部屋に向かう途中、サロンから話し声が聞こえてきた。

 見ると、シャルさんとクロウが向かい合って座っている。

 テーブルにはワインボトルとグラス。二人で飲み交わしているみたい。

 わたしは近くまで歩み寄って、声をかけた。

「クロウさん、ちょっといいですか」

 なんだか物思いに耽っていた様子のクロウが顔を上げる。

「ルビィか、どうした」

「ちょっとご相談したいんですが」

 言ってみろ、とクロウは話を促してくる。

「ルビィさん、どうぞ座ってください」

「あ、すみません」

 勧められるがまま、わたしはシャルさんの隣に腰を下ろそうとした。

「おい、待て」

 クロウがストップをかけてくる。

「え、なんですか?」

「お前は俺に相談があるんじゃないのか」

「はい、そうですよ」

 部屋についての相談なら、シャルさんでもいいかなと思うけど。

「なら、どうしてシャルの隣に座ろうとする」

「どうしてと言われても……」

 勧められたからで……別段、断る理由もないからだ。

 わたしは中腰のまま、困惑するしかない。

「兄さん、どこに座ったっていいじゃないですか」

「ならば俺の隣でもいいだろう」

 クロウの言葉に、シャルさんは苦笑する。

「すみませんルビィさん、兄さんは昔から自分の思い通りにならないと気が済まなくて」

「なんだシャル、お前が俺様に突っかかってくるなんて珍しいな?」

「ははは、突っかかるだなんて別にそういうつもりでは」

 なんか、また二人の空気がおかしいような。

 というか、わたしはいつまで中腰でいるんだろう。

 いい加減に辛くなってきたので姿勢を正す。

「あの、なんでしたら、わたしは立ったままでも大丈夫です。ほら、メイドですし」

 一緒に座るのも変だよね。

 それにこのままじゃ、いつまで経っても相談できなさそうだし。

「そこまでへりくだる必要はない」

「ええ、その通りです」

 なぜか二人は、そこで息ぴったり。

「……じゃあ、間を取って真ん中に失礼しまーす」

 近くにあった椅子を持ってきて、クロウとシャルさんの間に陣取る。

「で、相談なんですけど」

 呆気に取られた様子の二人に構わず、話を切り出した。

「わたしはこれから、どこで生活したらいいんでしょう」

「この屋敷に住まうんじゃなかったのか」

 うん、それはそうなんですけどね。

「どの部屋を使えばいいのかなーと思いまして」

「客間を使えばいい」

 クロウが短くそう答える。

「いいんですか?」

「駄目だと言われると思っていたのか?」

「いえ、てっきり使用人の部屋をあてがわれるのかなと」

 メイドになったわけだし。

「使用人の部屋はすべて埋まっているはずだからな。要するに、前の持ち主が使っていたままになっているわけだ。お前が構わないというのなら、そこでもいいぞ」

「客間を使わせて頂きまーす」

 さすがに、他人が使っていた部屋をそのままっていうのは気が引ける。

 今から片づけるなんて、どう考えても大変すぎるし。


 サロンを後にして、わたしは客間にやってきた。

 客間だけでも結構な数があったけど、せっかくなので少し広い部屋を使わせてもらうことにした。

「おお」

 まず目に入ったのは天蓋付きの豪華なベッドだ。

 それ意外の家具もなんだか高そうだし、大事なお客様用の部屋なのかも。

 なんと、部屋にはバスルームもある。これはかなりありがたい。

 でも、ふと疑問が浮かんできた。

 ここは、いわゆるファンタジー世界。果たして、お風呂はどんな造りなんだろう。

 たしか『サント・ブランシュ』でも、主人公が入浴するシーンはあったような気がするけど……細かな描写はされていなかった。

『ルベーリア』の記憶を辿れば……いや、それより実際に見たほうが早いか。

 そんなわけで、わたしは支度をしてバスルームに入る。

「普通にお風呂だ……」

 白を基調とした、明るい雰囲気のバスルームだった。

 こじんまりとしてるけどバスタブがあって、シャワーまである。

 しかもバスタブは可愛い猫足だ。

「……どういう仕組みなんだろう?」

 厨房みたいに薪で火を起こすような感じでもなさそうだし。

 今度こそ『ルベーリア』の記憶を辿ってみる。

 調べるのは、この世界のお風呂事情についてだ。

 ……どうやら、魔法の力が宿った特殊な石――魔石を使って水を生み出したり、火を起こしたりしているみたいだ。

 封印の起点を探す際にわたしが感知した魔力の反応、この魔石のものだったのかな。

 でもなんで、厨房は普通に井戸水とか薪を使っていたんだろう。

 ……どうやら『ルベーリア』の記憶によると、この魔石を使った設備はかなり高級な代物みたいだ。

 厨房は井戸水と薪でも事足りるから、お金をかけなかったのかも。

 それはそれとして。

 わたしはありがたくシャワーを浴びさせてもらうことにした。


 お風呂から出たわたしは、部屋にあったバスローブを身に纏ってベッドに横になった。

 メイドなのに、随分といいご身分な気がする。洗濯は自分でするんだから、よしとしよう。

 うーん、寝転がったら一気に疲れが押し寄せてきた。

 一息つけたら、『ルベーリア』の記憶から色々と勉強したかったんだけど……今日は無理そう……



 ヒポヒポって声と小鳥のさえずりで目が覚めた。

 ……ん、目が覚めた?

「あ、そっか」

 口にしながら上体を起こす。

 お風呂を出たわたしはベッドに寝転がって、そのまま眠ってしまったんだ。

 窓の外に目を向ける。

 日が射し込んでいるってことは、もう夜が明けているわけで……

「朝ご飯の用意しないと!」

 ベッドから飛び降り、慌てて身支度を開始する。

 鏡の前で髪を梳かして、一応薄く化粧をする。

 それからメイド服に着替えて、準備完了。

 部屋を出て、厨房へ向かう。

「うーん、なにを作ろうかな」

 昨夜のポトフは、ポポちゃんがワイルドに食べてしまったし。

 とりあえずスープとベーコンエッグにパン、それからサラダをチャチャっと作ってしまおう。あ、フルーツもいるかな。

 飲み物はどうしよう。コーヒーか紅茶か……すぐ淹れられるように、お湯だけ用意しとこう。

 ポポちゃんにもフルーツを持って行ってあげないとね。

 手早く料理を済ませて、ダイニングルームに運ぶ。

 テーブルにセットして、後はクロウさんとシャルさんが起きてくるのを待つだけ。

 ……しばらく待ってから、ふと気がつく。

 もしかして起こしに行ったほうがよかったりするのかな、メイドだし。

 うん、現れる気配もないから起こしに行こう。

 ダイニングルームを出て、クロウの部屋に移動する。

 最初にクロウを選んだのは、なんとなくだ。強いて言うなら長男だから。

 部屋の前に立って、扉をノックする。

 ……反応がない。

 もう一度、ノックしてみる。

 …………やっぱり反応なし。


 コンコンコンコンコンコンコンコン!


 ちょっと強めに連続でやってみた。

 ややあってから、扉が小さく開かれる。

 隙間から、見るからに不機嫌そうなクロウが顔を覗かせた。

「……ルビィか。なんの用だ」

「朝です」

「……ああ、知っている」

「朝食の用意ができたので、ダイニングにいらしてください」

 わたしの台詞に、クロウは大げさに溜息をついた。

「こんな時間に起こしにくるとは……非常識なやつめ」

「な、なんでですか」

 朝食を摂る時間としては常識的なはずなんですけど。

「忘れているようなら教えてやるが、俺は吸血鬼だぞ」

「別に忘れてません」

「吸血鬼はな、基本的に夜遅くまで活動する生き物なんだ。夜のほうが魔力が高まるからな」

 なるほど、要するに夜行性ってことか。

 言われてみるとたしかに、吸血鬼って夜のイメージがある。

「えっと……つまり?」

「個体差もあるが、俺とシャルが起きるのはだいたい昼前だ。だから、俺様はまだ眠る。以上」

 口早に言って、クロウは部屋に引っ込んでしまった。

「すみませんでした」

 一応、扉越しに謝っておく。聞こえてるかわからないけど。

 うーん……とりあえず、ポポちゃんにご飯をあげに行くとしよう。

 ポポちゃんは起きてくれているといいけど。

 いったん厨房に戻って、フルーツをのせたお皿を用意する。それから庭先に出た。

「ポポちゃーん」

 名前を呼んでみる。

 すると。

「ヒポポポポ~!」

 元気な鳴き声と供に、ふっくらまんまるボディが走り寄ってきた。

「おはよう、ポポちゃん」

「ヒポポ~」

「朝ご飯、持ってきたよ」

「ヒ〜ポ〜」

 あれ、もしかしてポポちゃんの言葉が理解できなくなってる?

 一晩経って、魔法の効果が切れたんだろうか。

 意識を集中させて、呪文を唱える。

「トッブウド・イタリベーシャ」

 これでまた、ポポちゃんと会話できるはず。

「ポポちゃん、朝はフルーツでいい?」

「いいよ〜。ぼく、ちょうどこういうのがたべたかったんだ〜」

 ポポちゃんは「あーん」と嘴を広げる。

 食べさせてということらしい。

 お皿の上からカットしたフルーツを手に取って、ポポちゃんの口内に入れる。

「おいし〜い!」

 朝から元気だなあ。

「ぜいたくをいうなら、まるごとたべたかったな〜」

「あ、ごめんね。切ったほうが食べやすいかなと思って」

 次からポポちゃんには丸ごとで用意しよう。

 フルーツを美味しそうに食べるポポちゃんを見ていたら、お腹が鳴った。

「ルビィおねえさんも、おなかすいてるの?」

「うん、あはは……」

「なら、いっしょにたべようよ〜」

「それじゃ、ちょっとだけ……」

 わたしはフルーツを摘んで口にする。

 うん、よく熟してる。

 酸味のあとに、じんわりと甘みが広がって美味しい。

「ところで、おねえさん」

「ん、どうしたの?」

「なんかきのうのよる、もりからやしきをみてるへんなのがいたんだ」

「変なの?」

 いったい、なんだろう。

「もしかして魔物?」

「たぶん。でも、ぼくがいかくしたらにげていったよ〜」

 ポポちゃんは「えっへん」と胸を張る。可愛い。

「すごいね」

「へへへ……」

 手をのばして、ポポちゃんの頭を撫でる。

 ……クロウとシャルさんに報告しないとだよね。


クロウとシャルさんが起きてくるまで、わたしは自室のバスルームで洗濯でもすることにした。

 といっても、洗う物はそこまで多くない。

 昨日、身につけていた衣類と、タオルにバスローブ。とりあえず、今回はこれぐらいだ。

 そういえば、わたしの血で汚れた外套はどうしたんだろう。

 昨夜、屋敷に帰ってきたときにシャルさんが回収してくれていた気はするけど……。

 また後で確認してみよう。

 というわけで、桶に水を張って洗濯を開始する。


 ……手洗いなので少しは時間を要したけど、一時間ほどで洗濯は終わった。

 洗った物はちゃんとバルコニーに干したし、完璧だ。

 お天気も良いし、すぐに乾いてくれるかも。

 クロウとシャルさんが起きてくるまで、もうちょっと時間がありそう。

「うーん……」

 椅子に座って天井を見上げながら唸る。

 空いた時間、なにをして過ごそう。

『ルベーリア』の記憶で、この世界について勉強したいところだけど……それはもっと落ち着ける状況でやりたい気もする。

「屋敷の中でも見て回ろうかな」

 封印の起点を見つけるために結構、探索はしたんだけど。

 改めて見ると、新しい発見がきっとあるはず。なんて、本当は時間を潰したいだけだったり。

「とりあえず行ってみよう」

 椅子から立ち上がり、自室を出た。


 適当に屋敷を見て回るわたしは、大きな扉の前で足を止めた。

「ここってたしか……」

 閉じた扉を眺めながら、独りごちる。

 この扉の向こうは大広間……黒の王を復活させるための儀式が行われた場所だ。

 そういえば、ここってどんな状態なんだろう。

 儀式の光景を思い出して、身を震わせる。

 もし屋敷が封印された当時のままなんだとしたら、この大広間には……

 確認しておかないとだよね。

 もし儀式の跡がそのままだったら……つまり大広間に生贄にされた人たちが残っていたら、ちゃんと埋葬しなくちゃ。

 ちょっと怖いけど、意を決して扉を押した。

 開いた隙間から、おそるおそる中を覗く。

「あれ……」

 そこに、覚悟していたような光景はなかった。

 生贄にされた人たちの亡骸はどこにも見当たらない。

 目立つ痕跡といえば、壁にあいた大きな穴ぐらいだ。

 たしかあれは目覚めた黒の王が、儀式を執り行っていた司祭っぽい人を吹き飛ばしてできたんだっけ。

 大広間の中心には、黒い棺が鎮座している。

 蓋は閉まっているみたい。

 あそこに黒の王が封じられているんだろうか。

 それにしても、誰が亡骸を片づけたんだろう。

 クロウか、シャルさんかな。

 一番、その時間があったのはクロウだ。

 わたしとシャルさんが町へ行っている間、屋敷に残っていたわけだし。

 シャルさんだとしたら……昨夜、わたしが眠ってしまった後とか。

 うーん……でもなんか、二人とも違う気がする。

「おい、ルビィ」

「は、はい?」

 後ろから呼ばれて、振り向く。

 そこには、こちらを訝しむような目で見るクロウが立っていた。

「起きられたんですね、おはようございます」

「ああ」

 答えながら、クロウが歩み寄ってくる。

「こんな所でなにをしている?」

「クロウさんたちが起きるまで時間があったので、少し屋敷の中を見て回っていたんですけど……」

 ちょうどよかった。クロウ本人に訊ねてみよう。

 質問すると、クロウは首を横に振った。

「いや、俺はなにもしていない。シャルが片づけた節もなかったな。そもそも、俺が父上の様子を見に来た時点で遺体などなかったぞ」

 えぇ……どうなってるの?

「おそらくだが、屋敷が封印されている間に片づけられたんだろう」

 困惑していると、クロウがそんな推測を述べる。

「いったい誰が……」

「そんなことが可能なのは一人だけだ。屋敷を封じた張本人……聖女プリムラだろう」

 あ、なるほど。

 封印魔法を使った本人である聖女なら、自由に出入りできたりするのかも。

 この世界のプリムラが、わたしの知っている通りの性格だったなら、儀式の生贄にされた人たちを弔ってもおかしくはない。

「今となっては、もはや確かめようがないがな」

「……そうですね」

 普通に考えたら、二〇〇年が過ぎたこの世界にプリムラはもういない。

 もしかしたら子孫とかがいたりするのかもしれないけど。

「さて、行くぞ。そろそろ食事をもらうとしよう」

「あ、はい」

 扉を閉ざし、クロウとわたしはその場を後にした。

 二人でダイニングルームに向かう。

 テーブルには、シャルさんの姿があった。

「おはようございます。兄さん、ルビィさん」

「ああ」

「おはようございます、シャルさん」

 挨拶を交わしてから、食事の準備に取りかかる。

 この時間だと、もうブランチだよね。

「ちょっと待ってください、すぐに用意しますから」

 クロウとシャルさんに言って、わたしは厨房に移動した。

 少し手を加えようと思って、料理は一度テーブルから下げていたのだ。

 まずはベーコンエッグをパンに挟んで、サンドイッチにしてしまう。

 それからスープを温め直して……あ、お湯もまた沸かさないと。

 手早く準備を済ませ、ワゴンでダイニングまで運ぶ。

「お待たせしました」

 料理をテーブルに並べる。わたしも着席してから、食事を摂り始めた。


 わたしの料理は昨夜に続き好評なようで一安心した。

 全員が食事を終えたタイミングで、わたしはクロウとシャルさんに訊ねる。

「コーヒーか紅茶、どっちにしましょう?」

「コーヒーをもらおう」

「私は紅茶でお願いします」

「わかりました」

 厨房で紅茶とコーヒーを淹れてから、ダイニングへ戻る。

 クロウとシャルさんの前にカップを置いてから、自分の席についた。

 ちなみに、わたしはコーヒーにした。

 紅茶かコーヒー、特にどっち派でもない。

 今日はコーヒーな気分だったから。それだけだ。

 湯気の立つカップを持ち上げて、熱々のコーヒーを口にする。

 一息ついたところで、朝にポポちゃんから聞いた件を切り出す。

「実はポポちゃんが昨夜――」

 屋敷を覗く、魔物らしいなにかを見たようだと説明する。

「気に入らんな」

 不愉快そうにクロウが顔をしかめる。

「魔物ですか……私も気配は感じましたが」

 たしかに、シャルさんも森に魔物がいるみたいだと話していた。

「ですが兄さん、放っておいても特に問題ないかと。そこまで強い気配でもありませんでしたから」

「そうだとしても、屋敷の周りをうろつかれるのは気に入らん」

 コーヒーカップを置いて、クロウが勢いよく立ち上がる。

「行くぞ、ルビィ」

「え、どこにですか?」

「森にだ」

「ええ?」

 藪から棒にどうしたんだろう。

「魔物とやらを調べに行く」

「いやでも、食事の後片づけがあるんですけれど……そもそも、なんでわたしを連れて行く気なんですか」

 もしも魔物と戦闘になったりでもしたら、完璧に足手まといだよ。

 調査なら、シャルさんとやるべきな気がするんですが。

「……これを話すのは初めてだったと思うがな」

 神妙な面持ちで、クロウが切り出す。

「俺とシャルは今、かなり弱った状態にある」

「それは……精神的な話ですか?」

 しょんぼりしちゃってる、みたいな。

「違う。身体的な話だ」

「と、いいますと?」

「封印されていた影響なのか、魔力の消費が激しいんだ。その割に、思うように力が出せないという始末でな」

 なるほど、つまり。

「もしもの際は、わたしの血を吸うつもりなんですね?」

 そのために同行を命じているわけだ。

「理解が早くていいな」

 なぜかクロウは満足げだ。なにを満足してるんだろう。

「……わかりました、行きます」

 血を吸われるのに、まだ抵抗はあるけど……しょうがないよね。

「でも、まだ待ってください」

「なんだ?」

「食器の片づけが先です」

 きっぱりと告げる。洗い物を放置するのは好きじゃない。

「ああ……なら早く済ませろ」

「すぐ終わらせます」

 本当はクロウの部屋も掃除したりしたかったんだけどなあ……



      ◆



 オレはライオネルを連れ、リスルムの町を訪れた。

「二日連続で来るなんて珍しいよね」

「そうだな」

 足元を歩くライオネルに、オレは同意する。

 今日も町にやって来た要件は一つ。昨日、魔法使いの塔跡に出る亡霊を倒したと神父に報告するためだ。

 別に依頼されたわけじゃねえから報告する義務はないが、一応だ。

 それに報告すれば、なにかしら報酬がもらえるかもしれない。 

 町の中を進み、見慣れた教会に到着する。

「……なんだか雰囲気が妙じゃない?」

「ああ」

 教会全体から、ピリピリとした緊張感みたいなものが伝わってくる。

「なんだろう」

「さあな」

 オレはまっすぐに礼拝堂を目指した。

 重厚な扉を押し開けて、中に入る。

 そこでは、神父と年配のシスターが深刻そうな顔を突き合わせていた。

「ミカエラくん……!」

 オレに気づいた神父が、声を上げる。

 いつもは悠然とした雰囲気をしたやつだが、今日は珍しく余裕がなさそうだ。

「なにかあったのか?」

 端的にそう質問した。

 神父は一瞬、逡巡するような表情を見せる。

 だがすぐに「実は……」と事情を語り出した。

 どうも教会に暮らしている子供の一人が、無断で町の外に出たらしい。

「それだけじゃなくてね……」

 神父が続ける。まだなにかあるのか。

「他の子が言うには、いなくなった子供は『魔の森』に行ったみたいなんだ」

「曰く付きの森じゃねえか。その子供は、なんだって森に?」

「その子は聖女様の昔話が好きでね。あの森に吸血鬼の屋敷があると強く信じていたらしいんだよ。それで、どうも他の子と口論になったみたいでね」

 つまり、他の子ってのがそいつに言っちまったのか。

「そんなのあるわけない」とか「迷信だ」みたいな台詞を。

 で、教会を飛び出して森に向かった。

 吸血鬼の屋敷とやらの存在を証明するために。

「さらに悪いことに、その子を追いかけたシスター・ミリアも戻って来ないんだよ」

 神父は悲壮感を漂わせる。

 ミリア……ああ、あの栗毛の若いシスターか。

「衛兵に報告は?」

「したよ。だが、動いてくれるかどうか……」

 基本的に腰抜けだからな、リスルムの衛兵は。

 だからオレみたいなのが重宝されるんだが。

「よし、オレが行こう」

「……いいのかい?」

「ああ、ただし『仕事』だからな。報酬は頂くぜ」

「もちろんだよ、ありがとうミカエラくん……本当にありがとう!」

 神父はオレの手を取り、何度もそう繰り返した。

 ちょうどいい。どのみち『魔の森』は調べる気でいたんだ。

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