絶望作家への慟哭

春風月葉

絶望作家への慟哭

 その出会いは偶然だった。しかし、私はその運命の悪戯に感謝した。

 校舎の屋上へ向かう階段から舞い降りたのは天使でも悪魔でもなく数枚の原稿用紙だった。親切心と好奇心からその紙を拾い集め、持ち主を知るべく細い線で書かれた名前にチラリと目をやった。

 海月蒼うみつきあおい、私がその名前を見るのはその日が初めてではなかった。ハッと顔を上げる。目の前には不健康に白い肌以外は平凡という言葉が似合うような一人の女子生徒が立っていた。

「これ、あなたのですか?」動揺より早く口から出た言葉に彼女はボソリとなにかを言って頷いた。私にはすぐにそれが肯定だとわかった。私自身からではなく、現実そのものから目を逸らすような様子は私の知る海月蒼への印そのものだった。その日、私は海月蒼と二度目の出会いを果たしたのだった。

 海月蒼は世の中に絶望したような作品を書く作家だ。まだ中学に入学したばかりの頃、私は無駄に異性の目を惹く容姿が原因で同性からの嫌がらせに苦しんでいた。どうして私ばかり、そんなことを思っていたときに出会ったのが海月蒼の作品だった。私は現実に失望する彼女に共感した。そして自分以外にも苦しんでいる人間がいることに救われた。そんな彼女をいつからか仲間のように感じていたのかもしれない。しかし…。

 机の上に置かれた海月蒼の新作には数十ページ読んだ先に栞が挟まれていた。続きを読もうにもなかなか気が進まない。このときの私の心の中には裏切られたような感情がモヤモヤと渦巻いていた。同じように現実に絶望していたはずの海月蒼は私を置いて希望を追い始めてしまったのだ。

 一度だけ、私は彼女に作風の変化を指摘したことがあった。しかし、彼女はなんのことかもわからないといった様子だった。そのとき、最初から私だけが彼女に対して一方的な仲間意識を持っていただけなのだと理解した。そしてその日を境に私は海月蒼と会うことを避けるようになった。怖かったのだ。唯一の仲間を完全に失ったのだと再び自覚することが。あの感覚は間違えだと、そう思っていたかったのだ。

 そんな時間が続き、もう年も変わろうとする頃、海月蒼に好意を伝えられた。私はまた現実に絶望した。絶望作家を殺してしまった原因が自分であることを知り嘆いた。そして彼女が海月蒼であるために、私は彼女の仲間であることを捨てた。あのときの彼女の悲しそうな顔を、私は今後忘れることができないだろう。

 私と彼女の関係が終わってから、また長い時間が流れた。その頃、あの作品を最後に長いこと姿を消していた海月蒼の最新作が世を賑わせた。絶望作家の海月蒼が生きていることを確かめるため、私は勇気を振り絞り彼女の作品を手に取った。

 タイトルは『原稿用紙が終わるまで』愛されなかった少女の報われない初恋の話だった。

「ごめんなさい。」読了と同時にその言葉は自然とこぼれ落ちた。一度溢れ出した感情はもう堰き止めることができなかった。

 絶望作家は蘇ったのだ。名前さえも知られなかった一人の少女の心を犠牲に。

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絶望作家への慟哭 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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