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 橙から群青へ、群青から橙へ、ゆっくりとグラデーション遷移を繰り返す水の中を、わたしは潜っていく。

 物理世界の船内が整然としていたのとは反対に、サーバ内には色々なデータが片っ端から放り込んだように沈められていた。分類もされず、一層目にも関わらずファイル単位のまま浮遊しているものも少なくはなかった。

 古くから使われている階層ディレクトリが、IUIでは海を模した〈深度〉という概念に置き換わった。入れ子になったディレクトリを、経路パスを辿って目的のファイルを見つけにいくという操作が、今では海を深くまで潜っていくという行為になっている。GUIではパスさえ知っていれば一瞬で目標物までジャンプできたというが、IUIではそうはいかない。ジャンプは〈意識が飛ぶ〉ことに等しく、常に自分を自分だと認識し続けなければならない情報空間においては、意識の瞬断は発火体の持続に少なからず悪影響を及ぼす。ダイバーはカレントディレクトリと自分の存在を常に意識しながら、自らの足を使って潜っていかなければならない。

 帰りも同様に、一層まで泳いで戻る必要がある。ジャンプに加え、深層でのログアウトも御法度となっている。ログアウトとは、情報空間内における依り代である発火体を解体することでもある。元の肉体へ戻るためには一層目に戻り、肉体と繋がっている出入口ポートから正規の手順を踏んで意識を肉体へ戻さなければならない。

 目標が近づいてきた。深度は六層目。発火体の非損耗率は九十七パーセント。作業が滞りなく済み、来た道を引き返すだけであれば、九十パーセント代を維持できるはずだ。一般的に、八十パーセントが安全のボーダーラインといわれている。随分余裕を持った設定だと思いがちだが、本物の海と同様、情報空間内では何が起こるかわからないので、備えておく必要がある。それに、残りが八割あるといっても、非損耗率が六十を割ると意識が朦朧とし始め、四十を切ると自我が保てなくなる。つまり、この時点で個人の精神としては死を迎えることになるのだ。

 やがて、それと思しき構造体を見つけた。薄茶色に、白い襞状の模様がいくつも入った球体。宇宙のどこかに浮かぶ天体を思わせる。模様は雲のように、常に形を変えていてつかみ所がない。パスを確認すると、目指していたスタンドアロン領域で間違いない。

 手を伸ばし、内部へのアクセスを試みる。しかし、球体の表面は弾力のある膜で覆われていて、触れることはできても内部へは指先すら入れることができない。

 セキュリティで保護されているのは想定内だ。問題は、この保護が突破できるものかどうかという点である。何らかの手違いで、このデータ領域のみロックが掛かってしまっていることだって考えられる。わたしは架空の管理者アカウント(IDもパスワードも〈admin〉という粗末な代物だ)を生成し、球体へ投げてみた。アカウント情報は表面に当たるや、ガラス玉のように砕け散った。ロックが外れる様子はない。他にも、考えつく限りの文言を用いて偽のアカウント情報を投げてみたが、結果は同じだった。

 偽アカウントでのセキュリティ突破が穏便な手段とすれば、次に試すものはいささか強行的といえる。〈バグ〉と呼ばれるウイルスを送り込み、内部から破壊するのだ。これはログにも痕跡が残るので、できればあまり使いたくはない手段である。メンテナンス作業員を装っているのだから「外部からの侵入です」といえば済むのだが、疑念を持つ人間がいないわけではない。

 膜の表面に掌を添え、内省コマンドで時限開封式の圧縮ファイルを選択する。それを、ログイン情報の入力を装う形で球体の保護プログラムに送り込む。時間が来れば圧縮ファイルは毒のカプセルのように相手の体内で破裂し、ウイルスを拡散させる。わたしは外で、保護プログラムが内部から侵食されていくのを待っていればいい。

 通常は、作動まで物理時間でも三秒と掛からない。だが、五秒、十秒と経っても、膜が消える気配はない。試しに触れてみると、やはり膜は健在だ。

 バグの動作記録を見ると、確かに圧縮ファイルは展開されている。正常にインストールされたとのログも残っている。だとすると、保護プログラム内の抗体によって駆逐されたとしか考えられない。

 わたしは仮想の唇を噛む。軍の、それも情報部のバグを退けるほどの抗体プログラム。これは、手違いでは設定しようのないものだ。明らかに、他人に見せまいという意図の元に組まれている。

 誰の手によって?

 それは考えたくない。

 非損耗率九十二パーセント。思いのほか、長居してしまった。わたしは球体を離れ、帰路についた。

 上層へ上がる前に今一度、球体を振り返る。それはグラデーションの海の中で、孤独な惑星のように、無言で沈んでいた。どれだけ目を凝らしても、ルカ先輩が無実である証拠はどこにも見当たらなかった。

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