2-3
仕事道具を置きに部屋へ戻ると、船窓の向こうが橙色に染まっていた。波も穏やかなので、デッキへ出ることにした。何より、外の空気に当たりたかった。
窓越しに見た時にはわからなかったが、冷たい風が海の上を吹き渡っていた。だが、今はこの冷たさが必要だった。わたしは上着のジッパーを首元まで引き上げ、体を丸めながら縁の方へと向かった。
『落ちないようにね』クラウスが言った。
「ご忠告どうも」
手すりにもたれ、暮れなずむ海を眺める。
『調査の結果はどうだった?』彼が投げてくる質問は、わたしの思考を整理するためのものだ。
「まだ結論は出せない」わたしは声に出して言った。
『スタンドアロン領域は確かに存在したのに?』
「中に何が入っているかを見ていない。本当にただのプライベート領域かもしれない」
『職場の備品にそんなもの作るかな?』
「先輩は図書室の本を自分のものだと思ってた人だよ」
『残念だけどナギ、あのスタンドアロン領域は個人のプライベートデータが入っているにしてはあまりに容量が大きすぎる』
「それは大佐に聞いた」
『認めたくない気持ちはわかるけど、これは君の仕事なんだ。個人的感情は抜きにして、現実を受け入れなくちゃいけないよ』
わたしは何も答えず、夕日を眺めた。揺らいだ円の下弦が水平線に没しているが、まだ空に残ろうと抗うように沈む速度は遅い。といって、沈みかけの夕日をこんな風に眺めるのは初めてだ。こんなものなのだろうか。
「わたしをここに来させたのは、失敗だったかもしれない」誰にともなしに、わたしは言った。
『あるいは、そうかもしれないね』クラウスは言った。
「代替要員の派遣を要請する?」
『君が望むならそうするけど』
わたしが不穏な動きを見せたところで、クラウスにはわたしの許可なしに本部へ報告する権限がない。所詮は支援AIに過ぎないのだ。そんな相手に意地悪を言ったと思うと、口の中が苦くなった。
「ごめん、少し一人になりたい」
『わかった』
彼の声をミュートしようと端末に触れたところで、視界の端で何かが跳ねた。
そちらへ目を向け、じっと待っていると、波の合間からイルカが一頭飛び出した。船底のシリンダーの中で眠っているイルカたちと同じぐらいの大きさだ。
「あれは?」
『バンドウイルカだね。正式にはハンドウイルカだけど。この船の武装イルカたちと同じ種類だよ』
「そうじゃなくて、あれはこの船所属のイルカ?」
『一頭逃げ出したという情報から推察すると、その可能性は高いね』
「戻ってきたのかも」
『それにしては、距離を取っているようだけど。船は見えているはずなのに』
クラウスの言うとおり、イルカは敢えてなのか、船と距離を取ったところで海面を飛び跳ねている。呼ぼうとしても名前がわからず、手を振ろうにも段々と時化てきて船が揺れだした。そうして手をこまねいているうちに、イルカは姿を消してしまった。
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