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一度部屋へ戻り、荷物を解いた。それから仕事に必要な道具をピックアップし、サーバ室へ向かった。
念のため、部屋の内側から扉にロックを掛ける。ルカ先輩を疑っているのではなく、規定でそうなっているのだ。調査の公正を期すため、そしてわたしたち調査員の安全を確保するため、仕事中は同じ空間から他人を閉め出す必要がある。
体外式端末からコードを延ばし、サーバのジャックに挿す。疎通確認が完了し、〈仕事〉の準備が整った。
理由がどうあれ、先輩に嘘をつくのは心苦しい。本当は何もかも打ち明けて、本人の口から反乱の意図などないと言質を取りたいぐらいだ。だが、わたしにはその勇気がない。万が一にも本部の疑念が正しかったら、と考えてしまう。わたし自身、根っこの部分では先輩を信じ切れずにいるのだ。
だからこそ。
わたしは自分の手で、先輩の無実を証明しなければならない。
『クラウス、後はよろしく』
『了解。君も気をつけて』〈君〉の言い方が先輩と同じだな、とふと思う。彼のキャラクターはわたしの脳をスキャンして作られたのだから、当たり前なのだが。
わたしは、船縁から海面へ降りるように、サーバの中へダイブした。比喩ではなく、量子の海への、文字通りの
量子制御のコンピュータが普及して以降、世界中の情報が海に沈められた。
データの大容量化とセキュリティの高度化が指数関数的に進み、もはや画面越しのアイコン操作だけでは作業が不可能になった。そんな中、GUIに代わって確立されたのがIUI(Immersive User Interface)だ。〈没入型〉の名の通り、人間が情報空間に入り込んで、データの管理や閲覧などを行うのだ。
ユーザが情報空間へ入るにあたっては、脳内の精神マップ――つまり意識を形作るための土台を〈発火体〉と呼ばれる形に変換しなければならない。これは意識を形作る精神マップをデジタル化したもので、電脳世界で泳ぎ回るための仮想の肉体となる。水の中で火というイメージは妙かもしれないが、コピーされたニューロンの発火により絶えず瞬くその様は、やはり〈火を宿している〉といった方がしっくりくる。
この発火体、デフォルトでの見た目は所々で光が点滅している球体だが、形を任意で変更できる。推奨されているのは物理世界と同じ、四肢を持ったヒトの形だ。直感的な操作が可能となるからだ。わたしたちの意識は、わたしたちの体に即して形作られている。
発火体への意識の移行は、物理世界とシームレスに行われる。わたしがコンピュータの情報空間に潜っている間、わたしの現実の肉体は眠っているのと同じ状態になる。だから仕事中は、もしもの事態に備え、クラウスに体の制御を任せる決まりになっている。帰るべき船の留守番をさせるというわけだ。
ダイブには、物理世界の海でのそれと同様、危険も伴う。息が苦しくなるということはないが、長時間潜っていると発火体の火が弱まり始める。これは、人間としての意識が形を保てなくなることを意味する。火がどんどん弱まっていくと、意識はやがて自我を失う。散文的な客観情報の集まりとなり、それすらも分解されると、0か1かの信号になる。そして最後には、意識が情報空間に散逸する。
こうした事態を防ぐため、情報空間へのダイブには特別な訓練が必要とされている。特にデータの探索といった長時間のダイブは、わたしのような専門の
ちなみに、わたしは物理世界では一切泳ぐことができない。それについては養成学校時代、ルカ先輩に散々笑われた。
「何でわざわざこんな苦行みたいなことしてるの?」
「海は嫌いだけど、情報空間が好きなんです。水中のイメージで組むのは本当にやめてほしかったですけど」
「わたしはこっちの方が嬉しいけどね。泳ぐの好きだし」
先輩が高校時代、水泳で全国大会に出場するほどの選手だったと初めて知ったのは、この時だった。
「先輩こそ、もっと別の道があったんじゃないですか?」
わたしが言うと、彼女は少し考えてから、
「でも、こっちの海ではずっと泳いでいられる」
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