pp.3 わたし以外の名前を呼んだ日
*
汽車の音で目が覚める。
今日はあたたかい。だが相変わらず列車から噴出してくる炭臭さが漂ってくる。
私はおなかの中の寄生虫のために今日も餌を貪りに路頭を歩く。
今日は残飯あるといいなぁ。
ボロボロの服で今日も私は小さな冒険をする。
途中で新聞を拾ったが、内容は私にとって興味のない
「……?」
歩きながら新聞を読んでいて気が付かなかったが、路地裏の地面に赤い液体のようなものがぽつぽつと染み付いていた。
「なんだろこれ」
私は道標のように続いている赤い水滴模様を辿る。
辿り着いた先は、大きな廃棄場だった。
腐臭が強く、オイル臭い。焦げたにおいやお薬のような鼻につくにおいも混ざり、吐き気を催す。
赤い跡はそのゴミ置き場の中に続いておらず、それに沿って十数メートル先にある煉瓦と鉄骨の廃墟へと示されていた。
廃墟へと入る。昼なのに夜のように暗く、静かだった。日が当たってないので少し寒気がする。瓦礫が多く、蜘蛛の巣や草木が育っている。窓ガラスはほとんどが割れ、床に破片が散在している。散らばっている礫を踏み、痛みを感じながらも歩を進める。
奥に光が差している。天井に穴が開いているようだ。光の差す、日向の傍に何かがあった。ここに相応しくない、溶け込んでいない何かが。
「人?」
そこにはひとりの少年が壁際に座り、眠っていた。怪我をしており、赤い液体の正体はその少年の血だということがわかる。頭部や腕、腹部などあちこちから出血している。
(軍隊の人かな……? でも私と同じくらいに見えるし)
茶の迷彩柄の軍兵服。どこの国兵だろうか。そもそも、この国の兵の服さえ知らない私にとって、どこの国だろうとどうでもよい話だった。
「助けないと」
そう呟いたものの、なにをどうやって助けるのか全く知らない。私はおろおろと辺りを見回した。
「……んん」
少年から発した声にびくりとする。気が付いたようだ。
「ど、どうしよう……」
少年は目を覚まし、私を見る。
「――ッ!」
少年は目を見開き、素早くその場から離れ、銃を私に向けて構えた。
「え、ちょ――」
「動くな!」
軍兵服を着た少年の目は一切の迷いがなかった。それは、その眼は私にでも痛いほど感じ取れた「殺す意思」。一瞬、もう死んだって思わせるほどの強い眼差し。一瞬、生きることをあきらめてしまったほどの鋭い眼差し。野良猫に喰われる鼠。蜘蛛に喰われる蛾。そんな立場を連想させられる。
「……」
張りつめた空間。少しでも動けば撃たれるだろう。
「あ、あの……私、なにもしない、から……」
この声は震えていた。足も竦んでいた。
「この国の住民か? 名乗れ」
彼の声は凛々しかった。だが、鋭すぎる殺気が籠っている。
「え、と……ゆ、ユーク・システィーナ。この街の……その、なんていうか……路地裏に住んでるっていうか……家がないっていうか……」
思うように声が出ない。考えがまとまらない。命を奪う銃は人の思考をかき乱すのに十分な代物だった。
「……
「え……? あ、うん」
少年は少し考えた後、銃をしまう。私はほっとした。危険がないと判断したのだろう。
「……あの、け、怪我……大丈夫……?」
とりあえず思いついた言葉を私は言った。少年の表情が痛みで僅かに歪んでいたからだ。
「おまえに心配される筋合いはない」
冷たく言い放され、どかっと瓦礫の上に座り込む。少しムッとしたが、出血量が多いので、その気持ちはすぐに消える。
「で、でも」
「煩い。ほっとけ」
「……っ、放っておけるわけない!」
つい叫んでしまった。「あ……」と私は我に返り、戸惑ってしまう。
少年は無愛想な表情で私を見続ける。睨まれている気がする。
「それじゃあこの傷おまえが治すのかよ。応急処置とか知っていそうには見えないけど」
「う……」
正論だった。放っておけないとは言ったものの、なにができるかと聞かれれば何もできないとしか言えなかった。
「できないんだろ? ならどっかいけ。ここに残っても飯は出ねぇぞ」
「……」
私は地面に座り、少年を見続ける。
「……なんだよ」
鬱陶しそうに私を見つめるが、私は内心恐怖しながらも動じないように振舞った。
「ここにいる。わたしだって、そんな目的でここにいるわけじゃないし」
今の私はふてくされているような表情だったと思う。
「……勝手にしろ」
言うのも疲れたのか、そんな余裕がなくなったのか、腹部の傷を抑えながらそう吐き捨てた。少年は懐から革袋を取り出し、そこから粘液が染み出ている大葉を取り出しては傷口に貼る。薬草のようだ。
沈黙が続く。外にいる鳥のさえずりが鮮明に聞こえる程静かだった。
「それって兵隊さんの服だよね。どこかの国の人なの?」
とりあえず私は話題を提供してみる。
「どこだっていいだろ。話しかけんな
「でも見た目、私とあまり年変わんないよ?」
「俺は十五だ」
「ほら一緒……あれ、私何歳だっけ」
考えてみれば私の年齢はいくつだったか。誕生日も、今日が何年何月何日なのかもわからない。親の顔は……思い出したくない。
「それにしたって十五で兵隊さんなんでしょ?」
「……」
ここずっと続いている争いごとで兵隊さんの数が減っているから、子供も戦うことをむりやりされているんだっけ。
なんでそんなこと知っているかは忘れた。でも、少年兵というものは大抵「すてごま」として利用される。地雷よけにと先陣切って地雷原に突入させられたり、少女の場合は、兵士のお世話やお慰めに使われてるらしい。
「……とりあえずここから去ってくれ。俺はおまえと話す余裕はない。一人にしてくれ」
「じゃあ、名前教えて」
「名前? なんで教えなきゃなんねぇんだよ。それに――」
「なんで教えないの? 私が知りたいだけだから、べつにいいでしょ? ふたりだけの内緒にするから!」
おねがい! と頭を下げる。
少年はため息をつく。ちょっとした無言の時間がとても怖い。どうしてここまで縋りついているのかも、なんとなくでしかわからないまま、頭を下げ続けていると、ぽつりと声が聞こえた。
「……レイシス。
「レイシスかぁ。いい名前だね」
「何が『いい名前』だ。ほら、さっさとどっかいってくれ」
「うん、じゃあまた明日ね、レイシス」
「は? また明日ってお前――」
私はその場を去り、走って廃墟から出る。
その時の私は笑っていたのかもしれない。
それだけ嬉しかったのだ。自分と同じくらいの年代の人と話せたのは。
レイシス。私はもう一度、彼の名を呟いた。
かみさまの街 多部栄次(エージ) @Eiji_T
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。かみさまの街の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます