pp.2 父よ、主である貴方が私を見捨てるのであれば
夢を見た。
朧げで儚い、泡沫の夢を。
胎児はその体を形成していく際、生命の進化を辿る夢を見るという。
それでは、私は胎児なのか。
否。だとすれば、死を迎える夢など見ないだろう。
始まりある生命は終わりある死を迎える。
嗚呼、私は死が怖い。無が怖い。
迫りくる終点、輪廻、始点の門を私はこの眸睛で視るのだろう。
神は秩序であれ。自然は混沌であれ。その指は何を示すためにある。
私を愛したのは誰か。私を殺したのは誰か。花の雫は骨をも溶かす。
記憶は曖昧になり、溶解していく。
嗚呼、また
そしてまた、
世界は夢現。その繰り返しだ。
*
始鉄のうるさい音と細かい振動で目が覚める。
「んぁ……」
目を擦りながら呻く。
どんな夢を見たのか忘れてしまっていた。でも変な夢だったのは覚えている。
せまい空を見上げ、口をぽっかりと開ける。おなかの
薄暗く、湿っぽい路地裏。腐った匂いが漂うこの場所は、あまり人が通らない。私にとって、ここは落ち着く憩いの場所だった。
私は眠っているときに抱えていたボロボロの絵本をレンガの床に置き、近くのごみばこのフタを開ける。
(昨日食べたんだっけ)
昨日は確かごちそうだった。肉のついた骨がなんと3本もあったのだ。
ちょうどごみ箱のそばに鼠の死骸が落ちていることに気が付く。
(今日はついているかも)
辺りを見回し、その死骸を手に取った。
街。名前はなんだったか。レンガの建てものが多い大きな町。人も多いが、その分、貧しい人も多かった。
時代はいつか。どこかで誰かとの争いが最近起きたことは風の噂で聞いた程度。それ以外あるとすれば……ぺすとが流行ったことぐらいか。
ぺたぺたと路地裏を歩き、少し濁った水溜りを覗き込む。
「ユーク・システィーナ。今日も大丈夫……」
(でも酷い顔だなぁ)
自分がちゃんとここに存在している証を示すため、毎日割れた鏡や水溜りで自分の姿を映し、忘れぬために自らの名を呟くことを日課としている。
相も変わらずぼさぼさで煤がついている真っ白な髪。胸あたりまで伸びてきたな。ぼろきれを着ただけの、やせ細った体。他の人とは違う、紅い目。痛くはないので、充血じゃないみたい。見慣れた容姿は私を安心させる。
そこに映った顔には泥やかさぶたと化した傷、口元には先程食した小動物の血と毛がついていた。
私は水溜りに舌をつけ、水分を確保する。水面に数十の
(今日はなにをしようかな)
なんて楽しそうなことを考えても、結局やることはひとつ。
生きること。ただそれだけ。
私は建物の隙間から見える人が多く通る大通りに目をやる。ちょうど私と同じぐらいの年の女の子が両親と手を繋いで楽しそうに何かを話している瞬間を見かけた。
「……」
表情を変えないまま、餌を探し続ける。
そのとき、路地裏の角で声が聞こえたので思わず立ち止まり、行き先を変えようとした。
「――おい本当かよそれ」
二人の若い男性の声だ。怖い。でも何か話してる。少し興味があったので隠れながら会話を聞いてみる。
「本当さ。あのオルガニアが敗けたんだ。しかも相手はアリアってのが信じられないだろ」
「嘘だろ、あんな国も人もちっさい田舎がか?」
「噂じゃ新しい兵器を開発したんだってよ。さすがのオルガニア兵もお手上げだったらしいぞ」
「時代が変わるかもな」
「だな」
(……)
よくわかんないや。
これ以上聞いても意味はなさそうだと思い、その場を静かに去った。
(ひまだなぁ……)
私はレンガの壁を挟んで見える青い空を仰ぐ。数日前の破けた新聞が風でカサカサと音を立てる。
わたしは生きることで忙しいんだ。でも、それ以外何をするかというと実は何もない。ただ街中をひっそりと散歩するぐらい。
その目的のほとんどは食べもの探し。このあいだも、最近まで頼りにしていた
(なんかいいことおきないかなぁ)
座っていた木箱から降り、空き缶をカラン、と蹴る。
「……」
昨日、落ちてた絵本を読んだ。それは「神隠し」のお話。
神様がこどもを別の世界へと連れていくお話だった。
そこは見たことない
それが実際に起きている、らしい。拾った文字だらけの紙を見た話、それは「幽夢の袖引き」とも呼ばれ、年齢問わず人間がいなくなるらしい。ただの誘拐という話も挙げられている。
私は今の暮らしから抜け出したかった。誰でもいいから、ここから別の世界へ連れていってほしかった。
そんなことを思いながら、さっき捕った土のついた大きな百足を口にした。土に
夜は怖い。
なんにも見えないし、歩けば石やガラスが足に刺さるし、不味い液体で理性が飛んだ大きな人たちに痛いことされるし、なにひとついいことなんてなかった。だから私は夜の寒さに耐えながら隅に隠れて一夜を過ごす。ただ、土は冷えている方がおいしい。
「今日も生きられた」
安心して眠れる魔法の言葉。私はごみの詰まった袋のベッドで眠る。ひっそりと眠る。
さみしさはもう感じない。
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