縁の下の刀持ち、ぽんこつ娘をひそかに支援する任務を仰せつかる。そして、それを発端とする椿事について。なお、波乱、危険、恋慕を包含す。
二十、蝸牛の角の上、闘うか踊るか |畠山《はたけやま》部長 |大牧恵子《おおまきけいこ》様 |千草《ちぐさ》様
二十、蝸牛の角の上、闘うか踊るか |畠山《はたけやま》部長 |大牧恵子《おおまきけいこ》様 |千草《ちぐさ》様
二十の一、
「すまんな。次から次へと書類ばかりでかたづかんのだ」
「秘書をお雇いになっては? ちょうど任務を終えたばかりの卒業見こみがいるはずですが」
「よせ。それどころじゃない。おまえのせいだぞ」
そういいながら分厚い革表紙を指さす。
「任務は失敗、しかしもっと大きいものを見つけてきたな。おまえらしいといえばおまえらしい。だが、ちょっとやりすぎた部分もあるな。他国のお家騒動に首を突っこむなど、独断で行っていいものではないぞ」
「それは記載もしましたがやむをえませんでした。正体があきらかとなった時、首を差し出したのですが受け取っていただけませんでしたので」
「ふん、
「は、しかしながら
「かんちがいするな。それを考えるのはわれわれではない。隠し田もそうだ。おまえやわたしの家を含め、黙認していた貴族は格別のお情けで見逃してもらえるが、内務と税務がうごきだした。農民相手だ、慎重を要する。むやみに刺激を与えるな。わかったな」
火鉢から糸の束のように煙がたった。炭になにか混じっていたのだろう。
「はい」
部長は鉄瓶をどけると炭を継ぎ足した。火力を上げて煙の元を燃やしきる気らしい。
「それから、部の今後だ。隠し田の件がちょっとややこしいことになっている。われわれの実力が疑われているのだ」部長は自分の湯飲みに茶を淹れる。
「当然でしょうね。わたしが他部署の者だったら文句のひとつもいいたくなります。なぜいままでわからなかったのだ、と」
「そうだ。農産物出来高予想などは新人にさせるような任務だとしていたが、おまえはついでにとんでもない事実を釣り上げてきた。そういう属人的な技能の差が存在していること自体が批判されているし、困ったことにわしももっともだと思う。調査する者によって結果が変わるのなら、その報告を受ける側はたまったものではない」
「蒸し返されたのですか、あれを」
「そうだ。どうしても諜報部を課にしたい連中がいる。それも王室のほうに。やつらは信頼性の確保を理由に訓練と技能評価の平準化をあげた。治安維持局がまとめて面倒を見るのだそうだ」
「たしかに局の規模なら可能でしょう。われわれには無理ですね」
部長は茶を苦そうに飲む。
「そうはっきりいうな。こんどばかりは危うい。
諜報部の現状維持を容認していていいのだろうか。
「なあ、
「どのように?」
「詳細はべつとして、大まかには実践的な課程を増やしたい。諜報の基本である情報の収集と分析、これを実習によって体得させる」
「しかし、予算はどうしますか。座学とちがってかかりますよ。実習は」
「そうだが、来期からは基礎訓練は軍や治安維持局と共同になるからな。その後の課程を変えるつもりだ。思ったより増額にはならない。精鋭に絞りこんで人数を減らす」
いやな感じがする。
「だれが教え、評価をくだすのですか。教官は足りますか」
「そこだ。手を貸してほしいのは。それなりの地位を用意するから……」
「お断りします」
「早すぎるぞ。まあ聞け。以前いったように、おまえには諜報部を背負ってもらいたいと考えている。これはその前段階だと思え。それとあたらしい地位は昇進になるようにはからう」
「現場に出られない職など、わたしにとっては降格とおなじです。それに、人員を減らすのにも賛成できません」
「ならばどうする。考えはあるのか」
「ええ、治安維持局の下に入ればいいでしょう。いまとなっては巨大な組織の傘下に入ったほうがなにをするにしてもうまくいくはずです。もう部として独立している意味はありません」
「本気か。われわれの地位はどうなる?」
「わたしは自らの身分など重視していません。国のためになるかどうかが判断の基準です」
部長は湯飲みを手に取ったが、空だと気づくとこんどは鉄瓶から直接白湯を注いだ。かなり熱くなっていたのですぐには飲まずに置いた。
「わしが保身をはかっているというのか」
「ご自身のことです。おわかりでは?」
「きびしいな。おまえは。わかった、考えてみる。きょうは帰れ」
新しい諜報課に自分の居場所はあるだろうか。直近の報告はどう評価されるだろう。身辺整理を始めたほうがいいかもしれない。
冬の空を小鳥が飛んでいく。羽ばたきと翼をたたむ動作を繰り返すので波を描く。ひよどりだろう。みょうに高い耳ざわりな声だ。あの鳥はあの飛びかたが理にかなっているからそうしている。ほかの鳥にはほかの飛びかたがある。
いまのわたしや諜報部もそうだ。その時その状況に合った動きかたがある。それがいままでやってきたことの否定になったり、不満を抱いたりすることもあるだろうが、国のためにあきらかによくない動きを続けるよりはいいだろう。
でも、疲れた。明日一日だけは休みにしよう。
二十の二、
翌日、遅めに起床すると、
封を切ると縁側にあぐらをかいてひろげた。
もちろんのことだが、一連の事件についてや政治については目立つような記述はなかった。表面上は時候のあいさつに続いて個人的な動向を知らせ、
たとえば異国の研究について進み具合を記したうえで、落ち着いたら学者を招いて個人講義を受けようと思っているが、王室の意向が心配だとあった。そこにさりげなく、異国との関係強化を示唆し、王室が懸念を示しているとにじませていた。
一日休みにするつもりだったのに、
寺への圧力を強めるといっていた口調を思い出す。弟を退けて
式の各項が出そろってみればかんたんな算術だ。
ため息をついた。その狙いの実現に自分は力を貸したも同然だ。自分と
しかし、なぜそれをわざわざわたしに知らせるのか。野心は秘しておけばいいのに。
それと、返信をどうしよう。うかつなことは書けないが、かといってだれかに相談もできない。これはあくまで私信の形をとっているし、相談相手によっては
ぽんこつという言葉が浮かんできた。そうだ、振りをしよう。ぽんこつの。ほのめかしなどわからなかった。深読みはしていない。
こちらも時候のあいさつに続いて個人的な動向、
はっきりと逃げるわけだが、いまは逃げだけが有効な手だ。誠意はないが、他国の騒動に巻きこまれずに済む。
筆を手にとる。そう思ったようには書けなかった。
『蝸牛角上の争い』という言葉を引用した。自分が
そして、二つの国が土地のことで争っていれば、そうした大国に踏みつぶされるだけだとも。また、
また、われら以外にも外国の動向に目を向けた者はすべて同感だろうが、いかんせん、少数派だ。わたくしとて任務で外国に行かなければこのような視点は持たなかった。
名誉と恥に生き、無意味となった作法を守り続け、蝸牛角上にて踊り続けるわれらが未来をつかむための方策を共に考えたい。
そういった内容を一気に書き上げていた。思いをまとめてみただけで出すつもりはなかったのに、読み返せば読み返すほど、これこそ送るべき書状だと確信した。
もう一度、お会いしたい。
最後にそれだけ付け加えると、
二十の三、
その月の終わり、もう日なたの木のつぼみは明日にもはじけんばかりにふくらんでいた。そして、春の訪れとともに
だから、招待されたとはいえ、
その周囲の目が戸惑いに変わった。
「おお、
「どう、きれいでしょう。祝いのために作ったのですよ」袖を上げて模様を見せた。
「おきれいですね」しかし、初めて見る気がしない。
「この鳥、おわかりですか」そういわれてやっと思い出した。あの夜着ていた異国の浴衣の鳥だった。
「鳳凰というそうです。鳳と凰。はるか東の国では瑞祥だそうです」
燃え上がるように鮮やかだった。
「よくお似合いです」
「ありがとう」と微笑む。
「
部屋に入って着座するやいなや、挨拶もそこそこに向こうから話し出したのであわてて頭をさげて口上を述べる。
「
「はは、そのような堅苦しい挨拶は今朝から聞き飽きた」笑いながらいった。前とおなじく右にすわった
また、
「あらためて、
「そのような……。とんでもないことでございます。また、こちらこそ任務失敗となり、また、秘密を守り切れずに申し訳ございません」
「そのことだが、問い詰められたよ。この着物もそのせいで作らされたようなものだ」右を見ながらいった。
「だが、おかげで
「
「そのうえで話し合ったが、諜報はあきらめるそうだ」
「そこで、これは
目を丸くする
「父上、いった通りでしょう。
「これは……、たしかに急ですね。しかしながら、心当たりがないわけではございません。教育に携わられてはいかがでしょう。それも児童の」
こんどは
「実を申しますと、任務中、もっと気楽にせよとのお言葉をなんどか頂戴いたしました。
「暖かく?」
「自分のことを気にしてくれている。けれども下に見て憐れんでいるのではない。それが伝わりました。ゆえに児童を教え導くのに向いておられるのではないかと思いつきました次第でございます」
その様子を見てなにか悟ったようだった。
「
先に口を開いたのは
「いったいどうされたのでしょうか。あのような父上は初めてです。お気を損ねたのではないようですが。
「もちろんです。きょうは来客に次ぐ来客でしょう。気にはしません。わたしもそろそろ……」
「いいえ、父にはもてなしを命じられました。茶菓などお持ちしますゆえ、そう急がずにごゆるりとおくつろぎください」
そういわれてはすわりなおすほかないが、
白砂糖をふんだんに使った上品の菓子と茶が供された。薄く半透明の板は舌にのせると花の香りと甘みを残して消えていく。次に茶をひとしずく舌にのせると、渋いうまみが追いかけた。
「まあ、殿方が茶菓でそのようなお顔をなさるなんて」
「ところで、さきほどのお話ですが、わたしには教師が向いているのですね」
「はい、そう思います。高等教育を受けてもそれだけでは教え導くことはできません。
「おだててはいけません」
「いいえ。実際わたしの心は暖かくなりました」
「
「わたしの心が、です」
「では、教師の道を考えてみましょう。諜報よりは国のお役に立てるでしょう」
「
「いいえ。怒ってはおりません。けれど、自分の家のせいで養成所の評価が正しく伝わってこなかったことだけが残念です」
「以前、背伸びは止めろ、と子どもあつかいして大声を出したことがございました。しかしいまの
「それではそろそろ本当に失礼いたします。
「はい。ではお送りしましょう」
「いいえ、そこまでは」
しかし、
「ひとつよろしいですか」
「どうぞ」振り返る。
「再度おうかがいします。これ、いかがでしょうか」袖の鳳と凰を見せた。
「お似合いですが、少しばかり色が多すぎるかと思います」
「父とおなじことをいうのですね」
「そのようにお笑いになると、色の多さは気にならなくなります」
「ありがとう」
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