十八、蛇猫相搏つ
「寺なら中立でいてくれますね」朝食の席で
「住職は
「では敵地ですな」
「よく食べますね」
「ええ、きょうは頭を使い続けるでしょう。腹の中で燃やす薪が何本でもいります。こういうときに食べておくのも仕事です」
「
「なんでしょう?」
「壁龕に入るとき、なんといわれたのですか」
「面白いものが見られますよって」
「嘘ですよ。わたしがいったのは、あなたの従者の裏側を見せてあげましょう、です」
「裏、ですか?」
「表でした?
「これは参りました。わたしの仕事では表も裏もそうたいして変わりありませんでした」
笑いあう二人を
館を出るとき、日は完全に地平線を離れていた。雲ひとつない快晴で、空気は冷たいが風がないので不快ではなかった。
馬の列の先頭は
「時間までに合図がなければ、約束など無視して突入しますよ」
寺は
「農民が多いですね。寺でなにかあるのかな」
「はなから取り決めを守る気などないとは。小物ですね」軽蔑したように
門前で下馬すると、寺務員が引いていった。刀は預けなくてよかった。そのまま会談の場である講堂に案内される。
広く、天井の高い講堂だったが、きょうは講義を受けに来たのではないので机は隅にかたづけられて座布団だけだった。また、数か所に炭が赤々と熾った火鉢がおかれており、暖かく快適だった。
相手は
「本日は急な会談ではあるが、よく来てくださった。今後について有意義な話し合いができると良いですな」
口火を切ったのは
「近頃きちんと話もしなくなっていたから、このような場は歓迎する」
「姉上、同感です。して、お話とはなんでしょう」
きょうは名代なのか、なんの立場できたのかまだわからないが、
それと、この場は
「
二人は軽くうなずき、
「だが、そうかといってそのままなにごともなしというわけにはいかない。わかるな。
「これは異なことをうかがった。姉上、計略とは? また、わたしが隠居? 出家? どのような根拠がおありでしょうか」
「答えの前にお聞きする。そちらの御仁、あなたはどのような立場でご出席ですか。
「そう考えていただいてよろしいかと」
「そのようなあいまいな答え様は困ります。つまり党首、
「いや、わたしは一幹部として……」
「なに、一幹部? ではあなたの言葉にどれほどの価値があるのですか。ここで約束されたことは信頼できるのですか。
矢継ぎ早だった。
「それはあまりなお言葉。姉上、この者は
「つまり何者でもないではないか。会談に無責任者を出席させるとはいかがなものか。党は事態を軽く見ておられるのか、それともわたしをか」
声が講堂に響いた。『か』という音で切れるたびに反響が耳を刺す。
「姉上、落ち着いてくださいませ。
「それと
「なにをおっしゃっているのですか。さきほどもおうかがいしましたが証拠はあるのですか。いくら姉上でもさすがに限度がございますぞ」
「襲撃の実行犯から押収した書状がある。こちらの
「それが?」
「もし無関係だというのなら書状の宛名人に話を聞けるのだろう? ぜひお願いしたい。取り計らってくれぬか」
「党を敵に回すのですか。それは得策ではない。そのくらいわかるでしょう」
「それはこちらの言い分を認めるということだな。
「後はどうなるのですか」
「わたししかいなくなるな。
二人は青い顔をして唇を震わせていた。良くない、と
「早々に隠居するならば出家ではなく在家でもかまわぬ。また、館を含む本拠地とこれまで蓄えた個人財産の所有は認めよう。余生に困ることはないはずだ」
「姉上、これまでわれら二人うまくやってきたではないですか。
「壊したのはおまえだ。このような醜い騒動を起こしおって。事前に察知できたから良かったようなものの、家の外、とくに王室に届きでもしたらどうなっていたことか考えてもみよ。それに
容赦のない言葉だった。さらにそれはもう一人にも向けられた。
「それと
試しているな、と
「相違ありません。どうされるおつもりですか」
まともな人物でよかった。自分のしたことを自分で背負うなら話が通じる。
「それは党首が決めることです。しかし、今後わが領内での活動にはそれなりの監視が必要となります。目付を置くかもしれません」
そういわれると一瞬下を向いたが、また顔を上げた。覚悟を決めたのだろう。
「では
だめだ。負けを認めた者を叩いてはいけない。勝ちを味わうのは自分一人になった時にするものだ。
「暖かいのはけっこうですが、少々暑くなって参りました。申し訳ありませんが火鉢をもそっと遠目に願います」わざとのんびりした声で命じた。これで怒気をそらせればいいのだが。血がつながっているのも厄介だ。いわなくていいことまでいう。
寺務員が入ってきて火鉢を移し、一礼して出ていくと
「それでは姉上のおっしゃる通りにいたしますが、家来などわが家で働いてくれている者どもの処遇、なにとぞよろしくお願いいたす」
「無論そうする。安心いたせ」
「お待ちを」
だまったまま下を向いている。
「話せなくなったか。まあ、だいたいわかる。
「だまれ! えらそうに! おまえらはいつも上でふんぞり返って、手を汚すのは俺らばかり」ひざをたたく。「俺たちだって人だ。なのに働きもしないやつらがあがりをかすめていきやがる。公共事業だなんだと理屈をつけてな。もうがまんならん。俺たちは俺たちの国を作るんだ。農民の国をな!」
「正気か?」
「すました顔しやがって。おまえのその着物や奇妙な異国趣味、それはだれから取り上げた金で手に入れたんだ。それがおまえらのいう公共事業か!」
「
「この腰抜けめ! そんなにこいつが怖いか。いつまで姉の下にいるつもりだ。一度はまともになったと思ったが、もう腑抜けたか」
さすがに見逃せぬと思ったので割って入る。
「
ほかの三人はうなずく。しかし、さきほどまともな人物と感じた様子とはまったくことなる面があらわれていた。
「従者ごときが生意気な。おまえなどなんの利用価値もない。この場で成敗してくれようぞ」
懐から笛を取り出し、吹く。外が騒がしくなった。
こよりを引きちぎった。それは意識していない反射的な動作だった。それを見て
「いいや、引かぬ。手順はちがうが結果にはたどり着いてみせる。一度に
「
その止めた姿勢からふりかえる一動作で
あまりに手早いので
その問いを無視し、講堂の庭に面した扉の隙間から外を見る。「十、いや十一、二か」寺の前にいた連中の一部だった。武装は見た通りの鍬や鎌。「数が数ですから厄介です。死ぬ気で向かってこられたらこっちも無傷では済まない」
「なにをしているのだ? なぜ踏みこんでこない?」
「待つのか」
「
「そうだな。やつらの動きから異変は察知したはずだからもうすぐだ。では待ったほうがいいな」
「ええ、それにわずかな時間なら稼げます」
「
「いえ、
「わたしも」
「いいえ、訓練を思い出してください。
『おい、出てこい』『
外が騒がしいが、うるさいだけで覚悟が感じられなかった。また、口だけですぐに突入しようという血気にも欠けている。武人なら、状況の停滞および予定の命令が発せられない時点で独自判断し、とっくに扉を破壊して作戦の次の段階に進んでいるはずだ。
「あれで世をひっくり返すか。冗談ではない」あきれたようにいう
「姉上、いまさらですが、ここまでとは思ってもおりませんでした。目が覚めましてございます」
「本当にいまさらだな。処分は変わらぬ。正しい順序をたどらずに力を手にしようとは、わが弟ながら愚かにもほどがある。隠居後の余生は反省して過ごせ」
「では、行きます。横から出てやつらの側面を突きます。わたしが出た後、すぐに閉めてください。
そういい捨て、返事を確認せずに講堂の横へ走る。扉をわずかに開くが、こちら側にはだれも配置されていなかった。囲み方も知らない、ただの興奮した群れだった。そのまま体がすり抜けられるほどだけ開け、気を消して出た。直接見られないかぎりはそこにいるとは感じられないはずだ。
見回すと掃除か修繕に使ったのだろう、梯子が放置されていたので計画を変更し、屋根にのぼった。棟を使って体を庭の反対側に隠して様子をうかがう。十一人。寺の外でも闘いが始まっていたが、警備士たちは十分な人数だった。
庭に目をもどし、すぐに光球を連射する。十ほど撃つと息が上がった。確認できただけで五人の視力を奪ったが、その代わり見つかってしまった。「屋根だ! だれかあがって殺せ! 忍びだぞ」「怖がるな! すぐ解ける。見えないままじゃないぞ」そうか、忍びの術を知っている者もいるのか。
屋根に腹ばいになり、息を整える。光球が消滅する前にさらに敵勢力を削らねばならない。街道の時とは違い、倒すのが目的ではないのでなんとかなりそうだった。外を再確認したが、警備士の優勢は変わっていなかった。
「こいつ、死ね!」馬鹿がわざわざ上がってきたと教えてくれたので足を払うように切った。勝手に転げ落ちる。闘いや殺しに慣れていないと声で勢いをつけようとする。
そこから庭に回りこむと五人全員で向かってきた。二人に光球を命中させたが、これから刀を振り回すので乱射はやめておいた。
「忍びめ、卑怯な!」
縁に上がったり下りたりし、相手との間に柱を置くようにする。牽制に光球を撃った。まだ距離があるうえ、こちらもはげしく動いているので当たらないが、敵の突進をやめさせる効果はあった。こいつら、死ぬ覚悟もなしになぜ闘っているのだろう。
得物は鎌と鍬。鎌はひっかけるように動かされると刀を落とされるし、鍬は先端に重みがあるので振りまわして当てられると刀など折れてしまうだろう。農具を受けるのに刀は不向きだ。つまり、こちらから斬りにいくのみが正解となる。
「何者だ! 名を名乗れ!」
前に出た男が怒鳴ったが、無視して手首を切った。血が砂に滴る。手が落ちたわけでもないのに転げまわって苦しんでいる。よほど驚いたのだろう。人を傷つけに来て自分が傷つけられたら驚愕している。おかしなやつと思った。当てやすくなったので光球を撃ちこんだ。
「よくも!」
そして、大声でわけの分からないことを叫びながら二人が向かってきたがやはり決死の覚悟がない。滑稽にもおたがいに自分がうしろにつこうとしつつ、こちらに接近しようとしている。間抜けの相手に時間を取られたくないので先頭から順にふとももとすねを切った。
庭の中央に進むと、屋根から光球を撃ちこんだ者たちの術が切れかけ、光が弱まっていた。そろそろ周囲がぼんやりとわかるようになっているはずだった。
しかし、悲鳴以外の音は聞いていた。塀の外でも戦闘が行われている。やはり怒鳴り声や、情けない泣き声がする。では
門が乱暴に開けられた。鎌を片手にした血まみれの男が現れ、倒れた。そのうしろに返り血を浴びた男が立っていた。
「
「
入ってきた
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