十六、……虎子はかわいい

 戸善とぜんはさらに重ねていう。

「それと、ほかの家に行くなら国境を越えたほうがいい。遠すぎます。しかし、『窮鳥懐に入れば猟師も殺さず』といいますが、大牧おおまき家ははたして猟師の懐か、虎の穴かわかりませんよ」

「あるいは両方かもな」


 戸善とぜんはその言葉にはっとし、考えが頭の中でぐるぐると渦巻くのを感じた。懐であると同時に虎穴。それは考えもしなかったがありうる。それどころかこの状況をうまく説明するかもしれない。


「なぜそうお考えになったのですか。両方とは?」

「だって、そうだろう。雷蔵らいぞう個人と黒鍬党くろくわとうが絡んでいて、家としての大牧おおまきは無関係。それで話は通るだろう」


 いま見聞きしたことを構成しただけの、単純極まりない、表裏のない推理だが、たしかに話は通る。理屈が通るならむやみにこみいったことを想定するより単純なほうがいい。ならば、この単純さに賭けてみるか。


「では、懐のほうに飛びこみたいですが、いかがしましょうか」

「姉をたよろう。あの時の様子からして雷蔵らいぞうをおさえられるのだから味方になってくれるだろう」

 部下だったら、待て、といっていただろう。あまりにも根拠が薄弱だ。そんな思いも知らず、千草ちぐさはさらにいう。

「それに、櫛をもらったし。悪い方のはずがない。恵子けいこ様をたよろう」


 その後はもう襲撃や不審なできごともなく、山を向こう側に越えると、街道が交差する辻に出た。

「ここでまっすぐ行けば三、四日で国境です。左に曲がれば日のあるうちに恵子けいこ様の直轄地です。ほうっておいても向こうから見つけてくれるでしょう」

 戸善とぜんはそれぞれの方向を指さして説明した。

「ならば左だ」

「わかりました」

 感心した。この状況で迷わないとは。決定の根拠に疑問はあるが、即断即決された次善の策は遅鈍な最善策にまさる。

 ふたりは左に曲がった。追跡者がいたとしたら大層とまどっているだろう。それを想像するのも愉快だった。

 しかし、こちらの読みが完全に外れていたら。かといってあと三、四日も先ほどのような襲撃が続いたら一人ではどうにもならない。次は雇ってでも手練れをよこすだろうし、素人だったとしてもさらに人数を増やされたらいつまでもああうまくばかりいくとは限らない。


「そこの者、止まれ。われらは大牧おおまき家警備士である。公道であるが国王より与えられた権限によって取り調べを行う」

 武装した二人組だった。山中であった警備士とは姿がまったくちがう。腰のものは異国の反りのない剣で、おなじく異国の革鎧を身に着けている。見慣れない意匠の真紅の外套には金糸で大牧おおまき家の紋が縫い取られていた。話に聞いていたとはいえ、実際目にするとこの異国趣味は目がくらみそうだった。


 ふたりは、戸善とぜんが前に出る形で膝をついた。警備士たちも前後に離れて近づいてくる。うしろの者が遠くの舘に小旗を振って合図していた。


「む、その紋は雨宮あまみや家のかたか。遠目にて無礼致した。お詫び申し上げる。ささ、お立ちください」先頭がいった。そばには来たが、刀の間合いまでは近づかない。うしろの者はさらに離れてだまって見守っている。

「その通りです」戸善とぜんは立ちながら返事をし、自分たちの名を名乗った。

「して、どちらまで行かれるか。およびその目的はなにか」

「緊急の要件があり、急ぎ帰国いたします。しかしながら、道中不審な襲撃を受けたため、御家に保護を求めるものです」

 警備士の表情が変わった。

「不審な襲撃とはいかなるものか」

「詳細な目的は不明ですが、お嬢様の殺害、または誘拐を図ったものかと推測します」そういって血まみれの書状を見せた。うしろの警備士がさらに小旗を振った。

「おけがはありますか」

「いいえ、山中での襲撃は退けました。三人でしたが、二人を殺害。死体は道脇に放置しました」くわしい場所を告げた。

 さすがに対処に困っている様子だった。

「急ぎのところ済まぬが少々待たれよ。われらでは判断がつかぬゆえ」

「わかりました。よろしくお願いいたします」


「かまわぬ。お連れせよとのことだ」遠くの館を見ていたうしろの警備がいう。「どうぞ。館にて保護いたしますのでついてきてください」

 そのままうしろだった警備士が先頭、はじめに話しかけてきた警備士がしんがりとなり、はさまれる形で館まで歩きだす。「ありがとうございます」


 館も異国趣味だった。石の積み上げかたが独特で、定規で計ったようにまっすぐに、そして不自然さを感じさせるほど左右対称に作られていた。樹木の剪定の仕方も円錐や楕円、直線といった幾何学図形のように仕上げられている。この館では自分もからくりの部品になったように感じられた。お嬢様も居心地悪そうにしている。


「ようこそおいでくだされた。わたしは当家の警備士長を努める山瀬源吾やませげんごと申しまする」礼をし、頭をさげる様子は踊りのようになめらかだった。「大変な目に会われましたな。おけががなく幸いでした。お急ぎとのことですが、もうすぐに日が暮れます。今夜は泊まり、明日早朝に出発されるとよろしいでしょう。もちろん当家から保護をつけます。しかし、その前に事態の詳細を確認させていただいてよろしいでしょうか」

 異国の着物は目にも鮮やかな原色が組み合わされていた。警備士長はひだをゆらしながら、愛想よく、一息にいった。羽飾りや勲章が重そうだ。

 ふたりは誘導されるまま別室に入ったが、その前に刀などは預けねばならなかった。千草ちぐさの懐剣もだった。封をして持っておくことも許されなかった。それについてはやわらかいが、異議を許さない態度だった。


 これは実質的には尋問だったが、警備士長は会ったときとおなじく常に愛想よく、一息にかなりの量を話した。そしてまるで状況を絵にするかのように微に入り細を穿って尋ねてきた。戸善とぜんが主に回答したが、おなじことを言葉を変えてなんども聞かれた。穂高ほだかに入国してからのことについては嘘はつかない。ただし、自分の真の任務と、襲撃者が大牧雷蔵おおまきらいぞうの名を出したことについては伏せた。その点では質問がお嬢様の旅程などの行動に集中していたのでたすかった。この警備士長が本気で聞き出そうとしたらごまかしきれなかっただろう。どこかにほころびを見つけられていたはずだった。


源吾げんご、もうよいだろう。休ませてやらぬか」

 ふたりが入った扉の向かい側から声がした。聞いたことのある声だった。

 分厚い幕が音ひとつたてずに開いた。壁龕があり、大牧恵子おおまきけいこがすわっていた。こんどは趣味のまったく異なる異国の着物だった。見慣れたものではないが、長身なので似合っているように感じられた。

「これはおふたり、思ったよりすぐに再会できましたね」

 立ち上がって礼をしようとする二人を手で制した。「源吾げんごはもうさがってよい。部屋の準備が整ったら教えてくれ」警備士長はすばやく部屋を出た。その空いた席にさっとすわる。会うのはまだ二回目だというのに旧来の友人のような遠慮のない仕草だった。


千草ちぐさ様に三郎丸さぶろうまる殿、でしたね。山中で恐ろしい目にあわれたとか。しかし、かんたんに退けたご様子。かなりお強いのですね」

「対応したのは明慶あきよしです。わたしはしゃがんでいただけです」

「これはこれは。やはり良い従者なのですね。ところで、源吾げんごのお調べ、途中から聞いておりましたが深山守みやまのかみ様御患いとはご心配でしょう。国境まではお送りしますし、馬もお貸しします。一日半もあれば国境を越えられましょう」

「ありがとうございます」千草ちぐさがいうが、戸善とぜん恵子けいこがいった日数が気になった。

「馬とはいえ、それほど早く移動できますか」

「特別対応します。駅伝の許可を出しますので、馬は乗り継ぎです」

 戸善とぜんは驚いた。「感謝のしようもございません。御厚意かたじけない」

「いいえ、わが領地やその近辺で野蛮なできごとが発生し、隣国の方々を危険な目にあわせました。お詫びも兼ね、できうるかぎりのことをいたします」

 頭をさげながら戸善とぜんは考えていた。壁龕とは。しかし、出入口がはっきりしない。巧妙に隠されているのだろう。壁がずれるのだろうか。

 ふととなりが気になった。見るとお嬢様がもじもじしているので聞く。「いかがされました」

「いえ、実はわたし、早馬の経験がありません。乗馬はできますが、長時間の騎乗は自信がありません」

「それは困りましたね。三郎丸さぶろうまる殿。なにかお考えは?」

「相乗りで参りましょう」自分は鞍なしで駅伝をするとこともなげに言う顔を恵子けいこはじっと見た。

「わかりました。丈夫な馬と良い鞍をご用意いたしましょう。各駅でも手持ちの最上等を出させます」

「重ねて感謝いたします」


 あとは雑談をしながら旅程を詰めた。砂糖を惜しみなく使った上品の菓子も出た。千草ちぐさは目を丸くして喜んでいる。

 しかし、戸善とぜんははずむ会話にあわせながら、またひとつ気になることが増えていた。

 恵子けいこ様はいっこうに黒鍬党くろくわとうについて聞いてこない。“野蛮なできごと”、を起こした、“賊”、という言いかたはするが、党名や党首の名前は出さない。それらは警備士長には答えたのだが、わざと避けているように感じられた。


「変わった字をお書きになるのですね。それに紙も筆も見たことがない。軸の先が金なのですね」

 恵子けいこが覚え書きを認める様子を見て千草ちぐさが遠慮なくいった。

「ああ、これはすべて異国の産なのですよ。字は練習をしているのです。横書きなのですよ。不思議な感じでしょう」

恵子けいこ様は異国に関心がおありなのですか」

「はい、海の向こうの国。われわれとは大層異なった暮らしや文化。良いところがあれば取り入れたいと考えています。それを知るために日常に異国風を取り入れているのです。頭だけでなく体感としてつかみとるにはこうするのが一番いい。まあ、家中の者たちは迷惑がっているのですが」


 その時、警備士長が部屋の用意が整ったと知らせに来た。だが、その程度のことを告げるには耳打ちが長すぎる気がしたが、考えすぎだろうか。戸善とぜんはだまって見ている。


「それではどうぞ。食事の用意ができましたらまたお呼びします」

「ありがとうございます。この厚遇、父上にも伝えます」


 部屋は来客用が二室用意されていた。戸善とぜんは、お嬢様はともかく自分は困る、従者用をお願いする、といったが、お二人とも当家のお客様ですと取り合ってもらえなかった。

 荷物はすでに運びこんであり、刀は作法にしたがってきちんと置かれていた。異国風の部屋でその刀掛けだけが浮いていた。

 武器と荷物をたしかめると、異国の布団をこわごわそっと手で押してみた。ふわふわで心もとない。沈むような感触もある。これで安眠できるだろうか。


 食事は満足のいくものだった。これだけは異国風ではなかった。

「いいえ、いつもは異国のものを一品入れるようにしていますが、お口に合わないでしょうから今夜ははぶきました」

 戸善とぜんはかなり遠慮したのだが、お嬢様、恵子けいこ様と同席させられた。それでも酒はあつかましすぎると断った。

「この食事といい、部屋といい、わたしのような身分のものには恐縮です」

「そうはいわれるが、食べかたはきちんとしておられる。行儀作法に反するところがない。雨宮あまみや家の警備士のかたはこういった席も慣れておられるのですか。さすがですね」

 そういったあと、戸善とぜんを見たが、必要以上に長かったような気がした。

明慶あきよしは四角四面なのだ。わたしとしてはもうすこしくだけてもよいと思う。こういう席では飲むものだ」千草ちぐさが遠慮なくいった。

「まあまあ、千草ちぐさ様。三郎丸さぶろうまる殿はなかなかご立派な忠臣ですよ。それに、なにか見た目以上のものを持っていらっしゃるような気がいたします」

 なんとか顔には出さずに済んだが、戸善とぜんの心中はおだやかではなかった。

 千草ちぐさがうなずいて笑う。「そうです。なにか隠しています。宿では時々ひとりで楽しみに出かけていたようですので」

「まあ、かえって安心できますね。従者がつねに仕事一筋では使うほうも気が抜けないですから」

「そろそろご勘弁を」弱りきったようにいうとふたりは笑った。


 この家にただよう落ち着いた感じ、安心できる空気はなんだろう、と部屋で考えた。寒いがあえて窓を開け、風呂上がりのほてった体を冷やす。星が砂を撒いたようだった。

 ある程度ほてりが取れたので窓を閉める。いろいろと備えたり、考えたりしておきたいが時間はない。明日からは相乗り、鞍なしで駅伝だ。寝られるうちに寝ておこう。


 扉をひかえめにたたく音がした。


「はい、ただいま」扉を開ける。


 恵子けいこ様だった。


「まあ、湯浴みをなされたのにお着替えではないのですね。まだお仕事ですか」

「これから着替えようとしていたところです」

「それではお邪魔でしょう」

「そのようなことはございません。御用をおっしゃってください」

「入ってもよろしいですか」

「あ、いや、それはその、よろしくない。応接室のようなところはありませんか。そこでうかがいます」

「まあ、なぜでしょう」目が笑っている。

「ここには寝具もあります。未婚の男女が同室するのにふさわしいところではございません」

 子供のような微笑みが返ってきた。

「では、ふさわしい部屋にご案内します。どうぞついていらっしゃい」

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