九、藪をつついて仕事を出す

「なんだ、飲まぬ飲まぬといいながら赤いぞ。長い風呂だと思っていたが。ははは、気にするな。外国だし、おまえはすこし酒の気があるくらいでちょうどいいだろう」


 しきりに恐縮する戸善とぜんを見て、千草ちぐさはなんだかうれしそうだった。おまえも気がゆるむのか、とか、はじめて隙を見せただのなんのとからかわれ、やっと放免してくれた。

 それからまた書状を託され、再度ひきとめられたが断り、就寝の挨拶をして廊下に出た。布団にあぐらをかき、壁にもたれる。しみだらけの天井を見上げ、かれらと話がつけられるだろうかと考えていた。

 かれらは黒鍬党くろくわとうだった。それなら知っていた。表向きは土木工事を請け負う集団だ。しかし、近頃は徒党を組んでよからぬことをしているという情報があった。

 戸善とぜんは大部屋での会話を反芻した。見落としている点はないだろうか。


『……風呂場でのたわいない話だ。見逃してやっておくんなさい』

 部屋の隅ですわっていた二人を見つけ、風呂でわれらのうわさをされていたようだが、と話しかけると太い声のほうがそういって詫びた。下手に出られたのでかえって警戒心が高まった。

 いや、いいがかりをつけようとしているのではない、むしろ詫びるのはこちらだ、とあらかじめ入手しておいた徳利をさしだす。まあ、酸い酒だがお口など湿してくれ。

『兄さん、悪いねえ。ふるまい酒は遠慮せぬのが礼儀。ならわれらのも一献』

 そういって場所を開けてくれる。戸善とぜんはすわりこんでまたいう。や、ついうっかりとしていた。悪気ではないのだ。

『さっきから詫びるだのうっかりだの、なんのことだい?』

 かすれ声のほうが聞いてきた。愛想笑いで答える。いや、お嬢様の研究のため各地を旅しているのだが、土地の豪農や役人には話をつけたのに、お主らのような顔役に筋を通すのをうっかりしていた、ということさ。これは詫びねばならん。どうだろう、ここらの顔役にお目通りかなわぬだろうか。

『われらは黒鍬党くろくわとうだが、ご存じか』

 うなずく。土木をなりわいとされている方々だね。公の信頼も厚い立派な党と聞いている。

 そこで太い声が名前を聞いてきたので呼び名を答えた。

三郎丸さぶろうまるさんとやら、お話承った。会えるようにする。あすかあさってには小僧がいくから待っててくれ』

 うなずき、おたがいさしつさされつして立った。


 ざっと思い出したが、とくに失敗したようなところはなさそうだ。やつらがこっちの名前を聞いておきながら自分たちは名のらなかったのは気になるが、ああいう連中はそうなのだろう。


 翌日遅く、小僧が来て伝言していった。党首領の名代と明日の夕方。この宿で。

 向こうからやってくるとは、と、自分のうかつさを呪うと同時にほっとした。気がつかなかったが、この宿自体が黒鍬党くろくわとうの支配下にあるようだ。もしこちらから動かなかったらどうなっていたことか。


「なんだ。用事とは」千草が不審げにいうが、目が笑っている。

「いや、その……」ばつの悪そうな顔を作る。千草は大笑いする。

「かまわないよ。おまえは昼はまじめだし、翌日に持ちこさないのもわかった。いいよ、楽しみなさい」

 恥ずかしげに頭をさげてその場を去る。


 指定の部屋は二人が移ったところより上等で、植えこみと塀で隠されるようになっている離れだった。外には目つきの良くない若衆が三人立っていた。手を出してうながすのであらかじめこよりで封をした刀と短刀を渡す。年上の者が封を見て感心したように目を細めた。武家の作法など初めてだったのかもしれない。


 部屋には奥の上座に一人、両脇に一人ずつの三人で待っていた。いずれも穏やかな顔だった。上座が口を開いた。


三郎丸さぶろうまる殿、ようこそお越しくだされた。わたしは島倉秀則しまくらひでのり黒鍬党くろくわとう党首、丹下九郎たんげくろうの名代を務めるものです。以後お見知りおきを」

 お見知りおきを、というが名乗ったのはこの一人だけだった。ここではそういう流儀なのだと再度思う。両脇の者たちは石のようにだまっており、紹介もされなかった。戸善とぜんもそれに合わせてあらためての名のりはせず、頭をさげるにとどめた。


「こたびはご挨拶されたいとのことですが、党首多忙のみぎり、わたしが代わってお受けいたします」

「はい。急なお話にもかかわらず、また当方の無礼をとがめだてもせずお会いくださり厚く御礼申し上げます。わたくしどもは雨宮あまみや家三女千草ちぐさ様のご研究のため御国を訪れ、言語に関する調査を行うものであり、それ以外の目的はございませぬゆえ、御国内における安全通行をお願いするものです」

「ご研究とのこと、承りました。学問とは感心です。もとより妨害を行う所存などございませんが、ご丁寧なご挨拶があった以上、党として安全通行を保障いたします」

 戸善とぜんはまた頭をさげる。

「快く保障くださり感謝の言葉もございません。主君に黒鍬党くろくわとうによく報いてくださるよう伝えます」

 名代はうなずいただけだった。穏やかな表情をたもっている。


 その時、脇の者たちが動き、流れるような動作で盃の準備をした。作法にしたがって誓いを交わすと、かれらは部屋を出て二人きりになった。


「ところで三郎丸さぶろうまる殿、ひとつおうかがいしてよろしいかな」

 誓いとはべつに残された銚子から注いでくれる。一息に飲み干して返杯した。

「どうぞ。わたしにお答えできますものなら」

「なかなかいけますな。さて、言語の研究、とのことですが、ご質問が農作物に関する点にかぎられているようですね」名代も一息にのみ、また注いでくれた。

「は、お嬢様によりますと、あらたまっていない自然な言葉づかいを調べるには相手のなりわいについて聞くのがよいようです。農民には農業、です」

「なるほどもっとも。しかし、一部に不審を抱く者がおりまして。下々の考えなど気にされずともよいと思いますが」

「不審、と申されますと?」と戸善とぜんはとぼけた。まったく濁りがなく上質で強い酒だった。

「打ち割ったところを申しますと、農民どもは常に公明正大ではありません。国のためになる税ですらごまかそうとします」

「なげかわしいですが、こちらでも同様です」

「なのであまりに農作物の出来不出来など細かくお尋ねになると、そのような下賤の民ともめごとになるのではないかと思いましてな」


「なにかお心当たりでも?」戸善とぜんは賭けに出た。強い酒のせいかもしれないし、諜報員としての本能がいわせたのかもしれなかった。


 名代の杯が一瞬止まり、薬のように酒を含んだ。


「こちらでも同様、とおっしゃられたが、月城つきしろの農民もごまかしをしますか」

「ええ、小生意気にも隠し田などするようです」

 問いに問いで返されたので、さらに賭けを一歩進めた。いまの戸善とぜんの鼻は調べるべきなにかがあると嗅ぎ当てていた。

「いずこもおなじですな。で、そちらではどうしています。隠し田のあつかいは」

「小遣い稼ぎ程度なら放置です。むやみに取り締まって反感を持たれるよりは、という計算ですね。ただ、あまりに上をないがしろにするようであれば摘発しますが」

穂高ほだかでもそうです。ゆえにあつかいは慎重にお願いしたい。取り締まりが強まるかもといった流言はたってほしくない」

「お嬢様の取材がそのようになっていますでしょうか」

「率直に申せばそうです」

「ご忠告承りました。また、感心もいたしました。黒鍬党くろくわとうは土木をなりわいとしておられると考えておりましたが、農民や国の平安にもお心を砕いていらっしゃるのですね」

「当然です。国家あってのわが党です」

「いや、感服いたしました。国家あって、とはなかなかいえることではありません。お嬢様には他意はありませんが、取材の手法がそのように受け取られかねないと申し伝えます」

 一礼する。そして、頭を上げ、名代が口を開く前に付け加えた。

「農民への気遣いが深いようですが、党名のは畑仕事の鍬にもちなんでいるのですか」

「いいえ、土木作業専用の黒い太柄の鍬を表します」そういう名代の顔がわずかにしかめられたのを、戸善とぜんは見逃さなかった。

「近頃は畔を作ったり、開墾したりと幅広く使われているようですね」

「そのようですな。党とは無関係ですが、便利な道具の普及は早いですから」そういってじっと戸善とぜんの目を見据える。


「さて、三郎丸さぶろうまる殿。本日はご挨拶ご苦労様でした。わが党にとっても有意義な面会でした。とくに雨宮あまみや家と通じることができましたこと、こちらから感謝したいほどです。わが国におられる間、黒鍬党くろくわとうは誓いを守ると固くお約束いたします」

「こちらこそこのような機会を設けてくださったこと、また、通行の安全保障をいただけましたこと、御礼申し上げます。わが主君深山守みやまのかみも喜ぶでありましょう」

「ただ、あえてご無礼申し上げますが、くれぐれも農民に誤解を与えるような詮索はご無用に願いたい。かれらはつまらぬ流言で動くような輩ですが、それゆえに妙な刺激は与えたくありません」

「ご理解いたします。そのように注意いたしましょう」


 頭をさげ、席を立った。部屋の外には誓いの盃を準備した二人が控えており、戸善とぜんを見ると目礼した。

 さらに離れの外で刀と短刀を返される。腰と懐にもどしながらさっと確認するとこよりの結び目が変わっていた。元にもどそうとしたようだができていない。その程度の連中かと軽蔑しながら物陰で調べたが細工はされていなかった。若衆が好奇心で抜いたのだろうが、それは上が下を御しきれていないことを表す。いきがってみたところでやはりならず者の集団なのだ。


 それならば誓いを重視する必要はない。隠し田の件、独自に調査する価値はありそうだ。


 戸善とぜんは無表情な顔をさらに無にし、今後について考え始めた。

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