八、君子にあらずんば危うきに近寄る
朝日とともに目を開いた。ここに来るまでの回想が遠のいていく。庭に降りると一応昨夜の足跡を調べ、素人であると再確認した。手練れによる暗殺や誘拐の試みではない。もしそうだったら自分一人では対処できなかったはずだ。刺しちがえるのがせいぜいだろう。日光に目を細めながら無力さを感じる。
きのうのお嬢様の依頼は書状だったのでちょうどよかった。自分の書いたものといっしょに商人に託そう。それから
それにしても、お嬢様のあの言動、なんとかして抑えられないだろうか。しかし、こっちが本当の任務を知っていると悟られてはいけない。困ったものだ。
朝をいただくとその家を後にした。主人は隣国の貴族をお泊めした名誉だけで十分といい、礼を受け取ろうとしなかった。
いや、むしろその無邪気さが相手を恐れさせたのかもしれない。その意味では良かったともいえる。油断ならぬ二人連れ、という評判が立つのは悪いことではない。
秋晴れの街道は農産物やそのほかの物品を積んだ荷馬車が行きかい、道端によけながら歩かなければならなかった。しかし、そのおかげで
「
人通りがまばらになると話しかけてきた。
「急ぎます。歩きながらでよろしければ」
「うん、立ち入ったことを聞くが、どのくらいになる。警備士になってから」
いまごろ身体検査とは。
「三年ほどです」
「そのまえはなにをしていた」
直接的な質問しかできないのだろうか。すこしは遠回しに探ればいいのに。
「おなじです。商人の倉庫警備などです」
「わたしとは一度も会ったことはないか」
「お嬢様は辺境へは?」
「ない」
「では、会っていないはずです。わたくしもこの任務を受けるまでは中央へなど行ったことはありませんから」
「しかし、おまえ、訛りが少ないな。発音や言葉が中央よりだ」
なかなか鋭い。そこは弱いところだった。あまりに急な任務だったため、
「そうでしょうか。自分ではまだ恥ずかしいのですが」
「訛りは恥でもなんでもない。なぐさめじゃないぞ。わたしは言語を勉強したからな。どんな言語でもそうなった経緯がある。
「学問の話はわかりませんが、ありがとうございます」
「どうもおまえはかたすぎると思っているのだが、出身や訛りを気にしているのではなかろうな。長い旅だ。もっと話してくれていい」
「重ねてありがとうございます。そういたします」
どうやら任務遂行を考えてばかりいるあまり、人をその仕事に関しての利用価値だけで判定していたようだ。人は歯車仕掛けではないというのは自分にこそいうべき言葉だった。
「今夜の宿が見えてまいりました」
騒ぐ声が風に乗って聞こえてくる。
「あれか、にぎわっているな」
「ええ、この季節ですから。早くに収穫を終えて現金を手にした農民も飲みに来ています」
「取材にはもってこいだ」
「お気を付けください。飲んでいます。というか、飲まれていますので」
「いざとなれば、おまえが守ってくれるのだろう?」
「もちろんですが、もめごとは避けてください」
「わかっている。あ、おまえもすこしは羽を伸ばせ。飲んでもいいぞ」
「いいえ、足に来ますといけませんので」
「まじめだな。おまえは」
宿はかき入れ時であり、混乱が渦巻いていた。
「どういうことだ。一部屋とは?」
「お二人はご夫婦では? そううかがっておりますが」
番頭はそういいながら書状を見せるが、二人の様子を見てとまどっている。夫婦というには年の差がありそうだ。
「これはちがう。雨宮家のお嬢様と従者だと連絡が行っているはずだ。最高の部屋とその従者用の二部屋を用意しなさい」
「困ります。すべて埋まっています」
「亭主を呼べ」
しかし、亭主も同様に頭をかくばかりだった。のらりくらりとかわす。
「もうしわけありません。今夜一晩だけなんとかご辛抱いただけないでしょうか」
「明日なら用意できるのか」
「はい、それはもう、まちがいなく」
「いかがいたしましょうか」
「一晩だけであろう。かまわぬ」
「よし。その部屋に案内しろ。それと衝立を貸してくれ」
部屋は廊下の突き当りだった。衝立を仕切りにして入口の前に場所を作る
「わたしはかまわぬ。部屋で休め」
「そうはいきません。わたしは従者です。その上未婚の男女が同室などゆるされることではありません」
「しかし、廊下など、休めるものではないだろう。まる一日歩いたのだ。畳の上がいい」
「お言葉はありがたく頂戴いたしますが、こればかりは。それに一晩だけです」
「ならばここの亭主の部屋でも使えないか」
「わたしの任務は護衛です。一人だけとはいえ、できうるかぎりおそばにいませんと」
「かたいのう。
数回押し問答となったが、
「風呂はべつなのだな」と
「前にいったな、これではお供でございます、と。わたしもそう思う。いまさら危ないことなどなかろう。おまえものんびり湯につかってふやけてはどうだ」
からかうようにいった。
「ここは混んでいるようです。むしろそのほうが安心でしょう。常に人の多いところにいるようにしてください」
それには乗らずに答えた。
「わかった」
入口でわかれ、
「……なあ、あいつらほんとに貴族かい? どうもそうは見えないが」かすれ声が水をはねさせる音をさせながらいう。
「だが、すっぱとも思えない。金を出させようともしないし、むしろ払いはいいみたいだぜ」太い声がそれに答えた。
「そりゃ撒き餌だからじゃないか。そうやって油断させてから仕事にかかるつもりかも」
すっぱ、という言葉には複数の意味があり、その中には忍びの者、諜報員という意味もある。
「……じゃああのお嬢様とやらは頭の悪いふりをしてるのか。田や畑仕事のことばかり聞いて、まるで役人だよ」太い声があきれたようにいう。
「ちげえねえ。なあ、ひとつ痛い目に合わせてやるか。すっぱにせよ、役人にせよ俺の目の黒いうちはここらででかい顔はさせねえ」かすれ声が威勢のいいことをいった。
「だが連れの兄さんはちょっと厄介そうだぜ」
「できそうなのか」
「目つきがな。油断ならねえ。刀ぶらさげてるし」
「じゃあこっちも兄いのお耳に入れるか」
「よせよ、こんなことでわずらわせちゃならねえ」
「でも、一応は」
「まあ、いいさ。よしとこう」
こういった宿屋街にありがちだが、裏を取り仕切っている顔役でもいるのだろう。ますます目立つのがまずい状況だ。
かすれ声が報告しようとし、太い声が止めることが繰り返され、そのうちにうやむやになり二人は風呂から上がった。後をつけると大部屋泊まりだった。
顔役の正体までは確認できなかったが、推測ではなく、そういう有力者がいるのは確実だと考えてよさそうだった。
いや、こっちは数をたのみにできない。やつらが動きだしてから後手で対応していては間に合わない。ならば消せる火は消しておかなくては。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます