七、聞くは一時の恥どころか危険(回想の部 全六章中の六)

「これはようこそいらっしゃいました。雨宮家のお嬢様をお迎えできて光栄に存じます」

 そういいながら主人は二人の着物や履物を値踏みするように見た。戸善とぜんはそんな視線になど気づかないふりをする。千草ちぐさは立派な大人が他人の服の値を見積もるなど考えてもいない。

 どちらの国においても、経済的な豊かさにおいては豪農にはかなわない。現金が常に手の中にある。そういう余裕が家や家具ばかりではなく、服や履物など身の回りの品にもあらわれていた。


「二、三日お世話になります。また、あらかじめお知らせしていましたように、お嬢様の研究のため、農民への取材をお許し願いたい」

「もちろんです。しかし、まずはお部屋へ案内させましょう」

 土いじりなどしばらくしたことのなさそうなやわらかい手を打つと、使用人が出てきて二人を離れに案内した。


明慶あきよし、準備は良いか。行くぞ」

 荷物を置いて旅装を解くと、奥の部屋から声がかかった。

「もちろんです。参りましょう」

 そういって部屋から出てきた戸善とぜんは動きやすさを優先した軽めの服装になっていた。様子を見るため、刀などの目立つ武装は置いてきたが、懐に短刀を忍ばせていた。


 農民たちは二人に声をかけられてもさほど驚かなかった。すでに話が通っていたのだろう。気のいい人たちで、農作業の邪魔をされてもうっとうしがったりせずゆっくり考えながら答えた。

 このやり取りばかりは戸善とぜんが口を出すわけにもいかず、うしろで聞いているだけだった。


「ここらへん一帯はむかし、帝国動乱で落ち延びた武者や貴族が開いたといわれていますね」

「そうでございます。ここらへんというよりは穂高ほだか国自体がそういう由来でしょう」

「そうですか。われら月城つきしろ国はただの通過地ゆえ、むかしの雅な言葉はここのほうがのこっているはずです。わたしはその伝わりかたや変わり様などを調べているのです」

「はあ、それはご苦労様なことで。なにかお役に立てますかな」

「もう役に立ってもらっていますよ。こうして話をしているだけでいいのです」

「ほほお、世間話が学問になりますので。それはいい」

「そう。世間話でよいのです。ところで、今年の作物の出来はいかがですか」


 戸善とぜんは手を出して止めそうになったがこらえた。いきなりか。


 そんなあせりなど知らぬとばかりに、千草ちぐさは植えた作物の種類と量、病害虫による損失はどのくらいで収穫はどの程度になりそうかなど、任務をこなしはじめた。


「もうこれでよろしゅうございますか」

「ありがとう。たいへん役にたった。感謝する」

「しかし、言葉のお調べというよりは、お役人みたいですなあ。月城つきしろ国のお嬢様は」

「はは、まさか。農民の言葉づかいを知るには農業について聞いたほうが良いものなのです。ではお仕事をお続けください」

 そういって聞くことさえ聞けばもう用はないとばかりにお辞儀だけしてその場を離れた。戸善とぜんは、これは些少ながら、と礼金をわたす。農民はさっさとよそへむかう娘と、あわてて追いかける若者を首をひねって見送った。


 そんながもう二、三あり、日が傾くと宿に帰る。翌日もそうだった。お嬢様は先に部屋にもどっている。きのうきょうで体よりも心がひどく疲れた戸善とぜんは井戸で足を洗っている。いっそのことこの任務からも足を洗いたい。


 落とした手ぬぐいをひろおうとしゃがんだ時だった、井戸の向こう側を通る者たちの気配がした。館の使用人たちだった。前に出て挨拶しようとしたが、話に千草ちぐさ様が出たのを聞いた瞬間、しゃがんだままの姿勢を保った。ほとんど意識せずに気を消す術をつかう。


「……あの月城つきしろの娘っ子、怪しくないか」

「そだな、田畑や牛馬のできぐあいばかり聞きやがる」

「まさか役人の手先じゃなかろうな。まずいぞ、隠し田がばれたら」

「おい、そんな大声で」

「だれもいないよ。でも、ちょっと探りを入れるか」

「ああ、今夜忍びこもう。月城つきしろの貴族ってのが嘘ならついでに……」

「ばか。子供だ、ありゃ」


 かれらが通り過ぎてしまうと、戸善とぜんは首を振って立ち上がった。素人にすら怪しまれている。今夜くるやつらを追っ払ったら、深山守みやまのかみ様におうかがいを立てて、手を回して調査を中止にしてもらおう。こんな調子で国をめぐっていたら困ったことになるのは目に見えている。

 それに、中断という形であっても早々に任務を終わらせられるのであればそれに越したことはないだろう。

 しかし、隠し田か。主人もからんでそうだな。


明慶あきよし、どこだ?」

「こちらです。井戸におります」

「いつまで洗っておる。たのみたいことがある。来てくれ」

「わかりました」


 ため息をひとつ、井戸に落とした。

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