十、釘を刺……さったのか
「早かったな。あまり飲まなかったのか」
「これか。取材してたらご婦人方にもらった。気のいい方々だな。ここら辺の人は」
そういいながら一つ差し出す。砂糖がけの煎餅だがかるく生姜をきかせてあった。
「ちょうどよかった。今後について打ち合わせておきたい。いいか」
「もちろんです。あ、いや、それはわたしが」
立ちかけた
「今後といいますと、予定変更ですか」
一口飲んでいった。見たところお嬢様は丸腰だった。不用心にも懐剣はすぐに手の届かない床の間に置いたままだ。
「うん、研究旅行は続けるが対象を変更したい」
「相手を?」
「農民への聞き取り調査と共にもうすこし上流階級の方々がもちいる単語や発音を調べたい。なんとかならないか」
「それはまた、なぜでしょう」
「古語の変化の割合が地位身分によって変わるかどうか調べないと不完全な論文になりそうなのだ。わたしの予想では上流階級ほど古語を残さず中央よりになると考えている」
収穫量予想のため、調査対象を納税側だけじゃなく、収税側まで広げるのはわからないでもない。しかし、貴族にまであんな質問をされたらことだぞ、と思いながら顔には出さないようにする。
「しかし、お嬢様もおわかりでしょうが、
「やはりそうか」
「今回はおあきらめください。あと五年か十年もすればべつかもしれませんが、いまはむずかしいどころか対応によっては外交問題になりかねません」
「決着はつき、平和になったはずなのにな」
「それは、われら勝者の考えです。敗者の立場にも身をお置きください」
「わかった。おまえのいうことのほうが正しいと思う。今回はやめておく」
「もうひとつ、よろしいでしょうか」
「かまわぬ。遠慮するな」
「お嬢様の研究手法についてでございます。実はわれらがうわさになっております」
「うわさ?」
「あまり良いものではありません。農作物の出来不出来にかたよったご質問をされるので、役人の覆面調査かと思われております。一部には不快感を抱く輩もおります」
「しかし、日常的に用いられている言語をふつうに話させるには相手のなりわいを聞くのがいいのだが」
「そこをなんとか、もう少々遠回しにはできませぬでしょうか。たとえば収穫についてばかりではなく、農業用語や道具のあつかい、家畜の性質についてなどの問いを適度に混ぜてみてはいかがでしょう」
「研究についてはわたしが決めることだ」
「もちろんでございます。ただ、農民どもは税については過度に敏感です。お心におとどめください」
「わかった。それにしてもまた四角四面にもどったな」
「
「は」
「おまえ、辺境の警備士かと思っていたが、外交だとか、相手の立場に身を置けとか、さらにはうわさ話に耳を澄ませてみたり、そういう方面にも頭がまわるのだな」
「いささか。辺境におりますと外国との微妙なやり取りもございますゆえ、現場での判断力が必要になります」
「ほお、初耳だ。どんな問題があった?」
「それは、その、わたしの職務上、墓まで持っていかないといけませんので」
「どうもおまえ、見たままの人間ではないように思うが、どうだ?」
「そのようなことはございません。わたしは
「いや、な、単なるうわさだが、父上が私設警備士の中でも優秀な者を集めて特殊部隊を編制しているというが、ぶっちゃけ、おまえもその一員ではなかろうな」
「ぶっちゃけ?」聞いたこともない言葉だった。
「ははは、知らぬのか。学校ではよく使っているぞ。はっきりいって、といったくらいの意味だ」
「なるほど、『うちあける』か、『ぶちあける』あたりからの言葉でしょうか。しかし特殊部隊とは滅相もない。失礼ながらお戯れもほどほどに願います」
特殊部隊など、私設警備士を持つような家ならどこでも持っているが、公然の秘密として軽々しく口には出さないのものだ。王室から私設の軍を持とうとしていると見なされたらまずい。『単なるうわさ』などと言葉を補っているが軽率といえる。
それから経費について話をしているうちに夕食が来たので、従者用の部屋にもどった時には日が暮れていた。そちらにも膳が運ばれていた。お嬢様とちがい自分で飯をよそうが、一人の食事は慣れていた。むしろ任務中は一人でというほうが多い。
そのためか、食べながら書状を読むという行儀の悪い習慣が身についてしまった。かといってただ食べるというのは時間の無駄としか思えない。飯を口に運ぶのは見ずともできるのだから、目には仕事をさせておいたほうがいい。
膳のまわりには、転送の付箋がたくさん貼られた書状が並べられている。
あっという間に流しこむようにして食事を終えると、茶を飲みながら書状を認める。暗号を用いて現状を報告した。その中で、任務の中断要請については取り消した。加えて隠し田について独自の調査を行ないたいと要望する。隠し田と
まったくとんでもないことになったな、と
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます