二、すまじきものは諜報部仕え(回想の部 全六章中の一)
大雨が通り過ぎると季節が入れ替わった。朝夕はさほどでもないが、昼間の屋外は急に不快なほど暑くなった。人々は夏の訪れを感じた。
部長の執務室はいつも散らかっている。若者はそこらのものを静かに膝で押しやりながらすわった。
「すまんな、
そういいながら
部長はそれを軽くたたいていった。
「いい報告だ。さすがは
「一年になるか。国を出てから」
「は。そのくらいかと。かの国では調査のため商人に身をやつしました」
「そのようだな。しかし、一度もうたがわれなかったどころか商人として利益もあげたとはたいしたやつよ」
「それは部の会計に入れております」
「いやいや、そういう意味ではない。おまえはそのような不正をする男ではない。わしは感心し、誉めておるのだ」
部長は茶をすすり、
「ところで、きょう呼び出したのはほかでもない。新たな任務だ」
「諜報ではない、支援および護衛だ。対象は
目が鋭さを失い、疑問に見開かれた。
「そう、通常なら諜報部が受ける任務ではない。
「これが大きな理由だ。おまえの調べてきた情報がまわりまわってこの任務になった」
部長は説明を続ける。暑くなってきたのか窓障子を開け、風を通した。
軍と王室は、新型ごおれむには緊急性はなく、即時の対応は不要との判断をくだした。それに大きく影響したのがこの報告書だった。
そして、専門部署によるさらなる分析の結果、新型ごおれむおよびその国が今後脅威や不安定要因となる可能性は無視できるほど小さいと結論された。
喜ばしいにはちがいない。わが
「だがな、
「なにもいわなくていい。わかるぞ。諜報部が動いたからこそそうした情勢が根拠をもってあきらかとなったのだ。理解されないというのはあまり気分のいいものではない」
「予算はどうなりますか」
「結論が早いな。軍は縮小される。徴兵は制度はのこすが来期から選考をきびしくして採用を減らす。装備の予算も減る」
そこで部長は言葉を切った。
「諜報部は無くなる。治安維持局調査部の下に入り、諜報課となる、というつもりだったようだ。王室はな」
部長の口元が歪んでいた。
「それは食い止めた。わしだってここですわって報告書を読んでばかりじゃない。それなりに友人やら貸しのある知人やらがいるからな。総動員したよ」
「では、現状のまま?」
「いや、予算は減らされる。来期からは養成所の維持はむずかしいだろう。今後、基礎訓練は軍や治安維持局と共同で行う。だが、諜報部としての形はのこるし、活動はこれまで通りだ」
「で、おまえの任務の話だ。友人をたよったといったが、
部長はべつの革表紙を差し出した。
その様子を見ながら、部長は
「さっきもいったが、
「なんですか、この成績で課程を修了? では、
「それもある。最初は現場には出さず、事務だけさせるつもりだった。それだと無駄飯を食わせるようなものだが、
一瞬、部長は窓の外から聞こえる声に気を取られたが、話を続けた。
「しかし、
「もちろん、却下したのでしょう?」
窓の外からは若い声が聞こえてきた。養成所が終わったようだった。
「すまない。諜報部をのこすためだ。最後を見ろ」
書類を乱暴にめくると彼女の要望に答える形で任務が割り振られていた。隣国、
「まあ、養成所出たての新人にやらせる任務としてはふつうですが、この成績では無理でしょう。もしなにかありでもしたら家が家ですから大変なことに」
「だから
「そんな任務になんの意味があるのですか」
「なあ、諜報課になって調査部の連中に顎で使われたいのか。わしはごめんだ。だからなんとか部としての独立性は確保した。そのためにいろいろと借りを作った。借りたものは返さなきゃならん。かんたんな理屈だ」
「しかし、いつまでも続けられませんよ。それに任務終了と同時にばれます」
「それはわかっている。
「なぜ、わたしなのですか」
「優秀だからだ。養成所を首席で卒業。それ以降の任務の遂行ぶりも見事だ」
じっと
「だからな、今後についても考えてほしい。実は部を背負ってもらおうと考えている。ならば
ふっと笑った。
「それに、おまえは
小鳥のさえずりがする。
「どうしても嫌か。無理を押しつけたくはないが」
「いいえ、わかりました。この任務引き受けます。この書類は借ります。支援および護衛計画を立てさせてください」
それを聞くと部長はほうと息を吐いた。そのまま窓の外を指さす。
「あれだ。ちょうど出てきた」
養成所の教室のほうから小柄な娘が歩いて来る。
「つまづきましたね」
「ああ、あそこは段差の修繕が終わっていないんだ。ま、入所したてならわかるが、もう修了というのに引っかかるのはあの娘だけだ」
ため息をつく
「おまえ、結婚はまだだったな」
「まさか」
「はは、そういう意味じゃない。親からすればあんな男の子みたいな娘でもかわいいんだろうなと思ってな。末娘だし。わしも子供がいるからわからないでもない。だが、おまえは理解しにくいだろうな」
「そうですね。親心はわかりません。とくにきょうみたいな任務を割り振られるとますますわからなくなりました。わがままを聞くのも親心ですか」
「そうだな。それも親心だ。聞くのも断るのも。で、今回は聞いたんだ」
「そういうものですか」
彼女は門をくぐるところだった。そのうしろ姿を見ていると、帯に描かれた花に蝶がとまろうとし、寸前で気がついたのか空高く飛んで行ってしまった。
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