第38話 予感

 翌週は立て続けに3件の地鎮祭に立ち会い、同じく立て続けに3件の突発事項が重なった。

 水曜は部下が担当して先月引き渡した物件でのクレームが発生し、同行して対応に追われた。

 ようやく木曜日を迎えるころには、いつになく疲労がたまってしまっていた。

 それでも朝から本社での打ち合わせのため、朝一で直行する。

 顔見知りの何人かと挨拶を交わし、会議室へ向かうためにフロアを横切ったところで、やはり木村さんと鉢合わす。

 木村さんは僕を確認すると、上機嫌で片手をあげて向かって来る。


「宮内! こっちに来るなら一言連絡入れろよな」


「木村部長、今日は部長とは関係ない案件でございますので」


「つれないよな、宮内は。で、明日あたりどうだ? 久しぶりに金時会議」


「良いですね。でも」


「でも、なんだよ?」


「これは僕の勘なんですけど、今週は何だかずっとバタついてしまってるんで、明日の金曜もこの流れなんじゃないかって。今、まさに目の前で憂いにぶつかっている最中ですし」


「バカヤロー、宮内。お前にしてはキレが悪いぞ」


 僕と木村さんは笑い合い、僕は承諾する。


「分かりました、木村さん。詩織にはしっかり了解を得ておきます。ただ本当に何かあるかもしれないので、その時は気持ちよくお断りさせていただきます」


「宮内、何でもいいや。楽しみにしてるぞ」


 木村さんはそう言い残すと、別の会議室に小走りに向かって行った。

 冗談を言いながらも、僕には実際何かが起こりそうな予感がしていた。

 自分では説明のつかない不思議な感情をくすぶりながら、急いで会議室に向かう。

 そしてその予感は、その日のうちに見事的中することになるのだ。僕にとって、予想だにしないかたちで。



 打合せ後は、顔見知りの何人かと、本社近くの定食屋のランチへとなだれ込んだ。

 同期入社のメンバーもいたので、近況報告と昔話に花が咲く。

 その後は急いで現場へ向かい、少し難しい案件をこなしていると、部下からの連絡が入る。

 昨日のクレーム案件について、再度問い合わせが入ったとのことだった。夕方に先方に向かうので同行して貰いたいと、部下からの申し出だった。

 やはり、今週はただでは済まない流れらしい。

 部下には快く返答し、電話を切って溜息をつく。

 夕方までには、大方の段取りを終えなくてはならない。

 午後6時前に現場近くで部下と落ち合い、簡単に用件を聞き、内容をすり合わせる。

 部下には、あまり会社や上司である自分の顔色なんて考える必要はないと伝える。

 大切なのはお施主さんの想いを受け止め、真摯にそのポイントに近づけて行くことだと。

 その為に上司や会社をうまく使って欲しい。

 自分が仕事をしたことで、その先の先の人が幸せになることが、最終的に会社の利益になると信じるのだと。それでも出来ない事は出来ないけどな。

 そう伝えると、部下の表情もいくらか明るくなった。


 結局、再度クレームという程でもなかった。

 昨日の件の念押しで昼に問い合わせたらしいのだけれど、部下の自信の無い対応に、再度説明が欲しいという事が、今回の要諦ようていだった。

 僕はその場で、メモした要点を署名入りで施主さんに渡し、期日について確認をすると、意外なほど早くお開きになった。

 帰りの道すがら、何度も頭を下げる部下に言う。


「気にするな、これも上司の仕事だ」


 つくづく思う。僕の部下への返答は、まるで過去に木村さんから言われてきたことそのものじゃないか。

 木村さんを追いかけるあまり、発する言葉まで真似てしまったのではないか。

 でも部下は部下で、当時の僕なんかよりずっと真面目だし出来が良かった。

 先ほども僕のやり取りを見ては、すぐにメモを取っていた。

 僕は少し後ろを歩く部下に言う。


「メモを取るのは感心だが、書いて終わるな。しっかり頭に叩き込め」


 口にして、自嘲する。

 これくらいが、せめてもの自分の中の木村さんへの反抗だった。

 部下はまた手帳を取り出してメモをする。


「そういうところだぞ?」


 言って、また自嘲する。


 夜風が無性に心地よかった。本当に大したトラブルでなくて良かった。

 明日は木村さんとの久しぶりの金時会議だ。

 また大いに木村節を語ってもらい、馬鹿話もしたい。

 そんな事を考えていると、上着の中でスマホがけたたましく鳴りだす。

 ディスプレイに表示された名前を見て、驚くと同時に思わず通話タップしてしまう。

 順子さんからのものだった。

 声を聞いた途端、不思議な感覚に全身が震える。


「丞君…?」


 すぐに答えることが出来なかった。

 確かに順子さんの声なのだけれど、記憶に遠すぎて、違うようにも聞こえる。

 それよりも、すぐに通話タップしてしまった自分の行動にも驚いていた。


「丞君…?」


 順子さんはもう一度こちらに呼びかけた。


「はい…」


 答えたは良いが、そのあとは言葉が出なかった。

 アンバランスな空気が流れる。

 僕を巡る世界が通話口に集中するように、静寂に包まれていた。

 気が付くと、部下が不思議そうに僕を見ていた。

 すぐに部下に背を向けて、順子さんに言う。


「どうかしましたか?」


「丞君…、話しときたいことがある…」


 部下をここで追い払うわけにもいかず、僕は手短に用件を聞く。

 明日の夜7時に、本社近くのカフェで我々は落ち合うことになった。


 電話を終えた後、早足に事業所へ戻り、部下と今日の一件についてもう一度すり合わせをした。

 でも正直言えば、僕の心は全く違う場所にあった。

 先ほどの順子さんからの電話のせいだ。

 順子さんの話とはいったい何なのか、そればかりが気になって仕方がなかった。

 それにこの十年もの間、順子さんの番号を消し忘れていた自分の失念にも驚きを通り越し、呆れていた。

 確かに仕事関係の連絡先もあるため、アドレス帳の整理はしていない。それにしても…。

 そこで改めて頭の中を整理してみた。

 遥は僕との関係を断つために、電話番号を変えたのではなかったか。では順子さんはどうして僕の番号を残していたのか。そしてどうして、今こなのタイミングで僕に連絡をよこしてきたのか。

 様々な可能性を頭に描き、何度もかき消した。

 結局のところ、この十年という歳月が、すべての事柄を解らなくしていた。

 部下が帰った後も、僕はずっと自分のデスクでぼんやりと時を過ごした。

 一つだけ確かなのは、今週ずっと僕の中で訳もなくくすぶっていた予感は、きっとこの事だったのではないかということだけだった。



 自宅に戻ったのは22時を過ぎた頃だった。

 当然碧は床に就いていて、詩織がキッチンのテーブルで、本を読みながら僕の帰りを待っていた。

 ただいまと声をかける僕を見て、詩織が言う。


「何かあった? 疲れた顔してるけど」


「うん、今日も色々あったにはあった」


「大丈夫?」


「こんな時間になってしまった。碧はもう寝てるね」


「パパの事待ってるって聞かなかったけど、ついさっき力尽きたところ。久しぶりだね、こんな時間まで」


「ごめん…」


「いいよ、そんなの。もともと仕事ばかりの人が、碧が生まれてから早く帰って来てくれてただけだし。その為に事業所から近い場所に住んだんだから」


「明日も少し遅くなるかもしれない」


「木村さんでしょ? 今日連絡があった。金曜の夜はお宅の旦那を預る、だって、大袈裟に」


 そうだった。明日は木村さんとの金時会議のはずだった。

 気が動転してしまい、順子さんと約束をしてしまった。


「いや、実は別件が入ってしまったんだ」


 言って苦いものが込み上げる。

 場合によっては、詩織にもしっかりと話さなくてはいけないのかもしれない。

 でも今急いで事を荒立てる必要はないと考えていた。

 順子さんの話が何事も無ければ、それはそれで良いのだ。

 詩織は台所に立ち、夕飯の支度をはじめながら背中越しに言う。


「そうなの? 木村さんすごく楽しそうだったけど」


「朝一で連絡入れなくちゃいけないな…」


 夕食を食べている時も、風呂に入って床に就く時も、詩織は僕の顔を確かめるようにのぞき込んでいた。

 心配させてしまっている。

 そう思いはしても、言い知れようのないこの感情の始末を、僕自身、持て余していた。

 考えても仕方のないことだ。

 そう何度も自分に言い聞かせるも、結局その夜は浅い眠りと覚醒を何度も繰り返すばかりだった。

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