第33話 失くした1/2

 やはり何度も、僕は遥と連絡を取ろうと考えた。

 電話が無理だとしても、メッセージを残すことだってできる。

 スマホを取り出して遥のリストを呼び出し、タップする。たったそれだけの動作なのに、僕にはそれが出来なかった。あの時の遥の真剣な眼差しや、あまりにも分かりやすかった別れの理由。何より、最後まで振り向きもせず見送った遥の背中の残像が、すべての行動を僕に戸惑わせた。

 遥はどんな覚悟で別れを切り出したのだろう。

 どうしてこれからというタイミングで別れを選んだのだろう。

 僕の落ち度は、いったい何だったのだろう。

 そんな事ばかり考えては、眠れぬ夜を過ごすのだった。

 幸い仕事は忙しく、昼の間は、失意に暮れる時間すら与えてはくれなかった。

 施主さんたちからの評判も良く、少しずつではあるけれど、大きな現場も一人で任される機会がもらえるようになっていた。

 その分責任も重くなり、昼間は各現場を日参し、夕方帰社すると資料作成に追われていた。

 木村さんはそんな風に忙しく走り回る僕を、よく気に掛けてくれていた。

 現場に走り去ろうとする僕を捕まえては、無駄話をけしかけてくる。


「木村さん、僕ちょっと急ぎなんです」


 僕はそんな風に、木村さんをやり過ごそうとした。

 でも本当は木村さんには、遥とのこともしっかりと話さなくてはと思っていた。

 それでも、僕自身にすら定まらない心持では、上手く伝えることができない。そんな理由で木村さんを避けている自分もいたのだ。

 木村さんは、笑って僕を送り出してくれた。


「宮内、あまり詰めて仕事はするな。心には余白を持てよ。仕事は私生活の逃げ場じゃないぞ、って昔オレが先輩に言われたことあったっけか?」


 木村さんはいつも図星をついてくる。それでいて優しくもあった。

 もう少しまとまったら話します。そう心では思いながらも、つい強がって答えるのが常だった。


「僕は仕事に目覚めましたから」



 退社時間はとっくに過ぎたというのに、いつまでもデスクに残って仕事を

 何もない時間が、僕にとって最も恐ろしい事だった。

 もうこれまでの様に遥の実家に立ち寄ったり、帰ってから遥とのメッセージで夜中を迎えたり、そんな風に過ごすことはできないのだ。

 今までは当たり前だった取り留めのない時間が、どれほど輝いていたのかを思い知らされた。

 夜の8時を回ると.守衛さんに事務所を追い出される。

 それからは当てもなく駅前をふらつく。

 一人で入ることが出来る店も見つからず、結局は電車に乗り、最寄り駅で下車し、アパート近くのコンビニに立ち寄る。

 コンビニで夕飯を物色するのにも.少し勇気がいる。

 遥が好きだったスイーツや、塩気のあるスナック菓子や、遥が気に入りそうな新商品を見つけるにつけ、つい手が伸びてしまうのだ。

 これをはるかに買って行ったら喜んでもらえるだろうか。

 もう失っているはずの彼女に、思いは勝手に走り出してしまう。そして決まって、そのあと落ち込む自分と対峙しなくてはいけなかった。


 自宅での夕食もまた、僕を孤独へと誘う。

 会話の溢れる食事。

 食後のスナックタイム。

 冗談に笑い転げる遥と順子さん。

 そんなものはどこにもないのだという事実だけが、一人の食卓は教えてくれた。

 決まって寝るまでの時間は読書をするのだけど、大好きだった小説はいつの間にか開かなくなり、眠くなるまで、逃げるように資格取得のテキストを開いて集中するのが日課だった。

 遥を失うだけで、世界はまるで色を失ったように思えた。

 そしてどれほどこれまでの生活を、遥が彩ってくれていたのかが身に沁みて解るのだった。

 遥は今何をしているのだろう。

 彼女は今何を考えているのだろう。

 眠りに落ちる時、あるいは浅い眠りの中、僕はいつもそんなことばかり考えていた。



 ある夜一人の夕食を終えた後、僕はスマホを取り出し、遥のリストを呼び出した。

 リストの遥という文字を見るだけで、すでに懐かしい気がした。

 あれから二週間がたとうとしていた。

 もうこれ以上何を悩む必要があるというのか。

 簡単なことじゃないか。遥に連絡すればいいだけだ。

 彼女の声を聴き、彼女と話し、自分の想いを伝えるのだ。

 僕は意を決し、遥のリストをタップする。

 接続音のあと、呼出し音も無く、すぐに繋がった。

 しかしスマホのスピーカーからは、このナンバーはすでに使われていないのだと、アナウンスが流れてきた。

 事態を飲み込む時間はもう必要なかった。

 まるで僕は、本当の孤独に落とされてしまったような、そんな気さえした。

 間違えるはずもないのに、再び遥のリストを呼び出し、タップする。

 そう、間違えるはずなんてないのだ。

 スピーカーは再びナンバーの主が存在しないことを、同じ声色で教えてくれていた。

 喪失感を振り払おうと、僕は必死だった。

 すぐに順子さんのリストを呼び出すも、タップするその指はすんでのところで僕を思いとどまらせた。

 考えてみれば、遥はこのナンバーを捨てたのだ。

 遥は、僕との関係を必死に断ち切ったんじゃないか。

 この僕に、今できることなんて何もないじゃないか。

 スマホをテーブルに置き、膝を抱える。

 遥と別れて初めて涙が流れた。

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