第30話 いつもの調子で

 日曜日は、遥と久しぶりのデートだった。

 木曜日の夜、遥の実家に顔を出したとき、重大発表だと遥自身から告げられたのだ。


 遥は少し勿体つけるような素振りを見せた。

 その時はスナックタイムの最中で、順子さんが煎れてくれたお茶を啜りながら、皆でチョコレートを齧っていた。


 遥は立ち上がり、マイクを持つように右手を握りしめて口元にあてる。


「じゃーん! ご来席中の皆様に重大発表がございます!」


 僕は何事かと驚いて、遥に注目する。

 遥は僕と順子さんを笑顔で交互に見つめてから頷いて、続ける。


「私、寺下遥。これまで訳の分からない病気、遺伝性自己炎症疾患に悩まされ続けてまいりました。ここまで丞ちゃんやお母さんにたくさんのご迷惑をおかけして参りましたが、この度、無事、完治いたしました!」


 遥も、順子さんも拍手して喜びを表している。

 僕は一瞬何事かと、まるで狐につままれたような気持で呆然とし、でも二人につられて少し遅れて拍手する。すごいじゃないか! 心の中で喝采する。信じられない! 遥が完治した! いや、信じられないなんておかしい! これこそ待ち望んだ結果だったんじゃないか。

 僕はすぐには声が出ず、順子さんを見やる。

 順子さんは手を叩きながら目頭を熱くし、僕に向かって何度も頷く。すごい。奇跡だ。

 僕は立ち上がり、力強く拍手する。


「遥、すごい! おめでとう! すごいよ!」


「ありがとう、丞ちゃん。それに、お母さん。たくさん心配かけちゃったし、二人には本当に支えてもらった。本当に、本当に、ありがとう」


 遥も涙ぐみ、順子さんと一緒に泣き崩れてしまう。

 我々はその後もお互いを労い、喜びに耽ったのだった。




 その夜も僕を駅まで見送る遥が、僕に訊ねる。


「丞ちゃん、約束は覚えてますか?」


「もちろん、ちゃんと覚えてるよ」


「じゃあ日曜日だね」


「うん。ちゃんとその日は仕事も段取りして、一日中空けておくよ」


 遥は、その後また僕を置き去りにするように、駅までの道のりを我先にと早足に歩く。

 僕も歩調を早め、遥の背中を追いかけた。


 改札で僕を見送る遥が手を振る。


「丞ちゃん、本当に今までありがとう」


 今までありがとうだなんて、改めて言われると可笑しな感じがした。


「良いよ、そんなの」


 僕は手を振り、ホームへと急いだ。

 飛び上がってしまうんじゃないかと言うほど、僕の足取りは軽かった。もちろん、日曜のデートが待ち遠しくて仕方なかったのだった。






 来たる日曜日は、久しぶりのデートだったので、僕には珍しく服装に手間取ってしまった。新しいシャツを着ていこうか、或いはいつも通りの着慣れたシャツにしようか。

 でも結局いつも通りの物を選んだ。何となくだけれど、その方が良いようにも思えたからだ。


 待ち合わせは駅の出口を僕は指定したのだけれど、遥はどうしても改札が良いのだとせがんだ。

 もちろん僕としてもそっちの方が慣れているから問題は無かった。日曜日の朝だし、人の流れに巻き込まれる心配もない。

 電車を降りて、まだ人も疎らな改札に向かうと、改札の出口で遥が手を振った。

 いったん改札を出た後、遥を迎えてまた改札に入る。

 学生時代はいつもこんな風に待ち合わせた。

 本当は改札の中で僕が待って遥が改札を入れば良いのだけれど、お出かけのスタートらしくするための、ある種儀式のようなものだった。

 遥が嬉しそうに言う。


「これがしたかったんだよ」


「なるほどね。だから改札で待ち合わせ?」


「そうだよ。でも何だか久しぶり。電車だって本当に久しぶり」


「怖くない?」


「大丈夫! だって私は完治した女だから!」


 改札の儀式も、二人で電車に乗るのも、本当に久しぶりだった。

 僕たちはまず港に向かった。それは遥からのリクエストだった。

 僕は言われるままに同意する。


 駅からヨットハーバーまでは少しばかり歩く必要があった。

 病み上がりではあるし、僕としては遥の事が心配になった。しかし遥は歩きたいのだと言った。どうしても、と言って聞かなかったのだ。

 遥を気遣いながらヨットハーバーを目指し、二人で歩く。

 遥は僕の真横で、まるで歩調を合わせるみたいに並ぶ。

 僕がすぐに、遥を気遣ってに歩調を緩めると、不満を口にする。


「いつもの調子で歩いて」


「いや、でもまた言うでしょ? ついて行くのが必死って」


「言ったでしょ? おかげさまで歩くのが速くなりました、って」


「でも病み上がりだし…」


「ねぇ、丞ちゃん! 普通にデートさせて。お願いだから。無理なら無理ってちゃんと言うから」


 遥の剣幕に押される形で、ため息とともに僕は同意する。

 それならということで、僕はいつも通りの調子で歩く。

 遥は僕の歩調に合わせ、にっこり微笑む。

 余裕を示したいのか、さらに歩調に合わせてリズムまでとる。


「ズンズンズンズン…」


 海風が強くなるころ、ヨットの帆先が見えてくる。

 視界が開けて、ヨットハーバー越しに海が見える。

 遥が歓声を上げる。


「うみぃ~!」


「海だ~!」


 僕も思わず声に出す。

 防波護岸にリズムよく打ち寄せる波の音が気持ち良かった。

 遥は手を広げ、胸いっぱいに海の空気を吸い込む。

 それから突然ヨットハーバーから離れた所にある、小さな砂浜の方へと走りだす。

 僕は慌てて遥を追いかける。

 波打ち際でしゃがみ込んだ遥が言う。


「どこかに夏はとり残されてないかなぁ~」


「もう九月も半ばだしね」


 僕が答えると、遥は反論する。


「分かってるよ、そんなの。だから探してるの。丞ちゃんも探して!」


 そうか、遥が港に向かった理由はこういうことだったのか。

 僕も浜辺でしゃがみ込み、波打ち際を眺める。

 アサリのような二枚貝を見つけて遥に見せる。


「違う…」


 遥が素っ気なく答える。

 僕はまた自分なりの夏を探してみる。


 我々はしばらくそんな作業に夢中で没頭した。

 遥も何か貝らしきものを拾い上げては海に戻している。

 少し大きめの波が打ち寄せてきて、僕も遥も声を上げながらその波を必死で回避する。

 波のさらった後に何か桃色の破片を見つけて、僕は拾い上げた。

 綺麗な桃色をした、小さな二枚貝の殻だった。

 少し砂がついていたので、波と格闘しながらその二枚貝の殻を海水で洗い流した。これは後から解った事なのだけれど、カバザクラガイという貝殻の一枚だった。

 僕は遥にその貝殻を渡す。


「遥、この貝殻はどう?」


 遥は目を見開いて、貝殻を受け取る。


「わあー、可愛い。キレイ」


「どう? とり残された夏?」


 遥は、満足そうに桃色の貝殻を波間に透かし見て答える。


「色がちょっと春っぽい気もするけど、素敵。ありがとう丞ちゃん」


 大切そうにカバザクラガイの貝殻をティッシュにくるみ、遥はそれをバッグにしまう。

 それから「次」とだけ僕に告げ、駅の方へ歩き出す。

 この気持ち良いほどの方向転換。これが遥とのデートだ。本来の調子が戻ってきたぞ。今日は確り振り回されよう。

 僕は先を行く遥を追いかける。

 そしてまたいつもの調子で、遥と並んで歩く。

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