第25話 胸のうちにあること

 仕事の方は順調に進んでいた。

 迷いの中にいた頃とは、不思議なくらい施主さんたちや会社の人たちの反応は違っていた。

 仕事を通して、自分の型みたいなものが出来上がってきたことも、大きな要因と言えた。

 いったん自分の型が出来てくると、職人さんたちとの関係性が上手くいというのは、新鮮な驚きだった。

 どっちつかずの相手とは、仕事ができないといったところかもしれない。そういう意味で仕事に対する覚悟の様なものが、僕の中には生まれていたのかもしれなかった。


 ひどく日差しの照り付ける日だった。

 その日は、一日中現場を駆けずり回っていた。

 お盆休みを控えて、どの現場も追い込みに入っていた。

 じりじりと照り付ける日差しの中では、職人さんたちの健康管理も、僕の大切な仕事の一つでもあった。

 施主さんからの飲み物の差し入れがあり、職人さんたちと囲んで休憩をとっていた。

 スマホの着信がけたたましく鳴り響いたのは、ちょうどそんなタイミングだった。いつだって不思議に思う。よからぬ知らせというのは、いつもと同じ着信音なのに、なぜか違って聞こえることだ。


 胸騒ぎの中、スマホの画面を睨みつけると、順子さんからの着信だった。遥がまた病院に運ばれたのだという。恥ずかしいことに、僕はあれから少しずつ遥へのメッセージを送らなくなってしまっていた。遥からの返信が一向になかったことで、もしかしたら迷惑になっているのではないか、そんな思いからだった。


「すぐに向かいます」


 取り乱す順子さんに僕は伝えた。

 遥が運ばれたのは以前検査入院をした大学病院との事だった。


 すぐに現場の段取りをつけ、会社に連絡をする。

 上司の天野さんに事情を説明すると、心得たとばかりに、他の現場のことも引き受けてくれた。

 天野さんは事務的な性格もあって取っ付きにくい所があったが、一旦信頼関係を構築すると、余計な詮索を挟まず仕事を引き継ぐような、そんなスマートさを持ち合わせた人だった。

 天野さんとは工程表も共有していたので、作業服だった僕はすぐに部屋で着替えて病院へと向かった。


 大学病院の玄関から入り、救急外来の廊下へ向かう。前に何度か来ていたせいで、少しだけ勝手には通じていた。

 外来の廊下には、少し疲れた顔の順子さんがソファーを使わず、じっとしゃがみ込んでいた。

 僕の姿を認めると、縋るように立ち上がる。


「丞君ごめんね、呼び出しちゃって」


「いえ、僕の方は大丈夫です。遥は?」


「今処置を受けてるところ。部屋で急に動けなくなって、私のパート先に連絡が入ったの。めまいがひどいって言って、少し痙攣をおこしてたからすぐに救急車を呼んで…」


 そう順子さんが話しているうちに、担当の医師が現れた。

 医師は難しそうに息を吐きだすと、順子さんに告げる。状態としては貧血だったようで、これも自己炎症疾患に見られる症状の一つなのだという。ただ数値に於いては気になる箇所があるとのことで、もう少し詳しく調べたいとのことだった。


「もう意識は確りしています」


 医師はそう言うと僕の方も見た。


「今日はまた一泊してもらいますが、検査の結果次第では、また二週間ほど入院していただくかもしれません」


 順子さんは唯々従うしかないと云ったような、頷き方をした。

 そしてそのすぐ後に、看護師さんに付き添われて遥がやってきた。

 遥は僕の姿を見ると一瞬嬉しそうに眼を見開いたものの、そんな自分を収めるように気まずく顔を伏せ、僕に呼び掛ける。


「丞ちゃん…」


 僕はうんとだけ、頷いた。

 もう何年も逢っていなかったような気持で、何と言ったら良いのか分からなかったのだ。

 それから我々は、そのまま看護師さんに促されて検査室の方へ移った。

 遥の検査の間、僕と順子さんは検査室のあるロビーのソファーで並びあっていた。

 僕も順子さんもしばらく無言のまま、時を費やしていた。

この状況で、順子さんにどんな言葉をかけたらよいのか分からなかった。

 順子さんも順子さんで、押し黙ったまま一点に視点を定め、何か考えているようだった。

 ややあって、口火を切ったのは順子さんの方だった。


「丞君、聞いてもいい?」


「はい…」


 順子さんの声に少しだけ怒りに近いものが滲んでいるのが分かった。


「どうして遥としばらく会ってなかったの?」


 予想通りの質問だった。かと言って明確な答えを僕は持ち合わせてはいなかった。


「ごめんなさい、順子さん…」


 僕が答えに窮すると、順子さんは我に返ったように、滲ませた怒りを収める。


「丞君、こめん。責めるつもりじゃなかったの。ただ、ここのところ遥の様子もおかしかったし、あの子に質問しても何も教えてくれなくて…。昔から変なところで強情だから…」


 少し迷ったが、僕はあの時の一件を順子さんに話すことにした。戸惑い、疲れてしまっている順子さんを何もわからない場所に置いてけぼりにすることが最善だとは、僕には思えなかったからだ。

 出来るだけ事実を事実のままに、当日のことを順子さんに語った。トランプで遊び、ペペロンチーノを食べ、不用意な一言で僕が遥を傷つけてしまった日の話だ。

 そして、最後に僕は順子さんにも詫びた。ここはやはり僕自身にとっても、無神経さを自覚するところだったからだ。

 静かにゆっくりと頷き、順子さんも僕に詫びる。


「うん、でも丞君は何も悪くないよ。いま遥はこの病気が自分でも抱えきれなくなってるから…。ごめんね」


 それでも何か苦いものが僕の中にはあった。

 たとえ遥がそうであったとしても、僕は遥へのメッセージを途絶えてしまうべきではなかったのだ。もしかしたら、もう僕自身が遥を重荷に感じてしまっているのではないか。病気の遥から目を逸らそうと考えているのではないか。そんな後ろめたさがあった。


「毎度のことなんだけど、また丞君にお願いできないかなぁ。これから入院の準備にいったん家に戻りたいんだけど」


「もちろん、行って来てください。僕がここに残ります。病室など分かり次第連絡します」


 順子さんはやっと少しだけ笑顔を見せてくれた。

 そうだ本来の順子さんは笑顔の良く似合う人だった。


「丞君、なんだか前よりしっかりしてきたね。しっかり社会人みたい」


 僕は少し照れながら笑い返す。おかげで気持ちがほぐれる思いがした。

 そしてもう一度、心の中に不思議に漲るものを感じた。

 単純かもしれないけれど、僕たちに必要なものはそういうものなのかも知れなかった。

 僕は順子さんの背中を見送った後、再びロビーのソファーに座り、遥の検査が終わるのを待った。

 先ほど久しぶりに遥と対面した時の、遥の一瞬見せた嬉しそうな顔。その瞳を見た瞬間の自分自身の胸の内。いや、その喜びを遥自身が納めてしまった時の僕の中の戸惑い。そうした感情を反芻しながら、僕はロビーの壁をじっと見つめていた。

 自分の中にある遠慮が、もしかしたら遥を傷つけてしまっているのではないか。そんな答えが霞の内から見えたような気がした。

 そうだあの日、僕は遥に謝るべきではなかった。卑屈に閉じこもる遥とやり合うべきだったのかもしれない。声を枯らすほどに遥と言い合えば良かったのだ。僕は遥を守っているようで、はれ物に触るように、実際には遠ざけていたのかもしれないのだ。

 その答えに辿りついたのと同じ頃、看護師さんに付き添われて遥がロビーにやってきた。

 すぐに僕から目を逸らす遥かに、順子さんが入院の準備にいったん家に帰ったことを伝える。

 看護師さんは僕と遥を促し、病室へ案内してくれた。

 病室は前回と同じ東病棟六階の同じ部屋だった。そしてこれも前回同様、二人部屋を一人で使えるとのことだ。病室の説明は前回と同じということで省かれた。夕方にもう一度医師から結果と今後について説明があるので、それまでは安静にしていてくださいと付け加えられる。


 静かな病室に二人で残されて、どうしたら良いものか、しばらく僕も遥も立ち尽くしていた。


「ベッドに横になったら。貧血なんだし」


 僕は言った。


 遥は頷くも、何か言いたげに立ち尽くしたままだった。

 僕は意を決し、遥と向き合った。


「遥、あの日のことなんだ。さっきやっと答えが出た。あの日は遥と喧嘩すればよかった。卑屈になるなよって、ちゃんと言ってやるべきだった。遥は何だって出来るんだよ。だって、あの日僕はババ抜きに負けたんだよ。遥にしてやられたんだよ。そんな遥にできないことってあるのかよって!」


「丞ちゃん…」


 遥は懐かしそうに僕の眼を覗き込んだ後、俯いた。

 それから僕のシャツの裾をぎゅっと握りしめ、そのまま腕を回し、胸に飛び込んできた。


「丞ちゃん…、ごめんなさい。たくさん悩ませちゃったよね。丞ちゃんは何も悪くない。本当に何も悪くないんだよ。私もあれからいっぱい考えた。丞ちゃんからのメールに返事が出来なかったけど、私なりにいっぱい考えた…」


 それから遥はしがみ付く腕に力を込めた。シャツ越しに胸の辺りが遥の涙で温かくなっているのが分かった。改めて遥の身体の小ささと、その体温に胸が締め付けられる。

 僕はその身体に腕を回し、優しく力を込める。

 遥は嗚咽し、切なく繰り返す。


「丞ちゃん…、いちばんになりたいよ…。丞ちゃんのいちばんになりたいよ…」


 僕は自分の涙を隠すように、遥の頭上にそっと鼻先を忍ばせる。遥の懐かしい香りが愛しくて仕方が無かった。

 多分先程の僕の答えは見当違いだ。そう僕は思い直していた。

 もしかしたら答えを探そうとしたこと自体、大きく的から外れていたのかもしれない。

 今胸の内にある温もりのほかに、正解なんて見つけられなかった。

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