第24話 いちばん星

 一週間経っても、遥からの連絡はなかった。

 僕の方からも二度メールを送信して待ってみたが、それにもやはり、遥は応えてはくれなかった。

 日曜の夕方に三度目のメールを送信しようと思い、スマホを取り出してはみたものの、結局そのメールを送ることは躊躇われた。なにを焦ったのか、僕のそのメールは、まるで感情の置き場がおかしくて、文面が整理できていなかった。


 ぽっかりと穴の開いた日曜の夕方をベッドに寝そべったまま天井を見上げて過ごした。

 遥は病室の天井をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。そんなことをぼんやりと考えた。

 あの日、遥のペペロンチーノを食べながら僕はどんな会話をすることが良かったのだろうか、そんなことも考えた。

 でも答えなんて見つからない。

 何を話したところで、あの日はどの道、取り乱す遥かに帰結してしまうんじゃないかと思われて仕方が無かった。

 おそらく僕たちにとっては、通らなくては進めないトンネルのような場所だったのではないかとも思う。

 僕にとっても、また遥にとっても、つぎのステージに進むための時間が正に今、ここに与えられているのではないだろうか。

 僕にとって必要なパーツは、今悩み苦しんでいる遥と向き合うための、器のようなものを持つ力量だった。それは今すぐに出来上がるものでもないのかもしれないけれど、僕には今の遥を受け入れる決意は、この一週間で心に蓄えることが出来ていた。

 いや、情けない言い方をすれば、僕自身が今まで通り、遥を必要としていたのだ。

 だから、遥にも今まで通り僕を必要として欲しかった。

 そしてそれは、僕の等身大の切実な願いだったのだ。


 もう一度スマホを取り上げ、遥にメッセージを送ろうと試みるも、やはりしっくりとくる文面を書き出すことが出来なかった。

僕は結局ベッドから起き上がり、部屋を出て、夕暮れの街を歩いた。


 夕涼みにはもってこいの時間だった。

 もしかしたら、遥もこの時間帯なら外に出歩けられるかもしれない。そんなことを考えながら、僕は当てもなく街の中を歩き続けた。

 駅に差し掛かり、何となく電車に乗る。

 思った通り、自然と遥の自宅の最寄り駅で降りてしまう。

 それても意識的に遥の家の方向は避け、駅の南口に出る。

 駅を背にして歩き続けると、勾配のきつい坂道に差し掛かる。

 神社の手前の公園から遊歩道に出て、僕はいつの間にかこの丘の頂上を目指していた。


 思ったほどの急勾配ではなかったが、少しだけ息が上がった。

 頂上にもちょっとした公園があり、僕が到達したころには、日が暮れ始めるところだった。

 暮れなずみ、ぼんやりと街灯が輝き始める街並みを眼下に、息を整える。

 少しだけ自分の気持ちが整うのを感じる。

 こんなところに街を一望できる公園があることを、僕は初めて知った。

 ベンチに腰を下ろし、夜風を浴びる。

 青いフィルムをかぶせたみたいな夜景の中に、遥の住むアパートの部屋の灯を、小さく認める事ができた。

 遥は今何をしているだろう。

 あの小さな灯りの中で、遥は何を想っているのだろう。

 ベンチから立ち上がり、公園を後にする。

 振り返ると黄昏も過ぎた夜空に、確かな明星を見つけた。

 いちばん星。僕はひとり呟く。


 そういえば学生時代、遥と大喧嘩をしたことがあった。

 サークルの仲間たちと長野でキャンプをした時のことだ。

 キャンプと云えばカレーでしょ、という流れになり、それぞれにくじ引きで係を決めることになった。

 カレー係、ご飯係、食材調達係、火起こし係。ざっとこんな役割分担だったと思う。

 運の悪いことに、僕と遥は別々の係になった。

 遥は火起こし係で僕はカレー係だった。

 各係がワイワイしながら仕事を進めていた。

 調達係が買ってきた食材を、僕と一年後輩の亜紀とで調理していた。

 すべての具材を鍋に入れ、火起こし係が組み立てたコンロに置いた。

 火力が少し弱く感じたので、亜紀とうちわで仰いだ。

 額に汗がにじんできたので軍手で拭うと、僕の顔には黒くススが付着してしまった。何故か亜紀の顔にも同じように黒くススが滲んでいて、仲間たちが僕と亜紀の顔を見て爆笑していた。

 仲間の誰かが言った。


「この際、二人付き合っちゃえば? お似合いじゃない?」


 否定したかったが亜紀を傷つけてしまうことを恐れ、僕は皆に向かって曖昧に笑って返した。

 あとで知ったことだが、そんなやり取りを遥は遠くで見ていたのだった。

 しばらくしても遥は戻ってこなかった。

 道に迷ったのではないかと、皆で手分けして探すことにした。

 どこを探しても見つからず、捜索願を出そうかとの話も出た。

 僕はもう一度入念に少し離れた辺りを捜索した。

 そして日が沈み始めたころ、沢の辺りで遥の名を叫ぶと、そこに返す言葉があった。

 すぐに駆け付けた。

 そこには、不安そうな僕を見つめる遥がいのだった。

 でも遥は直ぐに、先ほどの亜紀とのことで、僕を責め立ててきた。遥がこんなところまで歩いてきたのは、それが原因だったのだ。

 僕は皆に迷惑をかけた遥に、強く怒りをぶつけた。こんな子供じみた事をして、どれだけ皆を振り回しているのか。

 それでも引かない遥を、僕はその場に取り残した。勝手にすればいい、と。

 遥は思った通り、僕を追いかけて来た。

 そして後ろから僕にしがみ付き、背中越しに必死に謝罪してきた。私は丞ちゃんの一番になりたいのだと、鼻を啜るほど泣いたのだった。

 薄暗い木々の間から見上げる空には、ひと際輝く一番星が見えたことを僕は今も覚えている。

 それは今日のような綺麗な明星だった。


 もと来た道を下って行き、駅の南口に。

 散々迷ったが、遥の自宅ではなく、自分の部屋にとぼとぼと一人戻った。

 またベッドに横になり、スマホを取り出す。

 遥へのメッセージを思いついたからだった。


「たった今、夕涼みもかねて散歩をしてきました。まだこの季節なら、早朝や夕暮れ時の散歩は気持ち良いかもです」


 スマホの画面をしばらく睨みつけていた。やはり遥からの返事ははやり無かった。

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